……煙草が切れた。
日向玄之丈は軽く舌打ちして、張り込みを中断した。どうせ標的は今夜は動かない。
標的、ね。苦笑しながら彼は小銭をポケットから出す。昔ならいざ知らず、現在の仕事内容からはとてもそぐわない言葉だ。
「…………」
十円、足りない。
妥協して安い煙草にすれば済むが、それはそれで癪だ。
「……チッ」
自動販売機を軽く蹴飛ばし、返却レバーを捻ろうとした瞬間。
「貸しにしといてあげるわ」
ちゃりん、という音。聞き覚えのある声。
「……何してんだ、アンタこんなトコで」
「あら、散歩よ。いけなかったかしら?」
日向は黙って煙草のボタンを押す。
向き直ったソコに立つは、間違い無く。
第四帝国の英霊を背負う美貌の魔女。
ふみこ・オゼット・バーンシュタインであった。
「今夜はどこのワンちゃんをお探し?」
くすくすと笑いながらふみこは指の先にぽう、と光を灯す。
「あちらの子猫ちゃんだ」
自らの手に雷球を作り煙草に火をつけ、ふみこの指をやんわりと拒絶する。
「浮気調査?相変わらずつまらない事をしてるのね」
軽く指を振り光を消す。たったそれだけだが、この女がやると、ぞくぞくするような色気がある。
「そうだ。だからこんなつまらん男には関わらん事だな」
ふっと吐き出した煙の塊。その周りを輪になった煙が軽く覆い、そして消えた。
「だいたい光太郎ならココにはいねえぞ?あのお嬢ちゃんに連れられて歌舞伎を見に行ってる」
あの馬鹿が歌舞伎なんざ見に行ったところでどうせ眠くなりはたかれるのがオチであろうが。再び煙を吸い込み、彼は魔女に背を向けた。
「待ちなさい。こんな佳い女を放っていく程甲斐性無しのワンちゃんだったかしら、貴方?」
ぴた、と足を止め、玄之丈は振り向く。
「誰がワンちゃんだ。大体そういうのは光太郎にやれ」
「その光太郎がいないから貴方に声をかけているのよ。光栄に思いなさいな、この私に声をかけてもらえるのだから」
「…………」
無言で肩をすくめ、煙草を投げ捨て、靴で踏み消す。
「……禁煙か?」
ふかふかのシートに腰を降ろし、向かいの美女に貰った歯に染みる程に冷えたシャンパンを軽く飲み干す。
「禁煙よ。私は吸わないもの」
美女は妖艶に微笑みながらシャンパンに口をつける。
ラブホテルが乱立する繁華街に突如ロールス・ロイスが止まり、その中に消えた美女と銀髪。明日以降は張り込みの場所を考え直さねばなるまい。
玄之丈は軽くため息をついた。
「レディといる時にため息とはご挨拶ね」
「……実際、何の用だ」
恐ろしく揺れの少ない車内から窓の外を見る。皆、楽しく週末の夜を過ごしているようだ。
「貴方、鴨は好き?」
突然何を言い出すのかと玄之丈は振り向く。
「良い鴨が手に入ったのよ。折角だから光太郎やあのお嬢ちゃんにでも振る舞ってあげようかと思ったのだけれどね」
……なるほど。何のことは無い。
「折角だ、御馳走に預かろう」
この女も、人相応には寂しがりやという事か。
「貸しにしといてあげるわ」
「踏み倒すぜ。もしくは光太郎に体で支払わせてくれ」
「あら、それは素敵」
夜の帳を、黒い車が走り抜ける。たまにはこんな週末もアリだろうか、と玄之丈は思った。
……実際、美味かった。ただてっきり鴨のローストとかと思っていたら鴨南蛮だったのは予想外だったが。恐らくは玄之丈に合わせたのだろう。
「御馳走様」
素直に礼を述べ、懐から煙草を取り出し、そして気づく。
「……禁煙か?」
「まあいいわ」
苦笑しながら執事に命じ、豪華なつくりの灰皿を運ばせる。
「吸うのか、アンタも?」
「私は吸わないけど、客の中には吸う人もいるわ」
「そりゃどうも」
パリッ。雷球で火をつけ、深々と紫煙を吸い込む。
「くぅーっ、食後の一服はこたえられんね」
「煙草を吸う男はみんなそう言うわね」
「経験が?」
「ご想像にお任せするわ」
と、そこで電話のベルが鳴り、執事が受話器を持って現れた。
「はい、あら光太郎。……ええ、ええ。それは災難……迎えは?……そう、わかったわ。ええ、……気をつけてね」
「ウチの相棒は何だって?」
煙で輪を作りながら玄之丈は聞く。
「人身事故で電車が止まってしまったみたいね。なんでもあのお嬢ちゃんが何か感じたらしく、調べて来るそうよ」
「やれやれ。……って、こりゃ今晩は帰らないかな」
若い男女が一夜を過ごすとなっても、あの二人ならば余計な勘ぐりもいらない。
「……ねえ」
「ん?」
胸元の大きく開いた薄墨色のドレス。普段はおさげにしている髪を結い上げているが故に見える艶めかしいうなじ。美人だし、佳い女には間違いない。
「ちょっと付き合わない?」
ワイングラスを二つ取り出し、ちん、と澄んだ音をたてる。
「……まあ構わん。どうせ事務所の鍵を開ける必要も無さそうだしな」
グラスを受け取ると、玄之丈は煙草を灰皿に押しつけた。
「……あら、もう酔っちゃったの?」
化け物だ、この女。呻くように思いながら玄之丈はふかふかとしたソファに腰を下ろした。
既にボトルを四本も空にしていながら、ふみこは殆ど酔った様子が無い。ただクスクスという笑い声に妙な意地でグラスを開ける。
「……強いな、あんた」
煙草を咥え、雷球で火をつける。
「普段は光太郎も飲めないし、たまにはね」
軽やかに言い、隣に腰を下ろす。
「さすが年のこ、うぉッつッ!!」
思いきり手をつねられた。
「何か言った?」
「……いいや何にも」そう言った次の瞬間、ふみこは玄之丈の肩を軽く突き、上に覆い被さる。
「ぅお!?」
酔っていたとはいえ、あっさりと押し倒され、玄之丈は魔女の瞳を見つめた。
「オイ、……どーゆーつもりだ」
「さあ?」
くすくすと笑うその姿は、余りにも淫美だ。
「……誘ってる、って思っていいのかな」
「どうかしら」
ふみこの手袋につつまれた細い指先が、スッと玄之丈のサングラスを外す。
「……酔ってるのか?」
「お互い、そうしておきましょう」
その言葉を最後に、お互い、どちらともなく唇が重なり合った。
「んッ、ふ……さすがに立派ね……」
結い上げた髪は乱れ、ボリューム満点の状態で左右に流れる。
眼鏡を外し、より一層その美貌が際立つ。
そんな女が、自らの一物を咥える様は、ひどく背徳感に溢れている。
「くッ、……上手いね、どうにも」
絡みつく。啄ばまれる。ねっとりとした刺激と、鋭い刺激が重なり、硬度と大きさを確実に増す、玄之丈自身。
「んッ、んッ、んッ……」
奉仕されているのか。
吸い取られているのか。
女の髪をかきあげ、開いた手で胸を愛撫する。既に下着とガーターベルトしかつけていないその身体は、どんな娼婦より淫美で、どんな女神より崇高で、何より肉感的だ。
「お行儀が悪いわよ」
「やられっ放しは性に合わないんでね」
豊かな乳房と、その中心で硬度を増す乳首。玄之丈の手が、それらをいやらしくいじり回す。
「……ねぇ」
「あん?」
「このままここでスるの?」
玄之丈はひょいとふみこを抱き上げる。
「きゃ、ちょっと……」
「寝室は?」
「……あっちよ」
年甲斐も無く照れて、と言ったらまたつねられるだろうか。
玄之丈は軽く苦笑いしながら扉を足で開けた。
「んッ、んあッ、……あッ、〜〜〜〜ッッ!!」
既に二人は一つになっている。おそらくとんでも無い値段のするであろうベッドの上、互いに身にはもう何もつけていない。
一突き毎に、ぞくぞくと快感が玄之丈の背筋を走る。
普段は圧倒的な「強さ」を誇り、冷静にして冷酷な女が、今自分の下でみせる恥態は、余りにもギャップがあり、
故に愛おしい。
「はぁッ、はぁッ、……んッ、んァあッ、……上手ね、とッ…ても……んあッ!!」
快楽に眉をしかめながらも。
この女は美しく。
そしてこの女足り得る、その余裕。
玄之丈は少し癪になり、突然遮二無に責め上げる。
「んンッ!?やッ、ちょッ、キつ、んんッ、駄目ッ、あッ、ああッ!!やッ、駄目、……ふぁッ!!」
軽く達し、上半身がのけぞる。それでも玄之丈の責めは止まらない。
「くゥ……んァッ!!」
ふみこの中の締め付けが徐々に強まっている。絶頂が近いようだ。
玄之丈も最早限界である。
「イクぜッ、……中で良いのかッ……」
「んっ、んはッ、か、まわないッ、そ、のま、ま……ッ!!」
息も絶え絶えにふみこが答える。と、間もなく、
「ふぁあッ!!」
「ッ、くォっ!!」
二人は同時に達した。余韻に暫く身体を震わせた後、二人はどっとベッドに倒れた。
「……これで俺は光太郎と兄弟になっちまうのかな?」
煙草をふかしながら、玄之丈は呟く。
「さぁね、どうなるのかしら……ふふ」
うつぶせになりながらふみこが答える。
「酒ってのは怖いな」
「ええ、そうね」
二人してクスクスと笑う。と、玄関が開く音がした。
「ふみこたーーん、ただいまーーっ……てもう寝てるか」
「お静かに!!何時だと思っているのですっ」
「わーったって。あ、オッサン、ふみこたんは?」
「既にお休みになられています」
「そっか、なら仕方ねえなー。フロだけ入りたいんだけど」
「かしこまりました」
「ちょ、ちょっと!!こんな所で脱ぎ始めるなど……はしたない!!」
階下からの賑やかさに、思わず顔を崩す。
「はしたないそうだぜ」
「まだまだお子様ってコトよ」
そういうとふみこはすっ、と起き上がる。
「おい?」
「本命が帰ってきたのよ?出迎えてあげなくちゃ」
「やれやれ。見上げたモンだ」
「ふふ、でもね」
すっ、と顔を両手で抱え。
「誰でも良いわけじゃ無いわ……貴男が素敵だから誘っただけ」
「……そりゃどうも」
煙草をふかし、灰皿に押しつけ、スーツを着込む。
「あら、帰るの」
「間男は逃げるモンさ」
「あらあら。忘れ物よ」
と、サングラスをふみこはかけながら、
軽くキスをする。
「……どうも」
「いえいえ。また楽しみましょう?」
玄之丈はベランダに立つ。見上げた先には雲一つ無い満月。
「……やれやれ」
呟き、彼は夜の闇へとその姿を躍らせた。
次の瞬間。眩い光を放ちながら、銀狼が空を走る。
「ふふ」
軽く見送り、月を見るふみこ。
「貴方のせいかしらね?こんな気分になったのは」
そう、一人ごちると。バスローブを羽織り、彼女は扉を開けた。
「光太郎?帰ったのかしら?」
<END>