星も月も雲に覆われた、夜空の下。  
市は、背中に長政の温もりを感じながら立っている。  
最愛の夫の長身に、こうして後ろから包まれるのが、市は好きだった。  
 
「市」  
優しい声に振り向くと、夫の微笑みがすぐそこにあった。  
長政は首を差し伸べるようにして、桜色をした市の唇をついばむ。  
祝言を挙げて以来、幾度となく繰り返されてきた行為。  
なのに、二人はいつもその後に、はにかんだ視線を交わす。  
 
「ここは冷える。そろそろ戻ろう」  
「……うん」  
夫の言葉に、市が頷く。  
「もう休まねばな。明日は……早いのだから」  
(明日……)夫に肩を抱かれて歩み出しながら、市は空を見上げる。  
(明日は、とうとう戦うんだわ…お兄さまと)  
 
「では、な。今宵は、ゆっくり休むといい」  
市を寝所に送り届けると、長政はそのまま立ち去ろうとする。  
「長政さま…!」あわてて市が追いすがった。  
「どうして…!?一緒にいてくれないの?」  
長政は、いたたまれない様子で視線をさまよわせる。  
「すまない、市。その…」こほんと、一つ咳払い。  
「このままそなたと共にいれば、きっと抱かずにはおれぬ。  
 明日は、戦だ。今宵は疲れさせることなく、充分に体を休めさせてやりたいのだ」  
「長政さまったら」  
目を丸くして聞いていた市が、くすくすと笑った。  
「ありがとう、気遣ってくれて。……でもね」  
市の声音が寂しげな色を帯びる。それだけでもう、長政の意志は揺らぎはじめる。  
「あたしは、長政さまの側にいるときが、いちばん楽になれるの。  
 それに今夜は、あたしどうせ眠れないよ。だから、お願い」  
懇願する瞳で見つめられて、長政はあっけなく陥落した。  
「市を、ひとりにしないで……!」  
市の小さな体は、その言葉ごと、長政の腕の中に閉じこめられる。  
 
若い夫婦が、夜具に並んで横たわった。  
市の髪を愛おしげに撫でながら、長政が問う。  
「やはり、不安か」  
「ううん」市は一度きっぱりとかぶりを振ったものの、すぐに小さく頷いた。  
「……ごめんね」  
「まだ、間に合う。信長殿の元へ戻るのなら、信頼できる者に送らせよう。  
 大切な妹君だ、信長殿も悪いようにはなさるまい」  
「そんなの、だめだよ」強い口調で、市が言い切る。  
「あたし、もう決めたの。長政さまと一緒に、お兄さまと戦う。  
 きっと、お兄さまを止めるって」  
「市……」  
「それは……お兄さまの軍はとても強いし、不安じゃないって言ったら  
 嘘になるけど。でも、あたしはこの道を選んだの。だから」  
長政の静かなまなざしに気付いて、市の言葉が途切れる。  
心は決まっているのだと繰り返さずにいられないのは、  
心が揺れているからこそだ。市はそんな自分を恥じて目を伏せる。  
 
「市、それがしは嘘をついてしまった。すまない」  
夫の言葉の、意味をつかめない。市は戸惑って長政の顔を見つめる。  
嘘をついたというならば、それは自分の方だ。  
長政は、市を強く抱きしめる。可憐な耳朶に、唇を寄せて囁く。  
「信長殿の元へなど、もう戻らせぬ。泣いて願っても、そなたを離しはせぬ」  
「長政さま……」  
夫の腕の力強さに、言葉の熱さに、市は瞼を閉じて酔いしれる。  
 
長政は、市に深くくちづける。舌を差し入れられると、市はつたないながらも  
懸命に応えようとする。くちゅくちゅと唾液の絡む音がとても淫らに思えて、  
市の胸が早鐘を打ち始めた。  
「…ふ……」  
離れた唇を追うように漏れてしまった声が恥ずかしく、市は慌てて口元を押さえた。  
優しく向けられた長政の瞳に気がつくと、ますます身を縮める。  
「市」  
恋しい夫が、耳元で呼びかける。たったそれだけのことで、  
市の心は甘く痺れだす。耳朶を優しく噛まれれば、恥じらう間もなく体が震えて、  
長政に市の官能を知らせてしまう。  
長政の唇が、市の細い首すじに押しあてられる。少しずつ場所を移しながら、  
何度も、何度も。  
「…んっ……」  
高まってゆく快感に、市が息を詰める。  
 
市の夜着が、夫の手ではだけられた。輝くように白い胸乳が、あらわになる。  
ごくりと、唾を呑み込む音がする。  
はにかんだ、しかしどこか誇らしげな妻の微笑みに、今度は長政が  
慌てて口を押さえた。  
「市」  
若々しい乳房をやさしく撫でながら、長政が妻の名を呼ぶ。  
「誰にも……渡しはせぬ」  
「長政さま……っ」  
頂を強く吸われると、色づいた部分が固くしこりだす。そこをすかさず甘噛みされて、  
市の体が大きく波打った。  
ともすれば荒々しさに変わろうとする若い情熱を抑えて、長政は妻の体を愛おしむ。  
 
以前はただ、くすぐったいだけだった。  
愛する人に抱きしめられること、その温もりが夫婦の悦びなのだろうと思っていた。  
でも近頃では、肌の外から触れられる感覚に、身の内から応えるものがあることを  
はっきりと感じる。  
長政の手で、染め上げられていく。心も、体も。  
その予感に、市はうっとりと溶けてゆく。  
 
長政の手が脚に触れると、市はためらいがちに膝を開いた。  
滑り込んだ掌が、吸い付くように柔らかな内腿をさわさわと撫でさする。  
徐々にその付け根へと近づいていた指が、ついに薄い茂みへと分け入った。  
幼い頃から、夫の他にはけして見せてはならぬ、触れさせてはならぬ大事な場所だと  
言い聞かされてきた秘密の園。  
でも、ここがこれほどあさましく潤う場所だなどとは、誰も教えてくれなかった。  
男を受け入れるための蜜なのだと知ったときには、消え入りたい心持ちになったものだ。  
溢れているのは夫への愛の証だと、長政は言ってくれたけれども。  
 
長政以外の者に触れさせることなど、考えられない。  
そんなことになったら、きっと自分は恥じて死んでしまうだろうと市は思う。  
 
長政は、市の秘花を指でそっとくつろげた。  
新鮮な露をおいた花弁が、恋しい人を誘って可愛らしくほころぶ。  
淡く色づいた門に、長政がゆっくりと彼自身をくぐらせると、  
市の唇からは、控えめながらも隠しようのない悦びの声があがった。  
「あん…っ…」  
「そなたの中は……あたたかいな」  
酔ったように囁いて、長政が抽送をはじめる。  
 
長政だけのために拓かれた小径が、愛する夫を迎えて嬉しげに収縮する。  
初々しくふるえながらも、更に奥へと誘い込む動きすらみせる。  
市はもう、どうやって息をしていいのかわからない。  
肌の悦びを覚えて間もない若妻は、己の内からわき起こる奔流を  
うまくあしらうことができなかった。  
ただ夫と自分の情熱に押し流され、幸福におぼれてゆく。  
「ああ……長政さま…お願い」夫の体を強く抱き、市は掠れる声で呼びかける。  
流されてもいい。果てがどこでもかまわない。この人と共にあるならば。  
「市を、離さないで……!」  
 
「離すものか」恋情に息を弾ませながら、長政が答える。  
「何があろうと、離さぬ。誰にも、渡さぬ……!」  
嬉しい、そう答えようとする市の言葉は、勢いを増した夫の動きに  
呆気なく吹き飛ばされる。  
「……んっ…あぁ…!」  
染め上げられていく。満たされていく。全ては、この人のもの。  
後戻りのできない高みに導かれる自分を、市は感じる。  
「あ…っ!あぅ……ぁ、ながまさ…さま…!」  
「市、市…!」  
妻が、意味を成さぬ叫びの中に、愛する者の名を懸命に紡ぐ。  
夫も、この世で最も美しく響く名を、熱い呼吸と共に形づくる。  
そうして、長政の熱情が、市の奥で弾けた。  
「……っ、あ…!あぁん……!!」  
市は幼さの残る声を淫らに濡らして、白い背中を仰け反らせた。  
 
いつの間にか、外では雨が降り出していた。  
ふたりは繋がったまま、悦楽の余韻に浸っている。  
汗に濡れた体をぴったりと寄り添わせ、  
微かな雨音を遠い世界の調べのように聞いていた。  
明日は、戦だ。市の血を分けた兄、信長との。  
(長政さま、心配かけてごめんね。でも、もう迷わないよ)  
柔らかな髪を撫でられながら、市は長政の肌の香りを深く吸い込む。  
(あたしが、お兄さまを止めなくちゃ…そして、長政さまを守るの)  
市は夫の微笑みが欲しくて、そっと顔を上げた。  
その視線を受け止めて、琥珀色をした瞳が優しく和んでいる。  
安心した笑みを返す市に、長政が軽く唇を重ねた。  
互いを見初めたばかりの恋人のように、上気した頬をさらに朱で染める。  
体の最も深いところで結ばれた後なのに。  
(あたし、負けないよ。何があっても)もう一度長政の胸に顔を埋めながら、  
市は心に誓う。(だから、長政さま。あたしを離さないでね)  
 
雨は止みそうにない。明日は、雨中の戦になるだろう。  
短い眠りにつくために、ふたりは目を閉じた。  
 
 
(終)  

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