普段顔を合わせてはいるものの、自分からイル・バー二を訪ねることは滅多にない。
やや緊張しながらハディは扉を二度叩き、声をかける。
「失礼します、イル・バーニ様」
「ハディか?入ってくれ」
扉を開けると、こちらに背を向けて書簡を読むイル・バーニの姿が目に入る。
イル・バーニは手を止めてハディを振り返った。
「珍しいな、どうかしたのか?」
「はい、そこでキックリからイル・バーニ様あての書簡を預かったものですから」
これです、とハディは預かり物を差し出す。
「キックリが人に任せるとは珍しい……ああ、なるほど」
書簡の印章を見ただけで、イル・バーニはその理由がわかったらしい。
受け取りもせず、ハディに突き返そうとする。
「すまないが、これはキックリに戻しておいてくれないか。私は留守だったとでも言って」
「あの、中も見ずによろしいのですか?」
「見ずともわかる。キックリの親戚筋の者が、私に娘をと煩くてな」
そう苦々しく云うと、この話は終わりだとばかりにイル・バーニは積まれた書簡に向き直る。
ハディは突き返された書簡を手に、なんとなく立ち去れずにいた。
「その……娘をというのは、縁談なのですか?」
「そうなるな」
「イル・バーニ様は、ご結婚は――」
「まだだ」
取り付く島もない、というのはこういうことを言うのだろう。
イル・バーニは書簡の選別に取りかかったまま、ちらりともハディを見ようとはしない。
さすがに居た堪れなくなり、ハディが扉に手をかけたとき。
「……おそらく、私も目が肥えたのだろうな」
少し間を置いて、途切れたまま終わったと思った会話が再び繋がった。
イル・バーニは半ば独り言のように云う。
「陛下の口癖が”タワナアンナに相応しい姫”だったため、私も女性を見る目が厳しくなったように思う」
「そうなのですか」
ハディはどう口を挟んだものかと思ったが、適当な相槌を打つに留めた。
「私も元老院に身を置く者として、相手がそれなりの家柄でなければと思っていたが……」
そこで不自然に言葉が切れる。
怪訝に思ってハディが振り返ると、イル・バーニの視線が自分の方へ向いていた。
「イル・バーニ、様?」
「そのようなものは関係ないのだな」
言いながら、イル・バーニは書簡を横に置いた。
「陛下がユーリ様を選ばれたように、家柄だけが全てではないこともある」
その視線は真っ直ぐ、ハディに向けられている。
「ハディ、君もそう思わないか?」
イル・バー二の視線と言葉にどう答えたものか、ハディはその意味を把握しかねていた。
ただ、その視線に自分の体温が上がっていくことだけは、はっきり自覚できる。
「……はい。ユーリ様は、素晴らしいお方ですわ」
やっとのことでそう言うと、ハディは逃げるように部屋を出た。
残されたイル・バー二は、ハディの当たり障りない返答に苦笑するしかない。
「やはり、人は家柄ではない」
そう呟くとまた、彼はいつもの鉄面皮に戻った。