『パパに大きなマンションを借りてもらうから……何だったら一緒に住んじゃおうか?』。  
 あの日、晶が言った大胆な一言を僕はてっきり冗談だと思ってた。  
 でも晶は本気だったんだ。  
 僕のためにウィーン留学を蹴った晶は、本当に東京にマンションを買ってしまった。  
 もう転勤はないと思っていた親父がまさかの辞令を受け取ったのもちょうどその直後だった。  
 東京の大学への進学が決まっていた僕はそのまま残り、親父はお袋と引っ越していった。  
 留守を守るのが僕の務めだ。  
 だけど、ついつい晶のマンションに入り浸るようになってしまったのも無理はなかったのかもしれない。  
 そんな形で始まった晶との半同棲も、もう半年が過ぎた。いつしか僕たちは男女の関係になり、漠然と結婚をも意識した日々を送っていた。  
 
 ゆったりと両足が伸ばせる浴槽で、たっぷりと温まったあとで湯から出る。  
 浴用の腰かけに腰を下ろし、見るとはなしに今まで入っていたバスタブをながめる。  
 食事の前に風呂をいただいているんだけど、この浴槽の大きさには本当に目を見張らされる。  
 大人が二人で入ってもゆとりがあるし、洗い場だって当然それに合わせた広さになっている。  
 都心でこれだけのマンションをポンと買える晶の家の裕福さは僕の想像をはるかに越えていた。  
「晶は本当に僕なんかでいいのかな……」  
 問わず語りにつぶやく。  
 そうしながらも、心には自然とここで行なわれた晶との恥戯が浮かんでいた。  
 火照った体にモヤモヤした感情が生まれてくる。そしてそれは股間で存在を主張しはじめる。  
「するか……」  
 一度大きく息を吸うと、僕は勃起に手を添えた。  
 
「晶……」  
 名前を呼ぶ。僕に向けられる、ちょっと照れたような笑顔が目の前に浮かぶ。  
 それを思い出しながら、僕は手慣れた動作で勃起をしごき始めた。  
 たちまち快感が生じる。それに後押しされるように、強弱をつけ、動きに変化を加えながらオナニーを続ける。  
 だけど決して射精までは持っていかない。絶頂までの時間を少しでも伸ばせるよう、ギリギリまで高めては鎮めるという行為をくり返す。  
 それに、どうせイクなら晶とのセックスで……。  
 そのときだった。  
「シャンプーなくなってたでし……ちょっと! 何やってるのよ!」  
 バスルームの扉を開けた晶が、非難するような強い口調で僕をなじる。  
「あ、晶!」  
「……私の体じゃ不満だっていうわけ?」  
 抑えたような低音が怒りの強さを物語る。キッ、と僕をにらむ目がわずかに潤んでいる。  
「ち、違うんだよ晶」  
「何が違うって言うのよ!」  
 怒ったままバスルームを出て行こうとする晶の腕を僕はとっさにつかんだ。  
 そして立ち上がると僕はそのまま晶の両腕を抱えるようにして釈明する。  
「違うんだよ! これ、練習なんだ……」  
「……練習?」  
 意味がわからない。そう言いたげな瞳が僕を見返す。  
「その…晶とするとさ……僕、いつも早いだろ? だから、少しでも長持ちさせようと練習を……」  
「………」  
 無言のまま晶が僕を見つめている。晶も言葉を探しているようだ。  
「晶のアソコってすごく気持ちいいし、大好きな女の子としてるんだって思うと、それだけでイッちゃうんだ」  
 男として『早い』ことは屈辱だと思う。まして相手を満足させられず、自分だけ達してしまうなんて最低な行為だとも思う。  
 だけど……晶の全部が魅力的過ぎて、自分でもどうしようもない。  
 そんなことを僕は必死になって晶に説明した。  
 恥だなんて思ってられなかった。晶を失うことに比べれば、そんなことはちっぽけなことだ。  
「そんなこと、全然気にしてないのに…私に興奮してくれるから……早く出ちゃうんでしょ?」  
 晶の声に落ち着きが戻っていた。  
「……うん」  
「それってうれしいことなんだからね……好きな人が感じてくれるなら、女は満足なのよ」  
「晶……」  
「それに……相手がいなくちゃできない練習だってあるでしょ?」  
 僕の顔を見ないようにして晶が続ける。  
「食事のあとで、あなたの練習に付き合ってあげる」  
 頬を染めてうつむきながら言ったその言葉は、最後は聞こえないほどの小さな声だった。  
 
       おわり  
 

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