人生、出会っては別れる。繋がりを作っては消えていく。
いずれ来る事だが、別れる時に差はある。明日かもしれないし、人生の終幕まで連れ添うかもしれない。
風来人という渡り鳥。繋がりはすぐ消える…ほとんどは。
でも、みんなそんなことは納得済み。まだ見ぬ景色を見るためだけに、渡り鳥は旅をする。
もちろん、この男…シレンも例外ではない。
天性の剣士であるし、人に好かれる才もある。本人はそんなことを気にした事はないが。
とにもかくにも、彼の旅は続く。その一環として、こばみ谷へと足を踏み入れた。
心に刻まれる出会いが、ここにもある…。
「シレンよ、この辺りの敵はどうだ?」
「うーん、今のところは、大した事ないかな。コッパ」
確かに、この辺りに出てくる敵は大した事がない。
それよりは怪しさ満点の指圧師やら、いきなり眼つぶしをしかけてくる美女のほうがよっぽど辛い。
「お前も運がないよなぁ…。入って早々、モンスターじゃなくて人のほうに迷惑かけられてるんだもんな」
「それを言うなよ…泣きたくなるから」
そんな会話をしながらも、ひっきりなしに襲っているモンスターの相手をしている分、なんとも余裕がある。
でもハブーンの攻撃をかわし、飛んでくる矢の盾にするあたり余裕よりは非道と言えるかもしれない。
緊張感も何もない戦闘は続き、まだ昼飯にも早い時間帯には村へとたどり着いた。
「お、村に着いたな…。竹林の村、だってよ。確かに立派な竹林だな」
「ふーん…ま、歩き回ってみるか。まだ日が高いしな」
歩き回ったすぐ後、シレンは後悔した。
店に入るや否や、ペケジという男から兄貴呼ばわりされたのだ。
なし崩し的に酒場へ連れ込まれる…。
「で、アニキ。そういうわけで…よろしく」
色々な説明をされ、弁解する間もなくゾウリ頭呼ばわりされ、挙句の果てに弟ができた。
口べたな自分の性格を呪うほかはない。面白がっているのか、コッパも黙っているだけだった。
ちょっと泣きそうになりながらも、村の散策は続ける。コッパは酒場に留まっていた。
村人から名所だと教わった、食の神ブフーの石碑。その前に、女の子がいた。
粗末な服と、まとめ上げた髪。横顔はどこにでもいそうな町娘。それでも、シレンは引きつけられた。
石碑の前に佇んでいる姿が、まるで一枚の絵のようだ。
動けない。目の前の景色。それに手を触れるのが憚られた。
金縛りを解いたのは、その女の子が動いたから。
「こんにちは」
「こ…こんにちは」
いかん、声が上ずっている。そんな俺の声に対して、その子の声は落ち着いている。鈴の鳴るような声でもある。
「風来人の方ですか?私はこの村の鍛冶屋で修行している者です」
「あ、あぁ…あの無口な親父さんのいる鍛冶屋か…。おっと、ごめん。俺はシレン。しがない風来人さ。こばみ谷は初めてだけど」
ようやく、本来の声が出てきた。彼女の声やおっとりとしたしゃべり方は落ち着かせるものがある。
「そうですか、こばみ谷は初めて…。こばみ谷には言い伝えがあるんですよ。
飛んでいる黄金のコンドルを見たときに願い事をすれば、いつか願いが叶うと…」
「願い、ねぇ…」
「ないんですか?」
「そうだなぁ…黄金郷を見る事かな?それが目的でここに来たんだし」
「となると、テーブルマウンテンを登頂するんですか?」
「うん。いつになるかはわからないけど、きっとやり遂げてみせる」
「応援していますよ、シレンさん。仕事がありますので、これで失礼します」
そう言って、その子は去って行った。
心に爽やかな風が吹く。旅の神クロンの追い風よりも、強くて優しい風だった。
また、会えるかな。そんな風に思ったのは久しぶりだ。
いや、どうせ一回じゃ登頂できやしないだろう。彼女がこの村で修行する限り、必ず会える。
酒場へコッパを迎えに行った。
「ん?どうしたシレン、顔が赤いぜ」
自分じゃ気付かなかったけど、赤くなっていたらしい…。適当にはぐらかして、その場は難を逃れた。
「まぁいいや。続けようぜ」
「おう」
だが、その先が辛かった。敵を斬ったのはいい。だが、それが鬼面武者だったのは間違いだった。
ぼうれい武者が数匹鬼面武者へと乗り移り、将軍に。
まともに戦っても勝ち目はない。だが逃げの一手も長くは持たず、あえなく力尽きた。
「ん…」
ぼんやりと目を開ければ、コッパの顔が見える。痛みはほとんどない。
「おう、起きたかシレン。どうやら渓谷の宿場へ逆戻り…らしいな」
「ここもか…。やっぱり持ち物もないな。旅の神クロンの決めた事だけどな…」
「なーに、いつもの事だろ。一発で登頂できるほど軽いもんじゃないし、気落ちしないでさっさと行こうぜ」
「おう」
そこから、竹林の村への足取りは軽かった。拾った長巻だけあれば十分攻略できる。仮に無くても、大して辛くない。
それよりも、あの子にもう一度会うのが楽しみでならなかった。
竹林の村にたどり着いたら、まずは鍛冶屋。親方に長巻を預けている間、隣の家で休んでいるあの子の元へ急いだ。
「あ、シレンさん…でしたっけ?」
「ああ。今親父さんの所に武器を預けてきたから、暇でね。少し話さない?」
「いいですよ」
その家には爺さんとその孫が住んでいた。でも、今は留守にしているらしい。
ちょうどよかった。
「シレンさん…神は細部に宿りたもう、と言います。
けど、私には身近な…小さな想いほど届かないような気がするんです…。シレンさんはどう思いますか?」
「俺みたいな放浪無頼が意見するようなことじゃないと思うけど…。
小さな想いが届かないなら、もっと大きくしてみなよ。堂々と。
他人からしたらちっぽけなものかもしれないけど、自分にとって大きなものなら…神様もきっと気づくんじゃないかな」
「そう…ですね。気が晴れました。ありがとうございます」
突然に重いことを言われて、正直混乱していた。
夢が神がと言えるような人生は歩んでいないから、なんて答えればいいのかわからなかった。
考えても答えは出ず、思ったことをぶつけただけ。それでも、彼女には励みになったらしい。
少しでも役立った。それでいい。
「私は、こばみ谷からずっと離れた村から修行に来ているんです。親方は信頼できる方です。
そして、凄い腕前を持った厳しい方です…。この3年、怒鳴られては何度も泣きそうになりました。
それに、来たばかりの頃は親方が一言も喋ってくれなくて泣きそうになりましたし…。
とはいえ、今でもほとんど口をきいてはくれませんけど。
そんな私の夢は、親方の技を受け継いで、ふるさとで鍛冶屋を開く事なんです。小さな夢です…」
一気に言いきった。でも、途中から涙声になっていったけど。それでも涙は流さなかった。
思ったよりずっと芯が強い娘。俺とは違って、しっかりと地に足をつけて懸命。
風来人であることは誇りだけど、少しだけ恥じ入る気持ちになった。
「立派な夢じゃないか?少なくとも俺はそう思うよ。例え小さな夢でも、雲の上から見えるぐらい大きくしなよ。
嫌でも神様の視界に入るぐらいに、さ。それができれば、夢は叶うよ。俺が保証する」
飾りも何もない本心。本音。こんな子の夢を叶えないようなら、神様も大した事はない。
「シレンさん…ありがとうございます。道中、まものに気を付けてください。ちゃんと、おにぎりを忘れないように」
「はは…まるで嫁さんみたいな事を言うんだね」
目の前の子が顔を赤くする。ちょっと不思議に思って自分の言葉を反芻してみる。
んーっと…。
嫁さんみたいな事を言うんだね…
嫁さんみたいな…
嫁さん…
………
顔から火が出るかと思った。その場にいるのがどうにもいたたまれなくて、すぐに別れを告げて席を立った。
結局あの子は、うつむいた顔を上げることはなかった。
その後も冒険は続けた。
前回の教訓を生かして、ぼうれい武者は優先的に倒し、堅実な戦い方を心がける。
そして、山頂の町へとたどり着いた。
ただ、ガイバラという陶芸家の爺さんに大事な壺をたたき割られ、
中に入っていた真空斬りの巻物やおにぎりが根こそぎダメになった。
あの時ほど殺意が湧いた事はない。
その後は二面地蔵の谷へ行くのが限界で、また渓谷の宿場へと逆戻り。
とはいえ、山頂の町の倉庫へ武器や背中の壺を残しておいたので、さほど大きな損害はなかった。
その後もイマイチ冒険がはかどらず、奇岩谷、そしてテーブルマウンテンの入り口まではいけたが、精々そこまで。難しい。
その間、必ず立ち寄ることになる竹林の村では、あの子と俺の二人だけで会うようになっていった。
コッパの姿も、ペケジの姿もない。
そこで話すのは、とりとめもない事ばっかり。
冒険がはかどらなくて、しばらくこばみ谷に逗留するしかないこと。
少しずつ成長していく自分を感じること。
旅仲間が増えたこと。しかもみんな異様に癖が強いこと。
初めて親方に褒められたこと。
そんなことばっかり。でも、そういう何気ない時が愛しい。
…これ以上入れ込むな。別れが辛くなるだけ。それがお前のためだ。
そう理性が話しかけるが、無視した。
何回目かの密会。ちょっとした事件があった。
「シレンさん…私…毎日毎日、頑張って修行してきたんですけど…急に自信がなくなっちゃったんです…。
いつまでたっても、見習いで…。ろくな仕事もできないで…」
いつになく悲痛な面持ちで言った言葉には絶望が詰まっている。
俺にもそういう経験はしてきた。腕力の差。武器の扱い。頭の回転の速さ。
そういう強さの違いに打ちひしがれた事があった。
結局のところ、自分で乗り越えるしかない。俺にできるのは、ちょっと手を貸すだけ。
「夢を忘れたのか?立派な鍛冶屋になるんじゃなかったのか?」
「夢…」
「神様に届くぐらい、大きな夢にするんじゃなかったの?それとも、口で言ってみただけか?」
あえて冷たい言葉を選んだ。それで潰れるようなら、それまでの人間だろう。
普段はそんなことは思わない。急に残酷になっていた。
「いいえ、口だけの夢じゃありません!」
「なら、決まっているじゃないか。ちょっと転んだぐらいで泣くようなら、夢は逃げるよ」
「…シレンさん…わたし…がんばります!」
うん、と大きく頷いた。さっきの悲痛な面持ちはどこにやら、今は強い顔だ。
その顔なら大丈夫だよ、と一言残して踵を返した。
後ろからは、はげましてくれてありがとう、と大きな声。にやけた顔を隠して、ちょっと手をあげた。
その後…シレンはテーブルマウンテンの登頂に成功。
黄金のコンドルの背に乗り、凱旋を果たす。
傍らには旅仲間。多くの風来人に希望と悔しさを与える、こばみ谷の伝説が生まれた。
「やったな、おい!」
「黄金のコンドルは本当にいたんだ!」
「先を越されるとは…」
渓谷の宿場にいるありとあらゆる風来人から、大きな祝福と嫉妬を受けた。
背中を叩く手は止まらない。
「祝福してくれるのはうれしいけど、お願いだから拳ではたくな!」
「うーるせー!」
今度は顔面に拳が飛んできた。避けたのはいいが、バランスを崩して見事にすっ転ぶ。
笑い声と酒が上から降って…。
あぁ…意識が…。
「って、こんなところで死んでたまるかー!」
はね起きれば大爆笑。みんな屈託のない顔をしている。
酒でずぶぬれの体を震わせて、俺も笑った。
「して、シレンよ。結局のところ、どうすんだ?こばみ谷にきた目的は一応果たされたんだろ?」
酔っ払いがいきなりまともな事を言い出した。
「んー…まだ行ってないダンジョンもあるし、とりあえずもうしばらくここにいるかな」
「ふむ…ま、それならいいけどよ」
「なーんか含みのある言い方だな、おい」
酔っ払いが、いきなりニヤニヤ笑いだした。
嫌な予感…。
「いやな、竹林の村に行ったんだよ、そしたら鍛冶屋の娘がさ、
『シレンさん…いつまでこばみ谷にいるんでしょうか…?』なんて言うもんだからさ」
…顔が熱い。酒精のせいだな、うん。
「何真っ赤になってんだよ、さては両想いか?いいなー、若いって」
「下世話な事言うなよ…。コッパ、移動しよう。性質の悪い酔っ払いに付き合う義理はない」
「なんだ、愛しの彼女に会いに行くのか?」
周りからまた笑いが。とりあえず言った本人に酒瓶を投げつけ、撤退。
反論しても無駄そうだし、認めるのもシャクだけど事実だし。
通いなれた道を通り、竹林の村へ。迷わず鍛冶屋。
「あ、シレンさん。おめでとうございます!」
「ありがとう」
なんかずいぶん簡単なお礼だけど、仕方ない。これ以外にどうやって気持ちを伝えればいいのか。
そもそもこれまでは、そんなことを考えたこともなかった。人は変わるもんだな。
その後も少し談笑していると、外が俄かに騒がしくなってきた。揉め事かな…?
「ちょっと様子を見てくるよ」
「あ、はい。お気をつけて」
外に出てみると、ちょうどブフーのほこらの辺りに人だかりが出来ていた。
「どうしたんですか?」
「見てくれよ、これ。ブフーのほこらの下にダンジョンがあったんだ。
それで、そのダンジョンにナオキって人が潜っていったんだ。
それだけならいいんだけど、結構長いとこ帰ってこなくてさ…どうしようかなって。
正直言ってダンジョンに潜るのは怖いし、とはいえ放っておくのも…」
なるほどな。どれだけ心配でも、力がなくちゃ救出する手間が増えるだけか。
俺が潜るから、任せてくれ。そう言って、鍛冶屋に戻った。装備を預けておかないと。
「え、ダンジョン?」
事情を説明。いきなりすぎて戸惑ってる。まあ俺もだけど。
「うん。だからさ、ちょっと荷物を預かっててくれない?どうやら持ち物があると弾かれるみたいだから」
「あ、はい…」
おにぎり、巻物、盾…あと刀。うん、もう何も持ってないな。
「あの…シレンさん。お願いがあるんです…」
いざ出発、と意気込んだ瞬間。見事なくらい気合の腰が折れた。
気をとりなおして…。
「どうしたの?」
「わたしも、力がついてきたと思うんです。ですから、この刀…私に鍛えさせて頂けませんか?」
凄く申し訳なさそうな表情。でも、もう十分腕はあると思う。
少し仕事を見る機会があったけど、以前と比べれば、鎚の使い方が違う。
あと足りないのは、自信かな。それをつけさせる為にこの刀が使えるんなら、安い。
「いいよ」
「ありがとうございます!一生懸命、鍛えさせてもらいます!」
ぱっと顔が明るくなった。手を上げて応えて、鍛冶屋を去る。さて、行くか。
「…結構、深いな」
25、いや26階か?少しあいまいになってきている。
目の前、赤い影。
「!!」
死神か!始めは盾で防いだ。後はもう殴り合いだ。肉もない。マムルの肉を残しておくべきだった。
「はっ!」
会心の一撃。なんとか、倒せた…。
「お、シレンさん」
一息ついていると、そこにいたのはナオキ。なんでこんなに暢気なんだよ…。
とりあえず事情を説明。流石にばつが悪そうな顔をしている。しょうがないだろうけど…。
食材もある程度集まったらしく、抜けるのに同意してくれた。さて、帰るか…。
「あ、シレンさん。ご無事でしたか?」
見慣れた刀を研いでいた。そばには親方。いつも通り怖い顔をして、にらんでいる。
俺にした挨拶も、顔を上げてはいない。そんな状態だから、こっちから声をかけることはできなかった。
「無駄話をするな…研ぎあがったようだな。見せてみろ」
渡された刀を入念に調べる。物凄く重苦しい雰囲気。
あの子も、体を動かしていた時より汗の量が増えている。
やがて、刀を調べ終えると、鬼瓦のような顔がほころんだ。
「見事だ。立派な仕事だぞ。もう一人前だな」
うつむいた顔。弾かれたように上がって、すぐに涙がこぼれてきた。
「ありがとうございます…」
「礼ならシレンさんに言え。彼がお前を支えてくれたんだろう?」
俺の方に向き直って、ほとんど聞こえない声で礼…なんだか、居たたまれないな。
あんまり慣れてないよ。こういうの。
「ありがとうございました。今まで、ずっと、色々よくしてくれて。
シレンさんがいなかったら、ここまで来れなかったかもしれません。本当に、ありがとうございました」
また、深くお辞儀。もうなんていうか、どういう顔をすればいいんだ。
戸惑っている間に、親方は拵えを設えていた。
「シレンさん。刀、返すぜ。人の思いのこもった、いい刀だ。大事にしてやってくれよ」
「…はい」
テーブルマウンテンを攻略した刀。慣れた刀なのに、少しだけ重く感じた。
抜いて、振ってみた。重いような気がしたけど、それは気のせいだな。手に馴染む。いい刀だ。
「あの…親方」
「気にするな。行って来い」
…なんだ?
「ありがとうございます…シレンさん。ちょっとよろしいですか?」
「…?いいよ」
誘われるままに外に出た。もう夜。竹林の中を通り抜ける風が涼しい。
たどりついたのは、村のすぐ近くにある大きな石。どちらからともなく、座った。
隣の人は少し震えていた。見ていないふりをして、月を眺めた。俺にはただ待つしかできない。
「あの…」
月が中天に輝いていた。月明かりが優しい。
言葉は消え入りそう。話の内容は、大体想像ができる。
「実はわたし…ふるさとへ帰ろうかと思うんです。
わたしの夢…鍛冶屋のない村で、鍛冶屋になって、村のみんなに農具を作ってあげたい。
いつも汗だくになって働いているみんなが、少しでも、苦労しないように…」
「そっか」
上半身を倒して、石の上に寝転んだ。しばらく、風が竹を揺らす音だけが聞こえた。
「嬉しいのに…夢が叶うのに…でも、なんだか、寂しいです。
早く帰りたいと思っていたのに、今は…シレンさんや、色んな人にお世話になって…帰りたくないって思うんです。
シレンさん…どうすればいいんでしょう?わたし…凄く、悩んでます」
体を起こした。月の明かりに照らされた顔には輝く筋。
「俺は風来人。一所に留まらない渡り鳥。でも、君は違う。家もあり、両親もいるんだろう?
帰るべきだ。帰るべき場所に。待つ人がいる場所に」
輝く筋が、一つ増えた。これでいいんだ。
「ありがとうございます、シレンさん。わたし…帰ります。ふるさとに」
「うん」
立ち上がって、村へ帰った。二人とも、何も言わずに。
鍛冶屋の扉を開けた。親方も帰ってしまったらしく、誰もいない。
「お別れするのは、寂しいですけど…どこにいても、決して、シレンさんのことは忘れませんから」
「…じゃあね」
いつもと同じように、手を振って。ちょっとそこまで行ってくる、という調子で。
「いいのか?」
コッパ。しばらく姿を見せていないと思ったけど、どうやら聞いていたらしい。
「いいんだ。俺のためにも、彼女のためにも」
さて、次はどのダンジョンに挑もうか。すっと、身軽になった気分だ。いや、穴が開いた気分と言うべきかな。
しばらくの後。
「おーい、シレンさん!」
竹林の村に着いたとたんに、親方に呼び止められた。一体どうしたんだろう?
「どうしました?」
「あいつから、とんでもないものが送られてきたんだ!シレンさん宛てだよ!とりあえず、来てくれ」
返事を返す間もなく、腕を引っ張られた。そのまま鍛冶屋の中へ。
中に置いてあったのは、刀が一振り。かなり大柄な刀だ。どうたぬきかな?
「この刀は?」
「これがあいつからの贈り物だ。とにかく、見てくれよ!」
なんだ一体、と思いながら鞘を払った。すぐに、見入った。
見事に鍛えられていて、もともとが無骨な刀なのに、繊細さを感じられる。
鏡のように磨きぬかれた刀身は、黒々とした青。ここまで見事な刀、見た事がない。
「すげえだろ?あいつ、やりやがったよ!」
親方の声も少し遠くに聞こえる。いつまでも見入っていたかったけど、そういうわけにもいかない。
「これを俺に?」
「ああ。後、これもあんたにだ。手紙だよ」
手紙…か。
「わざわざありがとうございました。親方」
「いいんだよ。俺も嬉しいんだ」
暇を告げて、あの時の場所へ。
同じように石に座って、手紙を広げた。
親愛なるシレンさんへ。そちらはどうでしょうか?体調は崩していませんか?
この度、わたしが鍛え続けた刀がようやく完成いたしましたので、贈らせてもらいます。使ってもらえれば幸いです。
…私、結婚しました。シレンさんとは全然違う人ですが、すごく優しくて、頼もしい人です。
結婚して、子供を生して、連綿と命を繋げていく。それが当たり前なのでしょうね。
以前シレンさんは、自分のことを渡り鳥だと例えられましたが、それは当たっているのだと思います。
村に帰って、初めて思いました。私は飛び回ることはできない、空に憧れるだけの風見鶏だと。
ですが、シレンさんに出会えて、ようやく空への憧れを絶てました。
わたしはわたし。それでいいんだ、って思えました。
ありがとうございました、シレンさん。そして、さようなら。もうこばみ谷へは戻りません。
ここから、旅路の安寧と、幸運をお祈りいたしております。
「さよなら」
手紙を折りたたんで、空へ放り投げた。
落ちてくる手紙へ向かって、刀を振る。二度、三度と。
手紙は紙吹雪となって、竹林を揺らす風に乗っていった。
それから先、シレンは風来人として、様々な冒険を成し遂げた。
携えた刀は終世手放すことはなく、やがてあだ名をつけられる。
刀の由縁を知るものはやっかみを、知らないものは羨望をこめて。
―――――世話女房、と。