あたしのなまえは志乃といいます。  
 物を作るのが得意です。  
 好きなものはがんばってるもの。  
 ……うさぎとか。  
 
 「まだ起きてたのか」  
 「納期が早まっちゃったからー」  
 「……風邪をひいてはいかん、切り上げて床につけ」  
 「ひと段落したら寝るから大丈夫だよ」  
 そんなこと言って、自分こそ汗でびしょびしょじゃないのさ。明日だって早いくせに。  
 「――――苦労をかけるな」  
 「なにが?」  
 「……いや。早く休めよ」  
 それだけ言って、障子が閉まった。  
 へんなの。いっつも吊りあがってる眉毛がへにょへにょじゃん。  
 持ってた作りかけのウサギに目をやると、行灯の加減で泣いているように見えた。  
 「……もっと眉毛をぶっとくかいたら強そうに見えるかな?」  
 筆を持って勢いよく墨を伸ばす。  
 「ああっ!」  
 含ませすぎたのか、まだ下地がよく乾いていなかったのか、黒い線が見る見る間に滲んで綺麗に塗れた朱色の目が閉じてしまった。  
 「ううー…………………………ううん……これはこれで新しいんじゃない?」  
 片目だけ黒いのも格好がつかないので、もう片方の目にも墨をのせてみた。  
 「おおー!」  
 大きな目の縁取りをきれいに整えて、朱で目張りを入れたらずいぶん見栄えのする新作が出来上がった。  
 「これ新しいじゃん!いいよこれ!かっこいい!」  
 瓢箪から駒、不幸中の幸い、犬も歩けば棒にあたる。いろんなことわざが浮かんできて、何だか嬉しくなってきてしまった。体中にゾクゾクと血が走る。  
 「……うふふふふ」  
 
 オレは名を伍助という。  
 年は15。一応妻帯者で、家督を継いでる。  
 好きなものは剣術。  
 苦手なものは世渡り。  
 
 「……いや。早く休めよ」  
 それだけ言って、障子を閉め、風呂場へ向かった。  
 出来る限り早くその場から離れたかったからだ。  
 武家の娘がこんなに夜遅くまで内職だと?なぜだ?答えは簡単、オレに甲斐性がないせいだ。  
 自分の嫁に家計で不自由をさせるなんて事は、いち主人として非常に面白くないし、何より不憫で申し訳ない。だがオレは自分が器用な男でない事は十分知っているので、たった一つの特技を磨くことが一番の早道なのだと信じ、鍛錬の日々だ。  
 オレには責任がある。  
 嫁の仕事を全うする彼女に報いるため、オレは主人の仕事を全うしなければならない。  
 主人の仕事とは、家人によい飯を食わせ、よい着物を着せ、寒い日は暖かく、暑い日は涼しく暮らさせることだ。人に笑われず、人を羨ましく思わせず、心穏やかに日々を暮らさせることだ。  
 そのために、オレは立派にならなくてはな。  
 もう志乃が泣かなくていいように。  
 志乃がいつも笑っていられるように。  
 それが夫であるオレの責任。妻に貰ったオレの義務。  
 「……っくしょ!」  
 まだ春先に汗まみれでは自分が風邪を引く。明日だって早いのだ、さっさと湯浴みして床に就くとしよう。  
 風呂桶にはまだ湯が残っていて(晩に素振りをするオレを気遣ってか、志乃は朝に風呂掃除をする)、手桶で湯をかぶる。だいぶ温度は下がっているので掛かり湯で気分爽快とはいかないが、まだ十分暖かい。  
 「ちょっと浸かってくか」  
 たぷん、と闇色の湯が揺れて、後は静かになる。  
 窓の格子から差し込む丸い月が、たわんでは伸び、霞んでは現れた。じっと目を閉じると、とたとたとたとた、と足音が近付いてくるのが聞こえた気がして。  
 「……厠か?」  
 独り言を呟いた時、板戸が思いっきり元気よく開いた。  
 
 「見て!新作!かっこいいでしょ!」  
 「ギャー!」  
 掲げる新作のお面を見ようともせずに風呂桶の中に沈み込むので、アタシは暗闇の板の間から一歩踏み出す。冷たく滑るすのこに足を取られないよう、慎重に。  
 「し…し、志乃かっ!?」  
 「ほら見てってば!」  
 「わっバカ入ってくるな!オレがどこに居るのか解ってんのか!?」  
 ばちゃばちゃ湯が跳ねる音がする。ばかね、お風呂に来てるアタシがなんで居場所わかんないのよ。  
 「お風呂でしょ、ね、それより……あ、暗くて見にくいね、窓の方に持ってく」  
 「まっまてっ!ちょっ……ちょ、ちょっとこら志乃!!」  
 そんなに暴れたらせっかくの新作に水玉が出来ちゃうじゃない。アタシは袖で覆うようにしてお面を守りながら月の光で黄色と黒の格子柄になってる人の顔の前へ踏み出る。  
 「ほらほらほ…っ………うわっ!」  
 やだ、なんか踏んだ。なんかぬるっとするもの。ぬか袋かな、なんて思う間に重心が狂っていく。  
 「……いっ!」  
 おなかを支点にして世界が回る。あっと思ったときは上半身が真っ暗なぬるま湯に突っ込んでいた。細かな泡が顔中にぶつかる。  
 「新作!!」  
 慌てて顔を風呂桶から引っ張り出して、持ってたはずの左手を……  
 「……はれ?」  
 「――――――――志乃、もうちょっと周りを見て行動出来んのか」  
 髪をびしょぬれにして片手を高々と上げ、もう片手はアタシの首根っこを掴んで、格子柄の怒り顔が静かに言った。  
 「……ごめんなさーい」  
 アタシはと言えば、抱えられながら見ている高々と持ち上げられたお面がちゃんと裏を向いていて、やっぱ武道をやってる人の瞬発力は違うもんだなぁと感心していた。  
 「……む。…………で、なんだ。」  
 「見て、新作。出来たてホヤホヤなの」  
 指差して視線を誘導させてもこの人の身体はびくともしないのがスゴイ。胸にぺったり張り付いてる自分のほっぺたの方がずっと動いている。  
 「今度のうさぎは水玉模様なのか?」  
 
 「……いっ!」  
 まるで時間がゆっくりと過ぎて行くようだ。そう、極限まで集中した試合のときのように。命令を出すより早く、手足が咄嗟に身構える。左手に掲げられた面、それから志乃の身体を支えなければ。  
 ばしゃん、と跳ね返る湯が思いっきり顔に掛かるのに、目をしっかり開けていられるのは修練の賜物か。  
 「新作!!」  
 しばらく風呂桶の中をごぼごぼやってた志乃が大慌てで頭を湯から引き抜いて大声を上げた。もう夜も更けたというのにやかましい奴だ。  
 「――――――――志乃、もうちょっと周りを見て行動出来んのか」  
 眉を下げてすまなさそうに謝る志乃の身体の力がふっと抜けた。よっぽどこの面が重要と見える。  
 ……が、素っ裸の男の腰にしがみついて安楽にする娘はいかがなものか。オレはお前の兄上じゃないんだぞ。一応、まだ形ばかりの夫なんだぞ、わかってんのかおい。  
 等と言えるべくも無い。ええい邪よ去れぃ!  
 「……水玉もなかなかカッコいいね」  
 志乃が月の光の中で微笑みながらよいしょと身体を起こす。体重と体温が離れてゆくのが、ひどく惜しい気がした。  
 「なに、乾かせば元通りに」  
 後から考えるとオレはずいぶん間の抜けたことをした。何故風呂の格子に立てかけて乾かそうとしたのか。どう考えても湿気だらけのこんな場所に置いてて乾くわけがない。  
 オレは面を取ろうと伸び上がる風呂桶の外に身体がある志乃の手に届かないような、天井近くの格子窓に面を立てかけた。当然、無理な体勢で背伸びをした志乃はまた重心が狂う。  
 「わっわっ……わっ!」  
 じょぼん。今度はオレが身体を全く支えてないもんだから、身体ごと風呂桶に突っ込んだ。……こいつ、もしかすると運動神経ないんじゃないか?  
 「…………。」  
 「………………」  
 無言で湯から立ち上がる志乃の目は座っていて、掛ける言葉もない。  
 「ぶ」  
 ……ぶ?  
 「ぶははははははは!!」  
 きょとんとするオレを尻目に、志乃が声を立てて笑った。その姿があんまり愉快そうなので、オレもなんだか可笑しくなってきた。  
 
 「ふ…はははははは!」  
 「あははは〜」  
 「寝巻きがびしょびしょじゃないか」  
 「そっちこそ、髪ぐちゃぐちゃ」  
 お互いの格好を指差して笑いながら、湯が減って狭い風呂桶の中でぼんやり月を見上げた。お月様はまん丸と言うにはほんの少しだけ欠けていて、アタシはこれから細ってゆく十六夜に思いをはせる。  
 「……志乃よ」  
 「…………なに?」  
 「――――――――いや、なんでもない」  
 「ふうん?」  
 湯が少し冷めてしまった。早く上がらなくちゃ風邪を引いちゃう。家人の体調管理は奥の仕事だし、早く上がらなくちゃ。何より明日も早いんだし……  
 そこまでわかっちゃ居るのに、動けないのはなんで?  
 背中がぬくい。胸まで浸かってる残り湯よりも温度は低いはずなのに。  
 「ねぇ?」  
 「…………なんだ」  
 「なんかおしりのあたり、へんなかんじ」  
 言った途端にすごい咳き込む声が聞こえて、それはそれは盛大に咳き込み始めて、ごほんごほんと見るからに無理からの咳を続ける。  
 「だっ……!だったらさっさと退かんか!」  
 なんか急に怒り出した。別にヘンなこと言った覚えないんだけどな。  
 「だってここぬくいんだもん。まだ居てもいいでしょ?」  
 眉を思いっきり下げて訊ねると、これまた思いっきり渋い顔をして小さく短く好きにしろ、と言ってぷいっとそっぽを向いた。またまた、自分だってぬくくていい塩梅なくせに素直じゃないんだから。  
 湯からもう湯気は上がっていない。そろそろ湯に浸かってない場所が冷えてきた。濡れた寝巻がずっしり重くて、ぽたぽた髪から滴る水が冷たい。  
 なのに、ここで見上げる月が綺麗で、背中と指先がぼんやり暖かで……とても立ち上がれない。  
 「……志乃よ」  
 「なに」  
 「お前、身体が冷えとる」  
 
 言った自分が恥ずかしかった。恥ずかしいあまりに暖めてやろうかと問うのも忘れた。  
 「ひょえぇ……」  
 間の抜けた引きつり声が擦れながら消えて、それ以上は何も聞こえない。  
 抱きしめた肩は小さく冷たかった。華奢で危なげで、少し力を入れ間違えたら抱き潰してしまわんかと心配になるほど、どちびのオレより小さい。  
 「……ぬくかろう」  
 「――――――――うん」  
 強張っていた身体からゆっくり力が抜けて、ついに頭までくたりとオレの鎖骨に預けた。  
 ……まずい。まずいまずいまずいまずい。  
 椿油のにおいが微かにする志乃の髪の香りにぞくぞくする。力を込められないのに全力でぎゅっと抱きしめたくなる。ど、ど、どうになかっちまう!誰か、誰かオレを殴ってくれ!!  
 「あー……し、志乃、さん」  
 「ん?」  
 「オレも、い、一応男なんでな。あまりその、なんだ、信用し過ぎて貰っては……その、困る」  
 「……なにが?」  
 「だからっ……このまま居ると、オレが危険だということだ!」  
 「……どういうこと?」  
 ええいこの鈍感女め!なぜそんな曇りの無い目でオレを見る!まるでオレが罪人みたいな気になってくるではないか!どっちかっつーとお前が悪いんだぞ!俺もそれ相応に悪いけど!  
 「――――我々の関係はなんだ」  
 「めおと。」  
 「では夫婦の一番の仕事はなんだかわかるか」  
 「……ああ。」  
 「まだお前をろくに食わしてやることも出来んのに具合が良くないのはわかるな」  
 「兄上に教わったよ。めおとの一番の仕事は仲睦まじく暮らす事だって」  
 ……うう、確かに間違っちゃいねーけどよ。  
 げんなりするオレの手がふっと持ち上げられて、眉をひそめながら視線を動かしたら、その手が志乃のあごの辺りの頬に巻き込まれていた。ふわふわで温かい、首とあごの間に。  
 「ぼろぼろのこの手、いつか触りたかった」  
 囁かれた言葉に顔が紅く染まったのが自分でもわかった。背筋がざわめく。  
 
 「……し…っ…の」  
 帰るが握り締められたみたいな声。きょときょと落ち着きの無い目。ドキドキうるさい手。  
 「かお、触ってもいい?」  
 訊ねても返事が返ってこないので、そのまま手を伸ばした。同じように、頬とあごの辺りに触れる。  
 「……っ!」  
 ……へんなの。強い人なのにぎゅって目を閉じてさ、子供みたい。……かわいい。  
 滑る指と手のひらに薄く力を込めるたびに、ひくひく蠢くまつ毛と瞼がふしぎだった。アタシも触られたらこうなっちゃうのかな。……それってどんな感じなんだろう。  
 「ね……かお、触って」  
 言って、しばらくしてから恐る恐るといった風にザラザラでささくれ立った固い手がアタシの頬を滑った。滑って、首から肩に、襟の中から背中へ落ちていく。寝巻きを湯の中へ溶かしながら。  
 「…………ひゃー……」  
 「オレも、触りたかった……触りたかったよ、志乃を」  
 「……んっ」  
 湯が舞い上がる。ぬかるむような音。金色のお月様、真っ黒のうさぎのお面。巻き込まれる身体。  
 恥かしいのにやな感じがしない。不思議な感じ、ヘンな感じ、懐かしい感じ、初めての感じ。  
 首から肩にかけて、熱いものが何か滑った。声が出ない。身体が言うことをきかない。  
 「冷たいの、志乃の身体」  
 その声に夢うつつからようやく正気に返って、倣うようにうなじ辺りを舐めてみる。  
 「……旦那さまの、味がするね」  
 言ってみてから違和感がした。そういえばこの人を呼ぶ時、旦那さま、なんて久しぶりに言った気がする。だって一番最初そんな風にまだ呼ばれる資格がない、なんて言ってたから。  
 「〜〜〜っ志乃、そんな風に言うな、そんな風に言われるとだな、言われると……」  
 機嫌を損ねたに違いない。身体がぎゅっと緊張して苦しいくらいに腕に力が込められた。  
 「止まらんようになる」  
 寝巻の帯が無理矢理引っ張られて、その上水を吸っているからきっと方結びになってるんだ。そんで、そんで、そんで……  
 其処まで考えたのは覚えてる。それ以上はよく分からない。  
 両肩がまろび出ている。黒い髪が目の前に広がってる。途切れ千切れの忙しない吐息が聞こえた。  
 
 「あっ、あっあっ……!」  
 最悪だ。最低だ。切腹ものだ。我ながら到底サムライの所業とはおもえん。  
 「んっんあぁ……あっぁあっ……あ!」  
 頭のどっかで冷静なオレがオレを哂う。なのに嘲笑されているオレはこれを正しい事だという。  
 「っく……ぅ……いっ……あっ!」  
 最初はどこかで話に聞いたか、見ただか、口吸いなんてのをしようとしただけなんだ。多分オレの中に居る全部のオレが嘘だというだろうけどホントなんだ。紅も差さないのに赤く輝くあの口を……いや。  
 なのに今やってんのはどうだ、濡れた着物で身動き取れない志乃の身体に口をつけている。あらゆる場所をだらしなく滴る涎をそのままに、嘗め回っている。  
 「あぅぅぅ……な、んか、へん、れすよぅ……」  
 舌ったらずの蕩けたのん気な悲鳴が、ますますオレの頭をどうにかする。  
 「嫌なら止めるが」  
 この大うそつきめ。我が事ながら虫唾が走る。赤い顔をして息も絶え絶えに震える志乃が、オレに嫌だと言わないことは誰あろうオレが一番よく知っている。最悪だ。最低だ。  
 罪悪感で一杯なのに、指や手や舌、それから手ぬぐいの下でいう事をきかないうるさ方は思う存分で、更にオレは情けない。……なのになんでやめないんだ。  
 襦袢だろうか、腰巻だろうか。湯の中で絡んでたゆたう布を掻き分けて、おっかなびっくり手を伸ばす。自分でも何をしているのかよく分からないが、もじもじと柔らかな曲線の動くそこに何があるのか確かめてみたかった。  
 「あっ!?」  
 腕がぎゅっと掴まれたような感覚がして、志乃の身体が強張った。驚かしてしまったのか、目がかっと見開かれて、口も開きっぱなしだ。  
 「い、痛かったか?」  
 濡れた髪が肩にぴしぴしと何度か当たった。どうやら首を振ったらしい。  
 「やめるか」  
 今度は肩に髪は当たらなかったが、押えられている鎖骨の辺りに横振りの振動があった。  
 「……では、少し力を抜け。そのままでは、その、動きにくい」  
 太ももの戒めが解かれて、ひくひく薄く痙攣する小さな志乃の指や瞼を見ながら、オレはとんでもないことをしているような気がしてきた。耐える女の身体をいいように弄繰り回すなんて、外道かオレは。  
 「いたくしないで」  
 
 息が出来ない。背中とかおなかとか、腰とか足の裏とか、とにかく身体中のどこもかしこもゾクゾクしてて、走り回る血潮の速さが目の裏で分かる気がする。  
 ビリビリする、触られてるどこもかしこもが。痛いくらい熱い。苦しいくらい、胸が躍る。  
 指が、アタシの、何処とも分からない所で蠢いている。耳の側で喘ぐ声で、息で、肌が灼け焦げそう!  
 「立てるか?」  
 帯を支えられてアタシは湯船から立ち上がる。指はまだ埋まっているのか、ジンジンと疼く。  
 「……きもち、い。痛くない……」  
 恥かしい、舌が回らない。涎が出ちゃう、みっともない。  
 「…………足を、上げられるか」  
 急いでるみたいな声。右足を風呂おけの縁に掛けさせて……なんて格好させるの。  
 「――――――や、だ……見え、る」  
 「少し、痛くするかもしれん」  
 それだけ言って、大股開きのあられもないアタシの足の間に、身体を押し込んだ。それから――――――  
 「うぅ……あぁっ!?」  
 痛い、痛い、痛いなんてもんじゃない。ひどい衝撃、引き裂かれるみたい!  
 「やだやだやだやだやだぁ!なに、なに!?何なの!?」  
 「むぅ……それは、我慢できんか?」  
 「無理無理無理無理!ぜったいむり!」  
 何てこと言うのさ、こんなの無理に決まってんじゃん!死んじゃうよ!  
 涙目になって抗議をしようとしたアタシの目に飛び込んできたのは、ぶっとい眉毛が情けなく下がってへにょへにょになってる……そんな顔だったもんだから。  
 「……むり、だけど……けど……ぉ……」  
 もっと優しくしてくれるなら我慢してあげてもいいけど、と。何故だか言ってしまった。……ううん、ナゾだわ……  
 「や、優しくか……ど、どうすれば痛くないかのぅ」  
 「ゆっくりするとか、押し付けてるのをもっと小さくするとかは?」  
 「……小さくというのは出来んが、ゆっくりというのはやってみよう。他に何かあるか」  
 ……他にったって……そもそもそんな不浄に不浄を無理矢理差し込まなくてもいーじゃん……と思ったけど、言ったら更に眉が下がりそうな気がしたので、気を紛らわせるものを所望した。  
 「手を、握ってて」  
 
 ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり……  
 気は急くのに頭にぐるぐる回る春先の蛙のような「ゆっくり」の大合唱。一物を支えて、志乃の足を開かせながら、それから、壁に手を付いて……頭の中がぐるぐるぐるぐる、気持ち悪い。  
 上手くやらなくては、痛がらせないように、ゆっくり……目の前が白黒に点滅しているような気がして気がどうにかなりそうだと思ったとき、ぎゅっと右手が握り締められた。小さな手を握り返すと、もう一度、ぎゅっと。  
 ――――――大丈夫だ、上手くやる、見ていろ。  
 深呼吸をして、深呼吸をさせて、じっくりじっくり差し込んだ。  
 「うぅ……うぁ…うぅ……!」  
 顔を上げるといつの間に持っていたのか、口には絞った手ぬぐいが噛まれていて、掴まれている右手は力の限り握り締められていて、その痛みの幾らかでもいいからオレに宿ればいいのにと思った。  
 「……すまん、やめよう。不公平……」  
 腰を引こうとするオレの背中に残った右手で細い爪を立てて、思いっきり引き寄せられる。  
 「うううぅ……はいった……?」  
 
 水面に手ぬぐいが落ちる音が聞こえた後の事はよく分からない。  
 ナニをどうしたのか、それからどうしたのか。  
 全く覚えてない。  
 朝目が覚めると自分の寝床に居て、いつにも増してひどい寝癖の頭を掻いていた。寝巻も着て褌も締めている。  
 「……なんつー夢だ……」  
 どんよりしながら腹立ち紛れに布団を跳ね上げ、手水を使いに部屋を出た。桶にはいつも通りちゃんと新しい水が張られていて、側に乾いた手ぬぐいも畳まれて置いてある。  
 便所に行って手と顔を洗い、さて口でもゆすごうかと周りを見渡して、口に含んだばかりの水を吹き出した。  
 「……な、な、なっ!」  
 朝日に輝く水玉模様のでかい目をした個性的なうさぎの面。  
 「あ、おはよ。ご飯もうちょっとで炊き上がるから待ってて」  
 それを被って風呂掃除に勤しむ志乃。  
 オレは持ってた手ぬぐいが落ちたのにも気が付かなかった。  
 
 「ほんとに覚えてないの?血が出て、すまんすまんって言いながら舐めてた事も?」  
 あ、お箸落とした。  
 「じゃあさ、お返しにアタシが舐めてあげたのは?」  
 あ、味噌汁吹いた。  
 「……志乃よ……朝っぱらから、なんというか、この話はよくない……」  
 ……こりゃ思い出したな……。布巾を手渡して、アタシはその通りに話すのを止めた。  
 黙々と食べてるから、寒い寒いって喚くアタシを一緒の布団に入れてくれて、そのまま寝込んじゃったのも黙っていよう。今日の蕪の煮付けは自信作だもん、吹かれちゃたまらない。  
 「今日は道場行くの遅れちゃったねー」  
 「む……今日は少し遅くなる。」  
 「そうだね、朝の分取り返さなくちゃ」  
 「……時に志乃よ。」  
 「はい?」  
 「――――――その面、気に入ってるのか?」  
 じっとあたしの頭に引っ掛かっている水玉模様のうさぎのお面を指差して、今日は元気一杯、いつもみたいにびっとしている眉毛が尋ねた。  
 「唯一の証人だからね」  
 あ、こけた。  
 「おもしろいねー旦那さまー」  
 「面白くない!……つーか、旦那さまと呼ぶなと言っているだろう」  
 「……じゃあ、なんて呼ぼう?」  
 あたしが尋ねると、ぶっとい眉をひそめて長い長い思案顔。  
 「……………………あ、あなた?……とか……」  
 「はーい。わかりました、あなたー!」  
 ようやく決まった呼び方をあたしが元気よく呼ぶと、渋い顔をして咳払いをして、うむ、と返事をした。  
 「どうしたのあなた、顔が赤いよ」  
 「あっ赤くないっ!」  
 ……赤くないったって、顔、赤いじゃん……  
 びしっと言い放ったのを突っ込む気になれず、それからは黙ってごはんを食べた。  
 しかめっ面の“あなた”って、ふしぎだけど――――――かわいいひとだね。  
 

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