白い雪が舞い、初めと同じような銀世界へと風景が変わってゆく。  
弱い風に吹き流されるかのように、幻の世界は姿を消した。  
「こんな・・・こんなの・・・なぁ?」  
俺は、コンルの傍らでうなだれることしかできなかった。  
「親父さんも、お袋さんもいなってのは聞いてた・・・けど、辛すぎる・・・  
あんな別れ方・・・。目の前で親父さんが死んでよ、帰る場所も無いわ・・・  
しかも何だよ!さっ、探してるのは義理の姉さんだってのか!?  
子供に耐えられるワケねーだろ!なのに・・・なのによぉ・・・あいつ・・・」  
足元へとこぼれた涙が雪を溶かす。  
「リムルル・・・うぅ・・・。コンル」  
「はい」  
「俺は、間違ってた・・・兄に、兄になるなんて・・・気安く言っちまって。  
その言葉が、如何にあいつにとって大事なことかも知らないで、  
ただ、あいつが可愛いから、かわいそうだったから・・・!軽い言葉で  
何度あいつを傷つけたか・・・わかんねえ。だけど、だけどな?聞いてくれ。  
俺の・・・あいつへの、リムルルに対する家族としての愛情は、本物なんだ。  
少なくとも、俺はそう思ってるんだ・・・大事な、大事な妹・・・なんだ」  
「はい」  
「あいつは・・・今、俺のこと慕ってくれてる。だから、俺は・・・それに  
全力で応えてやりたいんだ。それで、あいつが少しでも幸せに、  
それで元気になって、寂しさを忘れられるなら・・・俺は幸せだ。  
あいつが、俺のことを兄だと言ってくれる間は。何もできない俺に、  
愛想尽かすまでは・・・」  
涙を拭い顔を上げ、俺はコンルに向き直った。黙って俺の話を聞いていた  
コンルの顔は、俺の気持ちさえ、次の言葉さえ見透かしているかのように  
清清しい笑顔で満ちていた。  
「俺はリムルルのそばに、ずっと居てやるから。死んでも守ってやる。  
もうあれ以上、寂しい思いなんかさせてたまるか」  
「はい!よろしくお願いします」  
俺の宣言を聞き、コンルは心底嬉しそうに返事をした。  
 
「だけど・・・俺には、力が無い。何か!何かないのか?あのほら、  
すっげー武器とか。技とか」  
「フフ・・・。お気持ちは分かりますけど、守ってあげる、というのは  
何もあの子と一緒に闘うことだけではないでしょう」  
子供のように息巻く俺が愉快だったのか、コンルは微笑みながら  
柔らかな言葉でなだめた。  
「う〜ん・・・それは、まぁそうだけど」  
それでも力を求める俺を前に、コンルは少し困った顔をした。  
「闘いに巻き込またら、これからは私が2人の命を守ります。  
だからお願いです、命を粗末にするようなことだけは・・・」  
「はっ、そ、そうか・・・」  
コンルの言葉に、無念と苦痛に歪むリムルルの父の顔を思い出す。  
もしも、俺が命を落とすようなことがあったら・・・  
「あなたという存在が、リムルルにとってどれだけ大事なことか・・・」  
「ごめんな、コンル・・・また、バカな事言っちまった。死んでも、なんて」  
「いえ、いいんですよ。ただ・・・今、リムルルは傷ついています。  
身体の傷はやがて癒えるでしょう。ですが、心は・・・決して独りでは  
癒すことはできません。あの子に、笑顔を分けてあげてください。  
それができるのは、いま、この世界であなただけなのです。  
忘れないでください。あなただけが、リムルルを・・・」  
白魚のような両手の指を胸の前で絡め、コンルは祈るように俺に囁く。  
俺を見つめる、慈悲に満ちた曇りない青い瞳。それはまるで、現実世界で  
見る彼女の姿と同じように美しく透き通った、優しさの結晶のようだ。  
「笑顔・・・コンル、わかったよ。俺は、俺にできるやり方でリムルルを  
守ってみせる」  
「はい!思ったとおりです、やっぱりあなたは素敵なお方。  
その笑顔・・・あの・・・かた・・・に・・・」  
笑い顔のまま、コンルはふらっと姿勢を崩した。  
 
「あれぇ〜・・・」  
「うわ!こ、コンル!?わぷっ・・・」  
今時、時代劇でも聞かれないような声を上げて倒れこんだ  
コンルを抱きとめたはいいが、体重を全て預けてきたので  
俺もろとも地面に倒れこんでしまった。だが、雪の上だけにちっとも  
痛くない。しかも、下からだけではなく上からも包み込む柔らかな  
2つのクッションが、俺の身体にぴたりと吸いついてくる。  
「ご・・・ごめんな・・・さい・・・。安心したら、めまいが・・・はぁ・・・」  
目前に迫るコンルの白い顔が、さらに青白くなってしまっている。  
切なげに漏れる力の無い喘ぎが、あまりにも色っぽい。  
「すいません・・・お怪我・・・ないですか・・・ぅ・・・ううん」  
コンルは立ち上がろうとするが、どうやら身体に力が入らないらしい。  
俺の上で身をよじるたび、たっぷりとした豊乳が自在に形を変えながら  
俺の胸板の上で艶やかに踊り、か細い吐息が耳元をくすぐった。  
「いや・・・あの・・・ちょっ、気持ちい・・・いやいやいやいや」  
「・・・?」  
ぼんやりとした瞳で、コンルは慌てる俺を見つめている。  
「お、俺は大丈夫です。ゆっくり立ち上がってください」  
「お・・・お気遣い・・・ありがとうございます・・・ふぅ・・・」  
両手を雪に埋めながら、コンルはよろよろと上体を起こした。  
重力に従う乳房が素直に下を向き、俺の身体から徐々に離れてゆく。  
「まだ、本調子ではなくて・・・やっぱり力の使いすぎは・・・危険です・・・ね」  
「ほ、ホントに。危険ですよコレ」  
収穫期を迎え、もぎ取られるのを待つ果実のようなその光景に、  
俺は生まれて初めて「おっぱい鷲掴み」の衝動を覚えたのだった。  
『この人は・・・マジ天然だ。要注意だ』  
俺の足元で正座し、襟元を正しているコンルを見て、俺はそう思った。  
 
 
「・・・!・・・」  
がばり。俺はコタツから身を起こした。  
「・・・深夜2時・・・」  
時間を確認すると、部屋の中を見回した。コタツ、みかん、布団、  
リムルル、氷・・・氷?  
「こ、コンル・・・やっぱ夢じゃなかったんだよな〜、あ、夢か」  
頭の中がごっちゃになりながら、俺は頭上を漂う氷のカムイに  
手を差し伸べた。冷気を発しながら、水晶のような冷たい水の結晶が  
くるくると降りて来る。しかし、これがあの美しい女性の仮の姿かと  
思うと、何とも言いがたい複雑な気持ちになってくる。  
「コンル・・・これからよろしくな」  
声を発さぬカムイは、俺の言葉にその身を揺らして答えた。  
視線を移し、布団の中ですやすやと眠っているリムルルを眺める。  
小さな唇から漏れる静かな寝息が、何とも愛らしい。  
『リムルル、俺の可愛い妹・・・絶対に、絶対に・・・お前を独りになんかしない』  
俺は、心の中でもう一度誓った。  
「よっと・・・うぅ〜さむさむ!」  
コタツから静かに立ち上がり、台所でお茶を入れる。  
戻ってきて窓の外を眺めると、きれいな星空が広がっていた。  
カーテンをまくり、少し窓を開け夜風に当たる。部屋の中が、  
星と月の青い光に溶け込んでゆく。柔らかな光とともに流れ込む  
きりっと冷えた空気が、湯飲みから立ち上る湯気を揺らした。  
「守る・・・か・・・・・・」  
お茶をすすると、温かな感触が乾いたのどを潤してゆく。  
「はぁ・・・息、白っ・・・」  
ため息混じりに漏れる白い吐息。こいつはいくつになっても面白い。  
ほう、ほうと、深く息を吐いては、街頭の光を受けてもやもやと  
光るのを眺めていた。そんなことをしながら、残ったお茶を飲み干し  
窓を閉める。  
 
「・・・寝るか・・・ん?」  
部屋のほうを振り返ると、いつの間に起きたのだろうか、布団の上に  
座り込んだリムルルがいた。窓から差し込む青い光の中で、俺の顔を  
見ながら涙を流している。ぼろぼろとこぼした涙を拭おうともしない。  
「ひっく・・・えぅ、ぐすっ・・・」  
「どうしたんだ・・・うん?まだ立てないだろ?傷が痛いのか?」  
まるで迷子の子供に話しかけるように、しゃがんで視線の高さを  
同じくして、やさしく話しかける。父親がやっていたように。  
「ごめん・・・ね、にいさまっ、うぐ、ごめんね・・・」  
苦しそうな涙声。月を浮かべた湖のような瞳がゆらゆらと揺れ、  
そのたびに大粒の涙が床を濡らした。  
「何を謝ってるんだい」  
「きょ・・・きょう・・・にいさまをっ、にいさまを・・・まっ、まもれなかった」  
「あぁ、そのことか・・・全然平気だよ。怪我もしてないんだから」  
「ふぇ・・・だっ、だけどぉっ!」  
「どうしたんだい?何でも言ってごらん」  
何か言いたげなまま俺を見つめているリムルルに会話を促してやると、  
涙目の少女は呼吸を整え、再び小さな口を開いた。  
「あのねっ・・・こっ、このまえ・・・にいさまをねっ、とうさまとねっ・・・  
ふぇ・・・ま、まちがえちゃったでしょ?」  
「うん・・・」  
起き抜けのリムルルは、なんだか普段よりずっと不安定だ。  
怖い夢から覚めた子供のようにたどたどしい。整えたはずの呼吸も  
既に元に戻ってしまっており、ひくひくと苦しそうに息をしている。  
「にっ、にいさまが・・・やさしくてね?あったかくて・・・すん、それでね?  
とうさまのことなんて・・・もう、おっおぼえてないのに・・・」  
「うん」  
「にいさま・・・てぇにぎってぇ」  
「うん」  
突然の要求に、言われるがまま手を握ってやる。温かな、小さな手。  
「そ、それでね?とうさまはやさしくてね?こう、こうやって・・・  
おててね?にぎってくれて・・・にいさまもにぎっ・・・てくれて・・・うぅ」  
 
自分でも何を言っているのかよく分かっていないのだろう。  
半分寝ぼけているリムルルは時折言葉を詰まらせながら、  
しかしその視線を俺から離すことなく言葉を続ける。  
「にいさまは・・・とうさまじゃ・・・ないのに」  
「そうだな」  
「にいさまも・・・うっ、遠くに・・・いっちゃうんじゃないかって・・・  
わたし、もう・・・ひとりぼっち、いやで・・・ひっく・・・」  
唇がわなわなと震え、声が酷くうわずっている。  
―あの子に、笑顔を分けてあげてください―  
―それができるのは、この世界であなただけなのです―  
コンルの言葉を思い出す。そう。姉が見つからない今、この子の家族は  
俺たった一人であり、友達も、知人も、ましてや帰る場所さえ無い  
この世界で、リムルルを守ってやれるのもまた俺だけなのだ。  
「だいじょうぶ、大丈夫だ」  
「きょ、きょうだって・・・ね?にいさま、あんな・・・うぐっ、やつに・・・  
やられそうに・・・なって・・・わたし、わっ、わたし・・・うっ、うぅ・・・」  
「ちゃんと生きてるよ。リムルルを独りになんかしない。絶対に」  
「ねえさま・・・みつ、かっても・・・にいさま、いっしょにいる?」  
「いるよ」  
「うぅ・・・ほんと?ほんとに・・・くすん・・・いてね?」  
「うん、心配ないよ」  
真っ赤になった顔へ、俺は笑いかける。だが、その笑顔さえ  
届かない程の深い悲しみの中に、リムルルはいた。  
ひく、ひくと、苦しそうに呼吸をつまらせたままだ。  
「ごめんね・・・ごめんね・・・わっわたし、にいさまも、ねえさまも、  
とうさまも・・・だいすきでね?」  
「うん」  
「また、みんないっしょに・・・・・・なり・・・たく、って・・・」  
一段と大きな涙が、瞬きとともに雫となってぽたりと落ちると、  
「もうだれともはなれたくないのぉ・・・!うぅ・・・うぁ〜ん」  
そう叫んで、リムルルはまた悲しみの雨を降らせた。  
 
これ程までに、追い詰められてしまっていたリムルル。  
年端もいかない少女には、あまりにも大きすぎる重荷。  
それを小さな背中にすべて背負い込み、闘い、祈り、探し・・・。  
「リムルル・・・!」  
俺はたまらず、ぎゅっとリムルルの細い身体を抱きしめた。  
「にぃ・・・ひぐっ、にぃ・・・さま」  
「大丈夫だ。俺たちは家族だろ・・・俺もリムルルのことが好きだ。  
ずっと、ずっと一緒にいよう」  
「ふえぇ〜・・・にいさま・・・にいさまぁ!」  
「ほら、こんなに近くにいるだろ?離れないよ」  
「うん・・・ぐすっ・・・うん・・・!」  
リムルルも俺のことぎゅっとしてごらん?」  
小さな手が俺の背中に回され、ぎゅっと俺の身体を引き寄せた。  
「ほら、ちゃんとここにいる」  
「にいさま・・・あっ・・・たかい」  
「リムルルもあったかいな」  
苦しくなるほど、リムルルは抱きしめてきた。  
「だいすき・・・にいさま・・・ひぅ、だいすきだよぉ」  
「俺もだよ・・・」  
いつもより優しく、頭を撫でてやる。  
「あ・・・わたし・・・にいさまも、にいさまのおてても、だいすき」  
「そっか、いい子だ・・・」  
「えへへ」  
抱擁を終え、再び見たリムルルの顔は、今までで一番くしゃくしゃ  
だった。しかし、そのくしゃくしゃの中に浮かぶ幸せの表情は、  
それもまた、一番のものだった。  
 
 
「お茶、飲むな?」  
「うん・・・ありがと・・・」  
急須を傾け、温かなお茶を二人ですする。  
「おいしいか?」  
「あちち・・・うん、おいひ・・・ふぅ」  
お茶の温かさに心まで溶かされたかのような惚け顔で、リムルルは答えた。  
「ふぁ・・・はぁ〜あ」  
「大あくびだな。眠いだろ、真夜中だもんな」  
「ん・・・」  
「ほら、布団に入って・・・お休み」  
背中を押し布団へといざなう俺の手を、リムルルはぎゅっと握ってきた。  
「一緒に寝よ?」  
「あぁ」  
今さらどこに断る理由があるだろう。手を引かれ、俺はリムルルと共に  
布団へ潜り込んだ。  
「二人だとあったかいね」  
「そうだな・・・」  
向き合ったまま、小声でささやき合う。  
「ね、にいさま・・・もういっかい、頭撫でて」  
「よしよし・・・おやすみ」  
さらさらと髪をなぞり、泣きはらした顔も撫でてやると、  
その手を、再びリムルルがそっと掴む。  
「手、握ったまま寝ていい?」  
「いいよ」  
「おやすみ、にいさま」  
「おやすみ・・・」  
星と月が照らす部屋の中に、二人分の寝息が響くまで  
そう時間はかからなかった。  
 

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