「とまあ、そんなことがあったわけだ。わかったか?」  
「つまるところ―――貴方は、ラクウェルの尻拭いをしたわけか」  
 
 シャノン・カスールがいたのは―――温泉だった。  
 彼は頭に手拭を乗せて、湯に浸かっている。  
 彼の視線は、空へ。  
 漆黒の中にぽつぽつと浮かぶ星と、月へと向けられている。  
 
「流石に、本当に殺されかけることになるとは思ってなかったけどな」  
 
 と、言ったシャノンの顔には苦笑が浮かんでいる。  
 シャノンの他には、温泉に入っている者はいない。   
 では、彼の会話の相手は、というと―――  
 
「…で、何でお前は服を着たまま、風呂場にいるんだ?」  
 
 シャノンの視線が、空から自分の右肩の上辺りに移る。  
 そこにいたのは、蒼い髪の少女であった。  
 が、少女がいたのは、温泉の水面、その上。  
 そのことからもわかるとおり、彼女は人間ではない。  
 〈竜機神〉―――正確には、その対人インターフェイスは、己の主の問いかけに、表情一つ変えずに答えた。  
 
「…貴方が一緒に入らないか、と言ったからだが」  
「……」  
 
 ゼフィリスの言葉に、シャノンは言葉を失う。  
 数秒の間、沈黙が続く。  
 彼は、融通のきかない竜機神から一旦視線を外し、再び空を仰ぐ。  
 そこからさらに、十数秒ほどが経過したところで、やっと彼は口を開いた。  
 
「俺は、お前も温泉に入れ―――もとい、温泉につかれって意味で言ったんだが」  
「私には、体を洗浄する必要はない」  
 
 大真面目な様子のゼフィリスに、シャノンは再び沈黙する。  
 それ以上は特に強制することもなく…そのまま、シャノンは空を見上げ続ける。  
 数分がたち。  
 
「―――シャノン」  
「ん?」  
 
 ゼフィリスの方から呼びかけがあったのは、シャノンが、そろそろ温泉から上がろうと考えだした時のことだった。  
 
「何故、このようなところに来たのだ?  
 貴方のことだ。わざわざ温泉につかるためだけに、ここを訪れた、というわけではあるまい」  
 
 何をするにしても、二言目には「面倒くさい」と言うようなシャノンである。  
 そんな主が、何故わざわざ遠方の―――ゼフィリスの力で、実際にたどり着くまでには数十分とかからなかったが―――温泉街を訪れたのか。  
 生真面目な竜機神には疑問だったらしい。  
 
「いつかは謝らなきゃならん、って思ってたのもあるが―――」  
 
 シャノンは、一旦そこで言葉を止め、手拭で顔を拭く。  
 そして。  
 
「―――たまにはお前にも、礼をせにゃいかん、とも思ったんだよ。  
 ま、余計な世話だったのかもしれんがな」  
「………」  
 
 もう何度目かの沈黙。  
 次の瞬間、唐突に水面に波紋が広がった。  
 
「…」  
「…」  
 
 シャノンは、右隣で温泉につかっている少女に気づいているのだろうが、特に何も言わない。  
 
「………」  
「………」  
 
 シャノンが何も言わないことに焦れた、というわけでもないだろうが。  
 
「……すまない。貴方の気遣いに気づけなかった」  
 
 聞く者によっては理解できないほどの、わずかの変化を含んだ―――ばつの悪そうな声音でゼフィリスが言う。  
 それを受けた、シャノンは、というと。  
 
「相手に理解される気遣い、なんてもんがいいとは思えんが。  
 自分でも、さっきの言い方はどうかと思ったしな」  
 
 おそらく、ゼフィリスの変化には気づいているのだろうが、特に気にする様子も無く空を見る。  
 
「……」  
「……」  
 
「………」  
「………」  
 
「……いい湯だな」  
「ああ」  
「酒飲みだったら、月を眺めながら酒を一杯、てなところか」  
「何ならば、この場で『創れる』ぞ」  
「それは風情がないだろ」  
「そ……そうか」  
 
「……」  
「……」  
 
「……もらえるか、ゼフィ」  
「……ああ」  
 
 温泉街―――カラビニクという名の、一年ほど前に、壊滅的な打撃を受けた街―――を、シャノンとゼフィリスが後にしたのは、次の日の朝のこと。  
 
 で、当然のように。  
 いくつかの土産を持って、カスール邸に帰ったシャノンは、彼の妹に、『何故自分達を連れて行かなかったのか』と文句を言われることになったのだが。  
 それはまた、別の話である。  
 
 

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