真夜中、エリダナ一等地のイルフナン通りの脇道を下って行く、一人の女。  
顔立ちは少女の様にも見えるが、身に纏った藍色の清楚なスーツがそうで無い事を告げていた。  
明日の仕事の内容や、密かに思いを寄せる橙色の髪をした先輩の事を思い返しながら暫く歩き、路地裏から出るという瞬間、見知らぬ男が目の前に現れる。  
後を振り向くと、こちらにももう一人男。  
「ヒッヒッヒ。姉ちゃんよォ。こんな時間に何処行くのヨ。折角だし俺達とちょっとばかし遊んで行かねェ?」  
何処ぞのテンプレートの様な台詞。無視して押しのけようとすると、後から腕を掴まれる。  
「ちょっと待てよォ。わざわざ俺達が声掛けてんのにさ、無視はヒドくない?」  
まったくしつこい。この手のナンパ野郎は軽く脅して黙らすに限る―――。  
鞄を持っていない右手で懐から魔杖短剣を取り出した瞬間、女の体に何かが巻き付く。  
それが化学鋼成系第一階位〈剛鎖〉によって生成されたチタン合金の鎖だと気付いた時には、彼女の腹に拳が付き入れられ、意識が遠のいて行く最中であった。  
――霞み行く意識の中で、魔杖剣を携えた二人の下卑た笑声を聴いた気がした。  
 
「ルップフェットォ!」  
聞き慣れた怒声で目が覚める。ぼんやりとした意識の中でうっすら目を開けると、街灯に照らされてさっきの男達、に何故か緑色の蔦が絡み付いていた。  
どうやらその男達の顔や腕にいくつかの痣や刀傷があるのも見て取れた。  
もう気絶しているのだろう。ピクリとも動かない。  
未だはっきりしない頭でいい気味、だなんて考える。しかし誰がこれを?  
少し考えれば分かる事だ。  
エリダナ市内で、植物を操る咒式士。それにさっきのアルリアン人の呪いらしき罵声。  
「イー、ギ先ぱい……」  
声が掠れる。さっき肺の辺りでも殴られたのだろうか。  
「おう、目ぇ覚めたか。結構心配したんだぞ。大丈夫か?」  
こちらを見ずに答える彼の手元の魔杖剣から、何本もの蔦が伸びているのが見えた。  
「ほら、これ着とけ。」  
咒式の発動を止めたのであろう。二人に絡み付いていた蔦が力を失い、男共が地に力無く落ちて行く。  
――其処まで考えて、自分が今現在霰のない格好をしている事に気付いた。  
地元の店で仕立てて貰ったスーツはぼろ切れとなっていて、その中の下着がずらされ、素肌を晒しているらしい。  
先輩も微妙に視線をずらしている。  
勿論恥ずかしかったが、自分が憧れの先輩に、女として見て貰えた事が嬉しくて。  
調子に乗って――抱きついて見た。  
当然先輩は驚く。  
「私、ずっとイーギー先輩の事が好きでした。  
ずっと、先輩のコト見てました。」  
よくもまあこんなにすらすらと言えた物だ。  
何処ぞの少女漫画から引っ張って来た様な台詞。もう少し気をきかせた告白が出来ない物か。  
胸が異常なまでに高鳴っている。  
先輩の胸に手を伸ばす。やっぱり鼓動は早まっているらしい。  
先輩の口が開かれる。  
「―――リノン。」  
 
「だから私は『リャノン』ですってば!」  
自分の叫び声によって意識が覚醒する。  
周りを見渡す。そこには私に抱きつかれているイーギー先輩はいない。ただ見慣れたクローゼットや花瓶。  
間違い無く、普段私が寝起きしているラルゴンキン事務所の社員寮だ。  
夢オチかい。おめでたいな自分。  
つーか夢の中でまで名前間違えられる私ってどーよ?  
何でも聞いた話では夢は潜在意識や願望の集まりらしい。  
分析してみる。  
暴漢に教われる私を助けに来てくれる憧れの先輩。――とりあえず全世界の夢見る乙女達は私を責めないであろう。  
……つーか私の中では  
イーギー先輩=名前間違える人  
なのかよ。  
そこでふと考え事から現実に帰ってみる。  
時計を確認。――8時?  
はて、目覚ましは6時30分にセットした筈だが。  
 
以上の事から導き出される結論。遅刻。  
うは。やば。  
 
朝食を食べてる暇はなさそうだ。  
食パン一枚加えて走る。  
普段は徒歩で10分かかる道。  
走る。ひたすら走る。  
曲がり角で、何かにぶつかった。  
「何処見て歩いてんのよアンタ!気をつけなさいよ!」  
「んだとコラ!テメェこそ前見て走りやがれ!ルップフェッ…ト…?」  
トーンダウン。聞き慣れた声と呪いの言葉。  
ひょっとしてひょっとしなくても……。  
「……!  
すいませんすいませんすいません先輩ッ!」  
「ああ、リノンか。お前も遅刻?急ぐぞ!」  
急に腕を掴んで引っ張られる。「リャノンです!」なんて言う暇も無く。  
 
 
その日の仕事はエリダナ郊外の200歳級の竜の討伐。イーギー隊長や他の人達のお陰で全員無傷に終わった。  
未だにその時先輩の  
「やったな。リャノン」  
が忘れられない。ひょっとしてちゃんと名前呼んで貰ったの初めてかも。  
この調子で先輩に急接近よ!何て思いつつ。  
腕時計を確認。夜中の11時。大分遅くなっちゃったな。  
明日は……確かアシュレイ・ブフ、ソレル事務所と合同演出だったかな。  
もうすぐ路地から出る。  
その時、見知らぬ男が目の前に現れる。  
後を振り向くと、こちらにももう一人男。  
「ヒッヒッヒ。姉ちゃんよォ。こんな時間に何処行くのヨ。折角だし俺達とちょっとばかし遊んで行かねェ?」  
 

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