沼田町。
与一から仕事を承った己は人気の無い傘屋の中に明らかに周りと雰囲気の異なる遊女を見つけた。
「あら…?遅かったじゃない」
「これでも急いで来たつもりだがな」
「…まぁいいわ。で、例の物は?」
「これか」
彼女に奉行所から預かった封書を渡す。
中身は、知らない。
いくら奉行所があくどい取引をしようとも、己には関係無いからな。
「一、二、三……ん、全部ね」
ただ…
「確かに受け取ったわ。じゃあね〜」
ただ、仕事は仕事。責任を持って頼まれ事をこなすのが武士である。
「まぁ待たぬか」
彼女の前を塞いだ。
障子戸を閉める。
もうすぐ夜も深まる。ここで物音をたてても、誰も気付かぬだろう。
「な、何かしら?アタシ急いでこれを持ち帰りたいんだけど」
「"取引"の意味は知っておるか?」
「ちょっと…時間が無いの。解る?」
彼女が己の脇をすり抜け戸に手を掛けたが、戸は開かない。
「あ、あれっ?」
原因は己が戸の逆側を足で押さえいたからだが……暗くてわからないのだろう。
「"取引"とは、相互の利益となる交換条件でコトを進める事だが……」
必死な彼女にずいと顔を近づけ、囁く。
「交換してないぞ?」
「…チッ……」
戸を開けるのは諦めたのか。
いや、手が刀の柄に伸びていた。
「仕方ないわねぇ……」
合口をきる。
しかし己は抜かなかった。にやけながら彼女を眺める。
「アンタが悪いんだからね!」
シャッ
勢いよく抜刀したが、刃は己まで届かなかった。
長刀の切っ先は障子戸に突き刺さり、引っかかっている。
「あっ……」
彼女が動揺している隙に小太刀を抜き、柄の先を力いっぱい長刀の刃に叩きつける。
乾いた鋼の音と共に長刀はボキリと折れた。
「う……」
「貴様は馬鹿よ……周りをよく見てみよ…」
傘屋の薄い壁をコツコツと叩きながら言う。
通りに面したこの傘屋、中で刀を抜いて両の手を広げれば端から端までついてしまう。
息子も逃げ出して奉行所に来るわけだ。
「あと……」
「ひいっ……」
「もっと質のよい刀を持て…貴様のは弱すぎる」
「う、うあぁ…」
彼女はその場にへたり込んでしまった。
どうやら刀と共に心も折れてしまったようだ。
ふと、硫黄のような、妙な匂いが鼻についた。
「おい」
目の前にしゃがみ込み顔を覗いてみると、彼女は泣きじゃくっていた。
土間の土の上に水を撒いたような染みができていた。
彼女は小便を垂らしていた。
「…おいおい」
小童じゃあるまいに。
「ぇぐ……ぅぅうっ」
泣いている。
「スマン。立てるか?」
少しやりすぎたかもしれないと後悔して、
己は手を差し伸べたが彼女は泣きじゃくるままで見向きもしない。
「…………」
己は畳の上に転がっている作りかけの傘を払って隅に寄せた。
このままでは彼女が冷えてしまうと思い、強引に脇に手を入れて立たせた。
「済まなかった。…やりすぎたな」
この取引相手は気が抜ける。
刀の使い方はなっちゃいない。脅されれば失禁して泣きじゃくる。
「ホラ、拭け」
己は袂の中に突っ込んであった手拭いを出すと、彼女に渡そうとした。
…まぁ、言わずもがな。
受け取れる状態ではないな。
「許せ」
彼女の裾を捲り上げ股を開くと、しとどに濡れへばりついた腰巻を抜き取る。
「あーあーあー」
今の状況とは打って変わってそこは一人前に女っぽかった。
キラキラと濡れて輝く海藻のようなものが、薄明かりの中に浮かんでいた。
少し乱暴に水気を拭い取ると、しゃくり声は収まってきた。
畳の上に寝かせ、帯を取る。
腰を上げさせ、尻の方から前に向けて手拭いを滑らせる。
「くくっ……」
「な…何さぁ…」
「怖くて泣きじゃくって、小童の様だと思ったがな……」
口元に笑みを浮かべながら改めて彼女の股ぐらを見る。
「やだ…あんまり見ないでよぉ……」
一端の女らしく妖艶に身を捩る。
「こうやって股ぐらを拭ってやってると、隣家にいたミツを思い出すわ」
因みにミツとは故郷の隣家いた女子で…
「よくおしめを代えてやったもんだ」
「なっ………」
彼女は顔を赤く染め、身を引いた。
が、狭い傘屋。壁にすぐ当たってしまう。
「逃げるな逃げるな」
足首を掴んで、覆い被さってやる。
「何すんのよ!」
「お前は小童として見られたくないのか、女として見られたくないのか、どっちなんだ」
「…………」
彼女は顔を背けた。
「刀もろくに扱えない臆病な奴が、何でこんな事やってるんだ」
「それは……」
顔をこちらに向かせ、真っ直ぐ目を見つめた。
「己でなかったら、お前がここから出ようとした時にとっくに切り刻んでいたかもしれぬぞ?」
「ぇ……」
いつもの己なら、あの刀をへし折った時点で彼女を斬っていた。
だが、失禁までしながら怯える彼女を斬ることは出来なかった。
「つまり、なんだ、お前に惚れたのか?」
「……いや、"か?"って…」
故郷のミツは、十六になる頃だろう。
見れば彼女もそのぐらいの歳。
怯えて泣きじゃくった彼女と、犬が怖くて泣いていたミツが重なって見えたのかもしれない。
「何があったか知らんが、この仕事はもう止めろ」
「でもアタシはっ……んむぅ!」
唇を塞ぐ。
慣れてなくて、歯が当たってしまった。
「……お前が斬られるのも、こんな遊女の格好で町を歩くのも、己は嫌だ」
-数日後-
「お兄さん、お兄さん!一杯どう!?」
「ん……そうだな…」
酒屋の前で呼び止められた。
己はよく呼び込みの奴らに引っかかり安い。
生活が苦しくてもつい呼び止められて、無駄な出費をしてしまう。
拾った握り飯と長屋の側の井戸の水で十分だというのに。
「一名様、入りまーす」
「……あれ?あんたは…」
「あら?…遅かったじゃない」
そう言って、黄色い着物をきた娘はからからと笑った。