だるい。  
ミツキはこの数日、あまり体調が良くなかった。  
よって、今日はぐずぐずと布団の中にいて生欠伸をするばかり。  
「あふぁ…」  
何となく今日は外に出たい気持ちになれなかった。  
少し熱もあるとみえてやたら喉が渇く。  
このところ、ようやく近隣の道場に乗り込んでもそこそこまともに手合わせをして貰えるよう  
にはなってきているのだが、会話の端にふと父親の名前が出た途端に相手側が凍りつく  
ことが多い。  
まさか世の中の全ての価値観を一片させる要因になった英雄の娘が、修行がてらに道場  
破りをやらかしているなどと、この新しい世となっても信じられない輩がいるのだ。それも  
まあ仕方ないとして、ぬくぬくと親の庇護の下にいられないのがミツキという娘だ。  
とはいえ、気持ちに身体がついていかないこともままある。頑張り過ぎていると言う人もいる  
だろう。  
今日がそういう日だった。  
何だか、何もかもぎくしゃくしていて落ち着かない。上手くいかない。  
そんな運気の凸凹の隙間に嵌ったような感じがしてもどかしいのに、どうすることも出来ない  
のがじれったかった。  
 
「ミツキちゃーん」  
このまま二度寝しようと決め込んだ頃、外で隣人の呑気な声がした。無視しようにも引き戸  
はどんどん叩かれるし、うるさくて仕方がない。  
「ミツ」  
「あのさ、アタシ調子悪いんだけどぉ」  
寝巻きに半纏を引っ掛け、超絶に不愉快な顔をしてミツキはその無礼な隣人に文句を言い  
に出た。寝起きでざんばら髪なのはもう仕方がない。  
空は夏に近く最高に澄み渡って綺麗な青空。それが今の気分と全く合っていないのが腹立  
たしかった。  
「あ、そっか。悪かった」  
ミツキの不機嫌に臆したのか、頭を掻き掻き隣の仕立て屋マサツネはいつもの能天気な  
表情を顰めた。その手には皿と握り飯が三つ。形も大きさも不揃いだがマサツネらしいなと  
口元が緩む。  
「なんかさー、昨日も帰りが遅かったみたいなんで禄に食ってないと思ってさ」  
隣は釜すらもろくに揃っていない所帯だったように思うが、それでも何とか米があったか火も  
点いたか。貧乏なのはお互い様とはいえ、わざわざ作ってくれたという気持ちだけは純粋に  
嬉しい。  
 
「あ、ありがと…」  
「お互い、身体が資本だから頑張んないとな」  
「…んー」  
皿を受け取ってはみたものの、気分の優れないままに生返事をするミツキに何事かを嗅ぎ  
取ったのか、珍しくマサツネは真顔になった。  
「悪い、もしかしてホントに具合悪いとか?」  
「えっ」  
能天気な隣人はこれで意外と人の心を読むところがある。生半可なことを言ったらかえって  
心配されそうで、ミツキは熱のせいで回らない頭を一生懸命駆使して最上の返事を作り上げ  
ようとしていた。  
「アタシね」  
「起こして悪かった、ゴメン。寝ててよ」  
しかし健康であるだけマサツネの方が言葉も行動も早い。握り飯の乗った皿を持ったままの  
ミツキをひょいっと抱き上げると、そのまま奥へと運んだ。  
「やだ、ちょっと…」  
「悪いことはしないからさ、心配しなくていいって」  
奥の狭い畳の間には昨日から敷きっぱなしで掛け布団も敷布もくちゃくちゃになった布団が  
ある。若い娘としては、そんなものを見られたくなかったのだが、もう仕方がない。そのまま  
寝かせられて幼子のようにあやされる羽目になった。  
 
何となく居心地が悪いような気がしたが、それもまた仕方がない。  
「どうせ今日も暇だから、看病してもいいかな」  
「…う」  
とんでもないことを言い放つ隣人に、くらくらする頭がついていかない。  
「う、ん…」  
「ありがと。ミツキちゃんに頼られるとちょっと嬉しいかも」  
満面の笑顔で髪を撫でられて奇妙な気分だったが、このまま寝ててもいいような心持ちにも  
なっているのがもっと不思議だった。こんな状況で、どうして安心できるのだろうと心の端で  
考える隙もなく、ミツキは寝入ってしまった。  
夢の中で優しくも厳しい両親の面影を見たような気がする。二人に充分に庇護されて、何の  
心配もなく幸せに過ごしていた幼い頃の日々をもう一度辿った気がする。  
 
遠くで鶯の谷渡りの声が聞こえていた。  
ふっと目覚めたミツキの片手を握るように、触れているマサツネの手がひくりと動く。  
「起きた?」  
「…うん」  
入り口の障子戸から伺える日の落ち加減からして、もう夕刻に近い時刻だ。たっぷりと寝た  
お陰か熱も引いたように思えて昨日から何も収めていない腹がぐうぐうとしきりに鳴る。  
「あ…」  
思わず顔が染まった。  
 
「あ、へーきへーき。そろそろ起きる頃だと思って、お粥炊いてるからさ。勝手に釜を借りて  
悪かったけど」  
ミツキが思った以上に気遣いの出来る隣人、マサツネはそれが別に何でもないことのように  
さらりと言ってのけた。  
「んー…そんなことはいいよ。ありがと」  
「どう致しまして♪」  
病み上がりという状況もあろうが、ミツキの心は両親と同等の信頼感に似たもので満たされ  
ていた。実はちょっと心細かったことも手伝って、ずっと側にいてくれたのが無性に嬉しい。  
「水」  
起き上がろうとして、唇から声が零れた。  
「あ、喉渇いた?だよね。ずっと寝てたし」  
当たり前であるようにマサツネは立ち上がり、釜の側にある水瓶から水を汲んで柄杓のまま  
ミツキに渡した。ひんやりとした柄の感触が手に優しい。一口含むと身体中が潤されていく  
ような感覚が広がった。  
そのままごくごくと飲み干してしまう。  
「…おいしー」  
「ん、良かったー。やっとミツキちゃんらしくなったね」  
「へ?」  
からりと笑う顔には何の陰りもない。全てが上手くいかない時があるのはマサツネも同じ  
だろうに、どうしてそんなにいつも笑っていられるのだろうと少し羨ましくなった。  
 
遠くで鶯が一際高く鳴き誇っている。  
「アタシ、駄目だなあ」  
空になった柄杓を握り締めたまま、ミツキは憑き物が落ちたようにふっと微笑む。この世の  
中は全て波がある。今のミツキはその波を逃しているだけで、頑張って生きていればまた  
いつかは波が訪れるに違いない。  
上手くいかない時にがむしゃらにやっても、思い通りにいかなくて当然だ。  
何で今まで気付かなかったのだろう。  
そう考えると、不思議と気が楽になった。  
「ミツキちゃん?」  
何かあったのかと覗き込んでくる顔に、目を逸らすことなく笑いかけると一度大きく深呼吸  
をして今の思いのたけを吐き出す。  
「ずっとついててくれて、ありがと。なんかすごく良く眠れた」  
「そっか、眠れたんなら良かった」  
こつん、と額に額が押し当てられる。  
「うん、熱も下がったみたいだし、もう大丈夫かあ」  
「なっ…」  
いきなり接近されて、充分な睡眠を取って鎮まっていた頭がまたくらくらし始める。今まで  
マサツネに対しては何ひとつ異性を意識したこともなかったのに、急に恥ずかしくなってきて  
再び顔が熱くなった。  
 
このところ色々と疲れ果てていたとはいえ、今日一日ずっと寝顔を見守られてぐうぐう寝て  
いたなんて信じられない。  
「ミツキちゃん、なんか顔赤いよ」  
「…何でもない、から」  
「ホント?」  
「う、うーーー」  
完璧に言葉に詰まってしまったミツキの背後で、粥を炊いている釜がぶくぶくと吹き始めた。  
「あ、やっべ」  
慌てて釜に駆け寄るマサツネを眺めながら、まだ柄杓を握ったままのミツキはこれまでに  
感じたことのない思いが溢れてくるのを実感していた。  
 
お父さん、お母さん、アタシもしかしたら好きな人が出来たかも知れない。  
 

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