深い紺色の空に浮かぶのは、まばらな雲といくつかの星、それと少し欠けはじめた満月。
私は今、彼と共にアパートまでの道を歩いている。
今日は朝から鴻池キララから連れ回された。もちろん以前とは違い、彼への頼みごとや私への
犯罪がらみの相談はなかった。警察の上司に対する愚痴だけはやたらと多かったが。
映画を見終われば既に辺りは暗く、そのまま車で彼のアパートまで向かい騒ぐのかと思ったら、
そのまま鴻池キララも帰るらしい。最後に家まで送ると言われたのだが、彼が断った。
『月も明るいですし、たまには散歩して帰りますよ』
『……はいはい、ごっそさん。んじゃあまあ、気ぃつけて帰りや』
その後、夕食を適当にファミレスで済ませ、今に至る。
「……くちっ」
日中はまだそれなりに暖かいとはいえ、この時期は日が落ちると気温も一気に下がる。
この時間帯に外を、しかもそれなりの距離を歩くことになるとは思っていなかったので、
今の格好では少し寒い。特に羽織るものもなく、くしゃみまで出てしまった。
「あ、ごめんね志乃ちゃん、寒いよね。実は今日の買い物でさ、マフラー買ったんだ。
今になるまで忘れてたけど、風邪ひくと悪いし、巻いてあげるね」
と、持っていた紙袋からマフラーを出し、私の首に巻いてくれる。初めは冷たいマフラーも、
私の体温と、彼が口元まで巻いてくれたので吐息とも合わせて、次第に温まっていく。
ただ、彼が手に持つ端が最後まで私の首に巻かれることはなく、マフラーは途中から彼の首に
巻かれていった。俗に言う”二人マフラー”、基本的には恋人同士の間でなされるものだ。
「僕の方だいぶ短かくなっちゃった。でも僕はそんなに寒くないから、気にしないで」
彼は過保護気味に私に巻く量を多くした。それに、身長も少しづつ伸びてきているとはいえ、
彼との身長差は依然開いたまま。そのこともあり、マフラーは彼の首を一周するだけしか残って
いなかった。これでは少し引くだけで彼の首を落ちてしまう。
もちろん、私に巻かれた分をいくらか彼のほうに戻すことも出来たが、せっかく彼が私のために
手ずから巻いてくれたのだ。嬉しかった。せめて家に着くまでは解きたくなかった。
かといって、この二人マフラーの形を崩すのも嫌だった。 ―-まだ、他に手はある。
「……」
「どうしたの志乃ちゃんそんなにくっついて。もしかしてまだ寒い?」
少し引いただけで落ちるならば、そうなる余地をなくせばいい。
歩幅については彼のほうから合わせてくれるので、あとは離れないようにぴったりとくっついて
歩けばいいだけ。それに私が何も言わなかったから、そのまま勘違いした彼は紙袋を持ち替え、
手を握ってくれた。これでますます解けにくくなった。彼の手は身長と同じように私よりとても
大きくて、簡単に包み込んでくれる。身長はともかく手のひらの大きさだけは、このままでいい
と思った。
しばらくそうして、特に言葉もなく歩いていると、彼のズボンのポケットから高い電子音。
「ごめん、いったん放すよ」
生憎、携帯電話は私がいる側のポケットに入っていた。彼は私の手を放し、慌てて携帯を取る。
「あれ、どうしました先輩。……。まだ着いてませんよ。……。してません!今日は出費も
多かったから――…。だからしてません!するわけないじゃないですか風邪引きますよ!」
相手は鴻池キララ。彼の話している内容から察するに、無事に家に着いたかどうか心配して
くれていたようだが、その後はセクハラだろう。心配はありがたくもあったが、メールで済み
そうな内容だ。このせいで繋いだ手は放されたのかと思うと腹が立つ。
――私に合わせた歩幅で歩いていた彼は、電話で話し始めてから少しだけ、さらにゆっくりと
した歩みになっていたらしい。そして私は手を放されたこともあってか、彼の歩くスピードに
合わせる事を忘れていた。むしろ苛立ちのせいで早くなっていた気さえする。その結果――
「はい、おやすみなさい、先輩。……。――おっと」
丁度彼が通話を終えた瞬間、ついにマフラーは彼の肩からずり落ちてしまう。彼の首にしっかり
と留められるほどの長さがなかったマフラーは、しかし私との身長差の分だけ長い。そのままに
していれば地に付いてしまうのは必然。それを彼は辛うじてキャッチしてくれた。携帯を持つ
格好が幸いしたのかもしれない。ただ、紙袋と携帯で十分に掴めなかったのか、彼は改めて
マフラーを掴み直す。
「―――っ」
その事に数瞬の間気づかなかった私は、さらに一歩踏み出そうとしたところでマフラーに
よって止められた。
「ああっ!ごめん志乃ちゃん。苦しくなかった?」
「…………」
彼の方に振り返る。別に苦しくはなかった。多めに巻かれたマフラーは、私の首を
締め付ける事はなかった。ただ少し驚いた程度。それなのに彼へと言葉をすぐに返せなかった。
なぜならば、私の首に巻かれたマフラーとその端を持つ彼の姿が、極端な身長差のおかげで、
まるで首輪を付けられたペットと、その飼い主のように見えてしまったからだ。マフラーも
十分過ぎるほど幸せではあったが、簡単に解けてしまうようなマフラーと違い、頑丈な首輪と
鎖のほうが妙に安心感があるようにも思えた。
「怒ってるね志乃ちゃん………どうすれば機嫌直してくれるかな?」
先の質問に対し返答しておらず、二人マフラーが終わってしまった事への不満も彼には伝わった
ようで、彼は私が怒っていると思ったらしい。丁度いい。
「なら、こっちへ……」
彼の手を引いて今いる道を進み、一つ、脇道に逸れる。そこにお誂え向きの店があるのだ。
本当に丁度いい。
「えーと、志乃ちゃん?ここは――」
「……見ての通りアダルトショップ。ここで私用の首輪を買ってきて、鎖と一緒に。
そして……私をペットのように扱って……ください」
「もしかして志乃ちゃん、もう普通のは飽きちゃったの?」
私は首を振って否定する。それは万に一つもありえないことだ。
「……ただ、これらがあったほうが、安心できそうなだけ」
「……そう、なら買わないとね、僕もなんとなくわかる気がするし。ただ――」
「お金が足りないのなら、私が払う」
「違うよ志乃ちゃん。志乃ちゃんに一番似合う首輪を選びたいから、一緒に来てよ」
「多分、門前払いだと思う。私では入れない」
「そこはほら、志乃ちゃんがいれば何とかなると思うよ。あとさ、こんな寒い夜に、鎖も何も
繋がずに外にペットを待たせるなんて、飼い主失格だと思わない?」
「―!」
既に”私をペット扱いする”のが始まっていたらしい。展開が速くて驚きはしたものの、彼が
その気になってくれて嬉しい。
彼にペットとして扱われるなら、もうこの身長のままでもいいと思えた。
「ほら志乃ちゃん行くよ。……そうだ、志乃ちゃんは僕のペットだとして、動物としては何?
それに合わせて耳とか尻尾も買おうよ。犬?猫?兎?」
「貴方に決めて欲しい。私はそれに従うから」
「じゃあ……やっぱり猫かな、黒猫志乃ちゃん。きっと似合うよ」
おわり