あたたかな日差しの降り注ぐ中、閑丸はゆっくりと歩を進めていた。  
「ほーら閑丸くん! こっちこっち!」  
彼の前を進むリムルルは、対照的に跳ねるような歩調で楽しくて仕方ないといった様子だ。  
実際、街道のあちこちを駆け回っては路傍に咲く花をみて歓声を上げ、雲の形をみてはそれ  
が何に見えるかを考え、空を行く鳥を見てははしゃぎ、吹き渡る風の感触を両手を広げ全身  
で感じ取ろうとし・・・・・本当に、旅が楽しくて仕方ないのだろう。  
それは、それらの発見をするたびに彼の方を向き報告する彼女の満面の笑みを見れば、微  
塵の疑いもない。  
彼女の笑みを向けられるたびに、閑丸は慣れないながらも精一杯の笑顔を浮かべてリムル  
ルに小さく手を振って応え・・・・・そして、そんな笑うことに慣れていない彼のぎこちない笑顔  
をみて、リムルルはまた心底楽しそうに笑うのだ。  
閑丸は、こんな他愛のないひと時に、心癒される自分を感じていた。  
自分の中にいる、「鬼」の自分。  
それは、長らく彼の心を鎖のように縛ってきた。  
だからこそ彼は人との関わりを恐れるし、最低限の関わり方もかなりよそよそしいモノとなっ  
ていた。  
だが、彼の前で笑顔を振り撒く少女は、そんな頑なな自分の事情など知ったことではない、  
といわんばかりに彼に屈託なく接してきた。  
 
始めはそれに戸惑った閑丸だったが・・・・・・・そんなリムルルの存在を心地よく感じるように  
なるまでには、時間はかからなかった。  
彼女の明るい笑顔を見るたびに、彼は自分の中の暗く冷たい部分が氷解していくかのように  
思える。  
今では、ややもすれば記憶が欠落している自分よりも尚世間知らずな彼女の笑顔を守るた  
めならばなんでもしたい、と思う自分を発見し・・・・そして、そんな自分に戸惑いつつも、その  
爽やかな責任感を心地よく感じる自分もまた発見するのだ。  
・・・・・・・・・妹がいるって、こんな感じなのかな?  
記憶のない自分ではそれを確かめる術もないが、何となくそう思った。  
「あ・・・・」  
ふと、リムルルが今までと違った声をあげた。  
みると、街道の傍らの岩壁を見上げている。  
彼女の視線を追うと、岩壁の中ほどに、鮮やかな赤色をたたえる花が咲いているのが見え  
た。  
もう一度、リムルルに視線を戻す・・・・やはり、あの花に目を奪われているようだ。  
あの花がほしいのかな・・・・?  
そう思い、そしてとってきた後で彼女の浮かべる笑顔を想像した瞬間。  
「僕が取ってくるよ」  
そんな言葉が自然と零れてきた。  
 
あれは、故郷で姉さまとよく花摘み遊びをした花。  
彼女の故郷では珍しくもない花だったが・・・・・それゆえか、旅に出てから目にしたのは  
これが初めてだった。  
それだけに、見つけた時には驚いたし、それを取ってきてくれると言い出した閑丸の言  
葉は、正直嬉しかった。だが・・・・・・・。  
閑丸くん、大丈夫かな・・・・・・?  
リムルルは、軽快に岩壁を登っていく閑丸の姿を見上げながら、リムルルは心配そうに  
眉根を寄せた。  
彼の体裁きは知っている。  
彼女とそんなに変わらないような体格の閑丸が、大の大人を相手に一歩も引かない戦  
い振りを繰り広げるのを、彼女は目の前で何度も見てきたのだ。  
だが同時にリムルルは、そんな彼の危うさをも感じている。  
ふとしたことで儚く散ってしまいそうな・・・・・そんな危うさを、彼女は閑丸から感じ取って  
いた。  
思えばリムルルが閑丸と行動をともにするようになったのも、そこがどうしても気になっ  
たからだった。  
自分の慕う姉にも通じる、何か人に言えぬ重い事情を抱えながら、しかしそれを他人に  
悟らせまいと静かに佇むその姿が・・・・・。  
だかららこそ、彼女は閑丸の側で笑うことにした。姉と接しながら、そうすることが相手  
を救う術になると、本能的に感じ取っていたから。  
弟がいるって、こんな感じなのかな?  
散々に姉に甘えてきた妹の自分では確かめる術はないが、何となくそう思った。  
 
「とったよー!」  
そんな物思いにふける中、特に危なげもなく閑丸は花の下にたどり着き、その花を積むと  
それをリムルルに誇示すように片手に持って大きく振って見せた。  
リムルルはほっと安堵のため息をつくと、閑丸に対し手を振り返した。もちろん笑顔も忘れ  
ず添えて。  
「あ・・・・・・」  
その閑丸の姿が、不意に大きく傾いた。  
 
リムルルは、全身から血の気が引くのを感じた。  
まるで時が間延びしたかのように、閑丸が宙に投げ出される様子がことさらにゆっくりと見  
え、もう一方の片手に石が握られていて、それが外れてしまったためにバランスを崩した  
のだろう、と冷静に観察する余裕すらもあった。  
岩壁。高。落。怪我。自分が花を欲しがったから。閑丸くん。閑丸くん閑丸くん閑丸くん!  
だがそれも途中までで、ついにはそれに耐え切れなくなり思わずその場にしゃがみこみ硬  
く目をつぶった。一瞬とも永遠とも思える時間の中・・・・・だが、いつまでたっても、地面を  
揺らす衝撃もなにも感じられなかった。  
このまま時が止まってしまえばいいのに。そうすれば閑丸くんは落ちずにすむのに・・・!  
 
ふっと、それまで差し込んでいた日が陰ったのを感じた。  
思わず目を開き宙を見上げる。  
そこに浮かび上がる、番傘を開いて宙を優雅に滑空する、少年のシルエット。  
閑丸は、へたり込んだままその様子を呆然と眺めていたリムルルの目の前に  
軽やかに着地すると手馴れた仕草で番傘をたたみ、彼女に片手を差し出した。  
「はい、とってきたよ」  
そして、満面の笑み。いま自分が危険な目に会ったなどとは欠片も感じさせな  
い――実際、彼にとっては危機のうちにも入らなかったのだろうが――自分の  
したことで相手はきっと喜んでくれると信じきっている、そんな透明な笑顔。  
しばらく呆然とその笑顔を見つめるリムルル。  
・・・・不意に、その笑顔に猛然と腹が立ってきた。  
自分が、こんなにも心配したと言うのになんなんだその無邪気な笑顔は。  
リムルルは突然立ち上がり、叫ぶように言葉を叩き付けた。  
「バカ!」  
突然の罵声に、閑丸は大きく目を見開き、思わず首を縮こめた。差し出した手  
から、花が零れ落ちる。  
その、まるで叱られた子犬のような表情にリムルルの心がちくりと痛んだが、  
一度暴走した激情はその程度では止まらなかった。  
「バカバカバカ、閑丸くんのバカ! なんだって落ちたりするのよ、閑丸くんの  
バカ!」  
本当に止まらない。閑丸は状況の変化についていけず、おろおろしている。  
「バカバカバカバカ、閑丸くんのバカ! もひとつバカ! オマケにバカ!   
それからそれからそれから・・・・・・!」  
違う。こんなことを言いたいのではなくて。  
口でバカバカと連呼しつつ、リムルルは必死に「自分の本当に言いたいこと」  
を探す。  
だが、どんなに探しても、出てくる言葉は罵声ばかりだ。  
ああ、閑丸くんが泣きそうだ・・・ごめん、せっかくとって来てくれたのに・・・・。  
とってきてくれた? なにを? ・・・・・花。  
 
不意にキーワードがひらめき、視線を落とす。  
自分が怒鳴ったせいで落としてしまった花が、けれども何とか無事な姿でそこ  
にあった。  
それまで豪雨のように降り注いでいた罵声が唐突にやんだのをいぶかしがる  
閑丸。その前でリムルルはしゃがみこみ、両手でそっと花を拾い上げた。  
「それから・・・・・・・・・・」  
俯いたままでリムルルは立ち上がり、両手でその花をそっとかき抱く。  
「・・・・・・・・・・ありがとう、閑丸くん」  
上目遣いでそっと閑丸の表情を覗き見る。  
ぽかんとした表情だった。状況の変化についてこれていないのだろう。  
だが、徐々にその表情が和らいでいき・・・・・・もう一度先ほどの、満面の笑み  
を浮かべて見せた。  
「・・・・・・・・・・!」  
何故だかリムルルはその笑顔が見ていられなくなり、くるりと閑丸に背を向け  
走り出した。  
なんだか頬が熱い。胸もドキドキいっている。なんだろう?  
少し走って、リムルルは立ち止まる。そして一回深呼吸。  
よし。もう大丈夫。自分は「お姉ちゃん」なんだから、しっかりしなくっちゃ。  
もう一度、くるりと閑丸を振り返る。  
閑丸は戸惑った表情だ。やっぱり状況の変化についてこれていない。  
そんな閑丸に、片手に持った花を振って見せつつ、いつもの笑顔を向けた。  
「行こ、閑丸くん!」  
 
はっきり言って閑丸は、さっぱりわけがわからなかった。  
花がほしいと思ったから取ってきた、喜んでもらえると思ったら怒られた。  
わけがわからなくて途方にくれていたら唐突にリムルルが静かになって、どう  
したのかと思ったらいつのも彼女からは想像も出来ないか細い声でお礼を言われ。  
まぁとにかく、喜んでくれたには違いないとおもってホッと一息ついたら、突然  
顔を真っ赤にしたかと思えばすぐさま自分に背を向けて走り出し。  
本当に、ことの推移がどうなってるかさっぱり理解できなかった。  
と、駆け出したリムルルが立ち止まり・・・・・また不意に振り返ると、  
「行こ、閑丸くん!」  
そこに浮かぶのは、彼の知るいつものリムルルの笑顔。  
それを見た閑丸は、小さく「ま、いいか」と呟く。  
とにかく、目的のとおりに彼女の笑顔を見ることが出来た。途中経過が理解不能  
なことなど、些細なことだろう。  
第一、彼女のあの笑顔を見れば、細かいことをうじうじ考えるのが勿体無くなっ  
てくる。  
自分は「お兄ちゃん」なんだ。「妹」のワガママに振り回されるくらい、いつものことなんだ  
・・・・・・多分、世間一般では。  
閑丸は、また満面の笑顔を浮かべてリムルルに応え・・・・そして彼女に追いつくべく、小走り  
に駆け出した。  
 
 
(終幕)  
 

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