大学に入って最初のゴールデンウィーク。
僕は広島に出かけた。別に約束も何もしてなかった。
でも、広島駅を出たところで、ばったりと優に出逢った。
「ここにいれば、何となくキミに逢えるような気がして……」
そう言って微笑んだ優に、僕は笑い返した。
「また、逢えたね」
とても2ヶ月ぶりに再会した恋人同士には見えないけど、でも僕と優はこんなもの。
「何処かに行く?」
「別に決めてない。でも、優と一緒にいたいな」
僕が言うと、優はうなずいた。
「それじゃ、山に登ろうよ」
「山に?」
「うん、山に」
「でも、準備が……。服もこんなだし」
僕は改めて自分の格好を見た。流行の最先端、なんて言うと明日香に殴られそうだけど、それなりにカジュアルな出で立ち。こんな格好で山歩きするわけにもいかないし。
かといって、ここで山登り装備一式を買い込むには、財布の中身が哀しいし。
「それじゃ、家においでよ。父さんの服を借りるといい」
「優の家に?」
「うん」
優は、珍しく、くすぐったそうな笑みを見せた。
「父さんも、キミに逢いたいって言ってたしね」
「でも、いるの?」
「さぁ」
肩をすくめると、優は僕に背中を向けて歩きだした。
「あ、待ってよ」
僕はその後を追いかけた。
運がいいのか悪いのか、優のお父さんは家にはいなかった。優のお母さんによると、なんでも朝からふらっと何処かに行ってしまったらしい。
「もう、父娘そろって風来坊なんだから」
そう笑いながら、優のお母さんは動きやすそうな服を貸してくれた。それから、小首を傾げて優に尋ねる。
「テントも用意する?」
「テ、テントですか?」
泊まりになるなんて予想もしてなかった僕は素っ頓狂な声を上げてしまったけど、優はちょっと小首を傾げて考えて、それから頷いた。
「そうだね。用意してくれる?」
「はいはい。あ、それじゃ寝袋も用意した方がいいわね」
なんだかさばけた人だなぁ。年頃の娘が野宿しようってのに。
「物置に入れたままだよね? それじゃ、取って来るよ」
優がそう言って部屋から出て行ったので、僕は伯母さんに訊ねた。
「その、心配じゃないんですか?」
「あの娘は昔っからああだったから、もう慣れちゃったわよ」
「でも、曲がりなりにも、年頃の娘でしょ?」
「あら、あなたが一緒なんでしょ? なら大丈夫よ」
伯母さんはそう言ってうんうんと独りで頷くと、「そういえば、ハンディライトは何処に入れたかしら?」と呟きながら部屋を出て行った。
うーん。一応は、信用されてるんだろうか? でも僕だって男なんだぞ。
誰もいないのをいいことに、あんな事やこんな事だってしちゃうかもしれないんだぞ。
「ねぇ」
「うわぁっ!!」
一人で妄想に耽っていると、いきなり後ろからその優の声がして、僕は30センチは飛び上がった。
「な、な、なに?」
「……何、驚いてるの?」
キョトンとした表情の優。その両手には、寝袋を提げている。
「ベ、べ、別に何でもないんだ、うん。あははは」
僕はとりあえず笑って誤魔化した。
バスに揺られて1時間あまり。山奥の停留所で降りて、そこからまた山道を1時間ほど歩いて、僕達は森の中にいた。
歩き疲れて、道端の岩にもたれて休んでいるところだ。
視線を上げると、樹の間から太陽の光が漏れてきている。何となく神秘的だな。
僕は視線を優に向けた。
目を閉じて、自然の音に聴き入ってるようだ。
木漏れ日が、彼女の髪をきらきらと光らせている。
奇麗だなって、素直にそう思った。
と、不意に優が目を開けて僕の方を見た。
「そろそろ行こうか?」
「そうだね」
僕は、身体を起こす。
考えてみれば、森に入ってから、僕達はほとんど言葉を交わしてない。
言葉を交わす必要なんてないんだ。
それから、またしばらく歩いていると、不意に目の前がぱっと開けた。
「うわぁ!」
思わず歓声を上げてしまう。
ちょうど峠になっているところで、森がそこだけ切れて、辺りを見渡せるようになってるんだ。
「すごいや。あれ、瀬戸内海かな?」
山の連なる向こうに、きらきら光る海が見える。
「ねぇ、優、あれさ……。優?」
優は、空を見上げていた。その表情が硬い。
「どうしたの、優?」
「雲の流れが……早い。一雨来るかもしれない」
「え?」
言われてみると、確かに雲の流れが早い。でも、まだ陽もさしてるし、雨が降るとは思えないんだけどなぁ。
「行こう」
「行こうって?」
優は、リュックを担ぎ直すと、言った。
「この先に、キャンプ場があるはずだよ。そこまで行けば、テントを張って、雨をやり過ごすこともできるよ」
「そっか。それじゃ、そうしようか」
僕は頷いた。
それから、10分もたたないうちに、いきなり天気が変わった。あっという間に霧が出てきて、周りは真っ白になってしまった。1メートル先も良く見えないほどだ。
霧の中って、要するに湿度100%なわけだから、たちまちのうちに僕たちは濡れネズミ状態になっていた。
ゴールデンウィークとは言っても、山の中は寒さすら感じる。
僕は前を行く優の背中に向かって声をかけた。
「優、大丈夫?」
「うん。もうすぐキャンプ場に付くはずだよ。キミこそ、気をつけて。この辺りは滑りやすいから」
「うん」
頷いたとき、不意に足もとがつるっと滑った。
「!」
慌てて伸ばした右手が、脇の木の枝を掴んだ。と思った時、その木の枝が嫌な音を立てて折れた。
一瞬の浮游感。
そして、激しい衝撃を感じて、僕は意識を失った。
バタバタバタ
「……ん」
僕は、ゆっくりと目を開けた。
青いものが視界に広がっている。
バタバタバタバタッ
その上から、ひっきりなしに音が聞こえてくる。
……テントだ。テントの中にいるんだ。
だんだん意識がはっきりしてくる。
どうやら、バタバタッていう音は、テントを叩いている雨音みたいだ。
僕は寝袋にくるまって、テントの中に寝ているみたいだ。
どうやら、助かったみたいだな。
ほっと一息ついて、それから僕は、右半身に暖かくて柔らかいものが押し当てられている感触に、やっと気が付いた。びっくりして、そっちを見る。
僕は寝袋から顔だけ出している状態だった。そして、僕の頭とぴったりくっつくようにして、優の頭があった。
頭だけあるわけない。そんなことあったら怪談だ。だから、僕の体にぴったりくっついている柔らかくて暖かいものは、優の体なんだろう。
し、しかも、この感触は……。
僕は裸になってる。それに、その僕の身体に押し当てられている優の身体も……。
そう思ったとたん、心臓がドキドキと脈打ち始めた。
首まで上げられてる寝袋のチャックを開けて、中を確認してみたい。
もし本当に優が裸なのなら……。
そりゃ、僕だって男だ。優の裸を想像したことがない、何て言えば嘘になる。
それが、手の届く所にあるんだ。
まさしく「男なら、やってやれ」状態。
かぁっと全身が熱くなっていく。特に一部分が。
と、気配に気付いたのか、優が身じろぎした。僕の方に顔を向ける。
くどいようだが一つの寝袋に強引に二人が入ってる状態である。
僕と優は、ほんの数センチという至近距離で見つめ合うことになった。
「あ、え、う……」
喉がカラカラに乾いてるせいか、無意味な音しか出てこない。
優はにこっと笑った。
「気が付いたね。よかった」
僕は無理矢理なまつばを飲み込むと、漸く言葉を出した。
「優……」
「身体、冷えてたから。服も濡れてたし」
だから、服を脱いで一つの寝袋の中で暖め合ってた。
「え、えっと……」
何か言わないと、と思いながらも、何を言っていいのか判らなくて、僕は狼狽えながら、半ば無意識に手を動かした。
ふに
手が柔らかいものに当たった。何に当たったのかはっきり判らないけど、自分の身体でない以上、優の身体のどこかなのは間違いない。
「わ! ご、ごめん」
「……」
優は小首を傾げた。柔らかな髪が僕の頬に当たる。
「嫌?」
僕は慌てて首を振った。
「嫌なもんか……。でも、優の方が……」
「私は……」
優は、目を閉じた。そして言った。
「こうしていると、ドキドキする。なんでだろうね?」
「僕も、ドキドキしてる」
「……うん」
それっきり、静かになる。
雨がテントを叩く音だけが、聞こえてくる。
目を閉じて、心もち上を向いた優の唇に、僕はそのまま口付けた。
「ん……」
優は、それをそのまま受け入れてくれた。
僕の背中に、そっと優が手を回す。
柔らかい膨らみが僕の胸に押しつけられた。
このままじゃ……。
かすかに胸の中で産まれた逡巡。
身体の方は、優を求めてる。でも、優はどうなんだろう?
「……優」
かすれた声で、そっと呟く。
優は、ゆっくりと目を開けた。瞳が潤んでいる。
「……キミとは、自然にこうなるって思ってた」
「……うん」
「だから……、いいよ」
それだけ言うと、優は恥ずかしそうに視線を逸らした。
そんな優の表情を初めて見た気がした。
僕は、優を抱きしめた。
テントから出ると、雨は上がっていた。
「優、雨上がってるよ」
「そう?」
優は髪をかき上げながら、外に顔を出した。
僕はその顔に、不意打ち気味にキスをした。
「ん? ん……。もう、強引だね、キミは」
そう言って、優は微笑んだ。
僕は空を見上げた。木立の間から見える空は、綺麗な蒼に染まっていた。
《終わり》