ゆるりゆるりと時は過ぎていく。  
この間までまだ蕾が硬かった桜も、一輪二輪と花開けば連鎖のように一斉に周囲の景色を桜色  
に染め上げる。全く見事な春模様だった。  
そして、満開となった花は潔く盛大に散りゆく。  
「はー、綺麗だねー、ごっちん」  
今日はたまたま所要で近隣の親戚宅に出かけていた伍助と志乃の夫婦は、帰途の途中の川  
辺で今まさに幹を震わせて花びらを降らせんとする桜の巨木に目を留めていた。桜とは不思議  
なものだ。一年のほとんどの季節は一体何の木なのか分からないほどだというのに、この時期  
だけが狂おしいほどに華やかだ。  
「空まで桜色だよ、すごいね。綺麗だね」  
「…うむ、そ、そうだな」  
いつまでも巨木の側で立ち止まったまま動かない志乃に痺れを切らすでもなく、伍助は空返事  
をしていた。  
花などに見とれるとは男子たるもの不甲斐ない、とは別に思わないのだが、今が盛りの花より  
も、それを見上げてうっとりとしている志乃の姿の方にこそよほど目を引かれていたのだ。なるほ  
ど花は女の魂を奪う魔物らしい。  
だが、これほど美しい魔物ならば魂を奪われても本望、と女ならば思うだろう。  
その時、不意に風が吹いた。  
淡い花びらがぱあっと周囲に舞い上がる。同時に志乃が弾かれるように天に向かって両手を突  
き出した。  
「あー…散っちゃうよおっ…」  
「志乃!」  
思わず、伍助は桜に連れて行かれそうな志乃を後ろから抱き留めていた。一瞬、本当に目の前  
からいなくなってしまうような気がしたのだ。なのに、肝心の志乃は小首を傾けたまま、まだ幼  
い表情で目を見張っているだけだ。  
まだこの熱の塊のようにもどかしい気持ちを言い表せる言葉を、伍助も知らない。  
「…ごっちん?」  
「すまん、志乃」  
「もう、びっくりしたあ」  
「だから、すまんと言ってる」  
言いながらもまだ腕を緩めない伍助に何を思ったか、くすくす笑いが続く。  
「桜、綺麗だね」  
「…ああ、そうだな」  
「アタシ、どこにも行かないからね。ごっちんの側がいいんだもん」  
「……そうか」  
何となくだが、今の気持ちは伝わっているのではないかと思った。くすくす笑いをしながらも志乃  
は腕を振り解こうという気すらないらしい。  
今こうしている二人を誰かが見たらと思うと、伍助の方が耳まで赤くなるほどだ。  
しかし、どこにも行かないという志乃の言葉は純粋に嬉しかった。  
桜よ、お前がどれほどの魔物であろうとも志乃は決して渡しはしないぞ。  
改めて、そう決意した。  
夫婦というよりは睦まじい子供たちのような微笑ましい二人の姿が、散り急ぐ桜の花びらに掻き  
消されて夢幻のように紛れていく。  
 
 
 
終わり  
 
 

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