「・・・ふん。わしの一つ眼に、貴様如き小者は映らんのだ真田信之」
真田信之。
後に日の本一の兵と謳われる真田幸村の兄であり・・・。
「無礼な・・・言うに事欠いて!」
と怒っている小松殿こと稲姫という女性の夫であった。まあまあと妻を宥めつつ、信之が肩をすくめる。
「お前も忠輝様の説得か? はは、黒幕だって疑われてるもんな。今まで苦労して積み上げた信頼が台無しになるところだ」
「・・・まあ、な」
クシャっと髪を掻き上げ、政宗は瞳を細めた。
「お互い、得点稼ぎに必死だな真田」
「全くだ」
こと真田を強調する政宗に、信之が苦笑する。真田信之は徳川家康の養女を娶った信頼篤き名将だが、14年前に父・昌幸が西軍についたことから立場は危うい。
「俺の女房、形式上は忠輝様の姉貴だろ? 大御所の命令で忠輝様を諫めに来たんだよ」
「徳川殿は御壮健、か。ふ・・・あれでは秀忠様の立場があるまい」
まだ隠居せぬのか。目の眩む思いに政宗はそっと嘆息する。
「その秀忠様に疎まれてる俺としては、是非とも大御所に長生きして頂かないと困るんだがね」
真田家の徳川キラーとしての評判は、既に30年来のものである。そして14年前、真田昌幸・幸村に煮え湯を飲まされたのが秀忠だ。以来、昌幸の長男である信之もうとまれている。
「・・・ふん。いっそ、忠輝殿を担いで謀反でも起こすか?」
「バカ言え」
「徳川様には絶対に勝てぬものかな・・・。例えば、イスパニアの艦隊が忠輝についたとしても?」
「イスパニアね・・・」
と反芻し、信之が苦笑を浮かべた。
「忠輝様の背後にはキリシタンがいると見たか伊達の」
「ん・・・まあ、な」
曖昧な笑みを浮かべて見せて、例え話だぞと肩をすくめる。裏はとれているのだが、話す義理はない。夫婦が顔を見合わせ、しばらくして信之が口を開いた。
「イスパニアの艦隊は滅んだってよ。だから大御所は外交方針を切り換えてるのさ。カソリックの国々との貿易を打ち切り、オランダとかいう国に鞍替えしてるだろ?」
「!」
「忠輝様はキリシタンの総大将となり、イスパニアの戦艦を迎える気だったらしいがな」
「そして秀頼殿と呼応して蜂起。徳川殿はそれを承知の上で忠輝殿を泳がせた・・・。砂上の楼閣に豊臣を酔わせ、全てを終わらせるために。なんと・・・なんと老獪な御仁であられるのか」
ぞくっ。身震いする政宗に、稲姫が言う。
「だから、どのみち不埒な真似は無理なのです。忠輝様には早急に諦めていただきたいのですが・・・」
「俺と稲は結局のところ目下だからな、上手く説き伏せる自信がなかったんだ」
ちょうどよかったと政宗の肩を信之が叩く。
「頼んだぞ政宗」
「忠輝様は、奥方と舟遊びをしているそうです。新婚なのでいつも一緒なのだとか。・・・さあ参りましょう、政宗様」
「うむ・・・って、新婚の奥方!?」
こいつぁいかん! あのガキゃ側室を娶りやがった・・・!! 慌てて政宗が駆けだし、信之と稲姫が続く。
「どうしたんだよ政宗ぇ!?」
「五郎八はキリシタンだ! 一夫一妻を守るべしと、忠輝に言い聞かせておったのだぞ!?」
「でも忠輝様はキリシタンではないのでしょう?」
「そんな理屈は五郎八には通用せん! 気の強いおなごは・・・のう信之?」
「・・・だな」
「何なんですか!?」
じーっ。政宗と信之の意味あり気な視線に、かつてのオテンバ姫は顔を引きつらせる。・・・あれから三十年!
「まあ、そんな事はどうでも良いわ! 婿殿が五郎八に嫌われるのは好都合だが、嫁を連れ帰ったからなどと言い訳されたら・・・。今度はわしが五郎八に嫌われてしまうではないか!!!!」
「・・・」
「・・・」
「・・・おい。後頭部に突き刺さる、シラけきった冷たい視線が痛いぞバカ夫婦」