騒動は何とか治まった、ように思う。  
志乃の前夫だった松山のことはあれからお互いに問わず語らずのままだ。それでいいのだと  
思う。志乃もあたら口に出せることではなかろう。  
あのように辛い目に遭ったとしたら、尚更のことだ。  
日々は特に何事もなく過ぎている。志乃の様子も別段変わりがない。だが、その心中を推し  
量るとどうしてやれば更に良いものかとただ思案するばかりだ。  
思案。  
便利な言葉だと、若輩の自らが情けなくなった。  
ふむ、と伍助は今日も思案に暮れながら日の落ちた縁側で、雨戸も閉めないまま茫洋と佇ん  
でいる。見上げれば、今宵は見事な満月だった。  
「欠けざることのなしと思えば…か」  
幼い頃に聞きかじった逸話を思い出しながら、ぼんやりと口にする。  
志乃は、この家に嫁いできて満月のように幸せでいるだろうか。今は一番考えたくないことを  
唐突に心の表面に押し上げてしまった。  
「ごっちん」  
そんな時、元気な志乃の声がした。  
「そろそろ冷える時間だよー、風邪ひいちゃう」  
愛くるしい顔でにこにこ笑いながら、志乃は盆を手にして歩み寄ってくる。  
「ここでいいんなら…はい、お茶。お菓子もあるよ」  
「お、済まんな」  
ことりと置かれた湯呑み茶碗と、小皿に乗せられた鳥型の干菓子が三つ。その色形には見覚  
えがあった。  
「志乃、これは」  
「ああ。お昼にね、義母様が来たの。ごっちんのこと色々教えたげたら喜んでたよー」  
「そ、そうか」  
何となく気まずくなって、干菓子を一つ口に運ぶ。この菓子は母親が好んでよく買っていたもの  
だから、きっと来訪したのだとは察していたが、まさかそれほど心配させていたとは。  
いかんなあ、と溜息が漏れる。  
やはりオレは何においてもまだ中途半端なのだと。  
 
「ごっちん」  
突然、静やかな様子で正座をした志乃が声を潜める。  
「アタシ、ごっちんにとっていい妻かなあ。正直わかんないの」  
「な…っ」  
あまりの言葉に、伍助は思考が停止しかけた。確かに志乃の兄、摂津に引き合わされた当初  
はお互いに顔も素性も知らぬ同士だ。断る理由も特にないので娶った後も、何となく違和感が  
あったのは否定しない。  
だが、今では何よりもかけがえのない存在になっている。これほどに愛らしく、健気に尽くして  
くれる妻など他にいないだろうとさえ思えるほどだ。  
「そんな訳がなかろう、志乃。馬鹿なことを言うな」  
「うん、でも」  
「オレは志乃が大事だぞ、お主をわずかも傷つける者があれば許さぬ」  
瞬間、ちらりと松山の顔が頭を掠め、志乃に気取られないように最良の言葉を選ぶのに苦労す  
る羽目になった。  
「…ありがと…」  
はらりと、志乃は無理をして浮かべた笑顔に涙を落とした。  
ああ、まだ志乃の幸せは完全なる満月に至っていない。まだ守りきれてもいないのだ。と伍助  
痛感するしかない。  
胸が苦しくて、咄嗟に腕を伸ばして抱き寄せた。  
「あ…」  
「志乃よ」  
華奢でありながら、ふわりと柔らかい身体はひどく抱き心地が良かった。どうして初夜にすらこ  
れを味わっていなかったのかと後悔するほどに。しかし、これで決心がついた。  
「何も案ずるな、不安にもなるな。志乃の全てはオレが受け止めてやろう」  
「…ごっちん」  
逆らうこともなく、わずかに震えながら腕の中にすっぽりと収まっている志乃が痛々しいほどに  
健気だった。それで可愛い妻の気持ちが休まるならば、今宵が全ての始まりなのだと腹をくく  
った。  
ぴったりと身を寄せたまま動かない二人の傍らで、茶は徐々に冷めていく。  
 
 
夕間暮れの時刻のことだ、空が次第に暗くなっていく。  
空気が冷えていく気配を感じて、志乃が身じろいだ。  
「夜になったね、ごっちん」  
「そうだな」  
「…アタシ、そろそろ御飯作らなきゃ」  
「うん、そうだな」  
「あの、離して欲しいな、とか…」  
こんなに密着したことは今までなかっだけに、戸惑っているのだろう。それは伍助も全く同じこ  
とだ。  
「志乃」  
「んー?」  
暗がりで見上げる大きな瞳が磨いた石のようにきらきらしていた。  
「今宵、契ろうか」  
なるべく動揺させないように抑えたつもりの声は、情けないことに震えている。触れることすら  
出来ないまま膨らんだ志乃への気持ちだけが先行している意識はあるのだが、悲しいかな経  
験のない若輩であることが冷静さを失わせていく。  
「…」  
「嫌、か?」  
ここで拒否をされでもしたら、と思うと余計に腕の力が強まる。口にしてしまったことでもう後戻  
りが出来なくなってしまったことに気付いた。  
「嫌、じゃあ…ないよ」  
そんな気持ちに気付いているのかどうか、志乃は一語一句をゆっくりと選ぶように言の葉を唇  
に乗せる。  
「嫌な訳ないじゃん…ごっちんのバカ…」  
 
ぼう、と幽やかに鳴る炎の音。  
部屋の隅で、蝋燭の炎が風もないのに妖しく揺らいでいた。  
まるで煮え切らない腹の中を見透かされているようだ、と並んで二組敷かれた布団の上でしみ  
じみと伍助は考えていた。  
夫婦なのだからいずれは契るつもりだったのだが、まさか今夜いきなりとは…先刻、咄嗟に口  
に出したことを思い返す度に伍助は顔から火が噴出しそうだった。  
初夜に何もなかったのは、たまたまのこと。  
恋情も何もなく顔も知らぬまま一緒になった相手といきなり、というのは何となく気が引けたの  
もあったし、例の志乃のあまりにも切なげな泣き顔が更にそんな気持ちに拍車をかけた。それ  
以来手も出せないままだったのだが、さすがにそれではいけない気がしていた矢先の志乃の  
前夫騒動だ。  
幸い、志乃の兄である摂津のお陰もあって何とか収まったものの、志乃自身の心はまだ救わ  
れていない。きっとそれが出来るのは今の自分なのだろうなあ、と急に責任感めいたものが湧  
き上がる。  
再び、蝋燭の炎がぼうと鳴った。  
合わせるようにすう、と寝室の引き戸が開かれる。今夜の伍助の目にはあまりにもしどけない  
夜着姿の志乃だった。  
「あー、いいお湯だった。気持ち良かったよー」  
「…そうか」  
「あ、先に布団を敷いてくれたんだね、ありがと」  
「ん、む。まあ…オレが先に風呂に入ったからな」  
「うん、嬉しいー」  
ぽすん、と布団の上に身を投げ出した志乃のあまりにも子供っぽく愛らしい様子に思わず笑み  
が漏れる。  
「志乃」  
「…はにゃー…」  
「志乃よ」  
いっそ、このままでもいい。ふとそう思った途端にころりと布団の上で寝返りを打った志乃が急  
に真顔になった。  
「…ごっちん、アタシ本当の奥さんになりたいよ」  
 
「えっ」  
「ごっちんも、そう思ったんだよね」  
ころんころんと布団の上で転がる度、夜着の襟元がはだける。裾が乱れる。正直、目のやり場  
がなかった。密かにちらちらと盗み見しつつ、天晴れな気概を見せている志乃の意気に応えよ  
うと言葉を継ぐ。  
「あ、まあな。だから先刻そう言ったのだ…」  
「うん」  
安堵したような笑みがこの上なく柔らかく、可愛らしい。  
夫婦となってから日は浅いが、これほどまでに志乃が愛しいと思ったことはなかった。辛いだけ  
の思い出しかない過去はどうあれ、今はもう伍助の妻となったのだ。ここで因果は全て断ち切  
ってしまおうか。  
『契ろう』と口にした時にはそれほど思いも巡らせていなかったことが、今になってぐるぐると頭  
の中を駆け回っている。  
「志乃」  
無意識に手を伸ばして壊れてしまいそうなほど柔らかな身体を抱き締めていた。薄い夜着越し  
の確かな体温が心地良くてくらりと目眩がした。  
「嘘偽りは言わないぞ、お主が心底大事だ」  
「…うん」  
見上げる瞳が、潤んでいるように揺れている。  
 
 
遠くで拍子木の鳴る音が聞こえる。  
それ以外の物音もなく、本当に静かな宵だ。  
己の不甲斐なさで事を仕損じていた初夜はまさに今夜をおいて他にない。  
ぴったり並べて敷かれた布団の上で、二人はぎこちなく寄り添っている。  
「んー…」  
初めて触れた志乃の唇はひどく柔らかかった。  
指先でよりも唇で直に感じる感触や温みが徐々に現実のものとして温かく浸透していくにつれ、  
子うさぎのように大人しく目を閉じている志乃をもっと確かめたい、感じたい欲求が膨れ上がって  
いく。  
薄い夜着越しの体温が抱き寄せる腕に伝わってきて、もう心臓が高鳴るあまりどうにかなってし  
まいそうだった。  
「志乃」  
「…んー、なあに」  
啄ばむばかりの口接の後、おずおずと瞼を開いた志乃は先程とは見違えてしまうほど艶めいて  
見えた。見も知らぬ可憐な花があたかも内面から開花する如くに。  
宝物でも掻き抱くように、腕が震えた。  
「…志乃よ、大事にするぞ。一生な」  
やっとのことで喉の奥からそう搾り出すと、大きく見開いた志乃の目から涙が零れ落ちた。  
「うん…うん、アタシごっちんとずっと一緒にいる。きっと大事にしてね」  
言うなり、折れそうなほど細い腕で縋りついてきたのでうっかり倒れそうになってしまった。何と  
か無事に遣り過ごしてしまってから、華奢な身体を包む夜着の紐を解く。  
光源といえば蝋燭の灯りしかない室内にも関わらず、見たことのない肌の白さが伍助の目には  
痛々しいほどに眩しい。  
意識もせず、ごくりと喉が鳴った。  
「触るぞ」  
「…うん、いいよ」  
最初から伍助の為だけに生まれたとしか思えない可憐な乙女妻は、はだけられた襟元を密か  
に恥ずかしがりながらも全てを委ねようとしている。その思いを嬉しいと思えるのも、やはり惚れ  
込んでいるからなのだろう。  
 
「志乃」  
「うん」  
「志乃」  
「ごっちん…いっぱい可愛がってね」  
震える指先が未熟ながらも女の形をした乳房に触れる。幼女のように薄く小さいのに、ここも驚  
くほど柔らかかった。ふわりふわりとした感触に思わず乱暴に撫で回し、握り込んでしまう。  
「ぁ…痛いよぉ…」  
「あ、済まんな」  
昼間のお天道の下ではうさぎのように無邪気な志乃の声音が、微妙に変化していた。謝りなが  
らもそんな変わりようすら嬉しく、伍助は目と手の感触で最愛の妻を愛おしんでいた。  
「志乃…横にならんか」  
「うん、なるー」  
愛撫に頬を染めたまま、志乃は素直に布団に横たわった。再び心臓が高鳴る。  
「…志乃」  
「あぁんんっ…」  
堪らなかった。今はもう志乃が可愛くて、愛おしくて頭が一杯だった。こうして何もかもを委ねら  
れたことで、これまで押さえつけていたものが一気に噴出してしまう。手で触れるだけだった乳  
房の滑らかさを唇で、舌で堪能し始める。その間も、両手は休むことなくしきりに柔らかさを楽し  
んでいた。  
「あ、ぁあ…ごっちん、おかしくなりそう…」  
気持ちがいいのか、志乃は甘い声を上げて喘ぎ出していた。夜着はすっかり乱れて綺麗な線を  
描く身体はほぼ剥き出しになっている。  
しばし夢中で乳房の感触を味わっていた伍助は、不意に尻に当たったのが志乃の腿だと気付い  
てふと我に返る。  
もう志乃は分からなくなっているかも知れないが、剥き出しの両脚は伍助を挟み込む形になって  
いる。そんな姿があまりにも淫らで美しく、とうに硬く張り詰めきっていた股間の一物が痛いほど  
存在を訴え始めていた。  
ごくり、と唾を飲み込んで伍助はそのまま身体をずらすと、力なく開かれた脚の間に無言のまま  
顔を埋めた。  
 
「やぁ…」  
恥ずかしさに小さく呻いた志乃が、喉を反らせた。  
どこもかしこも柔らかくて手触りのいい志乃の身体の中で、ここが一番柔らかく、薄く、壊れてし  
まいそうに思えた。まさかここに何もしないままいきなり猛りきったものを突っ込む訳にはいかな  
い。宥めるように、ほぐすように丹念に幾枚もの花弁で閉じられた女陰に舌を這わせ、徐々に慣  
らしていく。伍助には何の経験も知識もなかったが、とにかくそうすれば事が容易になると思って  
のことだ。  
そうしているうちに、内部からぬめるものが滲み出してくる。ああ、これが濡れるというものかと心  
密かに感激しながらちらりと志乃を見遣れば、感じ入るあまり夜着の端を噛んで必死に漏れる声  
を殺していた。その風情がいかにも婀娜な女のようで、股間の一物は更に硬度を増す。  
口元を濡らしながら顔を上げた伍助と、志乃の視線がかち合った。  
「…志乃」  
「ごっちん…」  
「最初に言ったように、大事にするぞ」  
「うん、ありがとう…」  
愛らしい妻はまた涙ぐんだのか、すん、と鼻が鳴る。  
「もうお主を決して泣かせん。オレは志乃を守りきれる夫になるぞ」  
「…ん、うん…」  
涙に濡れながら微笑む顔が、素晴らしく美しかった。すべすべとした頬を一度軽く撫でると、先  
程まで舌で愛撫していた女陰に限界まで硬く熱く張り詰めた一物の先端をぐっと強引に擦りつ  
けた。ぬらぬらとしたものが絡みついて一物を濡らしていく。  
「うぁん…」  
あまりの感覚に、また志乃の喉が綺麗に反った。ひくんと乳房が揺れる。  
「志乃ぉ…」  
この女はオレだけのものだ。  
そんな思いで一杯になって、これまでの気遣いもすっかり忘れた伍助は柔らかな女陰に剛直を  
いきなり突き立てた。  
「あぁんんっ!」  
「志乃、志乃ぉ…」  
完全にくしゃくしゃになった布団の上で、ようやく結ばれた幼い夫婦が夢中で睦み合う。  
志乃の膣内は熱くてとろとろになっていた。それがひどく心地良くて、配慮を忘れた伍助は腰を  
使って奥の奥まで突き続けた。これほど愛する妻と睦むのが良いものだと知っていたら、小難し  
いことを色々考えなければ良かったと思うほどにそれは魅惑に満ちていた。  
もう、何も考えられない。  
 
蝋燭の炎が、ぼうと鳴っていた。  
室内の淫気を察してでもいるのだろうか。  
幼い夫婦は結ばれた喜びに溢れながら一緒の高みを目指そうとしていた。指を絡め、舌を絡め  
てどこも決して離れることのないように繋がり合っている。  
「志乃、志乃…オレは離さんぞ、お主を」  
「うん、離さ、ないで!アタシ」  
愛らしい唇が、ふるりと震えていた。  
「アタシを、ごっちんの中に閉じ込めてぇっ!」  
その瞬間に、志乃を隅々までも犯す一物は欲望を吐き出して果てた。高まりきっていた志乃も  
その刺激で達したようだった。  
 
しばらく抱き合ったまま息を整えていた二人は、我に帰るなりいきなり吹き出してしまった。  
「…ぷっ」  
「…はは、はははっ」  
「おっかしーい。ごっちん、すっごい真剣なんだもん」  
「わ、笑うな。オレの気持ちはなあ…」  
少しの間笑い合った後、志乃はそうっと寄り添ってきた。  
「…嬉しかったよ。アタシを本当に大事にしてくれたし」  
「志乃」  
「アタシ、ごっちんの籠の中に一生いるね」  
「あ、ああ…そのつもりだ。お主はオレの妻だからな」  
「うん…」  
それきり、黙り込んだまま二人は眠り込むまでの時を静かに過ごしていく。  
 
籠の鳥。  
言葉の意味としてはそう良いものではない。  
だが、年若くして望まぬまま悲しい目に遭った志乃にとっては、ようやく心の平穏を感じることの  
出来る生活の中で得ようとしている価値観だ。  
それならば、是非もなくひたすら守っていこう。  
伍助の意思は単純にそう決まっていた。  
 
二人の穏やかな生活は、事もなく続いていく。  
昨日から今日、そして明日へと。  
 
「ごっちん、朝だよー」  
朝餉が出来たらしく、元気な声で志乃は伍助がまだ寝入っている部屋まで呼びに来た。あれか  
らというもの、毎晩のように睦んでいるせいか朝は眠くて仕方ない。  
正直、志乃の体力が羨ましいほどだ。  
「ぅあー…」  
「なーに、まだ眠い?」  
布団の中でもぞもぞ身体を動かす伍助を眺めて、志乃はからっと笑った。今日という日もいつも  
のように穏やかに幸せに続いていくのだろう。  
 
 
 
終わり  
 

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