『はい、遠藤ですけど…』  
「あ、遠藤? 俺だけど……」  
『あら、久しぶりね。今日はどうしたの?』  
「実は来週、長崎に行くことになって……、よければ会えないかな?」  
『え、来週……?』  
「……何か忙しいのか?」  
『失礼ね。私はそんなにヒマじゃないわよ。』  
「あ、ごめん……」  
『わかったわ、来週ね。  
すぐに手紙出すから、その場所で待ち合わせしない?』  
「手紙?」  
『そ、内容は届いてのお楽しみよ。じゃ、また来週ね。』  
 
「手紙って……一体何なんだ?」  
もしかして、あのときの手紙と何か関係があるのだろうか?  
手紙の内容を考えながら、俺はすでに切られている電話を置いた。  
 
――そして約束の日、長崎。  
 
「へぇ……、ここが長崎の新しくできた文化会館か……」  
そう、速達で送られてきた晶からの手紙には、  
この文化会館落成記念のコンサートに自分が出る旨と、関係者パスが同封されていた。  
「えっと……、関係者用の入り口はこっちだな……」  
右腕にパスとしての腕章をつけて、俺は晶に会いに行った。  
 
「いらっしゃい。」  
晶の控室。  
そこでは、白いドレスに身を包んだ晶が笑顔で迎えてくれた。  
「……すっげえ、綺麗だ……」  
思わずあっけにとられる俺に、  
「そんなに驚かないでよ。これくらいで。」  
静かな笑みを浮かべ、晶がたしなめる。  
「あなただって、今日はきちんとした格好してきて、びっくりしたわ。」  
「そりゃな、関係者だからな。」  
そういって、お互い笑い合う。  
「まあ、今日はたっぷり私の演奏を聞いていきなさいよ。」  
「ああ、遠藤も頑張れよ。」  
「もちろん。言われるまでもないわ。」  
はっきりと口にした晶の顔は、揺らがぬ自信に溢れていた。  
 
「(しっかし、見れば見るほどすごい会場だなあ……)」  
晶は演奏準備で当然俺に付き合えるわけがないので、俺は一人であちこちブラついていたのだが、  
美術品や歴史物もあちこちに展示されていて、まさに圧倒的な容量であった。  
そして、音楽ホール。  
ステージの左右に噴水が流れていたり、後ろに色ガラスが張り付けられていたり、  
鮮やかにそれらがライトアップされている、その演出に、俺はしばし呆気にとられていた。  
「(水と光の芸術……ってところか……)」  
噴水はただ流れるだけでなく、いろいろな形をその水流で作り上げている。  
また、ガラスに当たるそれぞれの光も、屈折作用によって、彩られている。  
「(……これは飽きないな。)」  
晶が出る前の演奏者の演奏をBGMにして、俺は水と光の芸術≠楽しんでいた。  
 
場内に拍手が沸き起こる。  
長崎のみならず九州音楽会でも脚光を浴び始めつつある新鋭・遠藤晶の出番がやってきた。  
演奏前に花束を受け取り、会場に一礼する晶。  
「(あ……)」  
ヴァイオリンを構えて演奏にはいるまさに直前、晶と視線が合った。  
しっかり見ててね、聞いててね≠ニ、晶の瞳は呼びかけてくれた、ように見えた。  
 
晶の演奏は、聞くもの全てを酔わせる魅力に溢れていた。  
ヴァイオリンのことなど全く知らない俺でさえも、この旋律の魅力は、心で感じとれた。  
かなり気合いが入っていて、それでいて気負っていない。  
晶の演奏は非のつけようがないままに進んでいき、そして最終曲へ入ったそのとき、  
 
「キャアァァッ!!」  
会場中に、晶の悲鳴が響き渡った。  
 
「!!」  
まさにそれは誰もが予想だにしていなかった出来事だった。  
先程まで様々な旋律に応えるかのように舞い踊っていた噴水の水流が、  
突如、晶めがけて噴射されたのである。  
「やっ……やぁぁっ!」  
晶は身体中めがけて噴射される水流をマトモに浴びながらも、  
ヴァイオリンだけは水に濡れないように、必死にかばっている。  
しかし、ヴァイオリンをかばっている晶自身は、みるみるうちにビショ濡れになってゆく。  
 
「――嫌ぁぁっ!」  
 
先ほどとは声色の違う悲鳴が晶からあがる。  
この日着ていた純白のドレスが、水に濡れて透けてしまい、  
晶の素肌が、衆目に晒されだしたのである。  
あまりのことに逃げることすらできず、  
かろうじて観客に背中を向けて、うずくまるしかできない晶。  
震える背中に容赦なく浴びせ掛けられる水流は、今や晶の純白のショーツをも晒していた。  
 
「晶っ!!」  
俺はためらいなくステージに上がり、自分のブレザーを晶に羽織らせて、  
そしてそのまま彼女を抱えて、ステージの袖に避難して行った。  
 
ダッ!!  
ステージ袖になんとか逃げ出せた晶だが、  
係員の制止を振り切って、ステージ袖からどこかに飛び出して行ってしまった。  
会場はなおもざわめきに包まれている。  
驚きの声と囁きの声、  
この失態の責任の是非で、裏方、役員などは荒れに荒れていた。  
 
でも、俺にとってそんなことはどうだっていい。  
俺はただひたすら、一心不乱に晶を追いかけた。  
 
ザアァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ……  
 
「(……今頃こんなところでシャワーの音?)」  
――もしかして。  
状況も考えず、俺は飛び込んだ。  
 
小さいシャワー室の更衣室。  
そこには、ビショビショに濡れた晶のドレスとショーツが置かれていた。  
「(……晶。)」  
当然、ここから先は踏み込むべきではない。  
しかし、この非常事態に俺の感覚もどうかなってしまったのか、  
ためらいもなく、シャワー室に足を踏み入れた。  
 
「きゃ! ち、ちょっと!?」  
突然入ってきた俺を見るなり、慌てた顔つきになる晶。  
「ちょっと! ここは女子シャワー室よ!」  
やや険しい顔つきになった晶が、俺を窘める。  
もっとも、シャワーの個室には簡易戸があるため、俺からは晶の顔から肩くらいしか見えないのであるが。  
「わかったら早く出て行って!」  
険しい顔を崩さぬままの晶。  
しかし、俺は見てしまった。  
シャワーで顔は洗ったのだろうが、その赤い瞳は隠せないから。  
シャワーの水音だけが響くこの場所、  
俺と晶は、しばし互いを見据え合った。  
 
「悪かった、出て行く……」  
しばしの沈黙の後、出て行こうとする俺を、晶が引き止めた。  
「絶対こっちを見ないこと。  
その条件を飲めるなら、……ここにいてもいいわよ。」  
 
「気にするなよ、遠藤……」  
シャワー個室の簡易戸を挟んで背中合わせで話をする俺と晶。  
「……私だって女よ。  
あんな目にあって、気にするなって言われても、無理だわ……」  
シャワーの音に遮られるくらいの小声で晶が呟く。  
確かにその通りなのだが、そんな簡単なものではないのだが、でも……  
「でも……」  
俺に先んじて晶が口を開く。  
「あの時、あなたが助けてくれたから。だから、後には引かないと思う……」  
「晶……」  
「……嬉しかった。ありがとう……」  
せっかく涙を洗い流した晶の頬に、また一筋、涙が流れた。  
 
「……もう一つだけ、お願いを聞いてくれる?」  
背中越しに晶が声をかけてくる。  
「私の控室にある着替えを、持って来て欲しいんだけど……  
多分、誰かいると思うから、聞けばわかると思うから……」  
「ああ、それくらいお安い御用だ。」  
その願いを快諾し、シャワー室を出てい――  
 
「(………まあ、鍵はかかっているよな?)」  
 
俺の視線は、晶との間を隔てている簡易戸に釘付けになっていた。  
「ま、ダメモトで〜」  
「え?」  
ダメモトで、冗談で、俺が簡易戸を開けようとする。  
同時に晶が何事かと振り向く。  
その時、  
 
ギッ、ギィーーーッ……  
 
「あれ…?」  
「え……」  
先程まで簡易戸によって遮られていた俺の視線が、まっすぐ晶の裸に注がれる。  
晶は晶で、事態が飲み込めず、硬直してしまっている。  
「あの…、あき――」  
 
「キャアァァァッ!!」  
 
絹を裂くような悲鳴と共に、身を縮こまらせてうずくまる晶。  
「何するのよバカ! エッチ!」  
縮めた身体を真っ赤に染めて、叫ぶように文句をぶつけてくる。  
 
まあでも、案外早く立ち直れそうだな。  
晶の罵声を背に受けながら、そんなことを考えていたりした。  
 
 

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