ここ数日というもの、止まない雨が続いている。
梅雨時だから当然とはいえ、どこに行くにも傘を差さなければいけない日が何日も続くのは正直
煩わしい。それに洗濯物も乾きにくいから参っている。
そんな雨の日の夕方、夕餉の支度を始めたミツキの足元に一体どこから入って来たのか一匹の
雨蛙がいた。
「あ…」
うっかり踏んだら大変とばかりに摘まんで手に乗せると、緑色の雨蛙は置物のようにちんまりと
納まってしまった。
「ふふっ、かーわいい」
元々ミツキはどんな虫でも平気なたちだ。虫どころか蛇だって平気で触れる。小さい頃からよく
屋敷に迷い込んできた小さい蛇を、母親が掴み上げては逃がしていたのを覚えている。
最近あまり見ていなかったこともあって、ついしばらくの間見蕩れているうちに入り口の木戸が
叩かれた。
「ミツキちゃん、いるー?」
この時間に来るといえば、隣のマサツネぐらいしかいない。
「うん、いるよ」
うっかりいつものように返事をしてしまったが、雨蛙はどうしようと思っているうちに木戸が開け
られる。
「あのさ…うわっ」
すぐに入って来ようとしたらしいが、ミツキの手に乗っている雨蛙を真っ先に見つけて一瞬固まっ
てしまう。だが、珍しいものでも見るように目が釘付けになっていた。
「へえー、今年初めて見た」
「でしょ、アタシもびっくりしちゃった。でもこんなところにいたら危ないから逃がすね」
大人しく手に乗っている雨蛙は、裏の窓を開けて外に出してやった。まだ表よりは危険が少ない
ので幾らかましだろう。それに、あまり構っていると余計に雨が長引きそうな気もした。
「あ、もう支度してた?」
食材が置かれている台所の様子を見て、マサツネが声をかける。雨蛙を逃がし終えたミツキは
曖昧な笑いを浮かべた。
「うん…でもまだ何作るか決めてなかったの。一人で食べてるといい加減になっちゃってて」
このところ、マサツネには腕を見込まれて誂え物の仕事が少しずつ増えてきていた。客の寸法を
測っては一から身丈に合わせて仕上げていくだけに、傍目からも小口で数をこなしていた頃とは
違う大変さが伺えて、あまり一緒にいられなくなっていたのだ。
「そっか…じゃ、ウチに来る理由が出来たね」
「え?」
「さっき仕事も一段落したし、ミツキちゃんのご飯、食べたいなーって思ったから」
マサツネは相変わらず屈託がない。仕事に没頭している時はミツキのことなどすっかり忘れて
しまったように声すらかけなくなるのに、終わった途端にこれだ。しかも寂しいと思っている頃を
見計らってでもいるようにこんなことを言ってくる。
そのあまりの呑気さに、怒りなのか悲しさなのか分からないものが一度に湧き出した。
「…バカッ!!」
もちろん、会いに来てくれたのは嬉しいし、ただの八つ当たりをしているだけなのは充分分かって
いる。だからこそ余計にマサツネや、勝手に怒っている自分にまで腹が立つのだ。
「え、ミツキちゃん…?」
当然、何でミツキが怒っているのかさっぱり分からないマサツネはおろおろしている。しかしそれ
なりに付き合いも長くなってきている上に、まだ口約束だけではあるが将来は夫婦になることを
決めているだけに、ある程度の把握は出来ているようだ。
「もしかして、放っておかれたって思ってる…?ごめんね」
「そんな…ことじゃないもんっ」
いきなり図星を突かれて、言葉に詰まるものの必死で否定する。今日もどうせ一人で食べること
になるのだろうと思っていただけに、まだ気持ちが落ち着いていないのだ。
「ごめん、ミツキちゃん」
「だから違うったら…」
まだ意地を張って誤魔化そうとしていたミツキは、肩を抱き寄せられて息を呑んだ。
「一緒にご飯食べようよ、ね?」
怒るでもなく、無意味に宥めるでもなく、そんなことを言われると妙な意地を張っているのも馬鹿
馬鹿しくなってしまう。それもまた、二人の間に確実に築かれつつある絆が成す力というものなの
だろうか。
「う…ん。いいよ…」
「よし、決まり」
承諾の返事を聞いた途端、弾けるように笑って唇を吸ってきた。突然のことで一切反応が出来な
かったことが悔しい。
「何すんのっ!」
真っ赤な顔をして拳を振り上げるミツキだったが、それほど怒りはなかった。
雨はあまり好きじゃない。
何日も降り続く雨はもっと好きになれない。
ただ、一人で過ごさなくて住む雨の日なら話は別だ。
「嬉しいなあ、やっとミツキちゃんとしっぽ」
「余計なことは言わない!」
まだ暗くもなっていないうちからとんでもないことを言い出しそうなマサツネには、今日も大変な
思いをしそうだ。それでも、一人でいるよりは遥かにいい。
降り続ける雨の音を聞きながら、ミツキの心はほんのりと温もっていた。
終わり