「…ごっちん?」  
全てを捧げる決心をして身を寄せたものの、次の一手がなかなか降りてこないことに  
業を煮やした志乃は、恐る恐る硬く閉じていた目を開いた。  
「ぐーぐー…」  
志乃の腕の中で、伍助は涎を垂らしながら規則正しい寝息を立てている。  
「もしかして、寝ちゃってるの…?」  
返事の代わりに、気持ちの良さそうないびきが返ってきた。  
志乃は唖然とした。  
「ごっちんのばかー!」  
散々に翻弄された末、すっかりその気になったところで、まさか放置されようとは。  
あまりの仕打ちに呆気に取られないでもなかったが、子供のような伍助の寝顔を  
見ていると「続きしよー!!」などと起こす気にもなれない。  
何事も無かったように寝入る伍助の姿に、内心ほっとしているのも事実だった。  
なるようになれとは思いながらも、やはり初めてのことを致すのに、付け焼刃の覚悟では  
心許なかった。  
それにしても、と志乃は溜息を吐いた。  
「…なんでこんな間合いで寝れるかなー?」  
伍助の不器用さは自他共に認められているらしいが、こうまでくると逆に器用なのではないか。  
或いは、もしかしたら最初から寝ていたのかもしれない。  
思えば、表情は虚ろだったし、目が開いていても焦点が合っていなかった。  
媾合を迫っているにしては興奮している様子もなく、要するに寝惚けていたのだろう。  
そう考えれば、らしくない行動も合点がいく。  
 
「おやすみ、ごっちん」  
傍らの夫に倣い、自らも眠りに就こうとするものの、一度意識してしまった体がどうにも  
疼いて仕方ない。  
やけに落ち着かないと思ったら、脚の間に伍助の手を挟んだままなことに気がついた。  
なにしろ今しがたまで志乃を弄っていた手なのだから、とんだ置き土産である。  
こんな不自然な状態では眠れそうにない。  
「んっ」  
もぞもぞと脚を動かして、伍助の手を押し出そうと試みる。  
しかし、纏わり付く着物や夜着の重みに妨げられ、なかなか思うようにいかない。  
思い切って大胆に脚を摩り、腰を揺すってみれば、伍助の指先がほとを掠めた。  
「ひゃぁっ…」  
想定外の、えもいわれぬ感覚に身をよじらせる。  
撫で上げるような柔らかな刺激だが、先程の愛撫で解けていた体には覿面だった。  
思わず酔い痴れそうになったところで、志乃は邪念を払うように首を振る。  
作業、作業と自分に言い聞かせ、意識では離そうとしながら、昂り始めている体が、  
夫の手を感じる部分へと自ら導いていることに、まだ志乃は気づいていない。  
次第に火照りだした肌に絡む無骨な男の指と、そこから続く目の前のあどけない寝顔とが  
頭の中で繋がらず、軽い混乱に陥り瞳を閉じれば、視覚を失ったことにより敏感になった  
触覚が、これは先刻の続きなのだと錯覚させる。  
行燈の灯りが消え、あたりが薄闇に包まれたことを目蓋の裏で感じると、自分の輪郭も夜に  
溶けてゆくようで、零れた声は現実感をなくしたまま宙へ揺蕩う。  
快感に身を委ねながらいつしか志乃は、伍助に優しく掻き抱かれる幻の中にいた。  
虚構じみた認識の狭間で、奥で生じた熱だけが意味を伴って存在している気がした。  
かたちは自分のそれとたいして変わらないのに、質感は凡そ似つかない厚く暖かい指の腹で  
触れたことのない蕾を探り当てたとき、律動しているのは自分の方なのだとようやく理解する。  
僅かに羞恥を覚えるも、すぐさま訪れた悦楽に押し流されてしまう。  
そうして当初の目的も忘れ果てた頃、一際大きな波が押し寄せるのを感じた。  
「欲しい」と訴えるように、体全体が喘いでいる。  
堪らず志乃は伍助の腕を掴み、強く擦りつけながら引き上げた。  
「〜〜〜〜〜!!」  
甘い痺れの中で、志乃は、真っ白な光が、全身に駆け巡るのを、見た。  
 
……。  
頭が、ぼーっとする。  
甘美な余韻と、泳いだ後にも似た疲労感が落ち着いたところで、朧に瞬きをすれば、  
なにも知らずに眠りこける伍助の姿が目に入った。  
伍助は、解放された手で首筋の辺りを掻き、ごちゃごちゃと言葉にならない寝言を  
零しながら寝返りを打っている。  
志乃は急速に夢心地から醒め、自分の行為に後ろめたさを感じた。  
腰巻の淫らな湿りが温度を失い、志乃の尻をひんやりさせた。  
 
 
翌日、まるでいつもどおりの朝が訪れた。  
志乃の方が先に起きて家事なり道場の掃除なりに取り掛かるので、目覚めを同じ布団で  
迎えることもなかった。  
起こしに行った際、どこか伍助の態度がぎこちない気もしたが、元から伍助はそんな感じだと  
思えなくもない。  
昨夜の一件には触れない方がいいのだろうかとも思ったが、あまり有耶無耶にするのも  
居心地が悪く、それとなく確認してみることにした。  
「ごっちん、夕べのことなんだけど…」  
どう切り出したらいいかわからず、朝食に手を掛けながら、志乃は探りを入れてみる。  
「や、やはり何かあったのだな!?」  
「『やはり』って…」  
「い、いや、実は何も覚えがないのだが…。ただ、どうにも今朝は」  
伍助は眉をしかめて、言い難そうに言葉を濁す。  
その頬は心なしか赤らんでいるようにも見えた。  
「夢見が悪かった。というか、良かった、というか…」  
「どんな夢?」  
「それがよく覚えておらぬのだ…」  
夕べ自分のしたことを夢だと思っているのか、それとも全く別の話として他に夢を見たのか、  
曖昧すぎて言っていることがよくわからなかったが、何も覚えていないなら、わざわざ  
鮮明に説明することでもあるまい、と志乃は思った。  
「なんにもないよ!!ご飯食べよ!!」  
「そ、そうか」  
伍助はどこか納得してなさげではあったが、安堵の表情を浮かべながら味噌汁を啜った。  
 
伍助を仕事に送り出してから、志乃は庭にたらいを引っ張り出し、水を張る。  
いつもより洗濯物が少ない気もしたが、さして気にも止めずにしゃがみ込み、まずは  
汚れた腰巻に手を掛ける。  
いつもより念入りに洗いながら、昨夜の感覚を思い出しそうになり、かき消すように慌てて  
冷たい水を跳ねさせた。  
秋晴れの空はからっとして気持ち良く、正に洗濯日和だった。  
日差しの眩しさに目を細めながら、ちらちらと影が行き過ぎるのを感じ、顔を上げる。  
抜けるような青空を仰げば、物干しの上で、これまた念入りに洗われたらしい真っ白な  
一枚の褌が、ひらひらと微風にはためいているのが見えた。  
 
 
(終わり)  
 

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