「本当に、姫様だって恋の一つもすれば女らしくもなりますのにねえ」  
――それは、遠い記憶。  
古くから自分の面倒を見てくれた下女が、そのようにぼやいていたのを思い出す。  
女らしくなることに何の意味があるのか、と叱り飛ばしたァ千代に、  
しかし彼女は優しい笑みを浮かべて彼女を抱きしめた。  
「姫様、どんなに殿方のように振る舞おうと姫様はおなごにございます。  
いずれおなごは妻となり母となり、子を産みまする。  
男のままでは、その痛みにも辛さにも耐えられませぬ。  
おなごだけが、子を成す苦しみに耐えられるのです  
……ですからどうか、おなごであることを恐れないでくださいまし」  
久しく母を忘れ、己が女であることも忘れていたァ千代にとって、  
その下女は母親を彷彿とさせる存在だった。  
それから暫くして、彼女は流行病で逝ってしまったけれど。  
 
「……ァ千代、いかがした」  
呼びかけられて、彼女ははっ、と顔を上げた。  
見開いた視界の中に、怪訝そうな様子の父が飛び込んでくる。  
「何でもありませぬ」  
「そうか。疲れているのならば、無理強いはせぬぞ?」  
「大丈夫です。続けてくださりませ」  
父から軍学の講義を受けている間だというのに惚けていた己を律して、  
ァ千代は再び軍学書へ視線を落とした。  
どうして今更、彼女の事など思いだしたのだろう。  
父の解説と共に本の内容を目で追いながら、また意識は思い出の中へ沈んでいく。  
その下女が死んでから暫くして、新しい下女がやってきた。  
ァ千代の身の回りの世話をすると笑って頭を下げたその女は、先頃没した下女の娘だった。  
母から聞いていた姫君と初めての対面を果たし嬉しそうにしている娘は、  
決して美人ではなかったけれど母と同じで良く気が利いた。  
いつしかァ千代も彼女と打ち解け、そうして聞いたのは確か宗茂との縁組みが決まった頃のことだった。  
 
――お前は、恋というものを知っているか?  
 
講義が終わった後、昼を過ぎてから父は主家に呼ばれて城を出て行った。  
父を見送り、居室に戻ろうと踵を返したァ千代は、背後に鈍い音を聞いて立ち止まる。  
いくつもの馬蹄の音に振り返ると、真っ直ぐ城門目指して駆けてくる一団があった。  
方々で上がる黄色い声で、確認するまでもなく付近の村々へ視察に出ていた宗茂が帰ってきたのだと知れる。  
 
彼が婿入りしてきてからおよそ一月。  
付近の情勢を把握するために度々外出する彼の姿を一目見ようと、  
通りを用もないのにうろつく若い娘が増えたのだという。  
ふん、と鼻で笑ってァ千代はそのまま再び踵を返した。  
出迎えてやるまでもない――と思ったのだが。  
「ァ千代!」  
声を掛けられては、無視して立ち去るわけにもいかぬ。  
まだ幼さの残る顔に敢えて苦々しい表情を浮かべ振り返った彼女の前に、馬上からひらりと宗茂が飛び降りた。  
「珍しいな、出迎えなど」  
「お前を出迎えに来たわけではない。父上が大友さまに呼ばれて出かけられたので、見送ったのだ」  
「そうか」  
涼しげな顔で笑う夫を前にして、ァ千代は言おうとしていた憎まれ口をぐっと飲み込んだ。  
上手く言える気がしなかったからだ。  
舌が膨れあがってしまったかのように上手く回らず、今までのように冷たくあしらう言葉が出てこない。  
そんな自分がもどかしいやら苛立たしいやらで黙りこくっていると、宗茂は目を瞬かせて彼女の顔を覗き込んだ。  
「どうした、黙りこくって。具合でも悪いのか?」  
「べ……別に、どこも悪くない!」  
熱でも測ろうとしたのか、額に宗茂の手が触れる。  
びくりと身体を震わせてその手を払いのけたァ千代の、妙に激しい声色に宗茂の眉が寄った。  
怒っている風ではない。むしろそれが余計に何かあるのではないか、  
彼女が強がっているのではないかと心配させたのだと気付いてァ千代は緩く首を振った。  
「ほんとうに、何もないのだ」  
「本当に?」  
「くどいぞ!たかが城の留守を任されただけでおかしくなるものか」  
「……そうだな。だから俺は安心して外に出られるのだったな」  
今度こそ本気で怒るァ千代の頭を宥めるように撫で、宗茂は手綱を家臣に任せてァ千代の先を歩き出した。  
何で自分が後ろなんだ、と思いつつァ千代もその後に続く。  
 
「立花の名声は本当にすごいな。幾つかの村を回ってきたが、何処でも義父上は尊敬されていた」  
「当然だ。ゆえに私もお前も、精進せねばならんのだ」  
「ァ千代の話も沢山聞いたぞ」  
意味ありげに宗茂がにやりと笑った。  
その笑みにかちんときて、ァ千代は半眼で彼を睨む。  
「どうせ、お前と出会う前の頃の話だろう」  
「そうだな。義父上とはぐれていなくなったかと思ったら、  
子犬の中に紛れて眠っていたそうじゃないか」  
「あ……あの時は幼かったし、寒かったからしかたなかったのだ!  
立花たるもの、下々に助けを求めるなど出来るはずがない!」  
「そうか?その前に、子犬を見て目を輝かせているお前を見たものの話もきいたが」  
「偶然だ、偶然。別に子犬がかわいくて離れたくなかったからとか、そういうわけではない」  
「なるほどな」  
「な、なんだその目は!信じていないだろう!」  
「いや、信じるぞ?仮にお前が可愛いものに目がなかったとしても、俺は全く気にしない」  
「……っっ!」  
必死でァ千代は弁明をするが、いつの間にか墓穴を掘っていることに気付いて口を閉ざす。  
羞恥と悔しさで耳まで真っ赤にして押し黙る彼女に宗茂が高らかに笑った。  
「そう怒るな。俺の知らないお前がまだいるというのは、何ともくすぐったいものだと思っただけさ。  
知り合ってもう随分になるが、まだまだといったところかな」  
「そう手の内を明かしてなるものか。お前こそ、私に隠し事ばかりではないのか」  
「隠すものなど何もない。お前の見たままが、俺だ」  
「……お前は見たままでも、よくわからない。このひきょうもの」  
「他の者よりは随分、俺を知って貰っていると思うのだがな」  
肩越しににやりと笑った宗茂の、その妙に艶な表情にァ千代の頬にさっと赤みが差した。  
たった二つ差だというのに、時折宗茂はどきりとするほど大人びた表情を浮かべる事がある。  
そうした表情に出会う度に狼狽える自分を、ァ千代はひどく子供だと思っていた。  
――追いつきたい、と切に思う。  
「さて……義父上がいないのならば、講義もなしだな。ならば少し、休ませてもらうか」  
「ふん、午睡とはいい気なものだな」  
「お前も休んだらどうだ?少し、疲れているようだし」  
「結構だ。お前ほど暇ではない」  
「そうか、残念だ」  
何が残念なのかはよく分からなかったが、その呟きは心底、といった響きを持っていた。  
少し冷たくあしらいすぎたかと傾ぐ心を無理矢理追い払って、ァ千代は歩調を早める。  
「夜になればいくらでも眠れるだろ。私はもう行くからな」  
「ああ、気が向いたらいつでも来るといい」  
「だれが行くか!」  
鷹揚に構える宗茂に怒声混じりに吐き捨てて、足早にその場を後にする。  
くつくつと聞こえる心地よい笑い声に背を向けるのには、ほんの少しだけ努力が必要だった。  
 
そうして自室に戻ったものの、特に何かやるべき事があったわけではなく。  
ァ千代は朝から父の講義に使った軍学書を何とはなしに開いて時間を潰していた。  
襖を隔てた隣室では、恐らく宗茂が心地よさそうに眠っているに違いない。  
ああ言いはしたものの、ここ数日宗茂は方々に出かけていてろくに休んでいないことをァ千代もよく知っている。  
父のいない間くらい、ゆっくり休ませてやりたかった。  
「……どうしたんだろうな、私は」  
一人の時間はそう珍しくもないというのに、何だか落ち着かない。  
読んでいる軍学書も、目を通す端から内容がこぼれ落ちていくようだった。  
ぼんやりと字面だけを目で追いながら、ァ千代の意識はまた過去へと向けられる。  
 
――お前は、恋というものを知っているか?  
ァ千代の急な問いかけに、一瞬娘は真意を図りかねたようだった。  
だが、母の言葉を思いだしたのかやおらにっこりと笑って答える。  
「わたくしもよくは存じ上げませんわ。  
けれど、とても熱くて、冷たくて、嬉しくて、悲しくて……  
ここが自分の言うことを聞かなくなるような感じではないでしょうか」  
ここ、とァ千代の胸元をこつんと突いて、娘は彼女の目をじっと覗き込んだ。  
彼女の母とよく似た暖かな眼差しにァ千代も目元を緩ませると、  
その細い身体を腕一杯に抱きしめて、娘は言った。  
「ァ千代様はまだ小さくていらっしゃるから、きっとよく分からないと思います。  
でも、いつかきっとわかるときが来ますわ。宗茂様の事、お嫌いではないのでしょう?」  
そう言われると、確かに宗茂の事は嫌いではなかったのでァ千代は小さく頷いたように記憶している。  
 
満足そうに頷いて、早く分かるといいですわね、と言ってくれた彼女はァ千代の婚儀を見届けた後自身も隣国へと嫁いでいった。  
もう彼女にそう言った話をする者達はいなくなってしまったけれど、  
彼女らの残した言葉を信じるならば、今ァ千代は恋をしていることになる。  
宗茂と何気なく手が触れる、側に寄る。  
それだけで熱いような、冷たいような何とも言えない感情が胸の奥にわだかまる。  
共に眠り、朝起きて傍らにいてくれることが嬉しくて、同時にそんな風に女々しい感情を抱く己が悲しくなる。  
熱くて、冷たくて、嬉しくて、悲しくて。  
果たしてそれは恋ですかなどと、誰に言えるはずもない。  
実のところそれが、最近ァ千代の精彩を欠かせている最大の要因だった。  
確かに男女の情は交わしたけれど、それで己がしおらしくなるかというとそう言うわけでもなく。  
宗茂が彼女を深窓の姫君のように思いなし、玻璃細工の如く扱うかといえばそう言うわけでもなく。  
とどのつまり、今までの関係に何ら変化が生じていないからこそ、彼女は自分の気持ちを持て余していた。  
寝食を共にして四六時中顔をつきあわせているというのに、ちょっとした弾みで落ち着かない気分になる。  
その理由を探せば探すほど、余計に胸の中がもやもやするのだ。  
いっそ恥も何もかも捨ててただのおなごのように振る舞えば、楽になるのだろうか。  
己を飾り立てて宗茂の帰りを待ち、帰ってきた彼に寂しかったと甘えてすり寄る  
――その想像は、思った以上に背筋をぞっとさせた。  
駄目だ。そのような生き物は、立花ではない。  
脳裏に浮かんだおぞましい想像を追いやって、ァ千代は深々とため息をつく。  
 
「随分悩ましげなため息をつくのだな」  
――と。  
間髪置かずに襖の向こうから笑い声が聞こえてきた。  
ァ千代は飛び上がらんばかりに驚いて咄嗟に上がった声を飲み込み、  
ばくばくと跳ね回る胸元を押さえて閉ざされたままの襖を睨む。  
「宗茂……!お前、起きてたのか」  
「寝る、とは言わなかったぞ」  
「それはそうだが……」  
確かに宗茂は休むとしか言わなかった。勝手に午睡だと解釈したのは自分だ。  
ァ千代が言葉に詰まると、暫くまた沈黙が降りてきた。  
何を言うべきか迷っている間に、宗茂から問うてくる。  
「開けて良いか?」  
「……ああ、別に構わない」  
寄りかかってでもいたのだろうか。少し軋んだ音を立てて襖が開かれた。  
後ろ手に襖を閉じて、ァ千代の前に腰を下ろす。  
彼女の手元にあった軍学書を見つけて、その眉が僅かに曇った。  
「邪魔をしてしまったか」  
「既に終わった箇所を読み直していただけだ。気にするな」  
軍学書を脇に退け、ァ千代も宗茂に向き直る。  
正対すると、ァ千代の目線が僅かに上を向く。  
ほんの何年か前まではほぼ同じ高さにあった目線は、既に宗茂の方が頭半分ほども高い。  
いつもは追い越されたとくやしさばかりが先に立つが、不思議とそのような感情は湧いてこなかった。  
ただ素直に、やはり男と女では体つきも違ってくるのだなあ、と感心してしまう。  
果たして宗茂も同じ事を考えていたのだろうか、小さく笑って言った。  
「ァ千代、お前身の丈が少し縮んだか?」  
「ち……縮むか、ばか!お前が大きくなったのだ。図体ばかり成長しおって!」  
「これは耳に痛い。中身も成長したのだと披露できればいいのだがな」  
「ふん、どうせ無駄に終わるのだからやめておけ」  
噛みつくように言ってのけるァ千代に、やれやれと宗茂が肩をすくめる。  
「やれやれ。随分ご機嫌斜めだな」  
「別に機嫌を損ねてなどいない。そもそも何用なのだ。休むのではなかったのか?」  
「あのように憂い気なため息を聞いてしまっては、休むに休めない。  
話なりと聞こうと思ったんだが、その調子では聞いても答えないのだろう?」  
「誰が話さないと言った」  
「では話してくれるのか?」  
「う……」  
つい勢いに任せて言い返してから、またしても自ら墓穴を掘ったことに気がついてァ千代は口を噤んだ。  
気まずそうに視線を逸らす彼女の肩を軽く叩いて、宗茂が笑う。  
「そう困ってくれるな。別に、無理に話せと言っているわけじゃあない」  
「困ってなどいない!その……大した話ではないのだ」  
「それにしては随分困り果ててる顔をしているな」  
「そんな顔などしていない。よく見てみろ」  
「ほう?それじゃあ遠慮なく」  
不意に間近まで迫ってきた宗茂の顔に、ァ千代は目を大きく見開いて息を呑んだ。  
身を屈め、鼻先が触れるほどに近く彼女の目を覗き込むと宗茂はわざとらしく唸る。  
「……やはりいつもと様子が違う。顔も赤い」  
「い、いきなり顔を近づける奴があるか!」  
「よく見ろと言ったのはお前だろう」  
「寄らずとも見えるではないか!」  
混乱しきりの頭をどうにか落ち着けて、迫った顔を押しのけようとァ千代が振り上げた手は  
敢えなく宗茂の手に掴まれて届かなかった。  
思いがけず強い力で止められて目を瞬かせるァ千代に、宗茂は口元を笑み綻ばせる。  
けれど掴んだ手を離しはせず、まだ二人の距離も近いままだ。  
 
「宗茂……?」  
「ァ千代、一つ聞きたい」  
「な、なんだ」  
「俺を立花に迎えたこと……やはり後悔しているのではないか?」  
「何を言って……」  
「お前の様子がおかしくなったのは祝言の後からだ。  
義父上の手前、無理をしているようでは困る。ここは正直に本音を」  
「馬鹿を言うな!」  
己の言葉を遮って響いた怒声に今度は宗茂が目を瞬かせる番だった。  
掴まれた手を振り払い、ァ千代は宗茂の胸ぐらを掴んで彼を睨み付ける。  
白い頬が紅潮し、僅かに目が潤んでいるのは彼女が本気で怒っている証拠だ。  
「あの夜言ったはずだ。お前とめおとになるのは、べつに嫌ではない。  
でも……でも、私がこんな風になったのはお前のせいだ!  
あの日からお前が側にいると落ち着かなくて、でも側にいないともっと落ち着かなくて、胸の奥が熱くて、冷たくて……  
なのに、そのお前がどうしてそんな事を言う!?お前こそ後悔しているのではないか……?」  
最早自分でも何を言っているのか整理はできていないだろう。  
一気にまくし立てるァ千代を前に、宗茂の目に少しずつ理解の色が浮かび始めた。  
常の強い眼差しで己を睨む彼女をいっそ思い切り抱きしめて笑いたいところだが、まずは落ち着かせないことには話もできない。  
自分もろくに落ち着ける状況ではないけれど、彼は胸ぐらを掴むァ千代の手を包み込むように握った。  
「……そういうことか」  
「何がだ」  
「どうやら俺達はとんでもない思い違いをしていたようだ。  
そら、ァ千代。ここの音を聞いてみるといい」  
ここ、と宗茂が示したのは己の胸元。  
ァ千代に掴まれて乱れた装束もそのままに、包み込んだァ千代の手をそこへ導く。  
穏やかな声色に幾らか激情も引いたァ千代は、  
一瞬訝しげな顔をしたが重ねて乞われておずおずとそこへ耳を寄せた。  
確かに聞こえる鼓動の音に耳を澄ませ、ややあって彼女は勢いよく顔を上げる。  
「宗茂、お前」  
「はっきり、聞こえたろう?」  
よほどそれがァ千代にとっては意外なことだったのか、彼女はこくりと素直に頷いた。  
引き締まった胸板の奥刻まれる鼓動の音。  
それは、やはり今の彼女と同じく常より幾らも早い。  
その意味を理解した瞬間、彼女の怒りはすっかり霧散してしまった。  
「やれやれ、お互い不器用なことだ。  
もう少し口に出せる性分ならば、こんなに苦労はしなくても済むのにな」  
「わ、私は別に、苦労などしていない」  
「そんな頼りない声で言われても」  
「うそではない!」  
顔を真っ赤にしてァ千代は否定するが、その様子こそまさに肯定しているようなもので。  
この期に及んで尚意地を張ろうとする彼女に悪戯心をくすぐられて、  
宗茂は些かわざとらしくため息をついた。  
「……なら、確かめるぞ」  
 
「え?」  
急に視界がくるんと回って、ァ千代はとっさに手を伸ばした。  
彼女自身も何を掴みたかったのかはよく考えていなかったその手を、宗茂の手が捕まえる。  
背中に畳のざらりとした感触、最前まで自室の風景だった視界は天井と宗茂の顔だけが見える。  
押し倒されたのだと覚るまでに、たっぷり数秒。  
ようやく事態を理解してァ千代が怒り出すより早く、宗茂は彼女の唇を塞いでいた。  
繋いだ手も、拒絶するように突き出したもう片方の手も舌を絡め取るとくたりと力を失う。  
少女らしい華奢な顎を指で捉え、より深く口づけられるよう軽く持ち上げて。  
そうして息も詰まるほどにたっぷりと口づけてから、ようやくァ千代を解放する。  
組み敷かれたままのァ千代は乱れた呼吸を整えながら、濡れた唇をぐいと手で拭う。  
が、それ以上拒む様子もなくじっと宗茂を見上げていた。  
 
「怒らないのか?」  
「お前が、やりたいようにすればいい。その……た、確かめるのだろう?」  
相変わらず物言いが素直ではない。  
けれどそれが何より彼女らしくて、宗茂は目元を緩めて返事の代わりに彼女の額へ口づけを落とした。  
そのまま頬、顎先と唇を避けて短い口づけを降らせながら、しどけなく緩んだ着物の合わせ目へ手を忍ばせる。  
「んっ……」  
柔らかいがまだ芯の残る乳房を掌に収めると、僅かにァ千代の身体が強張った。  
包み込んだ乳房のその奥で、確かに心の臓が早鐘を打っている。  
自分と同じだと思うと何だか妙にそれが嬉しい。  
その想いそのままに宗茂がァ千代の目を覗き込むと、彼女は恥ずかしそうに視線を逸らした。  
「あ、あまりじろじろ見るな、ばかもの」  
拗ねたような、照れているような横顔が逆に夫を煽るのだと彼女は気付いていない。  
精一杯平常心を保とうとする努力も、首筋を這う唇の感触に敢えなく崩れる。  
「っや……は……ぅ」  
乳房をやわやわと揉みしだかれて、ァ千代は切なそうに身を捩らせた。  
掌につんと尖った感触を得て、宗茂は彼女の耳元に唇を寄せて囁く。  
「背が伸びぬ分、こっちは少し成長したか?」  
「な……っ、う、うるさい!好きで大きくなってるわけじゃ……ひゃんっ!?」  
耳朶を食まれ、親指の腹で胸の先端をぐり、と擦られてァ千代は抗議の声を飲み込んだ。  
初めて身体を重ねた時より、宗茂の掌の中で形を変えるそれが明らかに大きくなっているという自覚は確かにあった。  
真正面から指摘されて余計に顔を赤くするァ千代に少し意地悪く笑って、宗茂は反対側の乳房にかぶりつく。  
「ふぁ……っん、く」  
上がりかけた嬌声を、どうにか堪えてァ千代はふるふると首を振った。  
 
陽はまだ高い。当主夫妻の私室に近寄る者などそういないが、全く誰もいないわけでもない。  
はしたない声を上げまいとァ千代は着物の袖を噛む。  
「ん……んんっ、んぅ」  
生暖かい口腔内で先端を嬲られ、強く吸い上げられるごとに噛みしめた袖越しに切なげな声が上がる。  
声を上げまいと苦心する彼女にほんの少し嗜虐心をそそられて、宗茂の手が太腿をそろりとなで上げた。  
反射的に閉じようとするしなやかな脚の間に身体を割り込ませて止めると、既に潤い始めている秘所へ指を沈ませる。  
びくりとァ千代は身体を強張らせるが、指はそのままするりと彼女の中へ飲み込まれた。  
「ん……ぁ、はぅ……な、なか……やぁっ」  
濡れた音を立てて己の中に沈む、硬質な指の感触にァ千代は力なく首を振る。  
弾みで咥えた袖が外れたのを見て、すかさず宗茂はその唇を塞いだ。  
あまりに急きすぎて歯がぶつかるのもお構いなしに、何度も何度も口づけを繰り返す。  
 
空気を求めて離れ、再び口づける度に内に沈んだ指を彼女の内壁はきゅうきゅうと締め上げた。  
飲み込む指の本数が増えても痛みはなく、むしろもっととせがむように細い腰が揺れる。  
「は……あ、宗茂……っな……んか、ヘン……っ!」  
未知の感覚に引っ張られるような錯覚を覚え、目の端に涙を溜めてァ千代は宗茂の首筋に縋り付いた。  
熱っぽく乱れた呼吸の合間に宗茂が何かを囁いたようだが、  
絶頂へと押し上げられるァ千代の耳には、届いても理解が追いつかない。  
何を言ったのか問おうとようやく彼女が口を開いたところで、宗茂の指が肉芽を強く擦り、弾いた。  
「――っく、ひぁ……あぁぁんっ……!」  
一際高く啼いて、ァ千代の浮ついた腰がびくびくと跳ねる。  
初めて絶頂を迎えた彼女が己の首筋に顔を埋めるのを知覚して、宗茂は空いた手でそっとァ千代の髪を撫でた。  
それすらも心地良いのか、荒い呼吸の合間に甘い吐息が漏れる。  
 
「……つらくないか?」  
耳元で囁くと、ァ千代は力なく首を振った。  
宗茂の首筋に顔を埋めたまま、拗ねたように呟く。  
「聞こえてないのか?こんなに心の臓が音を立ててるのに」  
「あいにくと、お前の声ばかり聞いていたからな」  
「このまま心の臓が早くなりすぎて、止まってしまったらお前のせいだ」  
「俺も同じだ。その時は一緒だから、安心するといい」  
ゆるゆると動いたァ千代の手が、はだけた宗茂の胸元を探った。  
その奥にある鼓動を確かめると、ほっと息をつく。  
「……ん。わかった」  
「ご理解いただけたようで、何より」  
 
促されて、ァ千代は広げた着物の上にくたりと身を横たえた。  
未だ受け入れることに慣れていないからか、表情が僅かに強張っている。  
それを口づけで宥めてやりながら、宗茂は潤ったままの秘所へ己を押し当てた。  
呼吸を合わせてから、一気に腰を推し進める。  
「っふ……ぁう……んんっ」  
絶頂を迎えたばかりで敏感になっているからか、ァ千代の声に苦痛の色はなかった。  
僅かに眉根を寄せるその顔も痛みよりは快感を堪えているように見える。  
すっかり己を沈めてから、宗茂はァ千代の頬を撫でた。  
きつく閉じた目が恐る恐る開かれて、己を覗き込む宗茂の顔を見る。  
 
「も……もう、全部入ったの、か?」  
「ああ。全部、お前の中に入ってる」  
下腹を押さえて確かに己の中にあるものを知覚して、ァ千代は不思議そうに目を瞬かせた。  
今も胸を満たす感情はあのときと変わらない。  
嬉しくて、切なくて、慕わしくて――けれど今度は、辛くはない。  
代わりにあるのは、一つになっているという安心感だった。  
そんな彼女を見て、宗茂がにやりと笑う。  
「今日は泣かないんだな?」  
「な……泣くものか。余計な事を言わないで、早く終わらせ……ぁんっ!」  
常の調子で食って掛かろうとしたところで一気に腰が引かれて、  
ァ千代はまた言葉を飲み込まざるを得なくなってしまった。  
抗議の声を上げる間もなく、また一番奥まで貫かれる。  
ひとたび絶頂を知った身体は、与えられる快楽に対して正直で。  
何度も腰をぶつける内にいつしか彼女もぎこちないながら腰を揺らし、  
もっと深い所で繋がろうと欲するままに動いていた。  
「あ、あっ、や……っは……んっ」  
上がる嬌声にも苦痛の色はなく、掲げられた脚が宗茂の腰に絡む。  
互いに限界が近い事を覚り、宗茂は身体全体でァ千代を抱きしめた。  
そのまま、最奥まで己を突き込む。  
「い……くぞ、ァ千代っ……!」  
「やっ、あ、ま……た、なにか……きちゃ……あぁぁっ!」  
胎内にぶちまけられた熱さに、再びァ千代の意識は真っ白に染め上げられる。  
これ以上ないくらいに身体を合わせ、やがて全て吐き出すとゆっくりと引きはがすように宗茂が身体を起こした。  
まだ絶頂の余韻に浸るァ千代と目が合って、口元を笑み綻ばせる。  
ァ千代もまたうっすらと笑みを浮かべて、小声で何かを言ったけれど。  
生憎とそれは、宗茂の耳には届かなかった。  
 
暫く余韻に浸った後、少し眠るとだけ言って宗茂は意外なほどあっけなく眠ってしまった。  
成る程、この行為というのは男にも大層負担になるらしいと妙な納得をしつつも、  
ァ千代は太平楽に眠る宗茂の寝顔を眺める。  
まだ少年の幼さを残してはいるが、  
眠っていても男らしい端正な顔立ちは見ているだけで確かに胸をくすぐる何かがあった。  
 
諦め半分に、思う。  
多分、自分は今初めて恋をしているのだろう。  
それは何とも罪のないことに、自らの夫に対してであって。  
だからこそ余計に、今更なことだと気恥ずかしくなる。  
頭に浮かぶのは、宗茂の胸元にすがって甘える自分の姿。  
それは今思うとほんの少し魅力的な光景ではあったけれど。  
 
――いやいや、駄目だ。やはり、そんなものは立花ではない。  
首を振って、その想像を追いやって彼女はまた悩ましげにため息をついた。  
 
結局の所、誰に言えるでもなくこの気持ちは抱えていかなければならないのだろう。  
唯一言える相手は他でもない、今彼女の目の前で眠っている男だけ。  
まさか彼に私は今恋をしていますなどと言えるはずもなく。  
憎たらしくも愛おしい男の額にこつんと軽く拳骨を落とし、  
彼女は今日何度目かのため息をつくのだった。  
 

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