『必然と言う名の朱い糸』
ひとりの魔術師がいた。
才気にあふれ、若くして天才と呼ばれた彼は、とくにゴーレムやオートマータの製作に優れた技量を発揮した。青年期の終わりには、彼の才能を買ったとある国に宮廷魔術師として迎えられ、国を支える一端を担いさえしたのだ。
やがて初老の域に達した頃、彼は職を辞して郊外に居を構え、森の奥の小さな館で隠遁生活を送ることを選んだ。
もっとも、隠棲してからの彼は、「ゴーレムマスター」と呼ばれる程のその得意分野に暇な時間のすべてを注ぎ込み、ついに一世一代の傑作──いや、"愛娘"とも呼ぶべき存在を作り上げる。
「オーキス(白百合)」と名付けられた"彼女"は、一見したところ12歳くらいの端麗な少女のようにも見えた。
もっとも、注意深い人間であれば、すぐに彼女の肌が生物らしくない硬質な質感を持ち、また、目立たないが肩などの関節部にうっすらと継ぎ目のようなものがあることに気付くだろう。
少女型自動人形(オートマータメイデン)──あえて分類すれば、そんな言葉で表現できるだろうか。
しかし、高度に発達した知性と自立した思考を持ち、のみならず人の感情(こころ)さえ理解しうる"少女"は、すでにオートマータやゴーレムなどという範疇から半ば逸脱した存在と言ってよいだろう。
ある意味、古代錬金術師たちが生命の創造に挑んで造り出したホムンクルスたちと同様、「人造人間」という呼称が、彼女にも当てはまるのかもしれない。
魔術師は、彼女を時には「実験の対象」として扱うこともあったが、大半の時間は"ふたり"の間には、あたかも本物の父娘ないし師弟のような穏やかな関係が築かれていた。
しかし──。
魔術師がかつて仕えていた王の乱心が、このささやかな平和を壊すことになる。
王は、魔術師が国防用にと作り上げた巨大ゴーレムたちの命令を書き換え、周辺諸国への侵略に乗り出したのだ。
それを知った魔術師は自らの創造物が人々を不幸に陥れることをよしとせず──刺し違える覚悟で、最強とも言えるゴーレムを作り上げて王都に乗り込み、王とその配下のゴーレムたちに戦いを挑んだ。
だが、多勢に無勢故か、あるいは王への憤怒故か、その戦いぶりには余裕がなく、王都の人々も巻き込むこととなり、人々は彼に恐怖を抱いた。
幾人かが決死の覚悟で他国に救援を求め……結果から言うと、彼は、大国から派遣された一団と、旅の途中、たまたまこの国に立ち寄ったひとりの騎士の手で討たれることとなる。
もっとも、他国にとって脅威となるゴーレムもほぼすべてが破壊され、また暗愚な王もすでに王座から姿を消していたため、魔術師の一命を賭した試みは、結果的に叶えられてはいたのだが。
ひとり館に残された"少女"──オーキスは、その身に宿った魔術師の血(製作時に"生"を呼び込む触媒とされたもの)の繋がりで、"父"の死を悟り、静かに涙する。
そして涙が止まり、悲しみと、そこから立ち直るすべを知った少女は、旅に出た。
"父"であり"師"でもあった魔術師が、何を見て何を知り、何のために戦い、何を思いながら死んだのか。
それらすべてを自らの"心"で理解するために。
そして、自らの"生きる"意味を見出すために。
オーキスには、"父"から受け継いだゴーレム作成の知識とそれを操作する技術があり、旅の途中、魔物あるいは夜盗の類いから身を守るため、時にはその技で戦うこともあった。
何事も経験かと、いわゆる冒険者や傭兵の真似ごとなども何度かしてみた。
そうした中、とある戦場──グレイスポーンの軍勢から、国を守るための戦いで、彼女はひとりの自由騎士の青年と出会う。
たまたまオーキスとコンビを組んで戦うことになったその騎士は、不思議な雰囲気の持ち主だった。
若いのに何かひどく達観したような空気と、同時に少年のような純粋さを併せ持ち、しばらく接すれば明らかに人ではないとわかる彼女のことも、ただの人形ではなく、生命あるもの──それも守るべき淑女(レディ)であるかのように扱う。
旅の途中で得た経験の蓄積で、人の感情の機微をそれなりに理解しつつあったとは言え、自らのソレについては未だ無自覚と言ってよいオーキスだったが、その騎士を見ていると、何とも言えない胸騒ぎのような感覚に襲われるのだ。
そして、彼こそが、自らの"父"を討ち果たした名もなき騎士本人だと知った時、オーキスの心に湧き上がったのは、怒りでも悲しみでもなく……。
* * *
「──騎士よ。私は運命を信じない。あれから長く旅をしてきたけれど……此処で貴方と出会ったことは、きっと必然でしょう」
かの魔術師が葬られた小さな石造りの墓がある丘の上から、遠くを見つめながら、銀髪の少女は穏やかな声で囁くように言葉を紡ぐ。
「彼の名誉にかけて感謝を。貴方が止めてくれなければ、もっと悲しい事になっていたかもしれない」
少女はその手を騎士──俺に差し出し、私もしっかりとその手を握る。
「私のマスターを……私の大切な人(ちち)を止めてくれてありがとう」
主であり父とも呼べる人の名誉を守った騎士への感謝を少女は告げる。一般には悪人とされたかの魔術師だが、その真意を、少なくとも少女と俺だけは理解していた。
「マスターが生きたこの"世界"は広い、そして美しい。それを誰よりも知っていたあの人は、決して悲しみに心折れたりしていなかった。精一杯、運命に立ち向かったのだから」
「そう、だね」
少女が打ち明け話を始めて以来、初めて俺は口を開いた。
「直接顔を合わせたのはほんの僅かな時間だが、俺にもあの人の目からは、狂気も絶望も感じられなかった。そう、思うよ」
その言葉を聞いて、少女の朱い瞳に僅かにうれしそうな光が浮かんだ。
「そう。ありがとう。
──私は私の生を生きる。生きる意味は、生きることそれ自体にあると思うから」
凛とした声音でそう述べる彼女の姿は、決して人の手で造り出された意思無き人形(もの)ではなく、紛れもなく一個の生命(いのち)と呼ぶにふさわしいだろう。
「陽が落ちたわ。すぐに寒くなる」
私は寒くないけれど……と、微笑んだ少女のその笑顔の温かさに、不覚にも俺の鼓動が半拍跳ねる。
「──さぁ、行きましょう」
先程の感謝の握手とは異なる意味で差し出された手を──俺は一瞬の躊躇いもなく取り、その繊細な機構を壊さない範囲で強く握る。
「ああ、行こう。一緒に、世界をぐるっと回りに」
それは、俺達の関係が、単なる戦友(ウォーフェロー)から相棒(パートナー)へと変化した瞬間だった。
* * *
……などと言う、"ちょっといい話"風の展開の、わずか1ヵ月後。
「あ〜、色々聞きたいことはあるが、オーキス」
「──はい」
「なんで、俺、目が覚めたらベッドに縛りつけられてんの?」
しかも下半身スッポンポンで。
いかに気の置けない仲間相手とは言え、女の子(推定外見年齢12歳くらい?)の前でこういう姿をさらすのは、さすがに恥ずかしいんだけど。
「解いてくれるとうれしいなぁ。そりゃ、オーキスの好奇心の強さについては一応理解してるつもりだけど……」
「いえ、単なる男性器に対する知識欲から、私の操糸(いと)で貴方の四肢の自由を奪ったわけではありません」
俺の推測を否定しつつも、オーキスの視線が俺のナニに釘付けのように感じられるのは、気のせいだろうか。
共に肩を並べて戦ったあの戦場にいた頃から薄々気づいていたことだが、オーキス──この規格外の自動人形として生まれた少女は、パッと見はクールで事務的に見えるが、その実、非常に素直で優しい感性と旺盛な知識欲を持ち合わせていた。
初対面の人には無愛想かつ無表情に見える顔だって、慣れてくれば、下手に隠そうとしない分、むしろ感情は読みとりやすいほうだろう。
今だって、彼女の一見澄ました顔には、少女らしい恥じらいと、隠しきれない好奇心、そして何やら決意めいた色が見て取れた。
「えーと……ならばせめて、どういうつもりでこんな事をしたのか、教えてくれないか?」
「もちろんです。ハルト、貴方とともに旅するようになって28日、それ以前にあの戦場で出会った日から数えるとすでに45日が経過しますが……その間、貴方は一度も、していないはずです」
「? 何を?」
「自慰行為をです」
-つづく-