時は早春、夕暮れの街道。日暮れで少し紅く染まった桜を舞わせながら、風は彼の前を通り過ぎた。
その風に流れる髪を押さえながら、彼はひらひらと桜が踊る茜色の空を見上げる。
「───もう、春が来るのか・・・」
黒目がちで、そして少し端がつりあがった大きな目を眩しそうに細めながら、
彼は帰路への足を止め、立ち止まる。
人通りの少ない夕暮れの桜街道は、ふとすればそのまま夢へ続いているような錯覚を覚えてしまう。
(───いや、今私がここに居ること自体、夢なのか、現なのか───)
ぐらりと、足元が揺らいだような気がした。
「んっ・・・!あっ、はぁ・・・・・・!」
月明り眩い、紫雲流れるその日の夜。蝋燭の淡い灯は、薄い障子に二つの肢体を艶かしく映していた。
「あぁん・・・!もっと・・・、もっと奥まで来てええよぉ・・・!」
嬉しそうに妖しい声を上げながら、女は自ら腰をがくがくと揺らす。
綺麗に切りそろえられている肩越しまでの髪が、何度も前後に激しく乱れていた。
彼女の誘いに応じるかのように、彼は最奥を目指して同じく腰を打ちつける。
肉のぶつかり合う音が、二人を一層興奮させ、快楽に浸らせていた。
間も無く女が高い声を上げて絶頂を迎える。そしてその後を追うように、男も程なく女の中で爆ぜるのだった。
「ん・・・はぁ・・・・・・」
満足した、といった様子で、女は男に笑顔を零した。
「随分上手くならはって・・・。もううちすぐいってしまうよになってもうたなぁ・・・」
朝露のように流れ落ちる汗を腕で拭いながら、女は男の胸に頭を寄せた。
男の胸といっても、まだ若い彼の胸板は薄い感じがする。
それでも引き締まった筋肉と、やはり女性よりかは広いそれが、女は好きだった。
「誉められるのは嬉しいのですけど、こういうことが上手くなるのは、
・・・ええと、なにやら良いのか悪いのか複雑な気もしてしまいます・・・」
少し顔を朱に染めながら、男は困ったように呟く。
そんな様子を女は可愛らしいと思いつつ、しかしあくまで拗ねたようにそっぽを向いた。
「あら、上手くなってくれればくれるほどうちは嬉しいのに、そういうこと言いますか」
すると慌てて男が返す。
「いや、そういうわけではないのです!・・・貴女が喜んでくれるのなら、私はいつだって・・・」
そのまま細い女の体を寝床にそっと押し倒す。
「・・・何度だって。」
強い光を瞳に宿しながら、男は女を見つめた。
二人はしばらく黙って互いに見つめあい、──やがて女が堪え切れなくなった様にくすくすと笑い出す。
「あ、いや・・・」
そんな女の様子に困ったそぶりを見せながら、男は押さえつけていた女の手首から手を解いた。
「だから、その・・・。こういうこととか、私の性にあってなかったような気がしてたから・・・」
目線を所在無げにさせながら、男は弁解するように言った。
そんな男の様子に、女は一層楽しそうに笑う。
「ほんに可愛らしいなぁ、蘭ちゃんは」
「・・・その呼び方は止めてくださいって言ったじゃないですか」
整った、まるで女性と見間違うような顔を顰めながら、呼ばれた男は非難する。
「今更蘭丸はんとかゆうのもなんやしなぁ・・・。それにうちこの呼び方気入ってるのやけど」
人差し指を口元に当て、とぼけたように視線を上にして女が言う。
「大体うち、そろそろ蘭ちゃんには様付け止めて名前で呼んで欲しいのやけどなぁ?」
今度は悪戯っ子の様な視線を男に向けながら、女は少し意地悪く微笑んだ。
「そんな、それこそ、今更私にとって無理な話なのですけど・・・」
再び困ったように、男は視線を落とす。出会ったときから使っていた呼び名で、しかも自分より年上の女性相手となると、
なかなか名前だけで呼ぶことは男にとっては難しいものがあった。
「・・・全く筋金入りの礼儀正しさってことなんやろかねぇ」
やれやれ、といったように息をつきながら、それでもそんな男が愛しくて。
女は優しく、男の頬に唇を寄せた。
「・・・阿国、様・・・。」
切なそうに、男は女の頬に自分の頬をすり寄せる。
二人が出会ってから一つ目の季節が過ぎ去り、そして二つ目の季節を迎えた始めだった。
伊勢長島から蘭丸を連れて出雲に戻った阿国は、出雲大社に居を構え、彼と安息の生活を送っていた。
大社の管理をしながら、気が向けば歌を詠み、舞を踊る。
舞に関しては、時には巷で披露する事もあり、少しばかり有名にもなりつつあった。
そしてまた気が向けば、──互いを求め合う。
「春はええなぁ。桜舞い散る下で舞うのは、うち昔から好きやったのよ」
穏やかな日差しに咲き誇る桜を見やりつつ、いつもの巫女服を着けながら、
阿国は心持ち胸躍っているかのような様子で蘭丸に話していた。
話しかけられている彼の方は、昨日の睦み事の所為かまだ眠たいといった様子で、
暖かい陽気にまどろみながら寝ぼけ眼を気だるそうに擦っている。
それを見てくすくすと笑いながら、阿国は着替えたら朝御飯にしましょ、といって部屋を出て行った。
ぱたぱたと軽い足音がやがて遠ざかり、消えてゆく。
欠伸をし、軽く背伸びをしながら、蘭丸は開かれた障子の向こうにある景色に目を移した。
成長しきった桜の大樹が何本も立ち並び、薄桃色の花々を絢爛に咲かせている。
───夢なのではないかと、彼は思う。
斉藤家から明智光秀と共に織田信長に仕え、戦乱の世を終わらせる為に戦に明け暮れていたあの日々。
心の底から、蘭丸は信長を尊敬していた。それは崇拝にも似たようなものだったと思っている。
一見冷酷無比な戦略も、考えの読めない物言いも、蘭丸には関係なかった。
それは、知っていたからだ。彼が──、織田信長が、全ての業を背負うという覚悟を持っていることを。
だからこそ蘭丸は、彼のために身を粉にして働いた。その覚悟を少しでも肩代わりできればと、
さながら修羅の如く戦場に身を投じた。
弓が空を切る音、腹に響く銃声、人の声。泥に塗れ、血を流し、──血を浴びる。
人を、殺す。
しかしそんな日常は、ただ、たった一人の女性の手を取っただけで変わってしまった。
地獄のような戦場で、彼女は踊るようにそこにいた。
『さあ、一緒に出雲に帰りましょ』
煌びやかな番傘を差し、か細い白い腕は差し伸べられた。蘭丸に。
いつも通りの、埃に塗れた、血に穢れた戦場で、異質な存在の彼女に蘭丸は選ばれた。
何を馬鹿げたことをと一蹴できなかったのか、今でも全く解らない。
後も先も考えず、ただ呆けた様に、蘭丸は彼女の手を取っていた。──さながら夢に堕ちる様に。
──いや、夢に、堕ちてしまっているのかもしれない。
「もう!蘭ちゃんいつまで寝てはりますの!?朝御飯の仕度はとっくに出来たのに!」
いきなりたん!と襖が開き、そこから怒った顔の阿国が現れる。
「あ・・・、も、申し訳ございません!」
我に返った蘭丸は、慌てて襦袢を羽織り、仕舞ってある普段着を取りにかかる。
全く・・・。と手を腰に当てながら、ぷうと頬を膨らませている阿国を見て、
蘭丸はこれ以上機嫌を損ねないようにと思いながらも、幸せをかみ締めていた。
───そこで、はっと我に返る。
「蘭丸?どうしました?」
聞き覚えのある声。縁側の向こうに佇む人影。逆行で見えなくとも判る。
亜麻色の髪の一部を括り、桜色の着物に身を包む、天下一の美女とされている女性。
陽が雲に隠れると、儚げな瞳をこちらに向けている顔が見えた。
「──お市・・・様?」
答えずに市は背を向ける。庭先に立っている彼女にひらひらと桜が舞い落ちる。
穏やかな午後だった。
「それで、話とは一体なんでしょうか?」
背を向けたまま、市は蘭丸に問いかける。
「・・・話・・・?」
ぽつりと、呟く。その前に色々な疑問が湧き上がる。
(私は・・・、阿国様の手を取り、出雲へ行って・・・。織田家から離れた生活をしていたのではなかったのか・・・?)
頭を抱え、先刻ほどまで味わっていた幸せを思い出す。
しかし阿国に触れていた感触も、出雲で暮らしていた日々も、
まるで絵空事のように遠いことだったような感覚がしていた。──さながら、夢であったかのように。
再び振り向いた市は、そんな蘭丸の様子に首を傾げる。
「話があるといって呼んだのは貴方でしょう、蘭丸」
少し険を含ませる声音で言って、眉根を寄せた。
「あ・・・、申し訳ございません、なにやら白昼夢を見ていたようで・・・」
未だ実感の入らない調子で、蘭丸が呟いた。それを聞いて、市はそっと近寄ってくる。
「最近戦や内政などで疲れているのではないですか?少しお休みなさい、蘭丸」
心配そうに蘭丸の顔を覗き込みながら、彼女は優しく、彼の頭を撫でた。
そんな彼女の態度をぼんやりと眺めつつ、そして自分が話そうとしていた内容を思い出し、
蘭丸はさっと手を振り払って彼女を見つめた。──憎しみをこめて。
「・・・私の父、森可成が浅井家と朝倉家によって討ち死にしたのはご存知ですよね」
小声で呟くように、蘭丸は言った。市が身を竦めるのが感じ取れる。
それを敢えて気に留めず、彼は続けた。
「貴女が織田家に戻ってきてから、私は信長様に申し上げました。浅井、朝倉家は私の父の敵。
──よってお市様も例外なく私の恨むべき敵であると」
彼女は何も言わない。ただそれまで心配そうにしていた顔を強張らせ、黙って蘭丸の言葉を聞いている。
「・・・信長様は、ただ一言。討つなとだけ仰いました。・・・貴女様は、あの方に大事にされているのですね」
冷たい風が、薄桃色の花びらと共に二人の間をふき抜ける。
地べたに落ちた花は、砂埃にまみれ、誰かに踏まれた跡を残して汚らしく見えた。
「それでも・・・。心中お察しします、お市様。小谷城での件、さぞや心苦しかった事でしょう」
ぴくりと、市の眉が動いた。
「いくら悲しんでも、憎しみを抱いても・・・詮無き事。それだけです」
風に散らばる髪束を手で軽く握りながら、まるで独りごちるかの様に市が呟いた。
「それにしても、私に憎しみを抱いているのでしょう?何故その様な事を」
面でも付けているかの様な冷たい表情で、市が言った。
元々二人は普段から言葉を交える間柄ではなかった。
だから単に気遣いの言葉を言いたかったというのでは、おかしい様な気がしたのだ。
「詮無き事、ですか・・・。本当に、お市様は憎んでおられないのですか?」
誰を、とは言わない。それは彼女にも伝わっているはずだ。蘭丸は純粋にそれが知りたかった。
市は織田家に戻ってきてから、恐ろしすぎるくらいに静かな様子だった。
信長にでさえ何も言わず、ただ日々を淡々と過ごす彼女の心中が、蘭丸にはどうにも計りかねた。
──気持ちは薄れたというものの、未だ自分は彼女に少なからずの憎しみを抱いているのに。
案の定、淡々とした口調で彼女は答える。
「言ったでしょう、詮無き事、と。実兄であるお兄様に憎しみなど抱くことなどありません。
ただそれが私の運命であったということなのでしょう」
「いいえ、私はそんな建前が聞きたいわけじゃない」
最後まで言わせず、蘭丸が口を挟む。
「長政殿の最後は潔かったそうですね。お二人は仲睦まじいと聞いておりました。」
沈黙に徹する市に、更に言葉を畳み掛ける。
「伝令から長政殿の最後の様子はお聞きになりましたか?」
「・・・め・・・て・・・」
か細い声で、彼女が何かを言うのが聞こえる。
「今日のように、晴天だったようですよ。切腹する最後の言葉に・・・」
「もうやめて!!!」
堪えきれずに、悲鳴のような声で市が叫んだ。その様子を至極冷静に、蘭丸は伺う。
「聞いておりますとも!最後の言葉は私に・・・!!聞いていないわけがないでしょう!」
それだけ言って、縁側に座る蘭丸の前にしゃがみ込み、市は頭を抱えて泣き叫んだ。
「憎くないわけがない・・・。愛しい長政様を奪ったあの人が・・・、憎らしくないわけがない!!」
呪詛のように吐き出しながら、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったその顔を、
市は蘭丸にきっ、と向けた。憤怒の色を浮かべながら。
「これが私への報復ですか・・・!貴方の父を奪い取った私への報復なのですか・・・!」
狂ったように目を見開きながら、彼女はゆらりと立ち上がり、蘭丸の襟元を鷲掴む。
是であるとも非であるとも、蘭丸は思った。
父の敵である市が自分のすぐ傍で、敬愛している信長の庇護の下に暮らしているのは気に食わなかった。
しかしそれとは関係なく、単に傍から見て世を達観してしまったような彼女の、その本音を聞いてみたい。
それもまた、蘭丸の思うところであった。
「ならばその恨みで私を壊せばいい・・・!!」
そう言って彼女は、自分の首に、蘭丸の両手を回させる。
ほっそりとしたその白い首は、おもったより暖かかった。
「憎かったのでしょう、私が。壊してしまいたかったのでしょう・・・?」
泣いて笑いながら、市は自分の首に回っている蘭丸の手を握り締めた。
そして、ぽつりと呟く。
「もう・・・、壊して・・・」
言われたとおり、彼は至極乱暴に彼女を組み敷いた。
桜が揺れ、木漏れ日が優しくさすのどかな屋敷の縁側で、
蘭丸は引き裂くように市の着物を剥ぎ取り、露になった裸体を虐めた。
余り大きくはないが、形の良い乳房をぎゅっと掴み、その先端を無理やり勃たせる。
更にそれを舌先で弄り、強めに咬み、指で捻ったり抓ったりした。
市はそれを見ることもなく、無論蘭丸を見ることもなく、涙の乾いた跡を拭うわけでもなく、白痴のように無反応だった。
それでも体は温かかった。血色の良い白い肌。うら若き女性の、はりのある肉。
彼はそれに歯形をつけ、或いは赤い跡を落として犯していく。
それはまるで夢の中の出来事のようだった。現では有り得ない状況と戯れ。
それでも、前戯によって否応なく反応していく彼女と自分の体と体温が、生々しくこれが現実だと蘭丸の五感に訴える。
(こんなつもりでは──多分、なかった)
散々彼女の体を蹂躙してから、ふと蘭丸は思った。
恨んでいても、怨んではいなかった。ましてや壊したいなどとは夢にも思っていなかった。
(結局のところ、嫉妬心だったのか?・・・浅ましい)
そう自己嫌悪して、それもある、と思いながら、それでもそれだけではない、と考える。
市が織田に戻ってきてから、初めてやりとりした言葉の内容を思い出す。
花は散るからこそ美しい、だから私も武士として美しく散りたい。
そういった蘭丸に、彼女は言ってくれたのだ。少し哀しそうに微笑みながら。
──それでも、市は思うのです。散るとは分かっていても、散って欲しくない。
詮無き事ですが、といつものように付け加えて。
だから、打ち明けて欲しかったのだ。彼女の抱えている、誰にも言えない本当の言葉を。
だから、彼女の本音が知りたいと、蘭丸は願ってしまったのだ。
秘め処にそっと指を這わせる。当然のようにそこは乾ききっていた。
今度はその少し上にある肉芽を軽く指で押さえる。あまり肉芽の感触がしないそこを、
ひたすら執拗に愛撫し続けると、そのうちぷくりと芽生えてきた。
案の定、再び秘め処を探ると、蜜がとろりと湧き出ている。
それを肉芽に撫でつけ、滑りを良くしてから更に擦り続けると、ぴくりと市の体が動いた。
「お市様・・・」
「もう・・・そんなことは止めてください・・・。貴方は私を壊したかったのでしょう?
い・・・、今更そうやって私を悦ばせて・・・、んっ、あ・・・っ!」
最後まで言わせないように、蘭丸は爪先で少し強く肉芽を弾いた。
「いいえ、壊れさせなどしません」
溢れる蜜を絡ませ、ぐちゅぐちゅと音をたたせながら、蘭丸は静かに言葉を続けた。
「壊れて、何も感じなくなってしまっては、貴方は私の憎悪を忘れてしまう・・・。だから私は貴方を壊さない。
──私の存在を忘れさせない・・・!」
次第に息遣い荒く、蒸気してくる市の顔を見つめながら、蘭丸は心中で懇願した。
(私のことを、どうか忘れないでください・・・)
十分に潤った秘め処を確認して、蘭丸は硬くなった自分自身をそこにそっとあてがった。
くちゅり、とぬめった感覚が広がる。
「お市様・・・!」
「んっ・・・!あああぁっ・・・・・・!」
そのまま一気に市の胎内へと押し進める。ずぶずぶと包まれる感覚に、ずぶずぶと貫かれる感覚に、
二人は堪らず声を上げた。
「あ・・・貴方なんて・・・!大嫌い・・・!」
膣内をひくつかせ、蘭丸の肉棒を溢れ出る蜜でじっとりと濡らしながら、市は必死にそれだけ吐き捨てた。
蘭丸も八方から鬩ぎ合う肉圧の快楽に溺れそうになりながら、やはりやっと声を絞り出す。
「私も・・・、貴女が大嫌いだ・・・!」
「私は愛しているのよ、あの人を」
頭上から聞こえてきたのは、やけに高圧的で、艶のある声だった。
その声で目が覚めたような気がして、慌てて辺りを見渡そうとする。
しかしそれは出来なかった。首元に鉤爪が押し当てられていたからだ。
ぞっとして体を固くする。そして瞬時に判断する。
──これは、姫君様のものだ。
「濃姫様・・・!」
呼ばれた本人は真っ赤な唇の端だけ歪めて笑いながら、蘭丸の下半身を細腕で弄っていた。
(さっきのお市様との・・・は・・・・・・、夢だったのか・・・・・・?)
その前も同じことがあったような気がして、──今はもうどんな夢だったか思い出せないが
──蘭丸は一体自分が、現実がどうなっているのか判らなくなった。
彼がそんなことを思いあぐねているうちにも、濃姫は片手であっという間に蘭丸の服を剥いていく。
それに気づいた蘭丸は、慌てて既に遅い非難の声を上げた。
「なっ、何をなさるのですか!おやめください!!」
「今更止めろだなんて、野暮な男ねぇ・・・。まぁ、まだ男だとは、私思ってないけど」
意地悪く笑いながら、彼女は慣れた手つきで蘭丸のそれをしごきだす。
「ん・・・っ!!の、濃姫様・・・!?」
「お黙りなさい」
更に抗議しようとした蘭丸を制して、濃姫がぴたりと鉤爪を彼の鎖骨近くに食い込ませる。
出かかっていた言葉を止め、蘭丸はごくりと唾を飲んだ。
「まだ分からないの・・・?」
蘭丸の皮膚に浅く掠っている爪をゆっくりと下へ下へと這わせながら、濃姫は嬉しそうに言葉を紡ぐ。
「あの人の愛でるものは、私の愛でるもの。蘭丸、例えそれが貴方であっても、ね・・・」
とても愛という言葉を発する人間が浮かべるようではない、ぞっとするような微笑を顔に携えながら、
濃姫はもう必要ないとでもいうように、蘭丸の腹まで這わせた鉤爪を枕元にそっと捨てた。
底知れぬ威圧感と恐怖で、蘭丸の全身がじっとりと脂汗で濡れる。
鉤爪が這った彼の上半身にはうっすらとその跡が残り、所々血が滲んでいた。
──抵抗など、出来る筈がない。
観念したように顔を背ける蘭丸を見て、濃姫は心底嬉しそうに笑った。
「怖がらなくていいのよ?私は、ただ貴方を愛でてあげたいだけなんだから」
月も見えない夜だった。ただ轟々と、激しい風が屋敷を震わせる。
がたがたと揺れる蝋燭に不安定に照らし出される彼女の顔は、恐ろしく、恐ろしく美しいと蘭丸は思った。
自分が敬愛する男の妻。そんな彼女に玩ばれている罪悪感が、蘭丸の胸に毒を落とす。
「いいのよ、困るようなことなんてなにもないんだから。だってあの人のものは私のものだもの」
見透かしたような事を言いながら、濃姫は蘭丸の上半身を隅々まで愛撫する。
その手が、指先が、そして舌が人のものとは思えないほどひやりとしていて、
彼はまるで無数の蛇が体中を這い回っているような感覚を覚えた。
「これが初めてだとは思ってないけど、女にこうされることは中々ないんじゃない?」
言いながら、濃姫はまだ固い蘭丸の菊孔につぷりと自分の中指を差し入れた。
「ひ・・・っ!!??」
いきなり自分の中に侵入してきた異物の冷たさと痛さに思わず声を上げながら、
蘭丸は逃げられないと分かっていても逃げようと身を捩らせる。
「・・・可愛らしいのね」
その様子に満足しながら、濃姫は無神経にずぶずぶと指を埋めていく。
そして、あるところでぴたりと指を止め、彼の耳元で優しく囁いた。
「大丈夫よ、すぐに気持ちよくなるから」
止めたところで指先をくいと折り曲げ、その部分を激しく刺激する。
「ふ・・・?ぁ・・・ぁあっ・・・!?」
言葉通り初めての感覚に、蘭丸は目を見開いて体をくねらせた。
今まで全く犯されることのなかったそこは、可笑しい位に蘭丸を昇り詰めさせて行く。
「うぁ・・・!の、のうひめ、さま・・・!」
「いいのよ・・・。いらっしゃい・・・」
まるで子供を諭す母親のような声音で呟き、濃姫は彼の肉棒に口をあてがった。
「・・・・・・っ!」
あっという間に、果てる。放たれた液をこくりと飲み干して、濃姫は妖しく笑った。
「やっぱり大方男はそこがいいらしいわね。・・・あの人は中々果てなかったけど」
そんな言葉も、一瞬意識を手放した蘭丸にはほとんど聞こえてなかった。
ただ微笑む濃姫の顔を、呆然と見ることしか出来ない。
「な・・・ぜ・・・」
うわ言の様に、それだけ繰り返す。
それを鼻でふと笑って、濃姫は朱に染まった蘭丸の頬を愛しげに撫でながら言った。
「理由はさっきから何度も言っているじゃない。それより・・・、もっと楽しみましょう」
数秒前に爆ぜたそれを今度は口で咥え、飲み込むように蹂躙していく。
「ぁ・・・はぁ・・・!」
このまま全て彼女に食べ尽くされてしまいそうな感覚を覚えながら、
蘭丸は底の見えない快楽に頭からつま先まで身を沈めていった。
「貴方、あの人を愛しているんでしょう?」
蘭丸の下半身を充分に口で堪能した後、
濃姫は唇の端からついと垂れる涎を見せつけるように腕で拭い、さも可笑しそうに笑った。
蘭丸はもはや与え続けられている快楽によって上手く機能しない脳の端で、
敬愛という文字にそれが含まれているのならば、彼を愛しているといってもそう相異はないのかもしれないと考えていた。
ただそれを口にしたくても、もう上手く呂律が回らない。
その沈黙を肯定と取ったのか、濃姫はそうよね、と納得して頷く。
「だったら貴方、私を愛しなさい」
それが至極当然、とでも言うかのように濃姫は冷たく言い放った。
とても愛してくれと言っている様には聞こえない。
だがやはりそんな抗議ができるわけもなく、蘭丸は滔々と流れる濃姫の話をただ聞くことしか出来ない。
「あの人は私のものだし、私はあの人のもの。
あの人を愛し、その身を捧げると言うのならば、私にも同じ想いを抱いてくれなくちゃね?」
薄く、血のように赤い唇の端を綺麗に上げて、濃姫が言う。
妖艶で恐ろしい、魔王の妻。
逆らえない威圧感をひしと身に感じながらも、
蘭丸は首を縦に振ることも横に振ることも出来ないで彼女を見つめていた。
そんな蘭丸の様子を優しく眺めながら、濃姫は彼の唇を冷えた指先でそっとなぞる。
「・・・呼びなさい。私の名前を」
あくまでも穏やかに、詩を詠うように命令する。──呼べない筈がない。
「き・・・ちょう、さま・・・」
擦れた声で、名を口にする。それを聞いて、濃姫は満足したようににこりと笑った。
「いい子ね・・・。ご褒美をあげるわ・・・」
そのまま蘭丸に跨り、ゆっくりと腰を降ろしていく。
焦らすように腰をくねらせながら降りてくる彼女をもどかしく思い、
蘭丸は急かすように両手で濃姫を抱きしめた。
「欲しかったんでしょう?」
遊女のように微笑む彼女に、ゆらりと一枚の花びらが舞い落ちるのを、蘭丸は見た──。
「───っ!!」
がばりと身を起こす。
「・・・っは・・・!」
ばくばくと高鳴る心臓を押さえながら、蘭丸は体を捻って左右を見回す。
気が付くと、そこは少し狭い小部屋だった。
(夢、───か?)
独りごちた後、寝汗でびしょびしょに濡れている体に軽く不快感を覚える。
「ああ、目を覚ましましたか」
不意に背後から声を掛けられ、蘭丸はびくりとして後ろを振り向く。
そこには、引き戸を開けた光秀が立っていた。
「ああ・・・、光秀様」
全面的な信頼を置いている彼の存在に安堵しながら、蘭丸は額からしとどに流れ落ちる汗を拭って微笑した。
「どうしました?少し顔色が悪いようですが」
それに気づいた光秀は、眉根をひそめて蘭丸に尋ねる。
「少し悪い夢を見てしまって・・・。・・・夢で良かった」
冷えた自分の体を確認するように抱きしめ、蘭丸は苦笑した。
──そうだ、夢だったんだ。今までのことは全部、夢。
「それならいいんですけどね。それにしても貴方はここのところ働きづめなのだし、
そろそろゆっくり休んで鋭気を養った方が良いですよ」
どこかで聞いた言葉を口にしながら、光秀が障子をすっと開ける。
季節は既に夏だった。蝉の鳴き声が辺りに響き、輝かんばかりの太陽に目が眩む。
そんな景色にぼんやりと見惚れていると、光秀がぽつりと言葉を落とした。
「私は・・・最近あの方のことが良くわかりません・・・。」
「・・・光秀様?」
それは、彼にとっては独り言だったのかもしれない。
訝しげに見やる蘭丸に、光秀は曖昧に微笑んでそれ以上は何も言わなかった。
「私はこれから信長様の所へ参ります。・・・所用で呼ばれていますのでね。
蘭丸、貴方もこんなところで寝ていないで仕事に戻りなさい」
「あ・・・」
それではまた後ほど、と言って、光秀は再び小部屋から出て行く。
一人になったその部屋で、蘭丸はどことなく違和感を覚えていた。
──こんなことは知らない──
そう、知らないのだ。市や濃姫とのことは、遠い昔の何処かで、そういえばそんなことがあったような気もしていた。
しかし、──これは知らない。
全く知らないのだ。
それまでが夢だったのに、夢であった筈なのに、蘭丸は急に不安になる。
「光秀様・・・」
心臓が高鳴る。急いで引き戸を開けて、去った光秀に声を掛けようとするが、既に姿は見えない。
ひやりと冷たいものが胸を横切ったような気がした。
「光秀様・・・。光秀様・・・・・・!!!!」
ありったけの声で叫びながら、蘭丸は自分の意識が再び暗転するのを感じていた。
──・・・ゃん・・・!ら・・・ちゃ・・・!──
気が付くと、目の前には見慣れたような、懐かしいような顔がそこにあった。
「蘭ちゃん!!」
──阿国だ。花の簪に金の髪飾り。綺麗に切りそろえられた黒髪は、初夏の日差しを受けてきらきらと輝いている。
「阿国様・・・」
「全くもう、いつまでぼーっとしてはりますの!こない人通りの多い所で急に立ち止まられたら、恥ずかしゅうて堪らんわぁ」
道歩く人の邪魔にもなってしまいますやろ、と付け加え、ぷいと彼女はそっぽを向いた。
「ここは・・・」
確かに彼が立っているのは、直前まで帰路を目指している途中に歩いていた街道だった。
しかし空に舞っていた桜の花びらはとうに散り、木々には既に青々とした緑が茂っている。
抜けるような青空に眩しいくらいの萌木。
「私は・・・一体、どこで何を──」
「何をって、今は蘭ちゃんうちと買出しに行ってる途中やろ?」
余りに様子のおかしい蘭丸をきょとんと見つめながら、阿国は大きめの番傘をくるくると回転させる。
「少し熱いから日の落ちたころに急いでいこてうちゆうたのに、
蘭ちゃんが日差し浴びて歩くのもたまにはええからてゆうからこうして・・・」
「ああ・・・」
そこまで聞いて蘭丸は、そういえばそうだったのかもしれないと思った。
そういえば、──全部夢だったのかもしれない。
──と、突然どこからか号外―!号外!と大きな声が聞こえ、辺り一面に紙吹雪が舞った。
──さながら春の桜吹雪のように。
街道を歩く人々も足を止め、号外の売り子からそれを売ってもらったり、
辺りにひらひらと舞うそれを手にとったりして、声を上げたり不満を漏らしたりしている。
蘭丸は地面に落ちたその紙を拾って、その文面に目を通した。
『明智十兵衛光秀、本能寺にて謀反』
そう書かれた見出しを読んで、蘭丸は思わず息を呑んだ。
(──光秀、様・・・)
夢で彼が零した一言を思い出しながら、蘭丸はその見出しを何度も頭の中で反芻する。
(という事は、信長様は───)
「なんやらえらい大変な事になっとるようやなぁ」
胸中で色々と推し量っている蘭丸を他所に、本気で大事だと思っているのか随分疑わしげな声音で言いながら、
阿国は号外を見出しだけ一瞥してひょいと風に流す。
そんな阿国に蘭丸は何かを告げようとした。
「私は・・・!」
その声に、再び歩みを進めようとしていた彼女は足を止め、肩越しに彼を見やる。
「私は・・・、・・・二人の男の背中を追いかけながら、様々な人々の生き様を修羅の道の中で見てきました・・・。
一人は人々の業をただ一心に一人で背負おうと覚悟を決め、
そしてもう一人は、人の業にどこまでも誠実であろうとしながら生きていた・・・。
その中で、私は・・・」
「切ない、夢やなぁ・・・」
「・・・え・・・」
それだけ言って肩越しから彼女は、じっと蘭丸を見据えていた。
どこまでも純粋で、憂いを帯びていて、──どこまでも、ただ美しいとしか思えなかった。
それを見て、蘭丸は呟く。
「夢・・・か・・・」
夢だったのかもしれない。いや、夢なのだろう。それまでも、どこまでも、・・・これからも。
「ひと時の夢は現に交わり、そして現は夢へとまた還る・・・」
言って少しだけ寂しそうに、嬉しそうに彼女は笑って。そしてまた、彼女は彼に手を差し伸べた。
「さあ。還りましょ」
何処に還るのだろう。
夢に、現に、過去に、──今に?
───寧ろ、堕ちてしまうのかもしれない。
甘い幸せに。
そうやってたたらを踏んでも、彼はやはり手を取ってしまう。──彼女が笑っているのだから。
阿国は蘭丸のその手をぐいと引っ張り、彼を引き寄せ傘に入れる。
蘭丸が驚くと、彼女は日差しは熱いでしょう、と言って微笑んだ。それにつられて、彼も笑う。
紙ふぶきに紛れて、遅咲きの桜がひらひらと今年最後の舞を見せる。
そんな街道の真中で、一輪の花のような傘はくるくるくるくると回り、やがて人ごみに紛れて消えた──。