隣家の生垣の椿が咲き始めている。  
その名の通り春の訪れを喜ぶように誇らしく咲く花だ。  
 
遠くで名も知れない鳥の声が高らかに聞こえる。  
うらうらと暖かい縁側で赤子をあやしながら志乃はあくびを一つ。  
「いーい陽気だねー」  
空は青く、今まさに午後に入ろうとする陽はかなり高い。  
一月前に生まれたばかりのミツキは、ややむずかるように頬を動かしたものの、眠気  
が勝ったのかすぐに寝入ってしまった。  
夫の伍助の昼餉は先刻用意して一通り膳に乗せてはいるが、やはりいつものように  
二人揃って食べたい気持ちがある。気持ち良さそうに眠る赤子のミツキに誘われるよう  
に眠気を覚え、重たい瞼を擦りながらもこくりこくりと舟を漕ぐ志乃はやはり知らず知ら  
ずに慣れぬ育児疲れが溜まっていたのだろう。  
 
「志乃、どこだ」  
先程から伍助の腹の虫がしきりにぐうと催促をしている。  
登城のない日、奥の自室で仕事の残りを片付けている時であれば『ごっちん、ご飯出  
来たよー』と元気に呼びに来る志乃の声がない。  
時刻に正確な妻でもあるのに面妖なことだと腰を上げて台所へ行くも、主菜副菜が乗  
った膳が二つとまだほんのりと温い竈があるだけだ。  
離れに住む母はたまに顔を見せるものの若い二人に一切干渉しない。終の棲家を得  
たのだからと同じような身の上の友人を得て毎日気ままに名所旧跡を回っているよう  
である。だからついさっきまで志乃が昼餉を作る為にここにいたということで、尚更気に  
なる。  
「妙だな」  
今は幼いミツキもいることだしまさか何事か異変でも、といつもの癖で悪い考えに陥り  
かけながら片っ端から部屋を覗いて回る。  
「志…」  
逸る気持ちで最後に襖を開けた座敷に二人はいた。気持ち良さそうにすうすうと寝息を  
たてている柔らかな頬のミツキと、側で守るように寄り添いながらやはり深く寝入ってい  
る志乃は面白いほどにそっくり同じ顔をしている。  
 
不思議なことに今の今までの焦っていた気持ちがすうっと消えていった。  
これは何という奇跡か。  
少し前までは志乃だけが何よりも大切な宝だった。志乃を守る為ならばどんなことでも  
必死で頑張れたし、実際に以前の自分ではとても適わないほどの力が出せた。  
なのに今ではそんなかけがえのないものが二つに増えている。それがきっと幸せという  
ものなのだろう。  
腹の虫が何やらわめくのもすっかり忘れて、伍助はそうっと志乃に近付いた。ここでミツ  
キがむずかって泣きでもしたら折角のこの静謐な空気が壊れてしまう。そんな極限の  
配慮が功を奏したのか、二人が目覚める気配はない。  
だが、不意に志乃が身じろぎをして伍助に向き直った。  
「志乃」  
「んー…」  
今はどんな夢の中にいるのか、志乃はいつものように幸せそうに涎を垂らしながら頬を  
緩めている。畳の上に投げ出している腕がいかにも無防備で、思わず淫心がそそられ  
たが決して罪ではないだろう。  
 
どくどく跳ねて飛び出しそうな心の臓を抑えながらも神よ仏よ南無三、と念じながら着物  
の裾から剥き出しになった真っ白な腿を撫でる。閨の暗がりでは肌触りでしか察すること  
の出来ない肌理の細かさが掌に心地良く伝わる。  
「ン」  
何かが夢の中へも伝わったのか、志乃の頬がほんのりと染まって誠に愛らしい。  
見た目こそ出会った頃のあどけない少女と全く同じでも、今はこうして夫に馴染みきった  
身体の妻女となっていることが無性に嬉しかった。なのでほんの悪戯程度で済ませるつ  
もりだったこの戯れを更に続けてみようという気になる。慎重ないつもの伍助らしくもない  
ことだが、それもまた夫婦として醸されてきた時間があるからこそだ。  
「全く…そのような姿、他の誰にも見せるなよ」  
無防備だからこその艶かしさに、生唾を飲み込んで裾の奥へと手を滑らせる。その奥に  
は伍助でさえもほとんど目にすることのない法悦の場所がある。指先に感じる一番奥の  
感触は更に胸騒ぐほどにひどく柔らかい。そしてしっとりと潤んでいる。  
「ァ…」  
触れた途端にふっくらと愛らしい唇と頬が咲き誇る椿のように色付く。  
 
勝手なものだが、こんな風に寝込みを襲っているにも関わらず悪くない反応をしてくれる  
ならとますます男の本能で図に乗るばかりだ。こうなっては、もう止められない。  
「済まんな、志乃」  
女の着物の帯の緩め方など一切知らぬ無粋な伍助のことだ、そのままでは苦しかろう  
と案じても欲望だけが先走って相変わらず寝入ったままの志乃の襟を強引に割って裾  
をはだける。  
普段は晒されることのない真っ白な乳房が襦袢越しに覗いた途端、伍助はとうとう我を  
忘れてしまった。決して豊満ではないながらも良く手に馴染む形の良い乳房を両手で  
捏ね、赤子のように頬を摺り寄せた。  
こんなにいいものをいつも独占しているミツキが正直羨ましい。そう思えるほどに心地の  
良い滑らかさが伝わる。それだからこそ今だけは独り占めしたい気持ちが爆発的に膨れ  
上がって、乳房を嬲りながらも片手の指が蕩け出している下肢の奥を忙しなく掻く。下帯  
の下で今にもはちきれそうになっている一物を頃は好機と取り出そうとしていた。  
その時。  
「あぁんっ…」  
妖しい感触にふるふると緩く震えていた乳房がびくんと跳ね、唐突に志乃がうっすらと  
瞼を開いた。  
「…志乃」  
「ごっちん…」  
 
まさに狼藉の真っ最中だという罰の悪さに口篭る伍助だったが、志乃の表情はぼんやり  
としたままだ。だが、次の瞬間に見たこともないほど艶然とした笑みを浮かべて一層鮮  
やかに頬を染めた。  
「ごっちん、いっぱい抱っこして…」  
「志、志乃っ…」  
恐らく志乃はいまだ寝惚けているのだろう。でなければとても有り得ないほどの女の顔  
の微笑だ。  
完全に魅入られ、伍助は夢中で全身の鼓動の全てがそこに集中して滾っている一物を  
握ると、潤みきっている志乃の奥にぐいと擦り付けた。  
「ン…熱、ごっちん…」  
意識だけが夢の中にいる志乃が、健気に細い両腕を回して応えてくる。それが合図に  
思えて一気に身を沈めていった。待ち受けたようにきゅうっと締め上げてくる内部の感触  
がいい。こうして交わる度にそこがどんどん感度を上げていくのが嬉しかった。志乃が女  
として成熟していくのを間近で見られることも。  
「志乃、志乃…」  
「あ、ぁ…ごっちん、奥まで来るよおぉっ…」  
「いいのか、志乃」  
「ん、うん…気持ちいい…よおっ…」  
折れそうに細い身体を夢見心地で抱き締めながら淫欲のままに何度も突き上げている  
伍助は、これ以上ない幸せを実感して珍しくも頭の中が霞みかけていた。  
 
「ごっちんの、バカ」  
きゃあきゃあと機嫌良く笑っているミツキを抱いて、身支度を整えた志乃はぷうっと頬を  
膨らませている。  
決して怒ってはいないのは茹でたように真っ赤な顔で分かる。だが思わず土下座をして  
しまうのは伍助の生来の生真面目さゆえだろう。  
「済まん、志乃。つい…許してくれ…」  
畳の目の跡がくっきり残るほど、ごりごりと額を擦り付けて伍助はただ志乃に許しを請う  
ていた。  
「これからもあたしがお昼寝してたら、ごっちんいつもああするの?」  
「いや、それは、その…」  
「誰かに同じことしちゃ嫌だよ」  
「勿論だ、それは誓って言う」  
「じゃ…いいよ」  
馬鹿正直にまだ畳と仲良しになっている伍助にも、志乃の声音に笑いが含まれている  
のが感じられた。なのでそろりと顔を上げる。  
「本当か」  
「ん。あたしごっちんの奥さんだもん。みんなこうやって色々しながらいっぱい仲良くなって  
いくんだもんね」  
 
ミツキの頬を指でつつきながら、志乃が母親の顔で笑う。  
幸せはこれで全部じゃない、まだこれからも続いていくし増えていく。結婚した頃の少女  
のままの志乃が日を追うごと、仲を深めるごとに次第に麗しく艶かしく変化していくのが  
その証拠のように思える。  
この可愛い妻がいつも元気で明るく幸せに過ごしているうちは、伍助も同じだけ幸せでい  
られるのだろう。  
ならば決して二度とその顔を曇らせてはいけない、悲しませてもいけない。  
単純なそれだけを強く決意した。  
「これからも、いっぱい仲良くしようね」  
「…勿論だ、志乃」  
「…えへへー…じゃ、遅くなったけど一緒にご飯食べよ」  
 
隣家の生垣には椿。そして往来には梅。  
これから更に数え切れないほどたくさんの花が咲き揃う季節が始まろうとしている。一層  
彩りを増す世の中をミツキを連れて志乃と一緒に眺めに行こう。鳩の鳴き声だけでも大笑  
いする志乃のことだから、さぞかし花盛りの季節には喜ぶに違いない。  
 
 
 
終わり  
 

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