「次、九州代表!!遠藤晶さんです!!」  
大勢の観衆が見つめる中、晶と呼ばれた少女が舞台に立った。  
彼女はその卓越したヴァイオリンの音により観衆の心を引き付けることを  
もっとも得意とした。  
またその容姿は同年代のほかの少女に比べ少々大人びており、  
匂い立つような色香が彼女を包んでいた。  
 
いつものようにヴァイオリンを弾き始める晶。  
しかし今日の彼女はいつもと異なっていた。  
そう、彼女は生まれたままのままの姿でヴァイオリンを演奏していたのだ。  
彼女の白く細い首にはごつい皮の首輪が光っていた。  
 
 
 
誰かの視線を感じる、覗かれている、と気づいた頃には既に手遅れだった。  
 
 近所のファミレスの、入口から一番奥の暗い席。  
椎名耕平と名乗った一見人の良さそうな見知らぬ若い男に呼び出された私は、  
眼前に数枚の写真を突きつけられた。表情の窺い知れない長い前髪に時折浮かぶ  
悪意に満ちた視線と、下劣な笑いに醜く歪む唇が、その写真に映るものと、  
私を呼び出した目的とをほぼ同時に語っていた。  
 
部屋のベッドに腰掛けて、ヴァイオリンの手入れをする私。  
出かける前だろうか、箪笥の前で服を物色する下着のままの私。  
お風呂上がりにパジャマのまま、乾ききらない髪をかきあげる私。  
……無防備な裸身を晒しながら、呑気に鼻歌交じりにシャワーを浴びる私。  
 
「どうやって撮影したのかしら……なんて、聞いたら答えてくれるかしら?」  
「企業秘密。まあ、今の君には過程よりも今ここにある現実のほうが大事じゃ  
ないかな?」企業秘密? 強請を臆面もなくビジネスと言いきる彼は、そこで  
初めて注文していたコーヒーに口をつけた。  
 
「海外からも注目を浴びる天才ヴァイオリニスト、しかも見た目もそのへんの  
ジャリタレが裸足で逃げ出す美少女……遠藤晶」私を苛立たせたいのか怯えさせた  
いのか、仰々しい口調が続く。「ネットに流せば、さぞかし注目の的になるだろう  
ね……週刊誌なんかにもいつのまにか載ってたりして」  
「随分と誉めてくれてるところ悪いけど、そんなに有名人なのかしら? 私」  
バカバカしい、と付け加えながら笑ってみせた。この手の輩には余裕を見せる  
くらいが丁度いい。「参考までに聞いてあげるけど、望みは何?」男は少しだけ  
腕組みをしながら考え込む様子を見せて、「300万くらいで、とりあえずは手打って  
あげるけど」  
「私のハダカに300万? 随分安く見られたものね、私も」  
そう言うと私の顎に、男の指先が伸びる。  
「飽くまで頭金、さ。むろん本来なら……君の美しさに値段なんかつけられない  
けどね」  
私は反射的に、男の左頬に平手打ちを見舞う。  
乾いた音が店内に鳴り響いたが、平日の午後で閑散としたなか、他の客の視線が  
飛んでくるようなことはなかった。男は紅く腫れた頬を震えた手で抑えている。  
「ふん……!」呑み込まれそうなほど深い黒の上着から、古ぼけたテープレコーダーが  
取り出された。  
 
今度は明確に、店内のまばらな客の好奇に満ちた視線が私たちに飛ぶのが分かる。  
「どうして……そんなものまで」盗撮のつぎは盗聴。テーブルの上で握りしめた  
掌が次第に汗ばむ。彼の指が再び、テープレコーダーのプレイボタンを押す。  
旧式の無慈悲なスピーカーから、私の耳を塞がせる忌々しく下品で、淫らな声が  
流れる。  
『……ほらぁ……もっと、よく見て……みなさいよっ……ここが……あなたがずっと  
見たがってた……ところじゃない……あはぁっ……あなたのチ○ポ……ここのことばっかり  
かんがえて……すぐかたく……いっつも……私のこと……犯してたんでしょ?  
ああぁっ……早く来て……舐めなさいよっ……こんなに……あつくなった……  
わたしの、……ああん!……あっ!』  
「週に何回くらいしてるのかな? オナニー」  
バカじゃないの――言いかけると、男はテープレコーダーの音量を上げる。  
「止めてよっ!」私は慌てて男の手を抑える。  
「……言ってみなよ、週に何回こんな風に彼氏のこと考えて一人でヨガってるのかを  
さ!」男の語気が強くなる。私は生まれて初めて受ける屈辱に唇を噛み締め、視線を落として答える。  
「週……1回です」  
 
「週に1度のお楽しみ、ねえ……寂しい夜は女王様気取りで彼氏を弄ぶところを  
想像して、一人で気持ち良くなってる訳だ……君、もしかして変態?」  
嘲笑う男の姿に、私は隙を作った自分を呪った。東京と長崎で遠距離恋愛の関  
係にある私と幼馴染のアイツとは、向こうのバイトだか学校だかの都合で2ヶ月  
に1度逢うことができれば良い状態だった。逢ったその日はお互いを激しく求め  
合うことは出来るけど、そうでなければ押し寄せる切なさ、或いは男の言うよ  
うな単純な寂しさが、いつしか覚えた自慰に及ばせることはあった。そこで得  
られる快感は、彼との逢えない時間の長さゆえの、汗や唾液、愛液といった様  
々な迸りを交換しあい、密着させた火照る肌がお互いを燃え焦がすような日頃  
のヴァイオリンの練習でさえ及ばない情熱に突き動かされるセックスとは比較  
にならないものの、作り上げたシチュエーションのなかで彼を思うままに支配  
し、屈服させ、恥辱に震える彼を犯すような感覚はただ肌を重ねるだけでは得  
られない特殊なもので、それは私の自慰へのネガティブなイメージを払拭させ  
る結果にもなった。  
「こーんな声も、mp3にしてバラ撒くことも出来るんだよね。ネットやPCは無駄  
に便利になったもんだ」しかし今は、他人事のような余裕の笑みと勝ち誇った  
口調が私の屈辱感を増幅させる。  
 
「こんなことして……タダで済むと思ってるの?」  
余裕のない強がりは、相手を増長させ、自分の立場を更に貶める最悪の選択肢  
だと知ってはいても、それを選んでしまうのは心の何処かが敗北を認めている  
からに他ならない。  
「それは今君が気にすることじゃない……例えば」  
男はそう言うと、テーブルの写真の1枚を手にとると、それを中央から真っ二つに  
破ってみせた。  
「!?」ネタになるはずの写真を自ら放棄した男に戸惑うと同時に、どんなもの  
であれ自分の写った写真を破られるのは気分の良いものではないと漠然と考えて  
いた。  
「デジカメで撮った写真は当然、ほぼ無限にコピーが出来るし、一度ネットに  
流れれば求められる限りいくらでも情報は広がってく……僕がどんな目に遭お  
うが、ね」……だから自分の心配だけをしろ、と言う事なのだろうか?  
「どんな目にも遭わない、算段があるとでも言いたいの?」  
「あるかも知れないし、無いかも知れないね」  
男の声は余裕そのもの、苛立ちや怒りを少しでも示してくれれば、まだ付け入る  
隙もあるだろうけど……。  
ネゴシエイトは、相手を選ばなければ成立し得るものではない。  
しかし私に、その選択権は無い。  
「あなた、イッちゃってるわよ」  
それは、私の苛立ちや怒りを通り越した諦観が言わせた言葉だった。  
 
コンクール当日――  
楽屋に据え付けられたスピーカーからは、他県の代表の参加者の演奏が聞こえる。  
正直、私より上手いとは思えない。いや、このところ準優勝続きとはいえ私が普通  
に演奏して審査員が普通の評価を下せば、技巧、情感表現、何れの面においても  
私に並ぶ、或いは私以上の者などは無い筈だ。ただし……普通に演奏できれば、と  
いう面からして今日ばかりは勝手が違っていた。  
今、私の身体を包んでいるものは身体が冷えぬよう本番までは着用することにした  
新緑の木漏れ日をイメージしたらしい新しいドレス。ただし下着を着用することは  
許されない。いつに無い緊張に硬直する乳首に直に触れるシルクの感覚が、私を疼  
かせた。  
あの日、男がその場で金や身体を要求して来なかった代わりに提示してきた『条件』  
の一つだ。  
「ねえ……助けてよ……」無駄と思いつつ、鞄にしまっておいたアイツと二人で映  
ってるただ一枚の写真を握り閉め呟く。  
不意にドアが重い音を立てて開いた。私は写真を握った右手を後ろに回して、左手で  
うっすらと透ける胸を覆う。  
「あの、ちょっと! ここは女子用の楽屋――」  
言い終わらぬうちに顔を出したのは、椎名耕平だった。  
 
「どうしてこんな所まで――人を呼ぶわよ!」  
「そう邪険にすることも無いでしょ、手ぶらで来た訳でもないんだから」  
そう言うと男は、ご丁寧にピンクと白のリボンで飾り付けられた箱を私の目の前に  
取り出した。「ほら、開けてみてよ」  
「それも『条件』の一つなのね」面白くも無いのに男は笑みを浮かべて頷く。  
……一体この先、どれだけの『条件』が課されるのだろう? 不安を覚えながら  
箱の中から取り出した物体を目の前に掲げる。一見黒いベルトのようにも見えるそれは、  
やけに太く、短い。鍵十字の装飾を施されたバックルのすぐ脇には銀色のチェーンが  
垂れ下がっている。手にしているだけで圧迫感を覚えそうな首輪だ。  
「なかなか洒落た首輪でしょ? 君の白い肌にはきっと良く似合う」  
「こんなもので、私を飼い犬にでもしたつもり?」  
「……ははは、男が力や金を欲しがるのは、女を思うように従わせるためさ。  
それも迂闊に手を出せば噛み付かれるような、ね。……まったく君のような女は  
服従させ甲斐がある」  
反抗すればこの男を楽しませるだけと知った私はステージでは着けるわよ、と吐き  
捨てた。  
「ああそうそう、もう一つ差し入れがあったんだっけ」目の前に音を立てて、会場  
出口の自動販売機で買ったと思われるお茶の缶が置かれた。  
「大丈夫、毒や睡眠薬なんか入ってないし。美味しいよ? これ」  
この男の出す飲み物など、本来なら水一滴口にできるものでは無いが僅かな一口だけ  
を口に含み、味わうことも無く飲み干した。  
『只今の演奏は、東京代表の西島あやこさんでした――』  
「さて、そろそろ出番でしょう? 行った行った」  
 
男に促されて私は、舞台袖へと駆け込んだ。事前にチューニングを済ませて  
おいたヴァイオリンを床に置き、誰にも見られないように緞帳で身体を隠し  
ながらドレスを脱ぎ捨てると、かつてどんなステージでも感じたことのない  
緊張を感じる。  
――逃げ出したい逃げ出したい逃げ出したい――  
しかし喉を締め付ける首輪と、震える肌に蛇のように絡み付く銀色の鎖が、  
それを許しはしない。屈服の証として与えられた縛めは、身体をよじる度に  
魔物のように軋み私を締め付け、冷たく鞭打つ。  
『次、九州代表!!遠藤晶さんです!!』  
隠れていた緞帳を解き、素肌でスポットライトの熱を感じる。眩しい光に  
照らされた舞台へと薄く積もった埃を素足で踏みつけ歩みを進める。舞台中  
央に近づくにつれて、暗く静まりかえった観客席から起こり始めたざわめきが、  
次第に大きくなる。ここがコンクール会場であることを忘れたかのような下品な  
奇声さえも聞こえる。露にした胸に、臍に、脚に、何より乱れたアンダーヘアの  
奥に聴衆の驚きと戸惑い、或いは好奇心、あからさまに卑猥な視線を感じる。  
それにしても、事態を収拾しようという動きが何処からも何も無いということは、  
この場に居合わせた人間たちには、唐突な非日常を楽しみたい欲求があるということ  
だろうか。蔑まざるを得ない観客達に向かっていつものように一礼をし、何度繰り  
返したかも分からない動作でヴァイオリンを構えた。  
 
胸のあたりは弓を手にした右手の動きでどうにか隠し、いつもより太股を閉じ  
た姿勢で課題曲のメンデルスゾーンを奏で始めた。譜面の染みの位置さえも明  
確に思い浮かべることが出来るほどに練習を重ねたこの曲も、今は最後まで弾き  
終えることができるかどうかさえ疑わしい。砂漠に照りつける太陽のような  
スポットライトに炙られる黒い首輪が、私の頚動脈をを咬むように締め付ける。  
「うくっ……」思わず喉から、かすれたうめき声が漏れる。……そういえば昔は、  
こうやって罪人を処刑したりしたんだっけ。私は観客席から向けられる、無数の  
刺すような血走った視線をかわすように曲に合わせて身体を軽く捩りながら弓を  
滑らせていた。  
ふと、その弓の動きに違和感を感じる。奏でられる音が緩やかに、けれど確実に  
調子の外れた、意思に反した不調和なメロディを生み出している。何かを間違え  
たわけでもなく、ただ指先の、腕の力が急速に抜けてがくがくと震える。素肌を  
晒していても寒いなどと感じられないほど照りつける砂漠の灼熱のようなスポット  
ライトの下で、私の身体は私の精神を放逐するかのように揺れ始める。不安定な  
動きを始める両脚の内側に、急速な疼きを感じる。その疼きは太股の奥の湿り気を  
帯び始めた叢を貫いて心臓に達するほどに、鼓動に合わせて徐々に勢いを増してゆ  
く。喉を焼くような首輪に締めつけられて渇いた口からは、濡れた吐息がこぼれ始  
める。  
『や……やだぁ……こんなところで、たくさん人に見られて……なんで私、何に感じ  
てるのよぉ……』  
 
観客席から見ても私に起こった異変は明らからしく、辛うじて演奏を続けているにもかかわ  
らず再びどよめきや奇声が耳に響く。『五月蝿いわね、静かに聴いてなさいよ……もう少しで  
こんなバカげた演奏、終わるんだから……』思ってはみても、高揚に火照り、紅く染まる  
身体は既に理性の支配下を離れ始めている。脚を捩るたびにこすれ合う濡れた性器と肌の感触は、  
まるでアイツの「男のモノ」を受け容れる前のように敏感で、口から滴り落ちる雫に紛れて、アイツを  
誘う時のような甘い吐息を漏らしていた。  
「あ……ああんっ……あっ……!」  
しまった、と思ったのが遅れたのは頭の中を真っ白に溶かす快感の所為だ。  
ステージに据え付けられたマイクを伝って、会場全体に漏らした喘ぎが響き渡る。  
嫌よ……嫌っ……どうして……  
いかなる『条件』を突き付けられようとも、涙を流しては負けになってしまう。  
そう頑なに信じ込んでいた私の意思は、身体の反応に切り離されてしまってはなん  
ら意味を成すものではなかった。そして、涙を流してしまえば理性は決して本能を  
遮ることは出来ない。  
 
……私は、負けた……  
 
力なくヴァイオリンと弓を、ステージの床へと落とす。  
両膝でステージに立ち、私は観客席の正面へ晒すように開いた股間へと手を伸ばした。  
 
……アイツとオナニーの見せ合いっこをしたのは確か、夏休みの終わる頃だったっけ。  
ホテルに入った時に冗談半分で始めてみたんだけど、私の名前を呼びながら先にイッた  
アイツの顔が何だかすごく可愛く感じられて。その放心したような顔を見ながら、私も  
イッたんだったなあ……。  
 
ツンと張った胸を見せ付けるように上半身を反らして、既に光の失われた目で薄暗い闇に  
沈んだ観客席を見据える。わずかに奇妙な声(罵声?)やざわつきが聞こえる他は時が  
止まったように何事も起こらない。いつもそうするように最初はクリトリスを軽く摘み、弄ぶ。  
「……あんっ……あんっ……あああっ……っはあっ……」  
この動作だけでも果ててしまうことはあるけど、今はそれで全てを終わらせてしまうのが惜し  
く感じられる。あれほど理性が与えていた苦痛はどこかへ遠のき、ただ快感を得るだけの為に、  
激しく指を動かしたい、刺激がほしい、熱い愛液を滴らせながら絶頂を迎えたいと思う。  
そのまま指を滑らせて、薄いピンクに染まった恥丘の中心を中指で始めの数回はゆっくり、  
徐々にスピードを上げながら愛撫する。  
「あんっ……ああっ……きもち……いいのぉ……もっと、良く見てごらんなさい……こん  
なに……いやらしく濡れて……ぴくぴくしてる、晶の……」  
目の前で、アイツが興奮に血走った目で息を荒げながら見つめているような錯覚を  
覚えた。  
 
もともと、性欲はそれほど強いほうではなかったと思う。  
初めてオナニーを覚えたのは高校にあがってからのことだし、それも頻繁に  
繰り返したり、より強い快感を得るためにあれこれと違った方法を試したり  
することは無かった。眠れぬ夜は、アイツと過ごした日々のことを思って性器を  
まさぐっているうちに、心地よい疲れと共に夢の中へ落ちることができた。  
その程度のことだった。  
 
波のように高鳴る快感に身体を震わせながら、息遣いだけを荒くする。  
口からは不思議に透明な涎を子供のように垂らしながら、いつしか身体にまとわ  
りつく様に吹き出る不快な汗に喘ぐ。首輪に染みこんだ匂いが鼻につく。  
喉にこみ上げる何かを忘れるように、更に指の動きを早める。  
「い……いくっ……いくぅ……いっちゃうのぉ……見られながら、私……オ○ンコ  
から汚いの……一杯出して……」  
イク、という語感が好きだ。必要もなく繰り返してしまうほどに。  
私の叫びに、無数の視線が一箇所に集中することが可笑しい。  
「あついっ……! イク……! いくっ! イクぅ! あつくて、いっちゃうっ!  
ああんっ!」蕾を溶かすほど愛液を溢れさせながら、私は絶頂を迎え、力なく天井を  
仰ぐように倒れた。ステージの床を伝って、誰かがゆっくりと向かってくる足音が聞こえる。  
「やあ大したもんだ、さっきの媚薬は……ちょっと飲んだだけなのに、コレほどの  
効果があるなんて」  
聞き慣れた、聞きたくもない男の声がする。  
 
 

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