結界の中に誰かが入った。緋子の寝顔を見ていた眼を閉じ、神経を集中させる。どうせまた自殺志願者だろう。ちょうど腹も空いてきた頃だ、いつも通り食うとするか。  
 鬼たちは全て眠りについたが、わたしは鬼門を復活させる日まで彼らを見守り、起きていなければならない。最低限の食い物は必要だ。白虎との合意事項には、わたしの食事まではなかったのだから、これぐらいは許される筈。  
 
 しかし、感じ取ったのは、思いもかけない人物だった。  
 ――蒼子!?  
 
 すぐさま影を飛ばし、傍らに立つ。体を縮め、胎児のような姿勢で大地に横たわる姿。生気のない顔と、傍らに転がるいくつもの瓶から見るに、睡眠薬を大量に飲んだのだろう。  
 飲用後、もがいて体を動かした時に、結界の境目を越えたようだ。五感の鈍った人間の体でここまで来るには、かなりの苦労がいったろう。それとも、実の娘の存在が、この地に呼び寄せたのか……?  
 
 酷いやつれ具合だった。痩せ細った体とこけた頬。  
 分かっていた。西園寺家では、幸せにはなれないだろうと。権力者の忍が認めたのは、鬼たちが眠るということだけで、蒼子たちの結婚までは含まれていない。白虎が彼女を連れ帰ったことで、きっとひと騒動起こるだろうと。  
 鬼を嫌うあの連中が、鬼門の総領であった女と当主との、結婚を認める筈がない。血の継承に拘る上でも、西家の血を引く女と白虎との間に、子どもを儲けさせたがるに違いないと。  
 
 羅喉本人なら、そんな逆境を切り開くことも出来ようが、蒼子には無理だ。彼女に出来るのは、白虎の愛情に縋って生きることだけ。本来の蒼子は依存心の強い、優柔不断な存在でしかない。羅喉のクローンだと思い、期待をかけ過ぎてしまったが。  
 恋と愛は違い、結婚と恋愛も同じではない。愛情だけでは駄目なのが結婚であり、子どもを巡る事柄だ。恋愛しか知らぬ白虎と蒼子には見えていなかったことも、わたしには見えていた。ふたりの間の、失うものの違いも。  
 
 それでも蒼子が望むなら、いいだろうと考えた。鬼門の復活は緋子が居れば出来るのだから、鬼をあそこまで増やしてくれた功績に免じて、彼女を自由にしてやろうと。  
 羅喉の最期の望み――甦りと、自分の手による鬼門の復活――を、どんなことをしてでも叶えてやりたかったが、クローンはやはりクローンでしかない。  
 
 白虎の愛情と庇護とを、信じたい気持ちもあった。それなのに、あの男は!  
 自殺は魂の叫びだ。自分の辛い状態を知って欲しい、誰かに気が付いて欲しいという切なる願い。  
 わたしもそうだった。羅喉と計都を失った後、何度も死の誘惑に駆られた。この世に引き留められたのは、ふたりにもう一度会いたいという想いと、鬼門の復活という悲願があればこそ。そういった執着をこの世に持たぬ蒼子が、死を選んだのは当然なのかもしれぬ。  
 
 
 薬を全て吐かせ、抱き上げて溶岩洞の中に運ぶ。冬の早いこの地に、置き去りにするわけにはいかない。  
 四ヶ月前に封印した箇所を小さく開け、最下層より持ってきた癒しの水を口移しで飲ませた。羅喉と同じ感触の唇に、揺れ動きそうになる心を抑えながら。鬼の体の時ほどの劇的な作用はなくとも、命を繋ぎとめるぐらいは出来るだろう。  
 暫く見守っていると、頬に薄っすらと赤味が差した。息も整って来たから、何時間か後には目覚めそうだ。  
 
 緩やかに傾斜する岩壁に背を預け、体を横たえる。蒼子を背中から抱きかかえて温めた。何千年経とうと、クローンという偽者であろうと、ふわふわと柔らかい体だけは変わらない……  
 頬から顎にかけての窪みが痛々しい。気が付くと指で辿っていた。思い直して、頬を掌全体で包み込む。何か感じたのか、頭が少しだけ右側に傾き、手にその重みをかけてきた。  
 
「羅喉……」  
 羅喉もよく、これと同じことをした。わたしの胸に背を預け、凭れかかる姿勢が大好きだった。わたしの指が、唇に近付けば軽く噛み、頬を撫でれば嬉しそうに重みをかける――ふたりで、そんなじゃれ合いを楽しみながら、鬼門の現在や未来を語り合ったものだった。  
 おまえの匂いを嗅ぐと安心する、と言っていた羅喉。桐生家に居た頃、蒼子がわたしのシャツを着て寝たがったのは、微かな記憶のなせる業だったのかもしれない。  
 
 一番美しい鬼・“蒼龍”。その姿を見た者は男も女もひと目で魅せられ、恍惚のうちに生命(からだ)も魂(こころ)もうばわれる――羅喉は、存在そのものが美しかった。才知溢れる言動、凛とした声音、鬼門に命令を下す時の揺るぎなさ。  
 彼女が女王でなかったら、裏切り者の西家によって鬼門は、もっと早くに滅ぼされていただろう。魅惑的な女王の元で、わたしたちは一致団結して西家や人間どもと戦い、羅喉も能力を最大限に使って人間を鬼に変えていった。失った者たちに倍する勢いで。  
 
 分かっている。これは羅喉ではなく蒼子だ。羅喉はもっと気性が激しく、頭の回転が速く、決断力や行動力に長けた女だった。彼女ははるかな昔に都と共に死んだ。これはクローンであり、本人とは違う。  
 分かっていても尚、同じ姿形をしている者を思い切れなかった。時折見せる羅喉らしさに、期待を繋いでしまった。  
 心のどこかで望んでいた。わたしを覚えていてくれることを。昔と変わらず愛してくれることを。だから、玄武として初めて姿を表した時、蒼子に極上の快楽を与えたのだった。ふたりの夜を思い出させたくて。  
 
 
 わたしはまた、同じ過ちを犯してしまったのだ。千年前の失敗に懲り、違う方法を試みたというのに。  
 初代のクローンの時は、鬼の一族なのだという記憶を始めからインプットし、再生した後に全てを話した。頭だけで生きていることを除いて。そのせいか“羅喉”は、原型と同じようにわたしを愛し、愛されることをも望んだ。  
 
 影と知らせぬまま、一度だけ抱きもした。ウェーブの掛かった茶系の髪が、その時代には不細工な女の象徴と見られていたために、自信をなくしていくのが哀れでならなかったから。  
 空しさと苦い想いだけが残った抱擁。クローンは所詮クローンだった。姿形は同じでも、随所に違いが見えてしまう。鬼門の復活に必要な女と分かっていても、羅喉のようには愛せなかった。  
 
 挙句、白虎に首を刎ねられて、殺されてしまった。彼女はわたしの願いを叶えさせれば、原型以上に愛され認めてもらえると思い込んで、鬼門の復活を焦り過ぎたのだ。鎌をかけられて、聖地の場所を西家の連中に教えてしまいもした。  
 わたしに残されたのは、羅喉と計都の髪だけ。鬼に変えた人間は全て白虎に殺され、東家の隠れ屋は封印された。再生途中だった計都と、育ちつつあった子どもたちも皆、埋められてしまった……  
 
 千年を費やした悲願が振り出しに戻った瞬間、決意した。次のクローンには鬼としての記憶をインプットせず、自分との過去も秘して、鬼門の長(おさ)と神官だけの関係で居ようと。  
 初代のクローンは、わたしに関わる一切を口にせずに逝った為、白虎たちに玄武の存在を知られずに済んだ。間もなく“不死”の噴火が収まって、昔の聖地を復活出来たのも、不幸中の幸いだった。  
 
 わたしは羅喉と計都の眠る地で、彼女たちのクローンを再生させ、今度こそ鬼門の復活をと熱望した。  
 悲願を叶えるためなら、次の“羅喉”がわたしを愛さなくても構わない、むしろその方が好都合だとさえ考えていた。情愛が絡むと、冷静な行動が出来なくなる。愛する者を抱く腕も、暖めてやる体もなくしてしまった男には、その方が相応しくさえあると。  
 
 なのに今度はわたし自身が、愛の罠に嵌ってしまった。この髪に、惑わせられたのだろうか……羅喉の、唯一の形見。  
 想いはいつも帰ってゆく。ただひとりの女の元へ――  
 
  *     *     *     *     *     *     *  
 
 初めて出会ったのは八歳の頃。都の外れ、父が守る北の門近くに生えている、大木の上だった。  
 その場所でわたしは、よく独りの時を過ごしていた。頑固者の父親と衝突した時、次期・玄武としての学びに飽きた時、そして表情を隠す必要に迫られた時――いずれ北家の長となる身は、感情を露わにすることが許されなかった。  
 あの時も、それらのどれかだったのだろう。気に入っている枝の上で幹に背を預け、はるかな地平を眺めていたわたしは、その気配に全く気付いていなかった。  
 
「えっ!?」  
 声のした方を振り向くと、整った目鼻立ちの小鬼が枝の上に立っていた。四、五歳だろうか。透き通るような白い肌を僅かに上気させ、大きな目をより大きく見開いて、こちらを見詰めている。  
 このような高い枝に、こんな幼い女の子が!?と驚いた。念入りに張っていた木の印の結界を、容易く破られたことにも。  
 
 それが、羅喉だった。彼女もわたしの姿に動揺したようで、踏み出そうとした足を滑らせて、危うく下に落ちそうになった。  
 慌てて抱き留める。小柄な体はふわふわと柔らかく、骨格や肌の感触が自分とは全く違っていて、抱き心地の良さに手を離せなかった。そんなわたしに向けられたのは、愛らしい容姿とは正反対の刺々しい言葉。  
「無礼者! いつまで触っている気だっ!?」  
 
 大人の女のような物言いがおかしくて、笑いながら言い返す。  
「無礼者はそっちだろう。助けた相手に向かって、何を言うのやら」  
 からかってやろうと思い、手の力を強めて腕の中に後ろ向きに囲い込んだ。この柔らかいものに、もう少し触れていたくもあったのだが、悟られたくなくて別の言葉を吐く。  
 
「さて、どう料理するかな?」  
「何をするっ!」  
 瞬間、蒼い炎に襲われた。牙で噛まれることだけを警戒していたわたしは、防御するのがやっとだった。上の枝に逃げたものの、驚きは増すばかり。蒼い鬼火!? それでは、この幼女は!  
 
「羅喉…様?」  
 名を呼ぶ。東家の長の第一子だった母親は既に死に、祖父が亡くなれば、蒼龍を継ぐ筈の一人子。今夜、我が家に来るとは聞いていたが、顔を見るのは初めてだった。各本家の者は、五歳になるまでは、同じ家の者にしか姿を見せない。  
 第一、お付きの者なしなどとは、考えもしなかった。恐らくは、初めての遠出に興奮し、侍女の目を盗んで飛び出して来たのだろう。じゃじゃ馬め。  
 
「ふん、今さら『様』付けで呼ばれてもな。おまえは玄武の息子か?」  
「はい」  
 同じ枝に戻り、膝をついて答える。身分の上下に厳しい鬼門にあっては、年齢が下の相手であろうと、次期・蒼龍への礼を取らざるを得なかった。知らなかったとはいえ、悪戯を仕掛けてしまったからには尚更だ。  
「他に何か、言うことはないのか?」  
 
 暗に謝罪を求められ、反発する気持ちが膨れ上がった。当時のわたしは生意気盛りだったから。顔に似合わぬ毒舌が面白くて、反応を見たくもあった。  
「身分に相応しくない行動をすると、こういう目に遭います。今後はお気を付けください」  
「何っ!?」  
 
 わたしを睨み付けた目を、しかし一旦逸らして、羅喉は少しの間黙っていた。そして次にこちらを向いた時には、不敵にも見える、艶やかな笑みを浮かべて言ったのだ。  
「おまえを側近にしてやる。他に気を付けた方がいいことがあれば、これからも言うがいい」  
 幼子にこんなことを言われて、素直に頷ける者など居ないだろう。だが、気紛ればかりとも思えない命(めい)には、こちらも居住まいを正して聞かざるを得ない。  
 
「……どういうつもりですか?」  
「腹の立つことを言う相手は大切にしろと、祖父(じじ)が言った。大事な味方になってくれるだろうと。肝が据わっているのも気に入った」  
 次期・長としての教育が早くもなされ、実を結んでいるのに驚いた。幼少の身で、深く濃く生きた者だけが持てる、強い輝きのオーラを持っていることにも。もっと羅喉を知りたいと思った。どんな性格なのか? 蒼龍に相応しい能力を持っているのか!?  
 
 黙って頭を下げたわたしを、彼女は祖父の前に連れて行った。そして、小言を澄まし顔で受け流すと、こいつを勉強相手にして欲しいとねだったのだ。競い合う仲間が居た方が、励みになるからと。  
 彼はわたしにいくつかの質問を試みた後、孫娘の願いを聞き入れた。「羅喉に敬語を使う必要はない。今後は実の妹と思って、厳しくも暖かく接して欲しい」という、破格の待遇だった。  
 
 彼女の気の強さに手を焼き、抑えとなりそうな者を求めていたのだと、後になって聞かされた。わたしの持つ冷静さや慎重さが、羅喉に良い影響を与えると考えた、とも。  
 翌日からわたしは東家に通い、羅喉と共に学んだ。  
 
 東家の長は、早世した娘の忘れ形見である孫娘をとても可愛がっていたが、一方で熾烈な後継者教育もしていた。そのため、年齢より高いレベルの能力を要求される。わたしたちは時に競い合い、時に励まし合って、課題を克服していった。  
 とはいっても子ども同士のこと。ふたりはよく喧嘩をし、同じ数だけ仲直りをした。大抵はこちらが謝って。このような忍耐強い性格になったのは、跳ねっ返りの羅喉に振り回されたせいだと、わたしは今も信じている。  
 
 けれどわたしは、一時的に腹を立てることはあっても、彼女に惹かれて止まなかった。頭の回転の早さや発想の柔軟さには、いつも驚かされていたし、次期・蒼龍としての能力の高さは言うまでもなかった。  
 憎まれ口を叩きながらも、胸に身を摺り付けてくる羅喉を、抱き留めるのが好きだった。初めて会った時と同じ、ふわふわと柔らかな体――わたしたちはそうやって、やんちゃな妹と見守る兄のように、共に生い育っていった。  
 
 年頃になってきた羅喉の美しさは、例え様もなかった。じっと見詰められると、魂まで吸い取られてしまいそうな、蠱惑的な瞳。均整の取れた肢体に漂う、清冽な色香。聡明さと、秀でた判断力・行動力。  
 たぐい稀な魅力と強大な能力を持つ女に、男たちは競って熱い視線を送る……彼女の従妹のたおやかさを好む者も、一部には居たが。  
 羅喉に惚れ込んでいる連中には嫉妬されたものの、それが邪推でしかないことは、自分が一番よく知っていた。彼女の想いは、兄代わりの男に甘えているだけ、としか思えなかったからだ。わたしの想いが、いつしか激しい恋情に変わっていったのとは、裏腹に。  
 
 何よりも、わたしには資格がなかった。緋子は、蒼龍と玄武なら文句のない取り合わせだと言っていたが、そんなことはない。鬼門の各本家の者は、家独自の能力を絶やさないため、同じ家の者との婚姻しか許されなかったのだから。  
 羅喉の夫になれるのは東家の者だけであり、わたしも妻に迎えられるのは北家の者だけ。どれほど深く愛していても、どうにもならないこの身……  
 
 長は一夫一妻が掟。夫婦や親子・兄弟間の揉め事が起きにくいようにし、指導者の家での争いによる力の低下を、招かせないためだ。  
 そういった風習と、婚姻相手を慎重に選ぶ必要により、自分の性欲を完璧に制御することが求められていた。相応しくない相手との間に第一子を儲けてしまえば、家の存亡に関わる。  
 精神制御を業(わざ)とする北家に生まれ、長を継ぐ身であれば、余人以上のコントロール能力を持つのは当然の義務でもあった。なのに羅喉にだけは、情欲を刺激されてならない。どんな自制も、彼女の前では消し飛びそうになる。  
 
 一番美しい鬼・“蒼龍”。それほど魅惑的な女、わたしが惚れ切っている女が、子ども時代と同じように体を摺り付けて甘えてくるのだ。これ以上の拷問はなかった。だから、羅喉に冷たく当たった。心を掻き乱してくれるなと、叫びたい想いで一杯だった。  
 柳に風と受け流され、物想いは深まるばかり。いずれ誰かが彼女を妻にするのだと思うと、どす黒い嫉妬の炎が燃え上がる。鬼門の神官として、婚姻の儀式を執り行うのが自分でないことを、祈るしかなかったあの頃――  
 
 わたしが十八の時、病みがちだった父が死んだ。生きている間は衝突もしたが、いざ死なれてみると、悲しみと心細さが一気に押し寄せてくる。最後の肉親に死に別れてしまったこと、歳若い身で長となること。  
 憩いの場だった大木の上で、溢れ出そうな感情と戦っていると、羅喉が姿を現した。  
「高雄が、呼んでいるような気がした」  
「……呼んでなぞ居ない」  
 
 邪険な言葉を物ともせず、自分の胸にわたしの頭を抱き寄せる羅喉。  
「こうしていれば、誰にも見られなくて済むぞ。わたしにもな」  
「羅喉……!?」  
「親を失った者には、泣く権利がある」  
 顔に触れる乳房の温かさと柔らかさ。髪を撫で擦る指の優しさにも、切ない情感が込み上げてくる。  
 
 いつしかわたしは、声を上げて泣いていた。甘い体臭と木目細やかな肌が、ささくれ立った心を癒し、残っていた気力を奮い立たせてくれた。  
 涙の次に来たのは、噴き上げるような激情。生乾きの頬を上げ、至近距離から食い入るような視線を送って後(のち)、熱く口付ける。腕の中の小さな存在が、堪らなく愛おしかった。羅喉、わたしの羅喉!  
 
 どれほどの時が経ったのだろう。初めて知る唇の感触に酔い心地だったわたしは、羅喉の微かな身じろぎで、漸く我に返る。  
「! …わたし…は……」  
「高雄?」  
「……すまなかった。今のことは忘れてくれ」  
 言い捨てて木から飛び降り、振り返らずに走り去る。戒めを踏み外してしまった自分への、自己嫌悪で一杯な胸の内。羅喉は庇護欲に駆られて、受け容れてくれただけだろうに……  
 
 それから数日の間は父の葬儀の準備に忙殺され、余計な物想いをせずに済んだ。  
 次に顔を合わせた時、羅喉は何か言いたげな眼差しを向けてきたが、視線を逸らして足早に立ち去った。何も語る気にはなれなかった。言葉で言い表せるほどの、単純な物想いではない。  
 けれど、わたしは甘く見過ぎていたのだ。羅喉という女を――  
 
 
 父の葬儀を終え、長(おさ)を継ぐ儀式を二日後に控えた夜、羅喉はわたしの寝所に唐突に姿を現して言った。  
「おまえが何も言わぬので、こちらから言いに来てやった。高雄、わたしの夫となれ。わたしの夫になる者は、おまえしか居ない」  
「!」  
「北家の長老たちが、こぼしていたぞ。成人を迎えていながら、独身の長など前代未聞だ。女どもに人気があり、自薦他薦の花嫁候補が山のように居るものだから、選り好みしているのだろうと」  
 
 父が寝付いた頃より、長老たちの催促は執拗なものになっていった。次代の子を作るのも重要な勤め、そのためにも一日も早く婚姻をと急かされたのだ。鬼門は十五歳が成人。父も私も一人子であり、血の継承は急務でもあった。  
 だがわたしは、羅喉の結婚を見届けてからでないと、自分の身の振り方を考える気にはなれなかった。心が自分にはないと承知していても、僅かな望みを捨て切れない。何よりも、他の女を抱く気など、全く湧いてこなかった。  
 
「女心にうとく、頭の固いおまえのことだ。自分の片恋と信じ、諦めるしかないと決め込んでいるのだろう……違うか?」  
「……」  
 目も眩むほどの喜びと、見破られていたことへの動揺から、黙り込むしかなかった。  
「なぜ返事をせぬ? 妻として、わたしでは不足だと言うのか!?」  
 眼差しを強める羅喉。蒼い炎が瞳の奥で、妖しくも美しく瞬いていた。  
 
「違う! おまえしか考えられない!!」  
 抱き寄せたい気持ちを懸命に抑え、叫ぶような声で訴えた。羅喉が、わたしを夫にと言ってくれた、わたししか居ないとまで! これで、諦められると思った。心に優しさが満ちてくるのが分かった。  
「だが、長を継ぐ身が、掟を破るわけにはいかない。いずれは北家の者と婚姻し、子をなさなければ……それは、羅喉も同じだろう!?」  
 蒼龍への枷は、玄武以上のものがある。  
 
「愚かなことを。掟は実状に応じて変えてゆくもの。西家が裏切った時代に、昔と同じ掟に縛られていたのでは、滅びの時を早めるだけだ。その智力・胆力・辛抱強さを“蒼龍”の夫として、次代の“蒼龍”の父として、役立てようとは思わぬのか?」  
 羅喉の言葉は嬉しかったが、他の者に通じる理屈とは思えなかった。恋に夢中になったふたりの詭弁としか、受け取られないだろうと。  
 
 だから、言葉を尽くして諌めた。わたしたちは自分の感情だけで生きることが、許されない身なのだ。結婚は出来なくとも、心はおまえだけにある、側近として叶う限りの手助けをするからと。  
 しかし、羅喉がそんなことで諦める筈もない。彼女は強い意思と大胆な行動力を持ち、自分がこうと決めたことは、どんなことをしても貫き通す女だった。そんな、互いの相手まで不幸にするような行為が出来るかと怒り、自分に任せろと言って部屋を出ていった。  
 別れ際に押し当てられた、唇の熱さ……  
 
 
 眠れない夜を過ごしたわたしは、翌朝東家の長に呼ばれ、その後の話を聞いた。羅喉は祖父の元を訪れ、ふたりの結婚を認めてくれと迫ったらしい。恐縮して下げた頭の上を、「おまえが、東家の者であればな……」という呟きが、通り過ぎていった。  
 彼は、条件を出したと言った。南家の長と、三家の長老たちの賛同を得られたのなら、結婚を許そうと。但し、全ては羅喉ひとりの手で執り行なうように、とも。それゆえ、おまえも余計な手出しや入れ知恵は無用だ、精神制御の能力を使うのは許さぬ、と言われた。  
 
 後継者教育の仕上げ――次期・長として上から命ずるのではなく、言葉で相手を説得し納得させること――をしようとしているのは分かったが、いくら羅喉でも、こればかりは無理だろうと思えてならなかった。  
 それでもわたしは微かな望みを繋ぎ、羅喉様以外の相手と婚姻する気はないと北家の者たちに告げて、長の継承式を終えた。東家の長の名代として出席した最愛の女が、見守ってくれる中で。  
 
 案の定、長老たちからは猛反対された。自分で何も出来ないもどかしさは募るばかりだったが、一歩踏み出す勇気を持たなかった者に与えられた罰と考え、我慢するよりない。  
 互いの家を捨てたくとも、第一子相続の法則があった。ふたりが死んだ後でなければ、東家と北家の特殊能力は、他の者には宿らないのだ。“次期・蒼龍”と“次期・玄武”でなければ出会えず、深く知り合うこともなかったろうが、そうであるがゆえに結ばれない……  
 
 蒼子が白虎に拘る理由は分かっていた。記憶のどこかに、わたしとの結婚のいきさつが、刻まれていたせいだろう。反対されればされるほど燃え上がる恋、どんな苦難を乗り越えてもと願う心。  
 クローンである彼女は、同じことを別の男と繰り返していたのだ。唯一、自分の味方と信じられる相手との間に。気が強い癖に寂しがりやだった羅喉を思えば、当然の展開だったのかもしれない。彼女を苦しめ続けた白虎との間に恋が生まれたとは、皮肉なものだが。  
 
 
 羅喉は漸く、南家の長を説き伏せた。「裏切り者の西家を倒すためには、三家の間の結束を強めておく必要がある」と口説き、自分の従妹と彼の第一子との縁組を持ち掛けたのだ。  
 彼女のひとつ下の従妹は、東家の長の第二子の一人子だった。羅喉の次の蒼龍候補であり、彼女と結び付けば、南家は北家に遅れを取らずに済む。ふたりが互いに憎からず思っているのを知った上での、巧妙な誘いだった。  
 
 長の能力は第一子にしか伝わらない、とされてきた。しかしそれは、婚儀が同じ家の間に限られていた時代のこと。  
 次期・蒼龍と玄武の間の第一子、蒼龍の資格を持つ者と次期・朱雀との間の第一子は、双方の家の能力を持って生まれてくるのか? どちらか片方なのか? 片方だった場合、残りの家の能力は第二子以降に顕われるのか?  
 分からない点の多い婚姻ではあるが、不妊と短命を改善するためにも、試してみる価値はあると思うと。  
 
 現代ほどの科学的な知識はなくとも、生物としての本能で皆、血の行き詰まりを察していた。本家筋の家に、子の生まれない夫婦が増え、若死にする者も相次いでいたからだ。羅喉と彼女の従妹の両親、わたしの母親のように。  
 その点で、羅喉の言葉は説得力を持っていた。蒼龍としての優れた能力も、彼女の存在感を増していた。  
 南家の長は誘いに乗り、三家の長老たちの説得を引き受けて、見事に役目を果たしてくれた。わたしは羅喉の手並みに驚き、惚れ直しもした。この女を妻にし、この蒼龍に従うことは生涯の幸福だと。  
 
 枕元に集った三家の長老の筆頭者たちが、二組の結婚を認めると宣言したのを満足気に見やり、東家の長は永遠の眠りについた。  
 後で知ったのだが、わたしが家の能力で羅喉を操っていると罵る者に、「あれはそんな男ではない!」と一喝してくれたという。側近の者に、「女の身で長になるのは苦労も多い。羅喉を安心して託せる相手は、高雄しか居ないのだが……」と、漏らしていたとも。  
 
 祖父を看取った羅喉に、今度はわたしが言った。「肉親を失った者には、泣く権利がある」と。  
 胸に縋り付き、ひとりは厭だと泣く羅喉を抱きしめながら、わたしも心の中で涙していた。第二の父とも思える相手を失った喪失感と、心細さ……わたしたちは心の痛みを分かち合い、共に居ることに安堵しもした。これからはふたりで生き、新しい家族となるのだと。  
 
 七日後、わたしは神官として、羅喉を東家の長にする継承式を執り行ない、続いて婚礼の儀に臨んだ。朱雀の第一子たちと共に、当事者として。  
 あの時の艶姿は、今もハッキリと覚えている。十六歳の羅喉は輝くばかりの美を放ち、持って生まれた威厳で周囲を圧倒した。  
 儀式を滞りなく済ませた四人を、鬼たちは熱狂的な歓声で迎えてくれた。若く美しく能力に長けた女王が鬼門の長になったことと、三家に跨る縁組とが、新しい時代を感じさせたらしい。今度こそ、西家に対抗できると。  
 
 
 そしてわたしたちは、甘美な夜を重ねていった――  
 
 髪に、額に、瞼に、目尻に、鼻に、頬に、顎に、うなじに口付ける。震えが次第に大きくなり、わたしの背に置かれた手に力が篭もり出した。敏感な反応が嬉しくて、長い口付けを交わす。  
 いつもは小憎らしい台詞を吐く唇も、この時ばかりは愛らしさを見せ、わたしを素直に受け入れてくれる。そればかりか、隙間から這い出した舌が口に入り込み、甘えるように舌に絡んで来た。  
 
 長い長い口付けに酔い、これから過ごす時間に期待を膨らませて後、大地に腰を降ろす。涼を求めて歩いていた、皇宮の庭での営みだった。鬼にとって生殖行為は神聖なもの。覗き見る不逞の輩が居る筈もなく、わたしたちは開放感に満ち溢れていた。  
 肩から衣を滑り落として上半身を露わにすると、ぷるんと飛び出した白い胸乳が、月明かりの中で扇情的に揺れる。つんと上向いた薄紅色の先端には敢えて触れず、その周りにだけ指を這わせた。美しい曲線をなぞるように触れると、頬が桜色に染まりゆく。  
 
「あぁんっ……高…雄」  
 耳朶を口に含み、声を上げるまで舐め尽くした。その間にも、手は乳肉の吸い付くような触感を味わい、鼻は甘い香りを堪能する。  
 わたしを誘い続け、既に硬くなっていた場所を漸く口に咥える。桜桃さながらの可愛らしい山頂。唾液をまぶし舌で転がすと、羅喉は首を左右に振って身悶えし、嬌声を一段と高めた。  
 
 姿勢を保っていられなくなり、わたしに体重を預け始めた肢体を、草の褥にそっと横たえる。胴から腰にかけての、線の艶めかしさに我慢しきれなくなり、いきり立った怒張を衣越しに押し当てた。  
「おまえの匂いを嗅ぐと、すぐにこうなる。困ったものだ」  
「その割りには、満更でもなさ…んっっ……」  
 続きを唇で封じ、腰布を取り去る。なよやかな太腿を撫で擦って後(のち)、ぐいと開かせて大胆な姿勢を取らせた。  
 
 
「あっ!」  
 体をずらして内腿に唇を滑らせ、股間に顔を近付けていく。柔らかな叢の影で、花唇は早くも濡れそぼっていた。白露の美しさに見惚れながら、舌先で最初の一滴を味わう。甘さの中にある僅かな酸味。  
「あっ、ああぁ…っっ」  
 羅喉の指がわたしの髪に分け入り、角(つの)をしごくように握って、言葉より雄弁に体の疼きを語った。  
 
 二滴目を味わおうと這わせた舌で、右の花弁を辿った。こんこんと湧き出す愛液に惹かれ、膨らみ切った花蕾をこねるように舐め上げる。  
「あっ、あぁぁっっ!」  
 羅喉の体がびくりと跳ねた。身をよじらせながら、最初の高波を迎える。顰められた眉根から迸る清冽な色香に、見惚れずにはいられない。  
 
 波の収まった羅喉がわたしを上に引き上げて、首筋より胸元へと舌で辿った。生温かく繊細な動きがもたらす愉悦……  
「おまえの…も……」  
 艶に満ちた声で囁くと、腰布を外して陽根を握り締め、上下させてしごいた。  
「くぅ……っ」  
 わたしのそこは痛い程に血液を集め、先走りを漏らしそうなところまで膨れ上がる。  
 
 負けじと、花芯に手を這わす。ぬめる膣道は、差し入れた指を難なく咥え込み、奥へ奥へと運んでゆく。その間にも肉襞は淫靡な動きをしてみせ、指の腹を痛いほどに締め付ける。おまえなどでは物足りないと、訴えるように。  
 わたしは指の力を強めて揺さぶった。上壁を攻め、どろどろの粘液を更に溢れさせる。  
「あああああっ、あーーーっ!」  
 悦びに目を潤ませながら、二度目の波に翻弄される羅喉。秘奥が一段と絞まり、指は追い出されてしまう。  
 
 
 意識を取り戻した羅喉の、霞みがかった瞳にほくそ笑み、上になるように促す。彼女は頷き、わたしに跨って位置を合わせると、ゆっくりと腰を落としていった。  
 羅喉の中心部に突き刺さった肉棒が、徐々に見えなくなっていく。纏わり付き、絡み付く秘窟の心地良さ。人間の生気を吸う時の快感と、体の熱さ以上のものはないだろうと思ってきたが、とても比べ物にならない。  
 
「あぁんっっ!」  
「うぅっ……」  
 声と共に、蒼と黒の鬼火が燃え上がる。ふたりの結合を祝福するかのように。  
 しとどに濡れそぼった蜜壺は、肉茎をより深く根元まで咥え込み、最奥へと差し招く。先端が子宮口に突き当たった瞬間、内奥全体がぎゅっと絞まり、蒼の炎がひときわ大きくなった。  
 
「あぁぁぁっ……高…雄っ!」  
 乳房を鷲掴みにして弾力性を愛で、頂きを責め苛みながら、心とは反対に冷たく問う。  
「どうした?」  
 言葉の代わりに淫肉が答える。抜き差しを許さぬと言わんばかりに、わたしを締め付ける。お返しに、弧を描くように腰を動かし、内部を掻き回す。ぬるぬるとした感触が快楽をより強め、下腹部に熱を集めていく。  
 
「はぁっ、ああっっ!」  
 わたしの肩に手を置き、前倒しになって喘ぐ羅喉。体臭が更に強くなり、蕩けそうな霧に包まれる。抱き寄せて髪をまさぐり、耳元で囁いた。  
「どうして欲しい?」  
「もっと……激し…あぅっっっ!」  
 
 胴を両手で掴んで押さえ付け、身をしならせて下から突き上げた。耳や首の珠が奏でる独特の音色にのって、羅喉は裸体を妖しく震わせる。淫らな舞いをもっと見たくて、願いをそのまま口にする。  
「羅喉、もっと動け」  
「不精者!」  
「ふふ、ここは違うことを言っているぞ」  
 
 
 再度突き上げる。  
「やあぁぁんっ!」  
 普段聞くことのない、色を帯びた声に誘われて、尚も攻め立てる。深く、深く、もっと深く。  
 羅喉も体を揺さぶり、長い髪を振り乱して応じる。細い腰が前後に動くと、花弁がわたしの根元に纏わり付き、強烈に締め上げる。鬼火の中で躍動する、白磁のような乳房の艶めかしさ。淫猥な音が辺りに鳴り響き、ふたりを悦楽の園に運んでいく。  
 
「こうか?」  
「あ、いいっっ…あぁんっ……」  
 涙を浮かべ、うめくように言う姿を奥深く貫いた。何度も何度も。溢れ出る蜜がわたしの腿を伝い、大地を潤すまで。  
 羅喉が悩まし気に腰をくねらせると、それに連れて柔襞が微妙に蠢き、痺れるような快感が背を走る。蒼と黒の炎は尚も燃え盛り、主たちのように重なり合いもして、周囲を昼のような明るさに変えていく。  
 
 突き入れる度に秘奥は狭まり、怒張を一層刺激する。それだけではない。濡れたように煌く瞳が、半開きの唇から漏れる嬌声が、甘酸っぱく漂う香りが、手に吸い付くような尻肉が、仄かな塩味のする口付けが、わたし酔わせて止まない。  
 ふたりはひとつに溶け合い、体臭もが混ざり合って、共にに高みへと駆け登ってゆく。透き通るような白い肌を朱色に染め、痴態さえもが美しく誇り高い、羅喉、わたしの羅喉!  
 
「んっく…うぅっ……」  
 絡み付かれる甘美さと、小さな痙攣とに耐え切れず、声を漏らした。悦びに悶える体はわたしをも、官能の虜にしてしまう。陽根はこれまでになく膨張し、最後の時を待つばかりとなった。  
 わたしの限界を悟った羅喉が動きを早め、貪欲に快感を得ようとする。後に続くのは、激しい息遣いと粘着質な水音。そして待ち望んだ一瞬。  
 
「羅喉っ!」  
 高く雄叫び、最奥に突き入れた熱塊から、全ての精を解き放つ。生き物のように蠕動する肉襞が、わたしを奥深く包み込み、火のように燃やし尽くす。  
「ぅあっっ…あああああーーーっっっ!!!」  
 羅喉も全身を震わせてよがる。折れそうなほどに仰け反らせた首を、激しく振りながら――  
 
 
 そんな日々の実りは、すぐに訪れた。羅喉が身篭ったのだ。わたしは狂喜し、周囲に呆れられるほど心配性な男となった。生まれてくる子が東家の能力を持っているのか、北家なのかなどは、どうでも良かった。ただ、母子ともに無事であるように、とだけ。  
 羅喉はそんな姿を余裕の笑みで見守り、女とは身篭った瞬間から男を遥かに超えるのだと、わたしに知らしめた。  
 
 花の香りに満ち溢れる季節。満天の星に彩られた皇宮の庭で羅喉は急に産気付き、慌てて聖地に運んだわたしの目の前で、子を産み落とした。  
 産声を聞いた瞬間に見せた表情は、今も忘れ難い。華やかで穏やかな、慈しみに満ちた笑顔。「おまえに似た子が欲しい」と言っていた羅喉は、赤子の黒髪を嬉しそうに撫でていた。  
 聖地の温水に浸かりながら、わたしたちの娘・計都はすくすくと生い育ち、やがて水から出られるようになった。  
 
「わたしの思い通りにならないのは、この世で高雄だけだと思っていたが、こいつはそれ以上だな」  
 頑固者で悪戯っ子の計都に手を焼いた羅喉が、溜息混じりに打ち明ける。だが、その顔には苦笑にも似た笑みが浮かんでいて、娘に寄せる深い愛情が見て取れた。指導者としての冷酷さと共に併せ持つ、稀有なまでの情愛――  
 政務や西家との戦いに忙しく、一緒に居てやれることの少ない親だったが、時間に余裕のある夜は娘を挟んで川の字になって寝た。小さな寝息は、懐かしい情景を思い出させてくれる。記憶さえもおぼろな、母が居た頃の風景を。  
 
 北家の長老たちには、「第二子はまだか?」と、よく急かされた。計都に顕われたのは蒼龍としての力だけで、玄武のものではなかったから。「仲が良過ぎると子どもは出来にくい」とも言われ、ふたりの夜を思って、赤面しそうになったのを覚えている。  
 しかしわたしは、そのうち授かるだろうと楽観的に考え、それよりも羅喉の体の負担の方を気にかけていた。西家に殺された鬼たちの分までと、蒼魂を作るのに忙しく、無理を重ねているようで……ふたり目が出来なかったのは、そのせいだったのかもしれない。  
 
 
 計都が四歳になった頃、都の南にある“不死”が、不気味な鳴動を繰り返すようになった。膨大な火山熱は、鬼門が子どもを産み育てるためにはに重要なものだが、エネルギーが高まり過ぎるのは考えものだった。  
 飛び抜けて五感の優れた羅喉は何かを感じたのか、わたしに都を移した方がいいかもしれぬと告げ、候補地の下見に行って欲しいと促した。遥かな昔からこの地にあった都を移すなど、柔軟な考えを持つ彼女以外、考え付きもしないだろう。  
 
 旅立つ前夜、自分と計都の髪を手渡した羅喉。万が一の時には、これを使って自分たちを蘇らせてくれ。祖父の話によれば、体の一部と聖地の力(エナジー)と時間とがあれば、再生することが出来るらしいからと。  
 わたしの心配性が乗り移ったかのような言葉に、笑いながら髪を受け取った。噴火は当分先のことだと思えたし、その後の運命も再生に千年の歳月がかかることも、全く知らなかった――  
 
 わたしは羅喉の名代として、長老の代表者と共に候補地に出向いた。今は新宿都庁のある場所。それまでの聖地には劣るものの、子が生まれ育つには充分そうな、木と火と土と水と金との熱(エナジー)を確認出来た。  
 帰途、激しい胸騒ぎを感じ、急ぎ駆け戻る。しかし、間に合わなかった。溢れ出た溶岩によって都は跡形もなくなり、生き残った僅かな者に、話を聞くことしか出来なかったのだから。わたしは妻と子と親しい人々、生まれ育った美しい故郷(ふるさと)の、全てを失った……  
 
 突然の噴火は、“不死”に一番近い南門を最初に襲った。南家の長・朱雀は持てる能力のすべてを使って溶岩を防ぎ、息子をきわどいところで逃がれさせて後、壮烈な死を遂げたという。  
 だが、それも束の間の時間稼ぎに過ぎず、都は遂に熱泥流に呑み込まれた。  
 
 機に乗じた西家が攻め込む中、羅喉は少しでも多くの者を逃そうと、最前線で指揮を取り続けた。そして最期の瞬間に、「わたしは蘇る、再び鬼門を呼び戻すために!」と叫び、溶岩流の中に沈んでいったという。  
 計都もまた、幼い身で懸命に火山弾を食い止めて母親を助け、そのせいで逃げ遅れてしまったと。  
 残されたのは、ひと房の髪だけ。夜毎わたしがまさぐった美しい髪と、撫でるのが楽しみだったわたしと同じ質感の髪……  
 
 慟哭の時が過ぎ、漸く物が考えられるようになった頃、わたしは死の誘惑を払い除けて、新しい朱雀――羅喉の従妹の元夫――に頼んだ。自分の首を刎ね、永遠に死なない体にして欲しいと。  
 東家の生き残りには蒼龍の能力が全く顕われず、勢いを増した白虎たちの手で、鬼たちは次々に殺されていく。鬼門を復活させ、西家に対抗するには蒼龍の存在が必須であり、羅喉たちのクローンを守る者が必要だった。  
 
 彼は最後まで反対した。他の女との間に子を作って北家を継がせ、子孫に再生を見守らせれば良いと。  
 しかし、決意は固かった。羅喉以外の女など考えられないし、子孫に任せるのは心許ない。何よりも、わたしは羅喉と計都に会いたかった。この手で守れなかった、死に顔さえ見られなかった、妻と娘に!!!  
 
 手段を選ばないつもりだったわたしは、生き延びた者が抱える後ろめたさを承知した上で、朱雀の心の傷をえぐった。生き残ったおまえには、背負わなければならない罪業がある。罪なき者に刑罰を与える良心の呵責も、そのひとつだと。  
 彼は遂に折れ、望みを叶えてくれた。半年前、白虎に殺された妻への想いも、あったのだろう。羅喉を庇い、子を残すこともなく塵と消えた、蒼龍候補……  
 
 
 あれから、長い年月が過ぎ去った。能力を失わぬよう、生き残った一族の中で婚姻を繰り返した南家は滅び、北家もすべて死に絶えてわたしだけに。東家は人間と混血し、微かに血を繋げた。  
 西家の繁栄に背を向け、わたしは新しい隠れ屋で、ふたりの再生を見守り続けた。羅喉を目覚めさせるのは、わたしたちが結ばれた十六歳にしよう、計都はどんな娘になるのだろうと、考えながら。  
 
  *     *     *     *     *     *     *  
 
 呻き声と小さな身動きに、追想から我に返る。思いの外、時間が過ぎていたようだ。蒼子の顔を覗き込むと、生気がかなり戻って来ていた。この分なら、もう少しで目覚めそうだ。  
 もう一度、頬を掌で包み込み、反対側の手で髪の裾に触れる。羅喉と同じ感触の頬と、そのものの髪……  
 
 
 さて、どうしたものか…な。  
 蒼子が白虎の元に戻りたがるなら、西園寺家に脅しをかけてやるか。「蒼子のお蔭で、人間どもが平和に暮らしていけることを忘れたのか!? 彼女を大切に扱わないのなら、鬼の一部を目覚めさせるぞ」と。  
 白虎に釘を刺し、蒼子に精神制御を施して、全てを忘れさせることも。羅喉と同じ顔の女が不幸になるのは、見たくない。  
 
 蒼子が、白虎と離れて生きることを望むなら、手を貸してやろう。必要な時間を一緒に過ごしてやってもいい。目覚める前と同じ、“桐生兄妹”として。未成年の女が自分で部屋を借り、単独で暮らしていくのは、難しいだろうから。  
 今の彼女に必要なのは、自分の足で立ち、孤独に耐える心を身に付けること。鬼も人間(ひと)も、所詮はひとりなのだ。誰かを愛することは傷付くことと同義語であり、生きることは別れの連続でもある。  
 
 それでも、どうしても死にたいと望むなら、食ってやる。その時こそ、羅喉とわたしはひとつになれる。  
 数え切れないほどの幸せをくれた女、偉大なる女王! 可愛い娘の存在も、輝く鬼門の日々も、彼女あればこそだった。  
 
 とはいえ、蒼子はあの性格だ。迷うばかりで、すぐには決められないかもしれぬな。それなら、決断出来るまで付き合ってやろう。時間はたっぷりとあるのだから。  
 今は、この頬と髪の感触だけを――羅喉……  
 

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