「また仕官しろというお大名かい?」
天正15年、1月。
芸妓達の中心で、島左近は石田三成にそっぽを向いた。
「一万五千石の禄を蹴って牢人してるんだ。それ以下じゃ仕える気はありませんね」
どうだ、という挑戦的な拒絶の言葉。
何ら動じることなく、三成は毅然と左近を見下ろす。
「二万石出そう」
生まれ故郷である近江に、水口城を与えられたのは良かったと思う。
入城したばかりで散らかっているのが難ではあったが、降り積もる雪をしのぐには十分すぎるほどの機能はあった。
「私の友人に大谷吉継という者がいまして」
ことことと鳴る鍋を気にしながら、石田三成の話は続く。
「年の近い兄のような存在でしてね。お市様が領内を視察されるという情報を仕入れて来ては、私を寺から連れ出してくれたものです」
「お寺?」
と、ようやく来訪者のうちで最も年若い少女が第一声を発した。
お江。
三成の旧主・浅井長政と、その愛妻たるお市が残した末娘である。
今は同じく近江の安土城で叔父・織田有楽に庇護されているが、外遊中に突如として降り出した大雪をしのぐべくこの水口城を頼っていた。
その乳母である女性が来客用の寝室を掃除するべく席を立ってから、ただの一度も言葉を発してはくれなかったのだが。
「俺は貧乏侍の次男坊でしたから」
と応えて三成が微笑んだのは、愛想とは違うところに起因している。
安堵の息を吐き、囲炉裏の中央に吊り下げられた鍋の蓋を開けた。
ふわっと白い湯気が立ち、パチパチと爆ぜる炭火を囲む四人の顔を撫でる。
『まだぬるいか・・・』
湯加減を確かめ、三成は再び蓋を閉じた。
「お市様は近江に暮らす私達にとって憧れの存在でした。浅井長政様と仲睦まじく笑い合う御姿、今でも思い出します」
「浅井のお父様ですかぁ・・・」
お江が小首を傾げ、僅かに困ったような顔を見せる。
彼女には、生前の実父の記憶がない。
『おいたわしい・・・』
と、三成は目を伏せる。
この25歳になる青年は、周りが怜悧と評するほどには冷血漢でない。
『浅井の、とお江様は仰せられた・・・』
ならば彼女にとって、父親はあの瓶割り柴田なのだろうか。
『心を開いて下さらぬのも無理からぬことなのだ』
と、その傍らに座る二人の少女を盗み見た。
次姉のお初は一見して和やかに口を聞いてくれるようで、実のところ社交辞令の枠を越えない言葉しか発してくれてはいない。
『秀吉様なら、この方々の御心を開くことができるのだろうか?』
などということを考えていると、長姉の茶々と目が合った。
「秀吉は・・・」
と少女が切り出し、秀吉様はと言い直す。
「いい人なのかしら?」
「は?」
思考を読まれでもしたのかと狼狽する三成に、茶々が苦笑を見せる。
「夫婦にならぬかとお誘いを受けているの。浅井長政に仕えるはずだったあなたの、正直な批評が聞きたいわね?」
「・・・」
押し黙る三成に、少女が慌てて言葉を続けた。
「皮肉っているわけではないのよ。哀しいけど、戦国の世の習いってヤツには慣れてるつもり。
子供じみた言葉を口にして、困らせたいと思ったのではないの」
「お茶々様・・・」
と呼ばれ、少女が三成の顔を覗き込む。
「アタシは世間知らずのお姫様だけど、人を見る目はあるつもりよ? 土壇場で裏切るお利口さんと、主と心中しちゃうお馬鹿さん。
そのどちらも嫌というほど見てきたアタシの目には、あなたが後者に見えるから信じられると勝手に思っているだけ。
・・・もっとも信義に殉じた浅井長政と同じく、その不器用な生き方があなたにとって幸せだとは思わないけど」
「・・・俺は己を不幸だと思ったことはありません。きっと、長政様も」
「でしょうね」
と、茶々は相槌を打った。
『自覚がないから周囲を巻き込んで不幸にするんだわ』
この男も、同じ道を行く型の人間ではないだろうか。
密かな批評をしつつ、ふと視線を落とす。
「お湯、沸いたんじゃない?」
「・・・そのようですね」
三成の白い手から柄杓が伸び、お湯を急須に汲んだ。
実用性重視の無骨な湯呑みにコポコポとお茶を淹れ、差し出す。
「粗茶ですが」
「・・・本当に粗末ね」
と憎まれ口を添えて受け取り、茶々が穏やかな笑みを浮かべた。
「でも温かいわ」