触れる、というよりはあまりにも深い接触だった。
縁側に置いた湯呑みに枯れ葉が落ち、まだろくに手も付けていない茶が波紋を描きながら
ゆるやかに冷めていったが、対して伍助の体は湯上りみたいに急速に上気していく。
静かな月夜だというのに、祭囃子のような心臓の音がやかましい。
ふと、果たしてこれはどちらの心音だろうと思い、なんとなく逸らしていた視線を正せば、
向かい合う妻の顔が一瞬、姿見に映った自分かと錯覚させられた。
真っ直ぐに見つめ合う志乃の頬は、結合に昂ぶる伍助の熱さを反射させたように紅く染まっている。
切なげに歪む眉、あどけなく結ばれた唇、色づいた肌はうっすら汗ばみ、剥き出しの額に
結わえた前髪のおくれ毛が幾本か貼り付いている様は、そこはかとなく艶めかしい。
志乃のこんな表情を、伍助は初めて見た。
結婚してから半年以上が過ぎて、笑い顔や泣き顔、困った顔、笑いながらの怒り顔、
様々な志乃を知ったつもりでいたが、目の前の顔は今までになく、女であった。
そうして伍助は、これまで用いてきた「妻」だの「夫」だのという言葉が、「父」や「母」、「兄」
といった認識の延長上にあったことを、今更のように自覚した。
仕方のないことにも思える。
出会ったときから、女だなどと意識する前から、志乃は妻の顔をして現れたのだ。
末永く仲睦まじく暮らしたい、という気持ちは当初から変わらぬままだが、その意味合いの
内なる変化に気づいたのも最近のこと。
今、こうして肌を合わせることに悦びを感じるのも、成り行きとはいえ夫婦と相成った妻だから
ではなく、志乃だから、なのだろう。
あふれそうな想いを伝える言葉が見つからず、代わりに力を込めれば、繋がっている部分が
水気を増した。
「…ふ……」
志乃が吐息を漏らす。
痛かったのかもしれぬ、と体の結び目を解こうとした伍助を、志乃が小さく首を振って制した。
いつもは饒舌で天真爛漫な志乃が垣間見せた、いじらしい意外な一面に、伍助の胸は高鳴る。
そして、この熱を欲しているのは自分だけではないのだという確信が、愛おしさを更に募らせた。
鼓動が重なり、体温が溶け合い、心までもが境界を無くしているというのに、自分達を唯一
隔てる体の輪郭がもどかしくて堪らない。
けれども、ちらりと横目を振れば、生成り色の障子を彩る二人の影が、まるで一つの
生きものにしか見えず、思わず伍助は赤面した。
ようやく一歩踏み出した若い夫婦を、月明かりが優しく照らしている。
きっと、そう遠くない未来、この先にある濃密で激しくも甘い愛のかたちを知る。
そんな予感を孕みながら、人一人分の間隔を空けて腰掛ける二人は、その距離を縮めようとも
せず、今はただ握り合った手のひらから互いの存在を感じるだけで、充分に幸福だった。
(終)