天正14(1585)年、12月。
しんしんと降る雪が近江を白く染めている。
囲炉裏の中央で、ぱちぱちと爆ぜる火の暖かさが心地良い。
「つき」
と、この水口城の主である石田三成はその妻の名を呼んだ。
おつき。羽柴秀吉の弟・秀長の家臣、尾藤頼忠の次女である。
既に一男一女をもうけており、三成に嫁いでから数年の歳月が流れていた。
「はい?」
とおつきが小首を傾げてみせると、その夫がかしこまった様子でこほんと咳払いをする。
「相談したいことがあるのだが」
「あら、珍しい」
と、おつきは心の底から湧き出た言葉を返した。
この平壊者は物事をなんでも自分で決したがるから、夫婦となってから相談を受けたことなど数える程もない。
「知っての通り、俺の所領は四万石だ」
と、三成が切り出した。四万石といえば小大名と称して良い数字である。
三成が貧しい士豪の家に生まれ、やむなく仏門の道を歩んだことを考えれば異例の立身だ。
(その主である羽柴秀吉には遠く及ばないとはいえ)
かといって三成は、これを改めて妻に誇りたいという系統の人間でもない。
夫の意図が掴めず、おつきは「はあ」と生返事を返す。
「それが二万石になる」
というのが、夫の言い草だ。おつきが困惑顔を見せると、取り繕うように早口で付け足す。
「・・・としたら、つきはどう思う? 俺を無能な夫と見限るならば、それも構わんが」
「見限るだなんて」
相変わらず極端な物言いが好きだこと・・・。
新婚当初は夫のこういう性格に何度振り回されたことかと、おつきが苦笑を浮かべるのを見て三成が咳払いをもう一つ。
扇をパチンと音を立てて閉じ、再び口を開く。
「なに、俺の計算では生活に支障はない。お前と夫婦になった頃と比べれば二万石とて大身であろう?」
「はい、それはもう」
おつきとて、さほど恵まれた家に産まれたわけではない。
四万石の小大名の正妻という身分にある今も、贅沢な暮らしというものをイマイチ甘受できずにいる。
「お前達に良い暮らしをさせてやれないのが心苦しいが」
と付け足された、三成の言葉に嘘はあるまいが。眉間に皺を寄せ、三成が低い声を出す。
「実は一世一代の贅沢をしたい」
「二万石の贅沢、ですか?」
「・・・そういうことになる、な」
がりがりと頭を掻き、三成が囲炉裏の炎を見詰めた。おつきを直視せぬままに呟く。
「島左近という男がいる」
「はい」
「使える駒だ。二万石で召し抱えようと思っている」
「・・・へええ?」
長い沈黙。無言でたたずむ夫婦の間で、ただ囲炉裏で炎が爆ぜる音だけが耳を打った。
おつきの探るような視線に耐えかね、三成が顔を上げる。
やや赤くなっているように見えるのは、決して炎に照らされているためではないだろう。
「・・・なんだ?」
「いえ、本当にそれだけの話かなと」
「お前という女は」
苦笑し、三成が肩をすくめた。
「島左近は不義に怒り、高禄を蹴った誇り高い男だ。俺はその志をこそ買いたいと思っている」
「なるほど」
おつきが頷き、その夫に笑みを浮かべてみせる。
「あなたが欲しいのは家臣ではなく同志、なのね?」
ほう、と三成が目を丸くした。閉じた扇で左手を何度か軽く打ち、怜悧な瞳を穏やかに細める。
「かもしれんな」