何やらごちゃごちゃとした夢でも見たようだ。
不意に目覚めてがばっと起きてもまだ外は闇夜だ。
「…ふう」
今後の生活のことなど、色々と不安を感じているのだろう。たまに疲れているにも関わらず寝つ
けなかったり眠りが浅かったりして、こんな風に目覚めることがある。
とは言いながらも、まだ世も明けてないのに股間の一物はさながら富士の山の様相だ。
やはり、溜まっているものはこちらもあるようだ。
仕方のないことだ、男というものは。
そう一人ごちながらやむなく一人寝の寝床の中でそろりと手を伸ばして慰むものの、自らのそ
んな姿がやたらと滑稽に思えて苦笑うしかない。
「一体何をやっているのだ、オレは」
浅ましいやら、滑稽やらでくつくつ笑う表情は歪み出す。
この一つ屋根の下には妻と呼ぶ女もいるというのに、あたらこのよう一人寝を気取ってこのよう
な時刻にこっそりと段平を握っているのは馬鹿げているにも程がある。
とはいえ、その妻というのが曲者なのだ。
志乃という名の、この間娶ったばかりの伍助の妻は武家の娘とは到底思えぬほどに天衣無縫
で自由な女だったのだ。無論、出自は痩せても枯れても武家。それなりの婦道はきちんと心得
ていると見えて家事全般は完璧にこなしているので、文句を言う気は毛頭ない。
ただ、月に跳ねたり波に遊んだりするうさぎのようで一瞬たりとも目が離せないのだ。簡単に下
卑た男特有の劣情などで汚せない気がして、いつも手が引く、
こういう感情を何というのかはまだ分からない。多分世にある男女間のものとも違っているのだ
ろう。
そう考えたところで、急に別室にいる妻の顔が見たくなった。
はて、これは果たして夜這いというのか否か。
そんなくだらぬ考えが頭をもたげたが、ただ顔を見たいだけだからと打ち消して枕元の傍らにあ
った火打石と紙屑を取り上げた。
手馴れたもので、すぐに燃え上がる火がすかさず行灯の蝋燭に移される。
古い屋敷なので、廊下を歩けばぎしぎしと軋む。
志乃が眠る部屋はそれほど遠くないのだが、若干やましい考えあっての行動ゆえについつい
歩も鈍る。
なるべく音をたてずに障子戸を開けると、日中は何かとくるくる立ち働いているせいかぐっすり
と良く寝込んでいる。蝋燭を立てた燭台を近付けると、涎を垂らしながら気持ち良さそうにすうす
うと寝息をたててている。
やましい考えがあったことなど忘れ、幼児のような寝顔に見入っているうちにもぞもぞと志乃が
身じろぎをした。人の気配に気付いたかと警戒していたのだが、気楽なものだ。
「うー…ごっちんー…」
不意に名前を呼ばれて、伍助はだらだらと脂汗を流して焦るばかりだった。なのに。
「鼻の頭にごはんつぶー」
眠りながらそんなことを言い放ち、けらけらと笑う。
「何の夢を見ているやら、人騒がせな」
寝ている時でも昼間と同じ様子の志乃に、何故だか気が緩んでしまった。やはり伍助にはまだ
どうすることも出来ない相手なのだ。
今はそれでいいのかも知れない。
少なくとも志乃の夢の中の情景には伍助がいて、しかも二人で楽しく食事でもしている。志乃
もまた、伍助を夫として見ているということなのだから、急いで無体なことなどする必要は今の
ところ少しもない。
二人なりの関係は、まだ始まったばかりなのだ。
いつまでもここにいる訳にもいかず、また何となく眠くなって、伍助はすごすごと自室に引き下が
ることにした。
早朝。
再び股間が富士の山になっていた伍助は、朝餉の支度を済ませた志乃がいつものように起こし
に来る声を聞いて大層慌てふためいたことは言うまでもない。
終わり