黒い塊が、押し寄せてくる。  
まるで津波か。それとも雪崩か。  
いずれにしろ、それが運んでくるものは同じだ。  
ただ真っ黒な、絶望。  
次第に大きくなる地響きの中、コノハはゆっくりと目を閉じた。  
 
 
聖龍族の統治する東大陸は、他の四大陸と比べて緑の量が格段に多い。  
絶えない鳥のさえずり。季節ごとに聞こえる涼やかな虫の声。色とりどりに咲き乱れる花々。  
どれも、この大陸では珍しくないものばかりだ。もちろん、だからといって人々はそれを軽視などしていない。  
聖龍族は古来より自然を愛し、崇め、共存してきた。  
いつだって、どこにでもあるけど、大切なものという認識。その思いは家族に対するそれと同じものであったのかもしれない。  
 
それゆえに、誰もそれが失われることなど夢にも思ってはいなかったというのに。  
 
遠くから見た時はまるで毒虫の大群のようで生理的な嫌悪感を覚えたものだが、近くで見てもまた違った醜悪さが喉の奥に酸味を生じさせた。  
神木「聖龍木」の精霊であるコノハは、およそこの東大陸にある植物全てと意思をシンクロさせることができる。  
現在コノハの意識は、大陸の西端、大陸の形で例えれば龍の尾のなかばあたりの森林の入り口に咲いている、小さなタンポポの中にあった。黒い塊はもう目と鼻の先に見えている。  
「アハハハハハハハッ!簡単すぎてつまらないワ!抵抗くらいしてみなさいよ?本当に私だけでこの大陸落としちゃうわよ!」  
地面の唸りとは違った甲高い声に、黄色い花はびくりと心を震わせる。強い、本能的な恐怖心を感じ取ったコノハは、潤みかけた目で、それでもしっかりと力をこめてその声の主をにらみつけた。  
漆黒の翼に漆黒の鎧、漆黒の角は断じて聖龍族ではありえない。  
実に楽しそうに黒い塊――ギュウキの群の指揮を執り、また自らも破壊を続ける《彼女》。  
「最高の恐怖を味わわせてあげるワ!」  
(魔将軍「アスタロット」・・・!)  
強大な力を持ち、皇魔獣を引き連れて各地を攻撃してくる魔将軍は3人存在する。その中でも今ギュウキの先頭で笑っている「アスタロット」は非常に残虐なことで有名である。  
ちょうど、聖龍族の王サイガは打倒マステリオンのために中央王国に向かったばかりであった。  
絶大な魔力を誇る大魔道ライセン。幾たびの戦場を超えて不敗、「朧集」を率いる忍者マスター絶影。そして役立たず(ミヤビ)。  
主戦力である彼らも皆、サイガの援護のため東大陸にはいないのだ。  
そのタイミングを衝かれた。  
(もう誰でもいい・・・助けて!森たちを、私たちの国を助けてよぉ!)  
 
 
 
はたして、コノハの叫びが届いたのか。  
「!?」  
とにかく、目の前の事実だけが全てだった。  
「ギッ、ギヤアアオッ」  
唐突に、突進を続けるギュウキの体が見えない巨人に踏まれたかのように地面にめり込んだ。アスタロットの笑みが凍る。その間にも次々とギュウキは大地と一体化し、うなり声を消されていく。  
「なっ、何よっ!何してるの!」  
「地面さんが皇魔の衆に惚れちまったみたいでな。熱烈な接吻をお見舞いしてもらってるとこよ。ほら、アンタも地面さんがお待ちだぜ」  
「へ?」  
アスタロットの喉からhの音が出た時点ですでに拳は目の前にあった。  
「破岩、一衝ッ!」  
鈍い音と共にアスタロットの身体は吹っ飛び、叫び声も、叫ぶために空気を吸うことさえできないまま地面さんに突き刺さった。  
コノハの祈りから、わずか15秒。  
かなわないはずだった願いは、  
(あの人は・・・破岩拳テッシンさん!彼は国に残ってたんだ!)  
この男の登場により実現  
 
「させるかァーっ!」  
「めそッ!?」  
やっぱり強さは人気に比例するのか。単純にカード裏面の数値でアスタロットが勝っているからなのか。  
作者がテッシンにヤムチャと同じ臭いを感じるからなのか。ならば鉄心砕鋼は新狼牙風々拳か。  
理由はともかく、やっぱり目の前の事実だけが全てだった。  
(テッシンさん・・・)  
砂煙が晴れていく。たった今テッシンに直撃させた氷弾を打ち出した右腕はそのままに、左腕で頭の土を払う魔将軍の姿がだんだんと現れてくる。そして、姿が見えてくるにしたがって彼女の発散する憤怒のオーラの濃さも感じ取れる。  
「女の顔を攻撃するなんて・・・あまつさえ地面に埋めるなんて・・・聖龍族の男って皆こうなの?マナーがないったらありゃしないわ!それと、こんな攻撃で私を倒せると思えるアンタの脳が信じられないわね!」  
「ぐッ・・・聖龍族のことはいい・・・だが俺のことは決して馬鹿にするな!」  
「だまらっしゃいおばかさぁン!こいつはアンタのせいで地面さんに陵辱され再起不能になったギュウキちゃんたちの分よっ!」  
アスタロットは周囲の水分を凝結・急速冷凍し、第二の氷弾を発射した。迎撃しようとテッシンが拳を構えるが、間に合わずその顎にヒットする。  
「ドゥブッハァ!」  
数歩たたらを踏むテッシン。しかしそれだけだ。体はいまだ倒れず、目の光はまだ消えない。  
「この程度の攻撃、当たったからといってどうということはない!」  
「へぇ・・・いくつまでなら?」  
「は?」  
ぞくりといやな予感がして、テッシンはおそるおそる空を見上げる。  
テッシンの頭上には、百を超える数の氷弾が今か今かと出番を待っていた。  
「・・・は?」  
もう一回、つぶやいた。  
 
 
テッシンが刺さっていた。  
「フン・・・いらない時間をとらされたわね」  
テッシンに何かが刺さっていたわけではない。間違いなくテッシンその人が地面に垂直に突き刺さっているのである。  
一体何が起こったのか。犬神家の死体よろしく地面から足だけを突き出して、ピクリとも動かない。  
あまりにも無残なその姿だったが、残念ながらこの場に同情してくれそうな人は一人としていなかった。  
いるのは彼をブン投げた張本人、魔将軍アスタロットと愉快なギュウキ達だけである。  
「さて・・・じゃあ再出発するわよ!・・・コラ!ギュウキD!もうそんな奴にかまうのはやめなさい!ヘタレがうつるわヨ!」  
クスクスと愉快そうに笑いながらアスタロットはギュウキの群の先頭に戻る。  
今回の任務は実に簡単だ。ここ東大陸を統べる聖龍族の王とその側近たちが中央大陸に向かったのは確認済みだ。計画通りなら今頃は竜王ファフニールと激戦を繰り広げているころだろう。  
その隙にこの大陸を制圧する。テッシンというほんの少しのトラブルはあったものの、膨大な魔力を誇る「魔将軍」の一人であるアスタロットに対抗できるような戦力はもはや一人として残っていまい。  
「王たちの誰も皇魔四天王の存在を知らなかった、っていうのが致命的ね!あの金ぴかたちが頑張ってくれるから私たちは楽でいいワ」  
そう言って、一度高らかに笑う。そして、  
「進め!目標は聖龍の都中央部!」  
 
「いいえ。あなた達はもうどこへも向かうことはない」  
「!?」  
突然どこからか聞こえる声。アスタロットは少しだけ眉をひそめ、首を振って声源を探す。もはやいないはずなのだ。こんな大口を「魔将軍」に対して叩けるような奴は。  
それゆえアスタロットは油断していた。ただどこかの身の程知らずバカのためにまた時間をとらされるだろう事に対してイラつきを覚えていただけで。  
「テッシンに隊列を乱されていたのが致命的ね」  
「・・・!!!よ、避けろギュウキ共!」  
目の端に紫色の光が揺れるまで、アスタロットは指示を出すことを忘れていた。一瞬で翼を広げ、何とか自分だけでも空中に逃れた瞬間、  
「紫・雷・一・閃!」  
目の前のもの全てが紫紺に染まり、アスタロットは思わず目を閉じた。  
「グ・・・何が・・・!」  
薄く目を開けて、次の瞬間驚愕に見開く。連れて来た魔獣の群は揃ってこんがりと焼きあがっていた。何匹いたと思っているのだ!?  
一瞬だった。断末魔さえなかったではないか。  
アスタロットは自分の呼吸が激しく乱れているのに気づいた。唇を舐める。口の中が驚くほどに乾いている。  
 
「何・・・何で!何でよ!」  
「私が奥義を放った。あなたが間一髪飛び上がった時点でね。どういう気分?圧倒的な力にただやられるのを待つだけっていうのは。  
これから貴女を倒すのに、一分もかからないわよ」  
そして非常にも背後から響く声。背筋に冷たいものが走る。  
「く、ああぁっ!月禍氷刃ッ!」  
ガギィィィン!  
がむしゃらに組み上げた氷の刃を、ほとんど勘で振りぬく。ギリギリのところで首に迫る刀を弾き返せたのは奇跡に近かった。  
「ハァ・・・ハァ・・・」  
そこでようやく、アスタロットは敵の姿を確認した。  
聖龍族の民族衣装に身を包み、紫色の光をまとった刀を構えるその少女はまるで華のように見えた。  
桃色をした、美しくも冷たい曼珠沙華。  
気圧されながらも、アスタロットは少女をにらみつけた。  
「な・・・何なのよ!聖龍族の主戦力は皆中央王国に出てて手薄のはずじゃなかったの!?何でアンタみたいな強いのが残ってるのよ!  
・・・アンタは一体、何者なのよぉーっ!」  
少女はその目を真っ向から見返し、少しだけ微笑んだ。  
「私?・・・知りたいなら教えてあげる」  
言いながら、ゆっくりと刀が振り上げられていく。  
「私は大魔道ライセンの弟子。東大陸守護係兼ゴミ係兼カサ係の・・・」  
「ヒッ・・・」  
刀身の周りの大気が歪み始める。それに従いアスタロットの表情もさらに歪み、  
「「征嵐剣」シオンッ!」  
シオンの言葉が終わらぬうちに、アスタロットは背中を向けて逃げ出していた。  
自分の姿が無様だとはわかっている。しかし背後で再び炸裂する紫の光がこの決断は決して間違いではないと告げていた。  
「おっおっ、おぼっ、覚えてなさいよ!次は絶対殺してやるーッ!」  
ようやくそんな言葉を叫ぶことができたのは、完全にシオンの姿が見えなくなってから。  
「むぅ・・・ちくしょぉ・・・明日、見てなさいよ・・・!」  
ほんの少しだけ潤んだ目を拭いつつ、夜空に復讐を誓う「魔将軍」アスタロット様であった。  
 
 
「あ・・・!ちょっと!帰るならこいつら連れて行きなさい・・・」  
シオンは次第に小さくなるアスタロットの背中に向かって叫んだが、もう声が届いていないのか、まったく反応のないまま青白い背中は闇夜に溶け込んで消えていく。  
シオンは大きくため息をついた。  
くるりと後ろを向くと、真っ黒になって倒れていたギュウキたちが少しずつ立ち上がり始めていた。  
「・・・ンモ?ア、アレ、あすたろっとサマハ・・・」  
などと煤を払いながらつぶやいているところを見ると、さほど深刻なダメージは受けていないようだ。  
当然である。奥義「紫雷一閃」はいわばMAP兵器。殺傷力には乏しい代わりに、攻撃範囲と敵の無力化に特化した技なのだから。  
「ム・・・ココハ・・・オレタチ、ドウシタンダッケ」  
「モウ・・・モウタベラレナイヨー・・・モ、ユメカ」  
それにしたって喰らってから5分で口々にぼやきながら起き上がってくる彼らの姿には少々悲しいものを覚えた。  
シオンはもう一度ため息をつき、  
「まだまだこの技には改良の余地アリね・・・。さすがにこの低威力はナイよね」  
そういえばテッシンも効果範囲中にいたのに気づいて、さらにもう一度ため息をついた。いまだに奴は刺さっている。  
「オイ!オマエ!あすたっろとサマヲドウシタ!」  
「コラ!オシエナイトタイヘンダゾ!オレタチガカエレナクナル!」  
ギュウキたちは先ほど自分たちが誰にやられたのかわかっていないのだろう。恐れる様子もなく、立ち尽くすシオンに声をかけてくる。  
「それは大変ねー、私にとっても」  
シオンはぼんやりとしたままこれからのことを考えた。アスタロットがいないと帰れないと言う子供のようなギュウキたち。  
前向きに考えれば、指揮官がいない今そこまで悪さをすることもないかもしれないが・・・  
まさか野放しにしておくわけにもいくまい。  
うん、と一人でうなずくと、とりあえず地面に刺さる素敵なオブジェの方に歩き出した。  
「ムシスルナ!シラナイナラシラナイトイイナサイ!」  
無視して、テッシンの足と向かい合う。さすがに死んではいないだろうが、まだ動く気配はない。  
「ムシスルナトイッテルダロウ!イイカゲンニ・・・」  
「いい加減に起きなさい!ハァァァァァッ、紫光爆雷刃!」  
カッ!  
紫雷一閃に比べて極端に色が濃くなった雷が、テッシンめがけて閃いた。それは柱となり、天を衝く。  
同時に轟音が響き、せっかくふらつきながらも立ち上がったギュウキたちが一斉に息を呑み、またぺたりと尻もちをついた。  
ちなみに「しこうばくらいじん」と読む。先に放った技に対し、こちらは威力優先である。リリスである。  
「・・・・・・・・・」  
しばしの沈黙。  
もはや音の余韻も消えて、煙だけが立ち昇っていた。  
シオンは刀を突き出したまま動かない。テッシンも足を突き出したまま動かない。  
ギュウキたちが本当にあの女は今「起きなさい」と言ったのか?「死になさい」ではなかっただろうか?と疑い始めた頃、  
「ガハァーッ!」  
地獄から舞い戻ってきたような表情で、破岩拳テッシンは地面から体を引き抜いたのだった。  
「ぐぅ・・・すまんな、シオン。面倒を任せてしまった」  
「別にいいけど・・・。大変なのはこれからだから」  
「は?」  
まだ煙が立ち昇り続けているテッシンの頭上に、クエスチョンマークが浮かぶ。  
しかしシオンは何も言わずに、今度はあっけに取られているギュウキたちに向き直った。  
「えーと・・・自力では帰れないみたいだから、とりあえずあなた達は敗残兵という扱いになるわ。殺しはしないけど、指揮官のお迎えが来るまでは絶対服従して」  
「フクジュウ!?ワレワレハあすたろっとサマノミニチュウセイヲチカウ・・・」  
抗議の声をあげかける者もいたが、シオンは笑顔で無造作に刀を振った。  
「逆らう人はこうなるから」  
ちゅどん。  
「ぎゅはぁ」  
再度立つ雷光は、狙いたがわず隣の師範代を直撃した。何匹かのギュウキが小さく悲鳴を漏らす。  
何度目になるのか、煙を吐いて地面に倒れこむテッシン。  
「わかった?」  
ちゅどん。  
「わかったら」  
ちゅどん。  
「あなた達が蹂躙した木や花を優しく手当てしてあげてね。―――今すぐ始めなさい」  
「ワ、ワカッタカラモウヤメテアゲテクレ・・・」  
 
 
 
嗚呼、哀れなり破岩の拳士よ。君の体から黒煙はいつ消えるのか。  
 
 
中央大陸に戻って城の隅っこで体育座りをしているアスタロットに、同じ魔将軍であるアリオクが声をかけてきた。  
「どうしたアスタロット。久しぶりに腐れた顔をしておるな」  
「巨大なお世話。ほっときなさいヨ!」  
アリオクの表情は読みにくいが、その声からはからかいなど微塵も感じられず、本気で心配してくれているのがわかる。  
わかるのに邪険にしてしまう自分に、ますます苛立ちが募った。  
「あーもう、何ヨあのシオンって奴!絶対に思い知らせてやるんだから!」  
「何、聖龍のシオンに負けたのか。あのシオンは最近急速に成長している、侮れん奴よ。恥じることはない」  
「負けてない!大体あの格好!太もも丸出しで露出狂かってーのヨ!」  
「太もも丸出しの露出狂・・・か・・・」  
アリオクは何か言いたげにしばしアスタロットの格好を見つめた。が、結局口には出さなかった。  
このあたりがアリオクが知将と呼ばれる所以である。  
「シオンの変態!バーカバーカ」  
「まぁ、頑張れ」  
夜は更けていく。  
 

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