「俺さあ…」  
「?」  
 
耳元に吹き付けるようなイクトの囁きに、あむはふっと顔を上げる。  
 
「人を探してるんだ…」  
「歌唄…?」  
「いいや」  
 
何だかちょっとだけホッとしたあむだったが、しかしイクトの尋ね人とは一体誰なのだろうか?  
そんな疑問がストレートに現われているあむの表情を見たイクトが、一拍置いて言葉を繋ぐ。  
 
「この寒空の中、行く当ての無い宿無しを泊めてくれる可愛くて優しい女の子、居ねえかなあって…」  
「?」  
 
その日の宿に困るような経験を今までに一度だってした事など無いあむは、  
イクトのその呟きの意味を俄かには理解できなかったけれど、  
心の中で何回か『この寒空』『宿無し』『泊めてくれる』『女の子』『居ないか』という単語を反芻し、そしてハッと気が付いた。  
 
「イクト。今日、寝るところ無いの!?」  
「まあな。で、優しい女の子を探してるって訳…」  
 
そう言い終わって、ちょっとばつが悪そうに寂しげな微笑みを浮かべたイクトの表情を見上げるあむの小さな胸が、  
トクントクンと軽く高鳴りだしてくる。  
 
普段、顔をぐっと近付けてキスを期待させておきながらつまらない事を囁いたり、  
こちらの油断に乗じていきなり耳の茸を甘噛みしたりと、散々あたしをからかって翻弄してくれちゃっているくせに、  
今日寝る所も無いなんて、イースターという大きな組織に所属していながら、どこでどう間違えばそんな間抜けな事になるの!?  
だけど…  
だけど、そんな「俺は完璧だー!誰の世話にもならねーぞ!!」みたいなヤツに弱った姿を見せられちゃうと、  
何だか放っておけないよ…  
それに、いくら敵か味方か分かんない相手でも、こんな寒い夜を外で過ごさなきゃなんないなんて、可愛そう過ぎ…  
 
生来のお節介さと優しさを最大限に刺激されてしまったあむは、キュン!と甘く疼く心の中を、思わずそのまま口に出してしまった。  
 
「ウチに来れば?」  
 
自分の言葉の大胆さにハッと気付いたあむは、その頬から耳の先までを真っ赤に染めながら俯くけれど、時既に遅し。  
 
「お前の家に?」  
「そ…、そうだよ!」  
「良いのか?」  
「…、『良い』っていうか…、今、あたし、『良い』って言っちゃったし…。なんていうか…、…、その…  
とにかくッ!あたしが『良い』って言ってんだから、来たければ来ればいいじゃん!!」  
「…」  
「…」  
「…ありがとな」  
「え!?」  
「二度は言わねえ…」  
「何それ!?イクト、全っ然、可愛くない!」  
「へえ…。『可愛くない』か…」  
「もう!バカイクト!!」  
 
軽く握った拳でこの自分の胸元をポコポコと叩いて暴れるあむを、イクトがそっと抱き締め直しながら、  
もう一度、ただし今度はゆっくりとその耳元に「ありがとな」と囁くと、  
あむは、そんなイクトの胸に頬を埋めながら「バカ…」と呟いて再びそのまま大人しくなってしまった。  
 
「何だか何時に無くいい雰囲気になってるね」  
「うん。今のところハンプティロックを狙うような素振りも無いから、暫く様子を見ることにしようか」  
「下手に邪魔すると、馬に蹴られて死んじゃうかもしれませんからね」  
 
この二人の様子を街路樹の陰からそっと見守っていたラン、ミキ、スゥの三人は、  
事態に何か動きが有るまで大人しくしていよう、と頷き合う。  
 
「(…、この俺様とした事が、登場するタイミングを逃してしまったにゃ…)」  
 
そして、普段ならあむやそのしゅごキャラ三人組に一言言いたいヨルも、  
せっかく得られそうな今夜の暖かい塒を失わぬように、イクトのポケットの中で大人しくする事を選んだのだった。  
 
「ただいまー!」  
「おかえりなしゃーい!」  
「おかえりなさい!お風呂に入っちゃう?それともご飯が先がいいかしら?」  
「え〜と…、ちょっと待ってて!」  
 
「出来立てを食べてもらいたいのよ〜」という緑の苦情を背中に聞かせて、あむは自分の部屋へと急ぎ足で階段を上がる。  
 
「入って!」  
 
カラカラカラ…とサッシを開け、既にベランダで待っていたイクトを招き入れると、  
あむは急いで閉めたサッシの鍵を手早く閉めてカーテンを引き、エアコンのスイッチを入れた。  
 
「すぐに暖かくなるからね。それから、いろんなものを触らないように!大人しくしててよ!!」  
「はいはい」  
 
「『はい』は一回でいいの!」と言いながらドアを閉めたあむは、先ほどと同じ軽やかな足取りで階段を下りると、  
「お部屋に、何か隠し事?」という緑の鋭い質問にドキリとしながらも、  
「ううん。今日はとっても寒いから、さきにエアコンを点けようと思って」と自分でも驚くほどの絶妙さで切り返し、  
更に「先にお風呂に入っちゃうね!」とそれを煙に巻いてしまった。  
 
ちゃぷん…  
 
「ふぅ…。やっぱ、お風呂、気持ちいい〜!」  
 
たっぷりと掛け湯をした白くて細い身体をゆっくりと湯船に沈め終えたあむは、心の底から幸せな溜め息をついた。  
だが、さっきまで寒い街中を宿りを探して彷徨っていたイクトは、今日、風呂に入る機会があったのだろうか。  
 
「聞いてみなきゃ…」  
 
そう。風呂でゆっくり温まれば、きっと心も身体も幸せになるに違いない。  
もし、まだ入っていないのなら、かなり難しいかもしれないけれど、何とかしてこの風呂に入れてあげたいな…  
と、ここまで考えが及んだところで、あむは、只でさえ風呂の暖かさで桜色に染まっている頬を真っ赤にして俯いてしまう。  
 
「イ、イクトをお風呂に入れるのは良いけど、着替えとかはどうすればいいわけ!?」  
 
そうだった。それに日奈森家は、帰宅時間が不規則な紡と緑が不自由しないように24時間風呂を取り付けていたから、  
もしも今日イクトが風呂に入れば、明日はそのお湯をあむたちがほぼそのまま使う事になるのだ。  
 
「そんなの…、恥ずかし過ぎ…」  
 
ドキドキと高鳴る胸を隠すように湯船の中で丸まったあむが、湯に完全に浸かってしまった鼻と口からゆっくり息を吐くと、  
それはブクブクとあむの目の前で軽い泡となって弾けた。  
 
「そ、そうだ!とにかく身体を洗わなくちゃ!」  
 
余り長湯ができない事情を山ほど抱えている事を思い出したあむは、ザバ〜ッと大急ぎで湯船から出ると、  
バスチェアにちょこんと腰掛けると、ラックから、まずは自分専用として買ってもらっているお気に入りのシャンプーを手に取った。  
 
「さて!ちゃっちゃと洗っちゃいますか!」  
 
たっぷり湯を含ませた桃色の髪を、よい湯加減に薄紅色に染まったあむの細い指が、適量のシャンプーを泡立てながら、丁寧に満遍なく洗い上げていく。  
 
「イクトのヤツ!汗かいた髪の毛の匂いが『いい匂い』だなんて、そんなの変じゃん!」  
 
今度はそうは易々と匂いを確かめさせはしないんだからね!と、あむは気を引き締めるが、しかし、相手はイクトだ。  
今日これからだって何が起きるか分からないのだから、しっかりと地肌を洗って、余計な事を言わせないようにしなければならない。  
 
「地肌も良〜く洗って、と…」  
 
先ほどの経験から、要注意である事がよく分かったつむじとその周辺の地肌を特に念入りに洗ったあむは、  
しっかり濯いだ髪を、これまたお気に入りのリンスできちんと仕上げる。  
 
化粧石鹸をふんわりと泡立てて、  
目をしっかりと閉じた顔を女の子らしく丁寧な手つきで洗うと、それをやはりしっかりと濯いだ。  
 
「ふぅ〜…。さてと…」  
 
あむは、ボディソープのポンプをピコピコと押して丁度良い量をボディータオルに取り出すと、  
ふわふわとたっぷり泡立てたそれを、美しい桜色にほんのり染まった華奢な身体に塗りつけるようにして洗い始める。  
 
「ふんふふ〜ん…」  
 
ほっそりとした喉元、首筋、すっきりと浮き出た鎖骨、小さな肩、伸びやかな腕から指先にかけてを、  
慣れた手つきで順序よく洗っていくあむの手が、ふと止まった。  
 
「…、ちょっと…、ね…」  
 
肘先をクイッと上げて大きく開けた腋を、少しだけ丁寧に洗う。第二次性徴発現のとば口に差し掛かっているあむとしては、  
この頃、その匂いの濃さの明らかな変化を自覚した部分は、やはり、しっかりと洗っておきたかった。  
 
「あははは…、くすぐったい!」  
 
ひょい!と上げたもう片方の腋をまじまじと観察しながら、あむは思った。  
 
「(今はこんなに全然ツルツルなのに、後何年かすると、ここに無駄毛が生えてきちゃうんだ…  
女の子の体って、ほんと、不思議!)」  
 
そこから漂って来る独特の匂いに鼻腔を刺激されて我に返ったあむは、そのボディータオルを持つ手を再び慌しく働かせ始める。  
 
「(もし、こんな匂いをアイツに知られちゃったら…)…、ううん!そんなこと、絶対に無い無い!!」  
 
ふと浮かんだ我ながらとんでもない考えに、  
あむは、濡れた毛先から雫が飛ぶほどブンブンと大きく頭を横に振って、脳内から何とかそれを追い払った。  
 
「アイツが、もし、『腋、見せろよ』なんて言ったら、部屋から外へ蹴っ飛ばし出してやるんだから!!」  
 
脳内イクトの破廉恥な言動にプンスカと腹を立てたあむは、そんな想像をした自分自身への恥ずかしさ半分、  
ボディータオルを思わずギュッと力任せに胸元に押し当ててしまった。  
 
「痛ッ!」  
 
持ち主からのそんな乱暴な仕打ちに、最近漸くふっくらと膨らみかけてきた小さな乳房の先端でツンと尖っている幼い桜色の乳首が、  
コリッと小さく悲鳴を上げた。  
 

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