卯月の初め。  
 
人里から少し離れた山・・・そこの中程登った所に、桜に囲まれし一軒の庵。  
いや、庵と呼ぶには大きく、屋敷と呼ぶには狭い。  
縁側に座り、庭一面にある七部咲きの桜を眺める線の細い男。  
時折訪ねる者は彼の事を「先生」と呼ぶ者、親しげに名で呼ぶ者、敬称を付け恭しく呼ぶ者と様々だ。  
 
さらり、と春特有の暖かい風が吹き、木々がさらさらと心地よく鳴く。  
「春風に 奏で流れる 潮桜」  
声と共に和紙に一句。  
しばらくして、その句の後ろに「駄作」と付け加えると、軽く咳き込む。  
筆と紙を脇に置き、日課の黙考の姿勢に移る。  
 
どれくらい時が経過してからか。  
ふと、気配を感じた。  
遠くから大きな話し声が聞こえ、それはだんだんと近付いてきている。  
二人。  
片方は自分の世話をよくしてくれる、麓の商人の声。  
そしてもう片方は、耳に懐かしい男の声だった。  
「お侍さん、ここでっさ。橘様のお家は」  
「ここか、何かあの人らしい場所だなぁ。ありがとよ」  
玄関から聞こえるやり取りに耳を傾けるが、彼は動かぬままだった。  
 
もてなしを嫌う客人だから。  
 
「御免!邪魔するぜ!」  
そういうや否や、どかどかとあがりこんできた。  
通路を大股で歩き、背後の襖が勢い良く開く。  
「よう、右京さん!邪魔するぜ!」  
ようやく客人と向き合い、一礼だけして応えた。  
っこらしょ、と一息し、ざんばら髪の男は右京の隣に腰掛ける。  
庭に咲く桜をじっと眺め、無精髭の生えた顎を撫でながら呟く。  
「元気そうで何よりだ。」  
「覇王丸殿こそ・・・相変わらずで・・・。」  
「へへ」と子供のように微笑むと、下ろしていた足を組み、胡坐になる。  
動作の一つ一つで筋肉が唸るかのようだ。  
「良い場所だな、療養所にぴったりだ」  
覇王丸は辺りを見回し、独り言のように言う。  
聞くだけだと皮肉にも聞こえる言葉だが、覇王丸は思った事を口にしただけであり、右京に対しての嫌味など欠片もない。  
右京もそれを理解している。  
「・・・以前は・・・左近殿の・・・休養所だったそうですが・・・」  
「左近、て言うと、右京さんのお師匠さんか」  
静かに頷く右京。  
「もう・・・使われていないと・・・雪路殿が仰ったので・・・よろしければ、と・・・」  
ごほっ、と咳き込む。  
「ここに来て・・・お陰様で・・・大分良くなりました・・・・」  
「そうか。このまま完治しちまえば良いのになぁ」  
姿勢を崩し、縁側に寝転ぶ覇王丸。  
「俺もまた右京さんと剣を交えてえよ。幻十郎の野郎も最近見掛けなくてよ、鈍って仕方ねえ」  
ふうとため息をつく覇王丸。  
「・・・牙神殿なら・・・昨年、ここに・・・見えましたぞ・・・」  
「ほ、ほんとかい?」  
 
 
時は昨年の長月。  
右京は名月に誘われ、夜を更かしていた。  
涼しげな風が頬をそよぎ、草葉に潜む虫達を撫でる。  
耳に優しい泣き声が続くと、そして唐突に止み、耳を鳴らせる。  
 
「月の夜に 草葉に潜むる 鈴虫や」  
 
月を眺め、一句詠むと「駄作」と己で付け加える。  
縁側に腰掛け、脇に置いた団子を手にする。  
同時に、懐かしくも纏わりつくような瘴気を感じ取る。  
「どうした、得意の川柳も養生暮らしで鈍ったか?」  
すう、と建物の影から一人の男が姿を現した。  
派手な紫の羽織、後頂に束ねた髪、その手には煙管。  
切れ長の眉、鋭い目は一睨みするだけで狼すら尻尾を巻くだろう。  
「・・・・牙神殿・・・」  
右京は絶句し、しばらく幻十郎から目を離せなかった。  
「人里離れたところに一息つけそうな小屋を見つけたと思いきや、まさかオマエの家だとはな」  
煙管に口をつけ、白い煙を吐く。  
のしのしと右京に歩み寄る。  
何も言わぬまま、縁台にどかりと座った。  
むわりと漂う死臭を嗅ぎ取り、人を斬って間もないと言う事を教えた。  
「月の夜はどうにもいけ好かないヤツが増えていかん」  
幻十郎は手を返し煙草を捨て、踏み潰す。  
「血を滾らせてか、雑魚の分際でこの俺に挑んできやがった。頭に来て、膾にしてやったわ」  
 
右京と幻十郎。  
実に奇妙な組み合わせだが、意外に饒舌な幻十郎にとって、右京の黙って聞き入る姿勢は好ましいのだ。  
「おい、酒はないのか」  
右京を見やり、横暴に言を飛ばす。  
「・・・・口に合うかどうか、保障はありませんが・・・・」  
にやりと笑う幻十郎。  
「人を斬った後ってのは、酒が飲みたくて仕方がねえんだ。何でも良いから、寄越せ」  
「・・・然らば」  
右京は縁側から立ち、家の奥へと歩いてゆく。  
しばらくすると、白い酒瓶と猪口を手にし、帰ってきた。  
猪口を幻十郎に渡すと、そのまま一献。  
並々まで注ぐや、幻十郎が眉を顰める。  
「・・・紅色の酒だと?それに・・・イヤに甘ったるい匂いだな」   
ちら、と右京を一瞥すると、一思いに飲み干した。  
「不味いな・・・。」  
「・・・桜と杏子で作られた・・・麓の酒職人の・・・試作品との・・・事です・・・」  
「甘酸っぱくて、鼻に残りやがる。それでいて、妙に尾を引く舌触りだ」  
ふん、と鼻で笑って飛ばす。  
「俺は焼けるように辛い酒が好きだ」  
「・・・お気に・・・召さぬか・・・」  
猪口を縁側に置く。  
右京、それを見て酒瓶を下げようと再び立つ。  
幻十郎、待てと止める。  
「もう飲まぬ、と言ったか?」  
もう一献だ、と猪口を右京に向けた。  
 
「たまには、甘い酒も悪くねえな」  
四度目の酌で幻十郎は呟いた。  
右京は席を立つと、しばらくして水と塩を手に帰ってきた。  
「・・・口直しに、なれば・・・」  
「気が利くじゃねえか」  
小皿に盛られた塩を一舐めし、水を一口。  
「月に酒、侘しいが肴もある、か。後は女でも居れば良いんだがな」  
右京は再び幻十郎の言葉に聞き入る姿勢に入る。  
「女で思い出したが・・・おい、オマエの女はどうした?」  
幻十郎の言葉に、ぴくっと肩を震わせる右京。  
「・・・圭殿なら・・・許婚と共に・・・もう・・・子宝にも・・・恵まれ・・・」  
「はんっ、朴念仁が祟ったか」  
吐き捨て終わらす幻十郎に、右京は言葉を続ける。  
「・・・私は・・・圭殿が幸福ならば・・・それで・・・」  
「変わった野郎だ・・・惚れた女なら奪ってでもその手にしちまえば良いものを」  
ぐいっと猪口に注がれた酒を飲み干す。  
右京が酒を注ごうとすると、それを手で阻んだ。  
「阿呆ゥが・・・」  
そう吐き捨てるや否や、酒瓶を手にし、直接呷る。  
「女にとっては、限られた時でも一緒に居るほうが幸せだってのによ」  
幻十郎は口を尖らせる。  
「オマエもオマエなら女も女だ。全てをかなぐり捨てて意地でもオマエの元に来れば済む話じゃねえか」  
 
ふと、右京は幻十郎に関わる噂話を思い出す。  
最近滅法丸くなってしまったと。  
 
かの妖魔の一件。  
半陰と名乗る女、色。  
紅蒼の瞳を持つあの女に会ってからと言うものの、幻十郎は流離いの日々だと言う。  
それは色を求めてなのか何なのかは、本人にも解せぬ戸惑いのようだ。  
無論、今でも請け負えば人を斬るし、降りかかる火の粉は払う。  
だが気に食わぬ者を見かけてはその場で斬り捨てていた、かつての刃鬼はなりを潜めた、と。  
 
「この酒は飲み安すぎていけねえな。それでいて、結構きつい」  
焼け付く喉から酒気を大きく吐く。  
「だが、たまに飲むには悪くねえ。この酒の名は何と言うんだ?」  
酒に酔い、上機嫌な幻十郎。  
「・・・・試作ゆえ、無名・・・と」  
「ほぉう」  
右京の言葉を聞き、値踏みするかのような目で酒瓶を見つめる。  
不意に、楽しそうに口元を歪め、  
「俺が名を付けてやろう、この酒の名は、女殺し・・・」  
「・・・その心は・・・?」  
「甘ったるい香りに紅色の酒。飲みやすい味が女を酒豪に変え、図に乗るとたちまち潰されちまう。後は解るよな?」  
ふむ、と頷く右京。  
「飲ませて、潰すには最適な酒と言う訳だ。悪くねえだろう?」  
身を乗り出し、右京からの答えを待つ。  
一拍置き、  
「・・・そういう名も在り、ですかな・・・・その者が訪ねてきた時に・・・伝えておきましょう・・・」  
と答えると、幻十郎は鼻で笑った。  
 
「人斬りの幻十郎サマが名付けた酒の名は、女殺しか・・・一興だろう」  
 
瞬時に頭を過ぎった、幻十郎との席。  
口にして聞かせる事無く、余韻に浸る。  
桜の花と、彼の羽織の背の桜模様と重なった。  
「まさか右京さんと会ってたとぁ意外と言うか何と言うか。んで、アイツは何処に行ったんだい?」  
その後、右京は寝床に入ってしまい、幻十郎は一人で飲み続けていた。  
翌朝、縁側に幻十郎の姿は無く、空の酒瓶にススキが一本挿してあった。  
「・・・・さあ・・・行き先を告げる事なく・・・行ってしまわれたもので・・・」  
覇王丸は ちぇ、とつまらなそうに呟くと、指を組み、手を頭の下にやり、天を垂直にする。  
「昨年は・・・多くの客人が見えられた・・・・」  
「ほうほう」  
「夏には・・・閑丸殿とリムルル殿が・・・冬には・・・ガルフォード殿とナコルル殿が・・・」  
起き上がり、胡坐へと姿勢を正す。  
「こりゃまた懐かしい。どうだった?」  
軽く咳き込み、間を置く。  
「閑丸殿とリムルル殿は・・・各地に潜む魔を鎮める旅をしているそうでしたが・・・どうみても、行楽・・・でした」  
かっはっはっは、と大袈裟に笑って見せる覇王丸。  
「ガルフォード殿と・・・ナコルル殿は・・・その二人を追っての旅・・・との事でした・・・」  
「はっはっはっは、苦労が絶えねえなあ。」  
「余談ですが・・・ガルフォード殿とナコルル殿が・・・婚約なさったそうです・・・」  
お?と、右京の話に目を丸くする。  
「そいつぁめでてえ!祝いの品でも用意してやらんとなぁ!」  
ふふ、と薄く笑う右京。  
「で、皆は何処に向かうって?」  
「・・・西に、向かうと・・・」  
「そうか!うっし、邪魔したな、右京さん!またな!!」  
 
祭りに向かう稚児のようなはしゃぎぶりで、覇王丸は駆けていった。  
魔を鎮める旅・・・それはすなわち剣を振るう事に他ならない。  
血が騒ぎ、居ても立ってもいられぬその一心で、彼は右京のもとを去っていった。  
 
 
覇王丸が去ってから、数日後。  
桜は満開を控え、人々が宴をまだかまだかと待つ。  
だが生憎・・・今日は春の冷たい雨に見舞われた。  
庭に咲く桜を床に就きながら、眺める。  
幸いか、雨の勢いは弱く、花が一気に散らされてしまう事はないだろう・・・。  
「・・・ゴホッ・・・」  
ひやりとした空気が掛け布団を越して、冷気を蝕ませる。  
「春盛り・・・吹くは木枯らし・・・・ゴホッ」  
川柳でもと思うたものの、こう寒くては堪らない。  
春は確かに過ごし易い季節ではあるが、時にこうして冷え込む事がある。  
「・・・・・・・。」  
骨身に浸透する寒さに身を震わせる。  
 
思えば、あの時も・・・こんな冷たい雨が降っていた。  
 
記憶に甦るは、あの日の黒河内家、神夢想一刀流道場での事。  
時は皐月、季節外れの氷雨。  
病に冒された、と言う絶望感に包まれ、打ちひしがれた右京。  
今は亡き黒河内家家督にして我が剣の師、左近の罵声。  
雪路の泣き咽ぶ声。  
そして雨に打たれる我が友、夢路の虚ろな瞳。  
その手には、斬り掛かってきたであろう左近を斬ったと思われる自作・無銘の剣。  
ふらふらと幽鬼のようにこちらへ歩む、夢路。  
すれ違い様に、「どうか、ご壮健で・・・」と、一言残し、友、夢路は雨の中姿を消した。  
 
その後ろ姿が、なんと痛ましく儚き姿だったことか。  
 
右京はあの時の事を今でもよく悔やむ。  
日輪守の乱の後の今でこそ、夢路は己の足で歩む事を決意したが、あの時に右京が・・・。  
もし、すれ違う肩を掴み、共に傘に入れてやれば・・・・その手を取り、何かしらの言葉をかけてやれば。  
その後の夢路も少しは違ったのではないのだろうか。  
 
「ゴホッ・・・ゴホッ・・・!・・・ッ!」  
思考を遮る、強い咳に思わず口を押さえる。  
手のひらに赤い斑点、軽い吐血。  
ここに隠居させてもらってからと言うものの、吐血は一度もなく発作は治まっていたが・・・今日はすこぶる体調が悪い。  
生への虚しい執着が、己を苦しめているのは、よく解っている。  
 
・・・私は、今・・・何故生きているのだろうか・・・・・。  
 
手のひらの赤い斑点を揉み消し、右京は瞼を閉じた。  
 
  冷雨に 打たれ散り行く 季節花  
    殺ぐは桜か 我が命やら  
 
胸中に呟いた短歌に「駄作・・・」と口にした。  
 
ぱらぱらと降る雨音に耳を傾けるもまた良し、と、汚れた天井を見つめ、心を無にした。  
 
しばらくして・・・雨音以外の音が耳に届く。  
確かな重みに弾かれる水の音、それは人の足音だと右京はすぐに解った。  
 
この冷雨の中、山を降るのは容易ではなかろう・・・と、右京は起床する。  
暖を取らせてやろうと寝の間から出、居間の囲炉裏に種火を用いようとした時、  
 
「御免下さい、家主かどなたかおりませぬか?」  
 
凛とした、耳に懐かしいその声に、一瞬戸惑いを隠せなかった。  
「突然の来訪、ご無礼を承知で申し上げます。少し雨宿りさせて頂けませぬでしょうか?」  
右京の戸惑いに気配を感じたのか、家主の姿が無くとも言葉を続ける、来訪者。  
脇にある襖に手を伸ばし、音も無く引くと「有難き事です」と言う言葉と共に上がりこんできた。  
厳格な武家特有の、美しい作法は家屋に響く足音からも、よく解る。  
一歩、また一歩と通路を渡り、近付いてくる。  
「失礼します、此度は突ぜ・・・っ!?」  
うっ、と喉を鳴らし、慌てふためく客人。  
開けっ放しの襖から姿を見せたのは・・・  
 
白い御高祖頭巾をたくし上げ、白塗りの羽織と袴、頭の後頂に結われた絹のように艶やかな黒髪。  
腰には飾り気のない、右京のと酷似した剣・・・旧知の友、黒河内夢路であった。  
 
居間に座る右京の姿を一見し、そのまま凍りつく。  
「う・・・右京、殿・・・?」  
夢路の思わず口から洩れた言葉を聞き、一礼する右京。  
「ご、ご無沙汰しております、右京殿」  
つられて頭を下げる夢路。  
「・・・どうぞ・・・・」  
「し、失礼致します」  
戸惑いを隠せぬまま、夢路は勧められるまま、腰を降ろした。  
 
「右京殿・・・何故このような辺鄙な小屋におられますか?」  
出された白湯を手にし、尋ねる夢路。  
「ここは・・・もとは、夢路殿の父君の所有していた・・・休養所です・・・」  
右京は囲炉裏の火を混ぜる。  
「父の・・・?それを何故、右京殿が?」  
パチパチと火の粉が弾ける。  
「私、右京は・・・浜の近くの庵に住んでおりましたが・・・最近は、潮風に当たるのも辛うございまして・・・」  
右京は白湯を手にし、一口啜る。  
「ふとした事・・・医師から雪路殿の耳に届いたようで・・・・ここを勧めてくださったのです・・・」  
「母上が・・・そうでしたか」  
合点のいった夢路はようやく白湯を口にした。  
「お陰様で・・・大分、良くなりました・・・雪路殿の気遣いが・・・薬となってくれたようです・・・」  
右京の言葉に、暖かく微笑む夢路。  
「左様ですか、母上も右京殿のその言葉を聞けば、さぞ喜ぶ事でしょう」  
白湯をもう一口し、はぁ、と吐息を漏らす。  
「風邪を召されてはいけない・・・存分に、暖を取ってくだされ・・・」  
「はい、お言葉に甘えさせて頂きます」  
自然な笑みを浮かべ、礼をする夢路。  
 
「・・・良い顔に、なられましたな・・・夢路殿」  
 
 柔らかくなられた・・・。  
礼を重んじるあまり、どうしても固い物腰や姿勢を取っていた頃の夢路の姿はない。  
いや、むしろこれが本来の夢路の姿なのだ。  
 
「そ、そうでしょうか・・・?」  
頬を指で掻き、照れているかのように見える。  
「ええ・・・しばらく見ぬ間に・・・・」  
そんな友の様子を、微笑ましい気持ちで見る右京。  
「良き旅を・・・なされたようですな・・・」  
「そう、かも知れませんね・・・枯華院を出で、己が足で見て回った世界・・・飾らぬ美をこの目に刻み、その度に夢路の心の何かが氷解してゆくのを感じました」  
夢路は首を少し擡げ、時折長い瞬きをする。  
「何と己は矮小か。惰弱か。良い意味で、弱い己を受け入れられた・・・そんな気が、致します」  
白湯を啜る。  
 
会話が途切れ、外の雨の音と暖の火の音が、二人の空間となる。  
心地よい静寂。  
夢路と右京の二人には、ただ共に居るだけで何も言わずとも、良い時がある。  
それは互いに余り多くを語らぬが故か、何なのかは当人同士にもよく解っていない。  
ただその一時が、二人とも好きなのだ。  
「右京殿」  
しじまを破ったのは、夢路。  
「お隣に座しても、よろしいでしょうか?」  
「・・・お気遣いなく・・・」  
右京は首を縦に振る。  
「失礼して・・・」  
夢路は音も無く優美に立つと、また音も無く右京の隣に腰を降ろす。  
 
また、静寂。  
 
 
どれだけの時をそのままで過ごしたか。  
雨は止み、陽は傾き、そろそろ灯りが欲しい時刻だ。  
手にした白湯はとうに空である。  
 
二人はどれだけの言葉無き言葉を語り合ったであろうか。  
 
「懐かしゅうございますね」  
夢路が、耳に届く会話を切り出す。  
「幼き頃もこうして隣同士に座り、心地良い静寂を共に致しましたね」  
顔を右京のほうに向ける。  
右京、正面を向いたまま「・・・そうですな」と頷く。  
 
淡い幼少時の頃の記憶が、甦る。  
神夢想一刀流の道場での事。  
幼い頃の右京に、さらに幼い夢路。  
時が経つに連れ、目覚しいまでの剣の才を開花させていった。  
二人は互いに天才と、周囲から持て囃された。  
左近直伝、強い踏み込みから織り成す居合いの夢路に、霞の如く速い剣閃の居合いの、右京。  
動と静。  
「どちらが強いのか?」と、門下生や同門は必ず二人を比較し、尋ねた。  
「凡才と天才は違います。私は非才の身、天才はあの方のほうです」  
一語一句、同じ言葉を二人は返した。  
 
左近は二人の姿に、神夢想が世に轟く未来を期待しただろう。  
 
二人は力量の近い者同士、よく組になり修練に励んだ。  
しかしその光景は周囲を唖然とさせるものであったりもした。  
口数の少ない同士、黙々と打ち込むかと思いきや、互いによく喋る。  
特に、夢路。  
右京の事を単なる兄弟子などではなく、真の兄がごとく敬い、彼と会話するときだけには目を輝かせた。  
何故この二人がこうも? と誰もが首を傾げた。  
父や母にすら見せぬ、子供びた表情を、ただ一人右京の前では見せていたのだ。  
 
幼くして、感じた二人の間には同じ魂の匂い、とでも形容するしかなかった。  
幼いが故に、それは強く感じられたのかも知れない。  
二人の間には、親である左近と雪路すら入られない強い情があった。  
互いに敬い、共に居るのを必然と思う。  
 
それが長く続いた、ある日。  
 
街の界隈の縁日が開かれる前日、それは起こった。  
夢路が、修練を終えたと同時に倒れたのだ。  
二人は道場より少し離れた小さな林の中や、黒河内家の庭先の一本松の下で、よく修練していた。  
この日もまた一本松の下で二人、互いに磨きあっていた日であった。  
「どうにも、身体が鉛のような感覚が、付き纏います」と、朝から調子の悪い夢路。  
気合が足りぬ、と己を一喝し、竹刀を握る。  
「休養なされよ」と言うも、一向に聞かぬままだった。  
結果、倒れた。  
慌てて抱き起こし、名を呼びかける。  
が・・・その時、右京は見てしまったのだ。  
 
袴から覗く足首に、一筋の赤を。  
 
右京は生来病弱の身、医療の知識はそれなりにあった。  
同時に男と女の肉体の性質、年頃に現れる成人への階段の兆候。  
即座に理解した。  
朝は誰よりも早く起きて身支度を終えている夢路。  
稽古の後、控えの間で必ず最後に着替える夢路。  
どんなに汗をかいても、裸で水浴びしない夢路。  
尿意を催しても必ず厠まで我慢する夢路。  
 
そういう事だったのだ。  
 
「御免」と小さく呟くや、懐より手拭いを取り出して膝までの赤を拭き、それから雪路の姿を探した。  
 
明日。  
一本松の下で一人修練を終えた右京の元に、夢路と雪路が見えた。  
夢路、俯いたままこちらを見ようとしない。  
雪路、唐突に頭を下げる。  
「お願いです、どうかこの事は内密に・・・」  
右京は雪路に頭を上げるよう頼み、  
「・・・些事にございます。夢路殿はこの右京の無二の友。それに変わりはございません」  
はっ、と顔を上げる夢路。  
雪路の頬を、すっと涙が伝う。  
夢路の前に立つ、右京。  
「祭りを・・・見に行きましょう・・・」  
「・・・はい!」  
右京と夢路は手を取り合い、仲の良い兄弟が遊びに行くがごとく、祭りの人並みへと歩いていった。  
 
・・・・・。  
 
ぱきっ。  
 
囲炉裏から、墨と化した薪木から乾いた音。  
二人は互いに、回想の一時に興じていた。  
 
不意に夢路が頭を凭れかけてくる。  
右肩に、夢路の重みを感じた。  
「私は・・・生家を離れてから随分と遠回りを致しました」  
右京に嫌がる素振りはない。  
「弱き己との旅の果てに見出した答え・・・それはただ一つ、己に素直になれと」  
凭せかけたまま、その身を寄せる。  
「貴方に斬られた髪も、もとまで伸びました・・・。夢路は、幼き頃より右京殿をお慕いしとうございます」  
寄せられた肌が、暖かい。  
「夢路の旅の終着は、右京殿の許であります・・・まさか、このような場所におられるとは思いませんでした」  
 
「・・・・夢路殿・・・」  
 
夢路の想いに、右京は苦悩した。  
夢路の己に対しての感情は薄々感じてはいた。  
 
だが情けない事に、夢路に返すべき言葉が、何一つ思い浮かばないのだ。  
 
「右京殿・・・夢路の言葉を、どう思われますか?」  
 
・・・・・・・。  
 
沈黙。  
 
「右京殿・・・・。」  
夢路は、右京からの言葉を求め、見つめる。  
 答えられぬ。  
小田桐圭への想い。  
夢路への家族愛に似た想い。  
人に伝染する己の病。  
全てを複合し、深く思慮すればするほど、右京は黙る。  
「・・・また、言葉をかけてくださらぬのですか?」  
 違う。  
 
 
ふっと、幻十郎の言葉が、右京の脳裏を過ぎった。  
 
『女にとっては、限られた時でも一緒に居るほうが幸せだってのによ』  
 
『オマエもオマエなら女も女だ。全てをかなぐり捨てて意地でもオマエの元に来れば済む話じゃねえか』  
 
・・・・・。  
 
「・・・夢路殿・・・」  
 
「やはり・・・想い人の事が、まだ・・・」  
夢路は寂しそうに眼を伏せる。  
こうなると解っていました、と夢路は呟く。  
「夢路殿・・・この右京とて、木石にあらず・・・」  
夢路同様、眼を伏せる右京。  
その行為は右京にとって、己への声無き激しい叱咤であった。  
 
 夢路殿は聡明・・・故、この右京のことなど百も承知で、ここに来たのではないか。  
 病の事も、圭殿の事も・・・。  
 
すっ・・・と夢路の手を取り、優しく握る。  
 
 私は夢路殿のために生き、後に圭殿のために生き、更にお咲のために生き、と人のために生きてきた。  
 そして、圭殿とお咲、二人のための『花』は手に入れて渡した。  
「・・・夢路殿の、積年の想い・・・・この右京には勿体無きお言葉・・・」  
「う、右京殿・・・・?」  
ぽっ、と頬を赤く染める夢路。  
「先の短い我が身・・・・いつまで世に在る命か判りませぬが・・・」  
 
 家を追われ名を失い、仕えていた主君を失い、全てを剣に懸けるしかなかった夢路殿が、剣以外の道を見つけたのだ。  
 これに応えずして、何が男児か・・・・これより、右京・・・・。  
 
「・・・この命、尽きるまで・・・添い遂げてはくれませぬか・・・」  
 
 夢路と言う『花』を・・・・咲かせましょう。  
 
「右京殿・・・!!」  
夢路は右京に抱きつき、その胸に顔を埋めた。  
 
 
すっかり陽が落ち、雨は止んだものの冷気は衰えず、じわじわと蝕む。  
夢路は先程と同じように右京の横に座り、その肩に頭を乗せ、しばし至福の一時を味わう。  
ゴホッと一つ咳き込む。  
はっとする夢路。  
「も、申し訳ありませぬ、右京殿は病の身でおられるのに寄り掛かってしまい・・・」  
離れようとする夢路、だが右京は先程から握った手を離さない。  
「・・・今宵は冷えます・・・二人寄り添えば、それも紛れましょうや・・・」  
右京の言葉を聞き、夢路は先と同様、その肩に頭を凭れる。  
「夢を、見ているようです・・・」  
「・・・何故に?」  
「まさか、右京殿と寄り添う事が叶うとは・・・夢にも思いませんでしたから」  
黙って聞き入る、右京。  
「右京殿がご壮健でおられるなら、それだけで夢路は幸せと思っておりました」  
「・・・・・。」  
「それに、想いを打ち明けても、右京殿はやんわりとそれを断るだろうと思っておりましたから・・・本当に、信じられぬ思いでございます」  
「ならば・・・頬をつねってみては?」  
右京は珍しく、冗談を口にした。  
「・・・痛つ・・・ゆ、夢ではありません、ね」  
「いや・・・ほんの冗談のつもりで言ってみただけです・・・実行なさらずとも」  
「そ、そうでしたか・・・・と、とんだ失態を・・・」  
己の様を恥じて頬を染める夢路を見、ふふっと静かに微笑む右京。  
 
「では・・・そろそろ夕餉と致しましょうか。無論、夢路殿もご一緒に・・・」  
その言葉に夢路は嬉しそうに「はい!」と答えた。  
 
 
山菜や、川魚の開きの塩干しに、漬物に麦飯と言った質素な夕餉を終える。  
これからは少し貯えを増やさねばなるまい、と右京は考えながら食後の茶を啜った。  
右京も夢路も食は細いが、今までの倍に早く減るのは当然。  
だが、一人寂しかった食事の時間もこれからは賑やかになる・・・。  
食事の時程、孤独感を強く感じる時間はない・・・一人つまむモノは旬の食であろうと何であろうと、味気ない。  
美味の秘訣は場の空気か・・・と、他愛も無く考える。  
 
かたずけを終えた夢路が、急須と湯呑を手にして戻ってきた。  
「お手数を・・・」  
右京が頭を下げると、夢路は「あっ」と驚いたように声を出し、いえいえそんな、と付け加える。  
「右京殿は病の身と言うのをお忘れなく。これより家事はこの夢路におまかせを」  
そう言い、右京の湯呑に茶を淹れようとするが、それは手で制される。  
それを見、夢路は己の湯呑に茶を淹れ、一息つく。  
・・・どうにも、疲れ切っているようだった。  
「夢路殿・・・旅路の果て・・・さぞお疲れでしょう・・・もう、休まれよ」  
己の様にはっとし、  
「い、いえ!そんな事はありません、ただ気が抜けただけでして・・・」  
と弁解するものの、目元など、節々に疲労を表す色が見えている。  
「しかし・・・。」  
「いえ、ご心配なく!己の身の事は己が一番心得てます」  
 
・・・ここは一つ、寝かせるのではなく、己から進んで床に入ってもらうが吉。  
 
「・・・夢路殿、ならば今日の祝いとして、一つ盃を・・・」  
 
・・・・・・・。  
 
目の前には、すうすうと静かに寝息を立てる夢路。  
右京の手には、幻十郎命名の酒、女殺し。  
祝いの酒として一杯勧めてみた所、夢路の好みの味らしく、一杯、また一杯と勧められるがままに飲み続けていた。  
普段の夢路ならば、如何に酒を勧められようとも、酔いに飲まれる事等ないだろう。  
しかし右京から勧められる酒には、肩の力を抜き切り、強酒を呷り続けた結果、あっけなく沈んだ。  
右京は夢路を抱え、隣の寝室へ運び、床を用意し、そこに就かせる。  
夢路のまるで警戒のない安らいだ寝顔を見、子をあやすように頭を撫でてやる。  
 
「・・・右・・・・京・・・・ど、の・・・」  
夢路が、寝言で名を呼ぶ。  
「夢路・・・に・・・夢路に・・・」  
右手が震え、何かを握ろうとしているような・・・掴もうとしているような。  
「どうか・・・御声・・・を・・・・・」  
夢路の閉じた瞼の端から、涙が零れた。  
 
それを見て、右京の視界が濁る。  
右京、久しい己の涙との邂逅だった。  
思わず夢路の震える手を掴む。  
悲哀に満ちた声で、右京を呼ぶとしたら唯一つの出来事しかない。  
生家を追われた、絶望の淵に立っていたあの時以外には。  
あの時の事を、未だに苦しんでいるとは。  
 
右京はただひたすらに、済まぬ・・・済まぬ・・・と、胸中で呟くしかなかった。  
 
「・・・右京殿・・・?」  
うわ言ではなく、しっかりと己に向けられた言葉に、我に返った。  
「ゆ、夢路殿・・・」  
その手を強く握りすぎてしまったらしく、夢路の眠りを妨げてしまったようだ。  
「も・・・申し訳ありませぬ・・・」  
嗚咽しながら顔を逸らす右京。  
「起こしてしまった・・・ようで・・・」  
「・・・右京殿・・・何故・・・泣いておられますか・・・?」  
初めて見る右京の涙に、戸惑う夢路。  
ふと目元に違和感、夢路が己も涙していた事に気付く。  
「・・・・済まなかった・・・・夢路殿・・・」  
暗闇に光る、右京の涙。  
 
夢路は先程まで、生家より追われた時の夢を見ていた。  
夢路が女と気付くや否や、父左近は夢路に斬りかかってきた。  
「己、よくもこの父を十五年も謀ってくれたな!」・・・と、憤怒に身を燃やして。  
骨の髄まで身についた剣技、その本能的な行動、父の太刀を避け、反撃の刃を一閃してしまった。  
気が付いた時には既に遅し。  
己が手にした刃にこびり付く、赤。  
倒れ、胸を押さえる父に、恐怖か驚愕かに震える母。  
怒り狂い絶縁を言い渡す父、左近・・・慟哭する母、雪路・・・。  
言われるがまま、夢路は外へと歩み出る。  
季節外れの氷雨は、夢路の心を表しているかのようだった。  
屋敷を出、道場を越えると、そこには門より少し離れた所に立つ、敬愛する兄弟子、右京。  
後の屋敷から聞こえてくる父と母の声を聞き、兄弟子は全て理解しただろう。  
 
夢路は傘も差さず、氷雨の中を歩く。  
右京、ただその場に立っている。  
縋りたかった。  
その胸に顔を埋め、ひたすらに泣きたかった。  
だが、天はなんと残酷な事・・・右京は病の身。  
右京もまた、今の夢路同様、この世に絶望する者の一人であった。  
甘えられぬ、未来に落胆しているこのお方には。  
 
 それでも・・・・・。  
 
   ソレデモ・・・・・・。  
 
  右京殿なら・・・右京殿ならば・・・・・。  
 
すっと右京の横を通り過ぎる夢路は「どうか、ご壮健で」としか言えなかった。  
そのまま歩む、夢路。  
振り返りたい。  
追いかけてきて欲しい。  
この手を掴み、引き止めてほしい。  
能わぬ願い・・・右京は、夢路に何一言も、言わなかった。  
 
  右京殿・・・夢路に・・・夢路に、どうか、御声を・・・・。  
 
胸に風穴が開いたかのような、空虚な感覚。  
叶わぬ願いに心が慟哭し、双眸からの涙が頬を伝うが・・・氷雨に紛れた。  
 
悲痛な想いは、時に言葉となり、無意識のうちに口より出る。  
そして、涙と言う形と成る。  
 
「私も、あの時・・・・夢路殿の手を、肩を、掴めていれば・・・その身に、傘を貸してやれば・・・・!」  
身を震わせ、右京は泣き続ける。  
夢路、再び頬に涙が伝う。  
「右京殿・・・どうか御自身を攻めるのはお止め下さいませ・・・。この夢路も、あの時、形振り構わず右京殿に縋ればと幾度と無く後悔致しました・・・」  
ですが、と付け加える夢路。  
「今はこうして、また同じ時を歩もうとしているではありませぬか・・・夢路は今、幸せにございます・・・」  
夢路は右京の正面に周り、抱きつく。  
右京もそれに応え、夢路の身体を抱きしめる。  
しばらく静止。  
互いの温もりを感じ合う。  
 
「・・・・右京殿・・・・」  
抱きしめあったまま、夢路は愛しい人の名を呼ぶ。  
「ふしだらな女と思われても構いませぬ・・・夢路は、一人床に就くのが寂しゅうございます・・・・」  
「夢路殿・・・・」  
「・・・右京殿の腕の中に・・・・夢路を、包んで下さいませ・・・」  
右京は夢路の身体を強く抱きしめる。  
「昼の春雨にて・・・今宵は寒さが、身に染みます・・・」  
右京、その手を夢路の髪にかけ、子を愛でるように撫でる。  
「・・・二人で共に、床に就けば・・・それも心地良きものとなりましょう・・・」  
 
暗闇の二人が、重なりながら、そっと倒れこむ。  
 
障子越しの月明かりが、部屋を青白く彩る。  
褥の上に、組み合う男女。  
互いに一糸纏わぬ、生まれたままの二人。  
片手をつき、覆うようにしている、上の右京。  
その両腕で胸部を隠し、恥じらいに頬を染める、下の夢路。  
 
互いに共通して、「美しい」と言う感情。  
 
夢路の肢体は、女性の丸い肉体と少し違い、節々に筋肉のついた締まった体に健康的な美を醸し出していた。  
 
右京の身体は、細く白く、肉は削げ、痩せ細っている。  
だが無駄な脂肪も無く、筋肉の筋が際立ち、どこか儚さも持ち合わせていた。  
 
柔らかいその頬に触れると、ほのかに熱く上気している。  
それとも己の手が冷たいのか・・・どちらか解らなかった。  
ゆっくりと顔を近付けてゆくと、夢路は少し顎を上げ、眼を閉じる。  
 
音も無く、二人の唇が触れ、重なり合う。  
 
唇同士が離れると、夢路は恥らうような照れたような様子で顔を逸らす。  
 
まるで奥手な年頃の町娘のようではないか、と自責する夢路。  
今まで女として生きていないのだから、仕方無い事だと思うものの、やはり恥ずかしいような、照れ臭いような。  
 
夢路の首筋に接吻する、右京。  
びくりと身体を震わす、夢路。  
そのまま上に行き、耳朶を唇で挟む。  
甘い吐息をするが、夢路は声を出さぬよう耐える。  
「夢路殿・・・気を、抜かれよ・・・」  
「は・・・はい・・・」  
右京の声に従順に返事するものの、夢路の強張りは抜けない。  
耳朶にかかっていた唇は、そのまま下ってゆき、鎖骨で止まる。  
「・・・手を・・・」  
「はい・・・」  
夢路は恥じらいながらだが、言われるがままその両の手を開き、双つの房を露にする。  
初めて、己以外の誰かに乳房を見せる。  
右京の手が、片方の実った房に触れる。  
「・・・・んっ・・・」  
寒気にも似た痺れが、夢路を襲った。  
「・・・美しい」  
思わず右京は、熱の篭った声で呟いた。  
夢路の身体を更に下に、もう片方の乳房に口付けると、夢路はびくんと背を反らした。  
「右京・・・殿・・・あっ・・・」  
頂点にある、桜色の突起を口にし、そっと優しく吸う。  
もう片方も指先で刺激する。  
「あ、ああっ・・・」  
右京の下で、未知なる感覚に悶え始める、夢路。  
「う・・右京殿・・・何だか・・・・切のう、ございます・・・」  
「それが・・・女性の感覚であります・・・・夢路殿・・・」  
 
切な気な声を絶えず上げる、夢路。  
その声を聞き、右京は今、激しく高揚していた。  
竹馬の友が、己の手によって女としての感覚を刻み込まれてゆく。  
かつて元服の祝いの折に、左近に連れられて遊郭に行き、そこで女郎を抱かされた事はあった。  
その時は、感情も何も涌かぬ状態で性的な高揚などは無く、無理に交わったのを記憶している。  
悶々として渦に似た性的な高揚など、生まれて初めて涌くものだった。  
「夢路殿・・・」  
熱のこもった声でその名を呼ぶと、夢路は眼を潤ませた。  
「右京殿・・・あぁ・・・っ・・・」  
乳房を吸いながら、下へと手を這わせてゆき、夢路の大切な場所へと辿り着く。  
閉じている脚を開かせようとせんばかりに、薄い茂みの先へと指を潜ませる。  
「はぁっ・・・!うぅっ!」  
堅く閉じた秘裂に辿り着くと、そこは既に湿り気を帯びており、露が漏れていた。  
力無く、指で秘裂を愛撫してやると、夢路は敷かれた褥にしがみ付き、悶えた。  
「あ、ああぁっ!か、甘美です・・・心地良うございます・・・!」  
息を荒げ、悦に浸る様は、とても美しく見えた。  
次第に秘裂は解れてきており、滑りが増し、濡れた音が耳に届く。  
「夢路殿・・・良うございますか・・・?」  
「はい・・・!とても・・・とても、良いです・・・!」  
快感に酔いしれ瞼を閉じ、右京の問いに答える。  
「あうぅっ!!」  
一際大きな声で歓喜する、夢路。  
右京の指一本が、夢路の秘孔より内部へと挿入されたのだ。  
「あっ・・・そんな・・・・右京殿の、指が・・・!」  
惚けたように口を開け、ふるふると震える夢路。  
食い千切らんばかりの内部を、緩やかに、少しずつ指を夢路の内奥へと進めてゆく。  
「夢路殿・・・」  
 
内壁を擦るように抜き差しする。  
右京の手は夢路のそこから溢れる露に塗れていた。  
「はっ・・・うっ、あうっ・・・!!あ、あ、あ・・・・あうっ!」  
夢路は快楽の深みに嵌っており、なされるがままに悶え、踊る。  
不意に指が抜かれると、夢路は名残惜しそうに「あっ」と声を漏らした。  
「・・・失礼・・・。」  
右京は夢路の脚を割って入る。  
「う、右京殿・・・・?」  
夢路の両膝を捕らえ、そのまま顔を沈めてゆく。  
「!! あっ、はあああぁっ!!」  
ぴちゃ、と言う粘質な水の音と共に、夢路は痙攣する。  
右京は夢路の花に舌を這わせ、踊らせていた。  
「う・・右京殿!!そ、そんな所を舐められては・・・!し、舌が、穢れます!!は、はあぁぁ・・・!!」  
薄い花弁、秘孔の周りや、時に舌を挿し込み、夢路の蜜を啜る。  
夢路の中で、快楽と羞恥が鬩ぐ。  
右京の愛撫によって、甘美なる旋律が、夢路と言う楽器で奏でられる。  
「は、あ、ああうっ!う、右京殿!!な、何かが来ます!!あう・・・夢路に、何かが・・・!!」  
右京は苦しむように喘ぐ夢路を、尚も攻めた。  
「全てを・・・委ねられよ・・・夢路殿・・・」  
そう言ってやると、花弁に隠れた実を露にさせ、吸い付く。  
 
「はっ・・・・あっ、はぅっ!!!」  
 
撓らせ、離したかのように肢体を震わせ跳ねる、夢路。  
四肢に小さな痙攣を起こしながら、力尽きた。  
 
果てたようだ。  
 
 
夢路の肌は紅潮しており、汗に塗れていた。  
甘い感覚に酔い、いつもの凛とした夢路の面影は無い。  
「・・・う・・・右京・・・殿・・・」  
呼吸の荒い夢路を、右京は包むように抱きしめてやる。  
それに応えるように、夢路も右京の背に腕を回す。  
「何と素晴らしい心地でしょうか・・・まるで天にも昇るような、甘い感覚でございました・・・」  
夢路は、子が親に甘えるが如く、右京の胸に顔を埋めた。  
「・・・それは・・・良うございました・・・」  
右京が微笑みで返す。  
「ですが・・・・夢路はさもしい女でございます・・・右京殿・・・どうか」  
夢路の言葉を、唇を重ねて終わらせる。  
離れると同時に「・・・ふぅ」と甘い吐息を漏らした。  
「夢路殿・・・それより先の言葉は・・・男が言うものです・・・」  
右京の言葉に夢路は耳まで赤く染めた。  
腹に当たった、右京の熱い男根を強く意識したからだった。  
「夢路殿・・・さあ、力を抜いて・・・」  
「はい・・・」  
夢路のそこに、右京の分身が宛がわれる。  
 
ぐっと腰を突き出す。  
「・・・参ります・・・」  
「ん・・・んうぅ・・・」  
堅い右京の男根が、夢路の秘裂へと減り込んだ。  
 
熱い。  
互いに、そう思った。  
 
「いっ・・・痛っ・・・」  
夢路が眉を八の字にしかめた。  
「・・・夢路殿・・・やはり、未通女でしたか・・・」  
快楽に対する、初々しい態度を見て、経験がないとは思っていた。  
だがもしかしたら日輪守の主と・・・と、言う考えが過ぎっていたため、聞くのは止めておいた。  
「だ、大丈夫です・・・こ、この痛みは・・・右京殿と結ばれた証でございます・・・夢路は、嬉しゅうございます・・・」  
破瓜の痛みは軽いものではないはず。  
夢路の言葉に、胸を打たれる。  
「右京殿・・・夢路の身体に、傷を・・・右京殿からの傷を、刻み込んで下さいませ・・・」  
その言葉を聞き、右京は夢路の腋に両腕を通し、抱く姿勢に入った。  
 
あれほど蜜を溢れさせたと言うのに、まだ内部はきつい。  
緩やかに腰を動かし、じっくりと馴染ませるように拡張する。  
甘い痺れに身を支配されそうになるのを堪え、夢路を抱きしめる。  
「んっ・・・右京殿・・・、ああっ・・・」  
痛みと感動に悶え、妖艶な香すら漂いそうな、夢路。  
「・・・夢路、殿・・・!」  
「右京殿・・・右京殿・・・・!」  
 
月明かりのみが二人を照らす空間は、夢路にとって永遠の一時に近かった。  
全てを捨て、愛する男の許に身を寄せ、交わっている。  
右京に突かれる度に、これからの未来が、一層希望に満ちていく。  
氷のように固まった過去の暗い絶望が、明るい光に照らされ、融けて消えてゆく。  
夢路の心は、満ちていた。  
 
 
「あっ・・・あっ、う、右京殿・・・い、痛みが・・・消え・・・て・・・はぅっ・・・」  
夢路の強張った体が解れ、柔らかくなってゆく。  
「・・・然らば・・・奔流に・・・心を、委ねられよ・・・くう・・・。」  
熱い肉壷が右京のものを包み、溶かす。  
月夜に二人、甘い快楽を共用し、欲望の虜となってゆく。  
「はぁっ・・・右京殿・・・あっ・・・夢路は・・・夢路は、蕩けてしまいそう・・・です・・・」  
悦びに震え、無意識に甘い声を出す。  
「くっ・・・うっ、夢路殿・・・・夢路殿・・・!」  
「ああっ・・・ああっ・・・ああっ・・・!」  
二人はこの上なく高揚し、乱れていた。  
本能のままに、互いを貪る。  
互いに足りなかった何かが満たされてゆく。  
 
名を呼び合い、溶け合い、交ざり合い、快楽の波に飲み込まれてゆく。  
体の契り。  
心の融和。  
魂の華燭。  
部屋を満たす、二人の吐息が荒く早くなる。  
 
「夢路殿・・・!!」  
右京の叫びに似た声。  
「右京殿ッ!!」  
夢路の悲鳴と聞き紛う声。  
 
右京が爆ぜると、それを待ち望んでいたかのように、夢路も共に果てた。  
 
肩で息をする、二人。  
しばらくそのままの状態。  
右京は夢路を抱きしめ、唇を重ねる。  
唇が離れると、名残惜しそうに銀糸が光る。  
「右京殿・・・・・」  
夢路は右京を見据え、  
「私は・・・、夢路は・・・幸せです・・・・」  
そう言うと、恍惚に頬を紅潮させたまま、夢路は沈むように眠りに就いた。  
 
 
右京は夢路から離れ、その隣に身を置く。  
枕元に畳んでおいた己の服に手を伸ばし、着用する。  
褥から音を立てずに出、庭に出る障子を引き、縁側に腰掛ける。  
 
「・・・持て成しも出来ず、申し訳ない・・・」  
 
言をかけると、それに応え、一つの人影が現れた。  
 
「フンッ、別に期待なぞしてはおらんわ」  
 
押し殺すような、どすの効いた声がする。  
建物の影から、派手な紫の羽織、後頂に束ねた髪、その手には酒瓶。  
切れ長の眉に鋭い目の男、牙神幻十郎。  
「久しいですな・・・相変わらずご壮健そうで・・・」  
「オマエこそ、まだ生きていたとはな」  
歩み寄り、右京の隣に腰掛ける。  
「くっくっくっ、久しぶりに寄ってみたら、まさか女と夜伽の最中とはなぁ」  
歯を剥き出しにして、さぞ楽しそうに笑う幻十郎。  
右京は照れ臭そうに咳払いをする。  
 
「しかし、どう言った心境の変化だ?」  
オマエが女と懇ろとは、と右京に聞く。  
その問いに右京は一拍置き、答える。  
「・・・あの方は・・・全てを捨て、私の全てを受け入れ、ここに来てくださった・・・」  
「ほぉう」  
「なればこそ・・・この命・・・あの方のために咲かせようと、決めました・・・」  
酒瓶に口を付ける、幻十郎。  
「はんっ。相変わらず人の為に生きるか・・・やはり変わった野郎だ」  
ぶはぁ、と酒気を帯びた吐息を吐く。  
「だが・・・他人のモノになっちまった女のために生きていた頃よりはマシだな」  
「・・・・・」  
押し黙る右京。  
幻十郎は夜空を見上げる。  
「雨が上がったら、雲が晴れたか。月に照らされて、桜が煌いておるわ」  
そう言うと、幻十郎は腰をあげ、右京に背を向ける。  
 
「・・・じゃあな」  
 
幻十郎はゆっくりとした足並みで、去っていった。  
心なしか、寂しそうな様子で。  
 
 
後ろを見やると、夢路が静かに眠っている。  
幻十郎の気配に眼を覚ますのでは、と思ったが、それはなかったようだ。  
安らかな寝顔の夢路・・・。  
夢路と言う花を咲かすためにも、右京は生き続けねばならない。  
全てを捨て、己の許に留まってくれる夢路のためにも。  
 
ふと、懐かしい句を思い出した。  
 
  白き花 咲かそ橘 径の側  
 
小田桐圭の幸せを願っての、一句。  
然らば、その想いを今一度、と右京は夢路を見つめながら考える。  
 
・・・・・・・。  
 
  満つ月と 桜も霞む 夢の花  
 
これでは単なる浮かれた句にすぎん、と再び頭を捻る。  
だが、気の利いた句が浮かばない。   
しばらくして、寒さからか夢路がぶるりと震える。  
 
  春雨の 冷えし褥に 花一輪  
    添いて雪ぐは 過去の氷雨  
 
右京は胸の内で「駄作」と付け加え、褥に戻った。  
 
 

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