「…っ!」
――クックック…驚いてるようだな――
「何故、お前が此処に!?」
霧の向うに見える、忌々しい影に向かってシレンは声を荒げる。
――云っただろう?オロチは何度でも蘇る、とな――
ゴォオオオ!
オロチはそう一言告げるやいなや、敵に向かい焔息を吐き掛ける。シレンは紙一重でそれをかわしながら、懐にあるありったけのギタンを勢いよく投げ付ける。悲鳴を上げ、その場に崩れかかるオロチ。
「!!」
斃したはずのオロチの亡骸は目の前で消えていく。
「なっ…」
そしてシレンは、更に信じられない光景を目の当たりにする。たった今倒したはずのオロチが、何匹も現れシレンを取り囲んでいる。この光景が幻でなければ、助かる可能性は…無い。
「ぐああああぁあ!!あっ…ぐっ…。」
四方からの焔息に、成す術も無く、身を焦がす。
――貴様の中に がある限り、何度でも蘇るさ。…クックック――
薄れ行く意識の中、浴びせられるオロチの言葉。シレンはあえなく力尽きた。
「おーーーーい!」
ととやの前をいつものように掃除するケヤキの処に、子供たちが血相を変えて走ってくる。
「あ、ナギ君にフミちゃん。おはよう。」
「た、大変だよ!!」
フミは瞳を潤ませている。今にも泣き出しそうだ。
「お兄ちゃんが!お兄ちゃんが…たおれてる…」
一体何のことを喋っているのか、分からなかった。しばらくして、予感がケヤキを襲う。手に持っている箒を投げ、村の入り口へと走って行く。
既に入り口には村人が集まっていた。倒れている誰かに、大きな声で呼びかけている。倒れているのは…昨日村を出て行った筈の、彼の姿だった。
「シレンさん!!」
思わず声を上げる。シレンのもとに近づく。酷い火傷だ。息を飲み込み、顔に耳を近づける。息はしているようだ。ケヤキはホッとし、その場に崩れ落ちた。
ととやの寝室で、ケヤキはシレンの看病をしていた。今は村人達に運び込まれ、手当てを受け、眠っている。
コッパは村長の処へ、何があったのかを話しに行っていた。女将は台所で病み上がりの為の食事を作っている。寝室にはケヤキと横たわるシレンの二人きりである。
一体、この人の身に何があったのだろう…。
不安になりながら、額の濡れ布巾を換える。盥の水に布巾を入れ、水気を絞る。手がひんやりと冷たい。布巾を額に乗せ、ふと、ケヤキはシレンの頬に手を当てる。燃えるような熱が、ケヤキの手から冷たさを奪っていく。
まだ、此処にこの人が居るんだ…。昨日、旅立つ人を見送りながら、本当は心の何処かで、再びこうして逢えることを、望んでいたのかも知れない。
「嫌だな…私ったら…。」
ケヤキはふとそんな感情に気付き、ぽつりと一人ごちた。
ふと、あの日の夜を思い出す。シレンがフミを助け、竜のあぎとから戻ってきた日。深夜、誰にも気付かれないようにこっそりと寝室に忍び込み、一晩中寄り添って看病した、あの晩。
深い眠りだが、快方に向かっている所為か、シレンの寝顔はとても安らかだ。
眠る顔を見つめながら、ケヤキは自分でも気がつかない内に、ゆっくりとシレンに顔を近づけていく。
目の前にいとしい彼の顔が浮かぶ。
一寸の所で、動きを止める。
彼の息遣いが間近に聞こえてくる。
寝室の中で、二人きり。
ずっと、この人の顔を眺めて居たい。
このまま、時間が止まっていてくれればいいのに。
――シレンさん――
そっと、唇を重ねる。
「ケヤキちゃん!ちょっと…。」
「ひゃっ!!」
突然の女将の呼びかけに、飛び跳ねるケヤキ。
「…どうしたの一体?」
「え?いや、何でもないんですけど…。」
今の一瞬を見られてはいないようだ。心臓がばくばくと鼓動を早める。
「どう?シレンさんの様子…。」
「…大丈夫みたいです。まだ熱はあるけど、静かに眠ってます。」
「ま、それならいいんだけどね。村長が、何かシレンさんに話があるみたいだから。」
翌日、看病の甲斐あって、シレンは一通り回復した。起きて直ぐに、村長が何だか話があるみたいだよ、と女将に告げられた。シレンはすぐさま、村長の家に行く。外はまだ明るくなりはじめた頃だ。
「大体はコッパさんから聞いたよ。なんでも、何処まで行っても脱出できない、とか…。」
「ええ…。」
「あんた、もしかすると何か…この村に忘れていることなど、あるのではないか?」
「…どういう、意味ですか?」
「我々の村はリーバ信仰ではないが、月影神社に残っている諺のようなものがある。」
「…?」
「己を縛る結び目を解かぬ限り、同じ過ちを繰り返すであろう、というな。」
「…問題は、自分の中にある、と…。」
「未練があんたの中に少しでも残っているのであれば、恐らく同じように繰り返すこととなろう。何を未練に思っているか、はワシには分からぬが…。」
「…村長が、そんなことを?」
「あぁ、オイラにゃ何のこったかサッパリ分からんけど。でも…なんだか、確かに歯切れが悪いんだよな、最近の相棒。」
「そうなの?」
「いつにもましてナァ。なんか、隠し事でもあんのかねぇ…でも、ケヤキちゃんが元気になったみたいで良かったヨ、本当心配だったんだから。」
「…うん。ごめんね。心配かけて。」
「シレンなんか気もそぞろだった見たいだぜ!」
「えっ…。」
「何だよ!その反応は!顔真っ赤じゃねえか!」
「い、いや、そんなこと…。」
「冗談冗談。ま、女の子にゃ笑顔が一番だって!」
「…ふふっ。」
「あ、ソコソコ!」
シレンがととやに戻ってくると、窓際でケヤキが座っていた。膝元にはコッパがいる。毛繕いをしてもらってるのだろうか。
「…お前、何やってんだよ…。」
「膝枕だよ、ひざまくら。羨ましいだろ〜?」
「! ばっ…」
コッパに云い掛けて、顔を上げる。ケヤキと目が合う。
「あ…。」
二人とも言葉に詰まる。まさかこんな形で再開するとは、互いに思わなかっただろう。
「あ、昨日は…ありがとう。」
「ううん、良かった、何事もなくて…。」
再び沈黙がその場を包む。さっきまでの笑い声が嘘のようだ。コッパも痺れを切らす。
このままじゃマズイ…。シレンの頭に先程村長から言われた言葉がよぎる。なりふり構わず、口を開く。
「シレンさん!あの…」
「明日の朝、…俺達が出発する前に、…神社に、来てくれないか?」
「えっ!?」
「話したいことが、あるんだ。」
普段ではありえないシレンの行動に、コッパも驚く。寝室に張り詰めた空気。
「…うん。じゃ、明日、神社で…待ってます。」
そう云い、ケヤキは立ち上がる。 突然の、シレンからの言葉。一体、何だろう…。胸の高まりを抑えながら、ケヤキはいそいそと部屋から出て行った。
「一体、どういう風の吹き回しだよ?」
「…。別に…何でもないよ。」
そういいながら、シレンはおもむろに木片と小刀を取り出し、削り始めた。
翌朝、シレンが神社に行くと、既にケヤキは待っていた。
「シレンさん、おはよ!」
「おはよう。」「おっす!」
「さ、お参りしよ!」
「え?」
「出発前だもん、願い掛けしなきゃ!」
「う、うん…。」
明るく話すケヤキ。話そうと思っていた言葉が、喉につまった。どこか調子が狂う。でも、こんなときでもマイペースで元気な姿が彼女らしいな、とも思った。
一方相方の肩の上で、コイツは本当に大丈夫か? と不安になるコッパであった。
パン、パン。
「よし!」
「シレンさん、私何をお祈りしたと思う?」
「えっ…何?」
云おう、として、言葉を留める。シレンはその様子を訝しがる。
「…やっぱりナイショ!」
「何だよそれ。」
笑いあう二人。
「…で、その…お話って…何?」
恐る恐る、ケヤキはシレンに尋ねる。
「…いやさ、…この村にきて色々あったけど…」
何故か、緊張して頭が真っ白になる。
「本当に、感謝してるんだ…。…皆には。」
どうしても照れが入ってしまう。本当は、目の前の人に向かって、気持ちを伝えたいのに。
「本当は、もっとゆっくりこの村に居たいけど…。」
恥ずかしくてはぐらかしたりする所為で、本当に伝えたいことが、上手く言葉に出来ない。
「俺は、風来人だから…。だから、この村を出なきゃいけない。」
「…うん。」
ケヤキは不器用な言葉の意味を掬い取るように、言葉を返す。
いたたまれなくなって、堪らずシレンはケヤキに、あるものを渡した。
「これ。ちょっと不器用だけど。」
そう云って渡されたのは、小さな木彫りだった。昨日あの後一晩かけて彫ったものらしい。二匹の猫が寄り添っている。
「可愛い…。」
「確か、猫が好きだったな、って思って。」
「…本当なら、私が送る筈なのにね。折角渡しても無くなっちゃうんじゃなあ…。」
残念そうに、こぼす。
「…ねぇ、シレンさん。」
ケヤキが、語りかける。
「私、何で猫が好きかってね…。」
足元に近づいていた猫を抱きながら、語り続ける。
「特に、自由な所が。…私ね、もの凄く、今でも大好きな猫がいたの。でも…多分、ずっと同じ場所にいちゃ、そのコの良さが無くなっちゃうんじゃないかって、そんな気がして…。」
シレンを見上げながら話すケヤキ。ゆっくりと立ち上がる。
「…でね、私、こう思うことにしたの。…会いたくなったら、何時でもおいで、って。」
「私は、何時でも此処にいます、って。」
朝焼けに彼女の白い着物が映える。柔らかい光に包まれ、微笑みを抱くケヤキに、シレンは思わず、みとれてしまった。
「いけない!私、女将さんに、すぐ戻るわって…。」
「ごめんなさい、此処で見送りになっちゃったけど…。 …じゃ、頑張ってね!」
そう云って、そそくさと立ち去るケヤキ。
「シレンさん!」
ふと、ケヤキが立ち止まり、振り返らずシレンに話す。
「…木彫り…ありがとう…。嬉しかった…。」
振り向かずに階段を駆け下りていくケヤキ。その後姿を見つめて、その場に立ちつくす。
「…シレン…。」
コッパが話しかける。
シレンの視線は、去っていく彼女の後姿に。彼女を傷つけてしまったかどうか、そのことを考えると、彼女の姿が段々と小さくなっていくのが、シレンには少し、辛かった。