浅い眠りの中で寝返りを打つと、ぼんやりと目が覚めた。  
行燈の灯りがまだ煌々としているところをみると、まだ夜はそれほど更けてないらしい。  
寝ぼけ眼をこすりながら、ふと隣の布団を見やれば、まだ起きていたらしい志乃と目が合った。  
なんとなく微笑みかけると、志乃が満面の笑顔を返してくれるものだからたまらなく愛おしく  
なってしまう。  
なにか話しかけてみたくなったが、言葉が浮かばない。  
志乃が忍び泣きをしていた頃の名残か、各々の床に就き「おやすみ」を交わした後は、  
お互いに押し黙ってしまう。  
そんなふうに普段は寝床で干渉し合わないものだから、見つめ合うことも初めてで、  
視線の逸らし方すらわからない。  
「……」  
そっと、手を伸ばしてみる。  
二人の布団の距離は畳一枚分。  
届くわけがない。  
そもそも、何ゆえ手を伸ばしたりしてしまったのか。  
まァいいか…。  
眠気のせいか、思考がはっきりしない。  
自分の行為の意味もわからないまま、うとうとと再びまどろみそうになったとき、ふと、  
指先に感触があった。  
向こうから志乃も手を伸ばし、伍助の指に触ったのだった。  
しめたとばかりに握り返すと、志乃の口元から欠けた歯が覗いた。  
手の冷たい女子は心が温かいとはいったもので、志乃も例外ではないと伍助は心の  
中でうなずいた。  
とはいえ、冷え性を患うのは、家事に内職と自分のために尽くしてくれているせいだろうと  
思い当たると申し訳がなく、そのささくれ立った手を労わるように撫で、指を絡めた。  
そんな様子をじっと見つめる志乃が、与えられた温もりに満悦して微笑む。  
繋がれた手をくいっと引き寄せると、志乃は促されるように、立ち膝のような四つんばいの  
ような格好で器用に伍助の布団に滑り込んで来た。  
 
「えへへへへ」  
志乃が体を預けた反動で、一瞬ぽふっと膨れ上がった伍助の布団が陽だまりのにおいを  
吐き出した。  
きっと今日も昼間に志乃が干してくれていたのだろう。  
仕事や道場で家を開けている間の、離れて過ごす志乃の様子が、こういった痕跡によって  
うかがい知れることを、伍助はうれしく思った。  
枕がなくては辛いだろうと差し出した腕にちょこんと頭を乗せ、左半身を下にして伍助の方を  
向くように横になった志乃は、はにかんだような笑い声を上げた。  
思えば、二人で一つ布団に入るなど、初めてのことである。  
今まで、そうしてみたいと心密かに願いながらも実行に至れなかったのはひとえに伍助の  
奥手さゆえなのだが、このときばかりは極度の眠気が照れ臭さより勝ってしまっているらしい。  
こんなに近くにいて、いつもなら昂るはずの動悸も、一向にその気配がない。  
そうしてる間にも、いつのまにか伍助の手のひらは志乃の太腿の上を行ったり来たりしている。  
な、なにをやっているのだ…。  
ふいに我に返り焦った矢先から、まァいいか…と思考を眠気に遮断され、抗う力も失せてしまう。  
そうしてそのまま、うつらうつらと舟をこぎだしてしまった。  
 
「…ごっち、んっ…ぁ…」  
咎めるような志乃の声で再び意識を取り戻したとき、伍助の手は志乃の  
着物の裾から中に侵入していて、直に内腿のしなやかな感触を貪っていた。  
劣情を帯び出した伍助の手つきに、志乃の小さな体はぴくりと跳ねる。  
「す」  
すまん!…と言おうとしたが、声にならない。  
手を離そうとしても、まるで金縛りにあっているように、体がいうことをきかない。  
頭や手足が目覚めても、中枢神経は未だ夢の中らしい。  
いかん。よせ。よすのだ、伍助。  
頭の中で必死に念じてみるものの、まるで別の生きもののように通じず、まるで自分が  
二人いるような感覚さえ覚える。  
志乃は抵抗こそしないものの、普段は見せないような真っ赤な顔で、伍助の腕に頭を  
預けたまま俯いている。  
そして、やや上目遣いで伍助を見つめる瞳は、困惑の色を纏っていた。  
 
無理もない。  
布団に招かれた時点で淫靡な雰囲気になだれ込むという察しがついてもいいものだし、  
応じた時点で了承を得たと解釈しても不思議はないのだが、閨を重ねた間柄ならいざ知らず、  
伍助と志乃は、いくら夫婦とはいえ媾合ったこともなければ抱擁も口吸いもしたことのない  
清い仲なのだ。  
好いた相手であるからこそ、触れられるのが嫌なわけではないし、求められたら応えよう  
といった心意気は持ち合わせていたのだが、ままごとみたいな結婚生活に満足していた  
志乃にとって、それはもう少し先の話だと思っていた。  
導かれるまま一つ床に就いた志乃の思惑は、ただ「寄り添って眠りたい」という、実に  
可愛らしいものだった。  
 
伍助とて、なにも今すぐ志乃の体を拓くつもりなど毛頭ない。  
第一、こうして同じ布団の中に志乃がいるという事実すら自分で招いた実感がないのだ。  
けれども、いくら白川夜船の最中の行為とはいえ、志乃の脚を妖しく撫でまわしているのは  
紛れもなく伍助自身の手である。  
責められたとて、なにも言い逃れはできまい。  
朴念仁な表面を取っ払ってしまえば、伍助も年相応の欲望を内々に抱く健康な男子なのであろう。  
否定するつもりはないが、それにしたってやはりこの状況はまずい気がした。  
夫婦なのだから、志乃をどうにかする権利は確かに自分にはあるのだろうが、自分の意に  
反して体が勝手に内なる望みを叶えても、精神の悦びは感じられない。  
そんなのは、志乃にも申し訳がない。  
志乃に触るときは、真摯な愛情を持って臨み、どんなに大切に想っているか伝えたいのだ。  
今のようなまともでない状態では、卑しい情欲しか汲み取ってもらえないであろう。  
己を乗っ取らんとするおどろしき睡魔に、屈してしまうわけにはいかない。  
伍助は気を踏ん張り、唇に神経を集中させた。  
 
「志…、…乃…」  
遠ざかる意識を手繰るように繋ぎとめ、覿面な呪文を唱えるように、妻の名前を呼ぶ。  
しかし、声を搾り出すことで精魂尽きてしまったのか、力の抜けたまぶたがゆっくりと降りてゆく。  
もはや自分がなにをしているかすら把握できない。  
じりじりと蠢く手が奥まったところへ向かっている気がする。ふわふわしたものを梳いて  
いる気がする。指先がじんわり湿っている気がする。吐息の混じった、聴いたことのない声が  
聴こえる気がする。けれども、なんだかもうどうでもいい。どうでもいいわけなかろう。眠い。  
眠いし、どうでもいいような気がするし、眠い。  
……。  
怒られたら、寝相がものすごく悪かったことにしよう…  
振り絞った気力で必死に言い訳を考えながら、とうとう伍助は、忍び寄る夢現への誘いに  
意識を明け渡してしまった。。  
志乃よ、すまぬ…。  
と、最後に伍助が心の中で詫びるや否や、「えい!」と意を決したらしい志乃が、手弱かな  
腕を伍助の首にまわしてきた。  
「ごっちん、好きっ!!」  
閉じかけた眼を丸くし、伍助は息を飲む。  
そうして引き寄せられるように志乃の薄い胸元に顔を埋めた瞬間、初めて味わうその  
柔らかな心地に恍惚とする間もなく、ぎゅっと眼を閉じて頬を染めながら自らの覚悟に  
動揺する志乃の鼓動の熱さを零の距離で感じる間もなく、突如として、先刻までとは比べ  
ものにならないほどの強烈な、泥の如き眠気にいきなり襲われ、荒波に飲み込まれるように、  
唐突に、伍助は深い深い眠りの淵に堕ちた。  
 
 
(終わり)  
 
 

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