止まない雨が続いている。  
夕餉のひとときを終えて片付けも一段落した頃、ミツキは狭い部屋の片隅に一纏めにしてある  
マサツネの仕事道具に目を奪われた。そういえば何度もこの部屋に来たにも関わらず、今まで  
特に目を留めることなどなかった気がする。  
散らかっている訳ではないが、とりあえず片隅に置いてある感じで雑然としていて、妙に存在感  
を感じたので目を引かれたのだ。  
「マサツネくん、これ…触ってもいいかな」  
台所でまだ椀や膳をしまっていたマサツネは、特に頓着のない様子で言葉を返す。  
「いいよ。でも針箱には気をつけて」  
「分かった、散らかさないからね」  
夜の暗がりの中で針など落としたら大変だ。それだけは気をつけて慎重に一つ一つ手に取って  
いく。指抜きも定規も随分使い込まれたものばかりだったが手入れはいいようだ。それだけ愛着  
があるのだろう。普段の仕事振りが伺えるようで何だか嬉しかった。  
そして、一番奥に仕立てあがった着物が畳んであるのを見つける。  
「あ、着物…これも見ていい?」  
ようやく台所から戻って来たマサツネは、当たり前のように側に座ると悪戯っぽく笑う。  
「ミツキちゃんなら、いいよ。いずれ仕立て屋の女房になるんだからさ」  
「…うん」  
愛着のある道具で一から仕立て上げた着物がどれだけ大事なものか、痛いほど分かるだけに  
ますます扱いには慎重にならざるを得ない。決して汚さないようにそうっと取り上げて広げると、  
新しい着物の匂いがふわりと漂った。  
「うわ…」  
几帳面な仕事振りそのままに細かく揃った縫い目にはどこにも一切の乱れがなく、細部に渡って  
生地や糸の処理も完璧に仕上がっている。江戸随一の仕立て屋を目指すと言われた時は大層な  
大言壮語をと思ったものだが、この分ではあと何年もしないうちにそうなるやも知れない。  
「素敵ね」  
「だろ?こういうの好きだからさ」  
「…だと思う。好きな人じゃないと出来ない仕事だもの」  
これもきっと誂え物なのだろう、総絞りの見事な振袖だ。これを身に纏うのは一体どこぞの大店の  
お嬢様か。せめて大事に着て欲しいと願うばかりだ。  
「こんなに細かく縫ってたら、確かに他のことなんて頭から飛んじゃうよね」  
別にもう責めているつもりはなく、ただ改めてマサツネの真摯な態度に感嘆しただけだった。  
 
「そりゃあ、仕事だからさ…」  
「でもいいよ、こんなにすごいの見たらアタシ何も言えない」  
着物を丁寧に畳んだ後、また隅にしまってからとびきりの笑顔を見せた。  
「マサツネくんの本気もしっかり見たよ。だから気にしないでこれからもいい仕事して。アタシも  
負けないように早く道場持つから」  
「ミツキちゃん」  
「ね?」  
励ますつもりで手を握ると、更に握り返される。見つめてくる目が怖いほどに真剣で、少しでも  
茶化すことなど出来ない雰囲気だった。しかし、次の言葉で調子が崩れる。  
「うん、頑張っていい仕立て屋になる。んで、早く夫婦になろっ」  
「…もう、頭の中結局それ?」  
マサツネが考えていることはやっぱり変わらないけれど、それもミツキを思えばこそのものだと  
解釈すれば再び嬉しさが湧いてくる。これまではあまり自覚がなかったものの、この人といつか  
夫婦になるんだという思いが気恥ずかしくも感じてしまった。  
「ホント、しょうがないんだから…」  
「そ、ミツキちゃんの為なら頑張れるよ。俺」  
口調こそ軽いが、マサツネが何に対しても真剣なのはもう分かっている。きっと一緒になったと  
してもそれだけは変わることはない。  
胸が熱くなった瞬間に、雨の音が消え失せた。  
 
畳に投げ出された腕が震える。  
あれから一度抱き合った後だというのに、まだ飽き足らないように肌を探っているマサツネの手の  
温みが心地良い。思わず漏らした吐息をどう解釈したのか、嬉しそうに口を吸ってくる。  
「今夜は帰らないよね?」  
「…さあ」  
「帰さないよ」  
雨の音がまた耳に戻ってくる。元々今夜はもう戻る気もないけれど、それは言わないでおこうと  
思った。  
「どうしようかなあ…」  
わざと焦らすように呟けば、投げ出していた手を取って指を軽く噛んでくる。跡も残らないほどの  
ものだからこそ、そのわずかな感触がそのまま気持ちに直結しているようで面白いと思える。  
いつの間にか、二人にはこんな戯事も普通になってしまっていた。  
 
「なんか蒸し暑い…」  
室内に篭った熱が身体にねっとりと纏わりつくようで、不快に感じた。  
起き上がってぴったりと閉じられた雨戸を少しだけ開けると、額に浮いていた汗がすうっと引いて  
いく。  
襦袢を羽織るそばからまた抱き着かれて、溜息が出た。  
「ねえ、またしようよ」  
「アタシ、明日は早いの」  
「そっか…」  
明らかに残念そうな口調ではあったが、こんな時でもマサツネは決して無理を言わない。いつも  
その気持ちにどことなく甘えているのは分かっているが、その場の感情に流されるばかりでは  
きっとお互いに夢を掴めずにいるばかりだ。  
いつでもどんな時でもある種の線引きをしておくのは必要なことなのだ。  
とはいえ、マサツネと出会ってからは確実に何かが変わったし女にもなった。今はまさにあの  
着物のように、好むところの女へと確実に仕立てられている最中なのだろう。  
「アタシ、マサツネくんの手が好き。針や糸を持って、綺麗な縫い目を作り上げる手が好き」  
「…そう?嬉しいよ」  
頬を撫でてくる手の感触に、いつも以上にうっとりとしてしまう。  
仕立て屋の女房になるのも悪くないなと思った。  
 
 
 
終  
 

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