今夜、帰蝶は初めて男としとねを共にする。  
相手は尾張のおおうつけ織田信長。  
婚儀の席で、信長が常識外の男である事はよく分かったが、うつけというのとは違う気もした。  
父は「うつけを討て」と言った。  
父から手渡された懐剣はすでに布団の下の少し捲れば手の届くところへと忍ばせてある。  
しかし、うつけとは……?  
信長は本当にうつけなのだろうか?  
父はうつけだから討てと言ったのか、それとも本当は信長を恐れているから討てと言ったのか。  
どちらにしても、討つべきなのだろう。  
改めて人の身体に刃を突き立てることを心に決め、膝の上の拳を強く握りなおした瞬間、ふすまが開いた。  
「お濃、……よい、な」  
信長は帰蝶をお濃と呼んだ。  
美濃の国から来たのだから、それでいいそうだ。  
何故だか、今まで考えていた事を全て見透かされたかのような気がして、帰蝶は彼女にしては珍しく、ぎくりとした。  
それでも、帰蝶はそれを押し隠し、ゆっくりと顔を上げた。  
目が合う。  
何を考えているのか皆目見当も付かない鳶色の瞳が、こちらを見下ろしてくる。  
「ええ……」  
柄にもなく鼓動が早くなっているのは、人を殺そうと思っているからだ、と自分に言い聞かせ、それが表に出ないようにしながら帰蝶は答えた。  
 
信長が布団の上に胡坐をかいて座った。  
まだ早い。  
今、剣を取り出し、振りかざしたところで簡単に振り払われてしまうに違いない。  
信長がもっと隙を見せたときでなければ……  
「どうした。……こぬのか」  
ゆっくりとした口調で言いながら、信長は薄く笑った。  
「いいえ……今、そちらに……」  
震えそうになる膝を心のうちで叱咤して、帰蝶は信長へと近づいた。  
くく、と信長が喉の奥で笑った。  
やはり、ばれているのだろうか。  
僅かに不安になって顔を上げたが、予想に反して信長は、  
「蝮の娘とはいえ……男は、怖いか」  
と、言った。  
冗談ではない。  
そんな覚悟は女に生まれたときから出来ている。  
だから帰蝶は答えた。  
「いいえ……。でも、怖いと言う娘の方が……お好みかしら」  
信長はふっ、と笑うと、顔に手を伸ばしてきた。  
顔が逃げそうになるのをどうにか堪えると、信長の指が顎に触れた。  
何をする気なのかと怪訝に思い、自然と眉が寄ると、信長はまた笑い、  
「面白い。……うぬは面白い、な」  
と、顎を指で辿り始めた。  
 
首筋がぞくりとした。  
しかし、恐怖とは違う。  
顎からうなじへ、うなじから背へと流れていく奇妙な感触に思考力が、僅かずつ無くなっていくのが自分でも分かって、帰蝶は初めて微かな恐怖を感じた。  
そんな帰蝶にお構いなしに、指は唇を撫でている。  
意識が揺らぐのは嫌だと思っているのに、その揺らぎが心地いい。  
これはもう、睦み合いの始まりなのだろうか。  
作法は色々聞いては来たけれど、こんなことをするとは聞いていなかった。  
本当はこういうこともするのだろうか。  
それとも、この男がうつけだからこんなことをするのだろうか。  
うつけという言葉が頭をよぎった瞬間、帰蝶は少し思考するための力を取り戻した。  
「…………」  
黙ったまま、ゆっくりと信長の指から顔を遠ざける。  
僅かに乱れている息を静かに整えると帰蝶は、次は何、と目だけで信長に問いかけた。  
「そう、……急くな」  
信長の笑みはあくまで不敵だ。  
「急いてなど……」  
そう、急いてなどいない。  
そちらが何かするなら、こちらは受けて立とうという姿勢を見せたまでだ。  
「まあよい。うぬを抱こうぞ」  
信長はそう言うと、帰蝶を床の上へ押し倒した。  
 
両手を突いて信長が覆いかぶさってきた。  
灯かりが遮られて、視界が薄暗くなった。  
怖くなどない。  
帰蝶は改めて頭でそう言ったけれど、それは自分に言い聞かせるための言葉であることに、帰蝶は既に気づいていた。  
信長がまた唇を撫でてきた。  
自分以外触れたことがない場所に触れられているというのに、身体は得体の知れない、それでいて心地よい痺れを覚えている。  
不意に信長が顔を寄せてきた。  
またぼんやりとしてきていたせいで、堪えることを忘れ、帰蝶は思わず顔を背けてしまった。  
信長の低い笑い声が耳に届き、帰蝶は悔しさ混じりに信長の方へ顔を向けた。  
「目を……瞑れ」  
次は何をされるのかと不安がよぎったけれど、帰蝶は黙って言われたとおりにした。  
再び何かが唇に触れた。  
指とは違う感触で、目を開けなくともそれが信長の唇だと分かるまでに長くはかからなかった。  
奇妙な感触だった。  
最初は唇が自分の唇を挟み込んでいるようだった。  
次に歯で唇を咥えられた。  
そして、ぬるりと濡れたものが唇を這い、帰蝶は思わず小さくくぐもった声を上げた。  
離れていく信長の気配に促されるように、目を開くと、  
「南蛮では、……こうする、ということだ」  
「南蛮……」  
ということは、やはり普通はこういうことはしないのだろうか。  
信長を見上げながら、そんなことを思っていると、信長はまた顔を寄せてきた。  
今度は逃げない。  
むしろ、いつの間にかまたそうされることを望んでいて、帰蝶は背中に布団の下に自分が隠した懐剣を感じながらもゆっくりと目を閉じ、信長に身を任せた。  
 
信長の舌が執拗に唇を舐めてくる。  
いや、舐めるなどという生易しいものではなく、胸のうちに秘めている父の言葉を汲み出そうとしているのではと錯覚するほどに、ねっとりとした動きで嬲ってくる。  
上手く息が継げないまま、ただそれだけを繰り返され、帰蝶は焦れ始めた。  
何かするならさっさとすればいいのに……。  
けれど、それをどう信長に伝えたらいいのか分からず、また、焦れているくせに唇を離されたくなくて、帰蝶が敷布をきつく握り締めると、それを見ていたかのように信長の手が左の胸に置かれた。  
心臓が大きく跳ねた。  
この男にばれただろうか?  
一番傍にいて、直に自分に触れているにもかかわらず、帰蝶はなぜか信長にだけは今の動悸を知られたくないと思った。  
そんな帰蝶の心中を知ってか知らずか、信長は寝巻きの上からゆっくりと乳房を捏ね始めた。  
左の胸を中心にして、身体が熱くなっていくのが自分でも分かる。  
「ふ……ぅんっ…………ん、ふぅ……」  
寝巻きが胸の先を擦るたびに、身体を走る痺れが強くなっていき、動悸は早まる一方で、まるで心臓を鷲掴みにされているかのように胸が苦しい。  
頭がくらくらとするのは、唇を塞がれて、上手く息が出来ないせいだ。  
決してこの男に翻弄されているわけではない。  
感じたことのない目眩に支配されそうになりながらも、帰蝶は必死で自分にそう言い聞かせた。  
「ん……っ…………ふ、…ぅ」  
上がりそうになる声を必死で堪えるが、そうしようとすればするほど、ますます息苦しくなって来て、帰蝶はそれまでしっかりと閉じていた唇を開いてしまった。  
 
大きく喘いだ瞬間、ぬるい空気を伴って信長の舌が滑り込んできて、とっさに逃れようと思ったときには舌を掬われていた。  
「んっ、……ん、ふ……ぁ、う、むっ……」  
自分の舌が、口内が他人に蹂躙されていく。  
他人の舌と自分の舌が絡み合っているなんて、唾液が自分の口に垂れ流されているなんて、考えただけでも気持ちが悪い。  
どうにかこの状況から逃れようと身体を捩ろうとしたけれど、力が入らない。  
耳の奥から唾液の混ざり合う音が響いてくる。  
口の中が、喉が、身体がじりじりと熱くなっていく。  
気持ちが悪いことなのだ、と自分に言い聞かせているにもかかわらず、帰蝶の中には劣情がその姿をはっきりと現し始めていた。  
身体の奥が何かを求めている。  
それは分かるけれど、何を求めているか分からない。  
ただ少し痛みを感じるだけだ、放っておけば男はすぐ終わる。  
そう聞いていたのに、まるで違う。  
得体の知れない渦が自分のうちから沸き上がり、自分を飲み込もうとしている。  
自分の所在が分からなくなりそうな感覚に、帰蝶は生まれてはじめての恐怖を感じ、こんな思いをしたことがなかった帰蝶は、この感情を自分に与えている信長に激しい憤りを感じた。  
 
最悪だ。  
この男は最悪だ。  
今ならまだ、この男を刺す力が残っている。  
うつけかどうかなど関係ない。  
父の言葉も、美濃も尾張も関係ない。  
殺してやる。  
帰蝶は力を入れることが困難な手を、それでもどうにか動かそうとした。  
しかし、その手はあっさりと信長に押さえつけられ、じんじんと疼いていた胸の先端を強く捻られた。  
「んうぅっ!」  
びくりと身体が跳ね、意志とは無関係に嬌声を上げると、信長の顔がようやく離れた。  
唇と唇の間に透き通った橋がかかり、切れた。  
身体が空気を欲して胸が上下している。  
余裕がないのが自分でもよく分かったが、それを信長に悟られたくはなかった。  
「どうした、お濃。……信長を、抱きたい、か」  
信長はそう言いながら、捕らえた手を持ち上げた。  
冗談ではない。  
早く離れたいくらいなのに。  
そう思った瞬間、別の思いが首をもたげた。  
本当にそうなのだろうか。  
今、唇が離れ、身体がほんの僅かに遠ざかっただけなのに、その間に出来た空間がやけに切ない。  
その隙間にある空気がやけに冷たく感じられる。  
けれど、またあんな自分が溶けて崩れてしまいそうな思いをするのは嫌だ。  
帰蝶は信長の顔を見つめたまま、二つの矛盾する感情の間で葛藤した。  
 
「どうした。……まだ言葉を失うほどのことは、しておらぬぞ」  
これ以上自分を失くしてしまうのは怖いという思いと、この先に何かあるならば足を踏み入れてみたいという好奇心にも似た思いに、信長の思い通りになってたまるかという感情が交じり合い、帰蝶の思考は更に乱れた。  
信長が心の中を覗こうとしているかのように一瞬目を見開き、そして細めた。  
その目に自分が映っている。  
どんな風に映っているのかは見えないけれど、確かに自分の姿がその中にあった。  
この男は、今、自分しか見ていない。  
今までに感じたことのなかった優越感が帰蝶の中に湧き上がった。  
複数の感情が帰蝶の中で交錯していることに気づいたのか、それともそんなことに興味はないのか、信長は帰蝶の胸にあった手を帰蝶の頬へと移した。  
やけに大きく、そしてやけに暖かい手だった。  
その手が髪へと移動して、信長は帰蝶の髪を梳き、その手をまた頬へと戻した。  
帰蝶はその手に自分の手を重ね、頬を懐かせ、目を猫のように細めた。  
殺すのはいつでも出来る。  
今のこの、身体に力が入りきらない状態では失敗する可能性だって大きい。  
無理をして殺されるのは、頭の悪い人間のすることだ。  
この男のすることは腹立たしいけれど、手はそれほど嫌いじゃないから、殺すのは少し先に延ばそう。  
身体の芯でくすぶっている熱を誤魔化す言い訳を見つけると、帰蝶は細めていた目を開いて、信長を見上げ、  
「そうね……。貴方を抱きたいわ……」  
と、信長の手に重ねていた手を差し伸べた。  
 
信長の口がまた小さく笑った。  
本当になんて失礼な男なのだろう。  
けれど、帰蝶はその男の首に手を廻し、自分の方へと引き寄せて、不慣れな動きで自分から唇を塞いだ。  
それでも自分から舌を進められずにいると、唇を割って信長の舌がもぐりこんできた。  
まだ躊躇いはあったけれど、帰蝶は自分から舌を寄り添わせ、両腕で信長の肩を抱きしめた。  
先ほどとは違い、ゆっくりとした動きで、口の中が探られる。  
舌が舌と螺旋を描き、逃れ、歯の根の上を滑っていく。  
舌の裏がくすぐられ、唇を吸われ、離れていってしまったかと思うと、また口を塞がれる。  
自分と信長の境がよく分からなくなってきた頃、帯が解かれた。  
手のひらが腹に触れ、乳房を直に弄んでいる。  
「っ……は、ぁ…………」  
柔らかい肉が信長の手の中で形を変え、帰蝶の中の情欲を高めていく。  
何か物足りなさを感じ始めていると、信長の顔が離れていった。  
目がかすんで表情が良く見えない。  
はっきり見ようと、目を細めようとした瞬間、信長が胸の先に歯を立てた。  
「あう、んっ!」  
一際強い痺れが身体を走った。  
「ふ、ッ……う、あ、ああっ!」  
執拗に吸われ、反対側の乳首も手で強く嬲られて、帰蝶はびくびくと背を反らした。  
また自分が消えてしまいそうな感覚にとらわれ、  
「あ……や……」  
思わず口から声をもらすと、信長は口を離し、くくっと笑った。  
 
「信長を抱くには、……まだ、早い……な」  
悔しかった。  
悔しかったけれど、言い返す言葉を探す余裕も無く、ただ信長を睨むように見つめると、信長の手が何の前触れもなく脚の間に滑り込んできた。  
反射的に脚に力が入ったが、閉じてしまうことだけはどうにか堪え、帰蝶は信長の寝巻きの肩を握り締めた。  
指が身体に触れた。  
まだ入り口とも言えない場所なのに、体中がその指を欲して疼いているのが自分でもよく分かる。  
信長の指がゆっくりと押し進められていく。  
信長は相変わらず薄く笑っているように思えたが、帰蝶はどこを見ていいのか分からずに、すがるような表情になっていることにも気づかず、ただ信長の顔を見上げていた。  
指が身体の入り口までたどり着くと、それは難なく身体の中に入り込んできた。  
思わず息を呑む。  
ぬるつく感触と共に、信長の指が動き始めた。  
「は……あ、くっ……」  
ゆっくりと抜き差しを繰り返されているだけらしいのに、勝手に喉が鳴る。  
その声を押し殺そうと唇を噛むと、指が増えた。  
「ぁあッ!」  
今までとは違うように身体を内側から荒らされ、ぐちゅぐちゅという音が耳に届く。  
「あっ……んっ!……は、ふっ…………んあッ!」  
もう上がる声を堪えられない。  
また自分の意識の在り処が不確かになっていき、帰蝶は信長の肩に額を押し付け、すがりついた。  
 
口の端から唾液が流れていくのが分かるのに、拭う余裕すらない。  
そんな帰蝶に構うことなく、信長は片手で乳房を弄びながら、帰蝶の中を更に荒らしてくる。  
どこかに登っているのか、落ちていっているのか、それすらもあやふやになって来た頃、身体の中にあったようやく抵抗が無くなった。  
「はっ……、は……」  
短く息を継ぎ、身体から力が抜けたのもつかの間、脚を大きく開かれた。  
「なにを……?」  
おぼつかない頭でそんな風に問うてしまってから、帰蝶は愚かな質問をしたものだと思った。  
「もうよい……な」  
指とは明らかに違うものが身体に触れている。  
今更駄目と言う気はないが、僅かに躊躇すると、信長はそのまま身体を寄せてきて、耳元で再度、  
「よい、な」  
と尋ねた。  
信長の首に腕を巻きなおし、帰蝶が微かな声で、  
「ええ……」  
と応じると、身体にかかっていた重さが増した。  
身体の中に熱い塊が容赦なく侵入してきて、引き裂くような痛みが身体を貫いた。  
「……あッ!」  
掠れた自分の声が耳に届いた。  
どうにかして、痛みを逃そうとして帰蝶は無意識に信長にきつくしがみつくと、髪を撫でられた。  
子供をあやすような手の動きだ、と心のどこかで思いはしたが、帰蝶はひどく安心して、身体の力を少し抜いた。  
 
「んっ、く……!あ、はっ……ああっ!」  
内側から身体を圧され、かき乱されて、帰蝶は痛みと快楽の熱の間で乱れた。  
信長は口を開かない。  
ただ、耳に届く息遣いが次第に荒くなっているのは感じていた。  
痛みも快楽も区別がつかなくなり、どちらの感覚が自分を支配しているのかも分からなくなった頃、帰蝶は意識を失った。  
自分が落ちていく瞬間を感じたのに、不思議ともう恐怖は感じなかった。  
 
ふと目を開くと、ふすまの外が僅かに白んできていた。  
身体を起こそうとしたが、けだるさが抜けず、帰蝶は顔だけをゆっくりと動かした。  
信長の寝顔が目の前にあって、ほんの少し、身体が熱くなった気がした。  
寝顔ですら何を考えているのか読み取れない顔をしている。  
帰蝶は布団から手を出すと、僅かに乱れている信長の前髪をそっと払った。  
まだ起きない。  
これでは刺されても文句は言えない。  
やはりうつけなのだろうか。  
そう思ったら、帰蝶は少しおかしくなった。  
「いつか貴方を抱いて見せるわ……」  
そう呟くと、帰蝶は手を布団に戻し、信長に身体を寄せて、また目を瞑った。  
 
終  
 

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