季節は変わる。
人も変わる。
それが時というもの。
一段と澄み切った晴天の空を仰いで、伍助はふうと溜息をついた。
「今日はやたらと暑いな」
二つの墓周りの草むしりが一段落したこともあり、額に浮いた汗を拭いながら立ち上がる。
このところ何かと忙しかったのにかまけて、碌に父親と兄の墓参りすらしていなかったのだ。以前
なら月命日の他にも何かと理由をつけて参っていたにも関わらず。
だが、年に一度のそれぞれの命日、月命日を欠かさなければそれでいいのではないかと最近は
思い始めている。
子として弟としての義理を果たすのは、やり過ぎても意味がないと。
無論、そう考えるようになったのは家督を継いでから迎えた妻、志乃の受け売りによるものでもあ
る。元々が伍助の概念になかったことだけに最初は戸惑ったのだが、その方が気分が楽になると
感じて以来、すっかり感化されてしまった。
以前勤めていた職場の先輩の薦めで妻にしたとはいえ、志乃はかなり良く出来た女だったことも
感化に拍車をかけている。やや苦しい家計の為に手内職をさせているのは少々心苦しいところも
あるのだが、当人は一向に苦にすることなく精を出している。
その内職の結果によるうさぎ面の意匠そのものには、かなり疑問があるとしても。
むしった草を片付けると、二つの墓に水をかけて丁寧に汚れを落とした。
この墓石の下には父親と、兄が眠っている。
武家の人間として生まれた以上は事あらば避けられぬ道とはいえ、些細な事情で命を落とした二
人への哀惜の念は当然ある。それが武士道というのならばどこかがおかしいのではないかと今で
は思うこともある。
だが、過ぎた今となっては詮無いことだ。
「ごっちん!」
「ぅひゃぁっ!」
何とはなしに思索している途中、突然、頬に冷たいものを押しつけられて思わず叫んだ。見れば
後ほど来る筈だった志乃が濡れ手拭いを手にしてにこにこと笑っている。
「びっくりした?」
「ああ…まあな」
「そういえば、一緒にお参りしたことってなかったよね」
南無、と二つ並んだ墓石に軽く会釈をするなり、志乃は道すがら摘んだと思われる片手一杯の
蓮華を供える。渡された濡れ手拭いがひんやりと冷たくて気持ち良かった。顔と首筋を拭くと少
しずつ気分が落ち着いてくる。
「折が良かったな。先刻墓掃除も終わったので後は祈るだけだ」
「うん、そうだね。挨拶も兼ねてきちんとしとかないとね」
普段の調子よりはややしとやかな声がした。やはりそれなりの心持ちでいるのだろう。
二人並んで手を合わせていると、今こうしているのが夢のように思えた。父親と兄をほぼ立て続
けに亡くした時はこの世に神も仏もあるものかと捨て鉢な気持ちにもなっていたけれど、良いこと
はやはりきちんと巡り来たのだから。
そんなことを考えていると、不意につるりとしたものが閉じられた瞼を擦ってきた。
「ごっちんの泣き虫」
驚いて目を開くと、指先を差し出していた志乃が子供のように笑っていた。
「む、べ、別に泣いてなど」
「いいんだよ、泣いても」
「ん?」
「こういう時は泣いたって誰も咎めたりしないよ。だって血縁なら当たり前のことじゃん」
涙を拭った指が濡れて光っていた。そのまま志乃はまるで母親のように柔らかく伍助を抱き締め
てくる。
「し、志乃…やめぬか」
もし誰かに見られたら体裁が悪い。この期に及んでもまだそんなことをかんがえてじたばたする
伍助など、今の志乃には赤子同然だった。
「今までいっぱい悲しいことがあったんだよね、ごっちん」
「う…」
「アタシの前でなら、泣いても全然構わないんだからね」
空が大層高く思える。
実の母親にすら言われたことのない言葉に、堰を切ったように涙が零れる。もう止まりそうになか
った。
花が咲き、花が散り、時は流れる。
失ったものは大きいけれど、それ以上に今日は夫婦としての絆をより深める日となった。
終わり