ついさっきまでの威勢のよさは、既に吹き飛んでいた。  
 少年の目に力は伺えない。ふわふわ浮遊しているだけの力はあるようだが、  
 それももう限界だろう。  
「ぶっとばすんじゃ……なかったの?」  
「う……うるせえッ……!」  
 馬鹿にしたような声に反論するも、力が感じられない。  
 アララは、もうそろそろね、と心中でほくそ笑んでいた。  
 玖珂光太郎。少年はそう名乗った。悪をぶっとばす、とも。  
 若さの漲る少年の目は明るい光に満ちていた。未来を思い、現在を憂い、  
明日へと歩みを進める歩は誰よりも強いのだろう。  
 すぅ、と目を細める。  
「ねぇ、お馬鹿さん。もう少しで終わりよ、あなた」  
「んなこと……まだ分かンねえだろッ!」   
 ぶぅん、と空気が振動する。魂ごとなぎ払うような、怒りの炎が、鋭い刃に  
重なる。  
「頼む、ザサエさん……」  
 両手に包丁を携えた鬼子母神……ザサエさん、と少年は呼んでいた……が、  
まっすぐにアララに突進する。  
「本当……。馬鹿な子」  
 アララは口元に手を当てた。口元の涼しげな笑いは、しかしどこか悲しそうでは  
あった。  
 
 しゅん、と女の姿が消えたのは覚えている。  
 そのあとどうなったのかは、まるで覚えていない。  
 いや……。  
「そうか。俺……」  
 ザサエさんが霧散するように消えうせ、同時にあの女の姿も見失った。  
 混乱するココロを抑えながら周囲の気配を伺っていた最中、急に背後から  
強い衝撃に見舞われた。  
 記憶はそこで途切れている。  
 光太郎は力なくうなだれた。  
「くそ……。情けない……!」  
 どん、と拳を床に叩き付けたい気分だったが、それは出来ない。  
 動かそうとしても動いてくれないからだ。  
 ロープで両手を強く縛られ、ぴくりとも動かない。無理に動こうとすれば、  
ぎりぎりと締め付けられる。あまりの激痛に、縄抜けはあきらめた。どんな器用な  
縛り方をしたのかは分からないが、迷惑なスキルにはこと書かないらしい。  
 まったくもって腹立たしい。  
 そういう奴が跋扈していること、何より、そういう奴を倒すことが出来なかったこと。  
「あ〜、くそッ! あったまくる……!」  
 光太郎は一人、嘆き散らした。  
 薄暗闇の中、一人ぽっちの空間に光太郎の声が響く。  
「しっかし……。一体どこなんだよここは」  
「知りたい?」  
 不意打ちのような女の声が、闇の向こうから届いた。   
 
 
 ぽう、と唐突に場が明るくなる。数個の浮遊する物体が輝きを放ち、灯火となっている。  
 魔法……なのかどうかは分からないが、それをした相手が誰なのかはよく分かった。  
「て……てめェッ!! 何のつもりだッ!!」  
 光太郎は大声で目の前の女性に向かって喚いた。  
「何のつもりだと思う?」  
 つかつかと足音を立てて、彼女……アララは光太郎に近寄る。  
「うふふ。さぁ、答えてみて? どうして貴方を殺さず、こんなところに連れてきたのか。  
何でだと思う?」  
 アララは身動きの取れない光太郎のすぐ側にしゃがみこみながら、問い掛けた。  
「何のつもりって……」  
「玖珂光太郎くん。キミの名前に覚えはないけど、お知りあいには覚えがあるの」  
「知り合い?」  
「オゼット……。いえ、今はふみこだったわね。ふみこ・オゼット・ヴァンシュタイン。  
親しいんでしょ?」  
「……!!」  
 光太郎は愕然とした。ふみこたんの知り合いか。道理で、あの異常な強さだ。   
 それに気付くと同時に、あることを思いついていた。  
 彼女と同じ類の人間なら、楽しみながら相手をいたぶることが出来る奸計を最も好むはずだ。  
「脅しか。俺を人質にして、皆の動きを抑えるって、そういうことか」  
 光太郎は唇を噛み締めた。  
 何てことだ。悪人を討とうとして返り討ちにあって、挙句は人質だなんて。最低最悪だ。  
 そんな嘆きで脳内が埋め尽くされようとしていた。だが、当のアララの反応は予想に  
反して冷ややかだった。  
「まさか。そんな野暮はしないわ。そんなことしたってぜんぜん楽しくないもの」  
「何だよそりゃあ!」  
「私、楽しくないことってキライなの。私の為すべき事は、侵入者を倒すこと。  
目の前の敵を蹂躙し、殺し、消滅させること。楽しくないことなないけど、寂しいわ」  
「く……!」  
「一人じゃできないことをしたくなることもあるのよ。私みたいな寂しい女はね。  
こう見えても私、寂しがりやなの」  
 
 アララの瞳の奥に潜んでいたものが、徐々に姿をあらわし始めたような気がした。  
 楽しいことがしたいと言ったときの彼女の目は、とろんとしていた。  
 それは食虫植物が昆虫を捕らえる際に放つ甘い香りのようでもあり、ねずみを前にした  
猫の目のようでもあった。  
 胸元に手を置きながら、静かに言い放つ。  
「お姉さんの服の下、見せてあげる」  
「な……」  
 すっと彼女は顔を近付けた。  
 困惑した光太郎は、思わず後ろにずり下がった。  
 結局は満足に身動きが取れず、間接が少し痛む程度の結果しか出なかったのだが。  
「きょ、興味ねぇって、言ったろうが……ッ!!」  
 あからさまに落ち着きを失った声で、光太郎は反論する。  
「本当に?」  
「ほ……本当さ」  
 そのうわずった声が、彼が正直者であることを何よりも雄弁に語っていた。  
「可愛いわ。嘘つきになりきれないのね。可愛らしくて好きよ、キミみたいな子」  
 目を細めて、自らの服に手をかける。  
「楽しみましょ?」  
 耳元で小さく呟きながら、しゅるしゅると徐々に肌を外気にさらして行く。  
 薄紅の唇が、光源の乏しい空間で、ひどく艶やかにぬらついていた。  
 ふるっ。   
 彼女の形の良い豊かな胸が外気にさらされたとき、そんな音がしたような気がした。      
 

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