・・・  
 
 
二、月陰村  
 
 
 その後、アスカの正確な案内もあって、日没にはだいぶの余裕をもって集落にたどり着  
くことができた。  
 これならば、あのままもう少し情事を続けていても間に合っただろう。  
 
(ちと、もったないことをしたかね)  
 
 シレンはそう思ったが、しかし、アスカのまるで道のりを知っているかのような足取り  
が気になって聞いてみると、そうではないらしく、  
 
「女のカンでござる」  
 
 とのことだった。  
 答えには納得しかねたが、ともあれ、腰を落ち着けねばなるまい。  
 アスカが「お疲れでござろう」といった通り、シレンはここに来るまで、もう二、三ヶ  
月ほど布団の上で寝ていないのだ。  
 さしもの彼も、ゆるりと疲れを取る時間が欲しかった。  
 欲を言えば酒も欲しい。  
 
 まだ日も頭の上を傾いている内に、宿を探す。  
 ここは集落、という割には広い。  
 岩山をあちこちくりぬいた岩窟で出来ていて、異国情緒のただよう場所だった。  
 ただ、集落の名前が、  
 
「月陰村」  
 
 といったのが、シレンには落ち着かなかった。  
 
「漢字は一文字違うが……」  
 
 なぜなら、かつて立ち寄った山奥の小村が月影村という名前だった。  
 この村にはいつの時代からか、オロチを村神と祀り、定期的に村の子供を生贄と差し出  
す血なまぐさい因習のあるところだった。  
 生贄を差し出す理由は、そうしないと、オロチの怒りを買って村が滅ぼされるから、と  
村人たちはいう。  
 
 少々、妄信が過ぎるのではないかと思われるかもしれないが、これは神話の類ではなく  
実際に月影村とその付近の山岳を結ぶ、供養峠という名の付いた変則地形の奥に、オロチ  
がいるのだ。  
 かつては村人も抵抗を試みたこともあるらしいが、全て、鬼に針一本で挑むような結果  
に終わったらしい。  
 
 ならば逃げ出せばいい、と言いたいところだが、オロチの呪いか何かなのか、月影村の  
人々は、村の外に出ようとすると、たちまちに変則地形に迷いこんでしまい、脱出はおろ  
か生きて村に帰ることすらできなかった。  
 
 このような理由で、生贄は毎年のようにつくられていた。  
 シレンは、ちょうどその季節に月影村へと訪れたのだ。  
 村全体に漂う異様な雰囲気に呑まれそうになったが、気を取り直して周囲の者どもにそ  
れとなく事情を聞き込んでみると、上のような事実が明らかになった。  
 
 これだけでも熱血漢のシレンは、暴君たるオロチと、抵抗を忘れて恐怖だけに震える村  
人の情けなさの両方に、腹の底からふつふつと煮えたぎるような怒りを覚えたものだ。  
 が、さらに、当節の犠牲者であるフミという娘を助けようと、彼女と同い年のナギとい  
う名の少年が単身、供養峠に乗り込んだ事実を知って一念発起する。  
 
「上等じゃねえか。ヘビ野郎ごとき、俺がブッた斬ってやる」  
 
 そういって、シレンはまず、フミを救出しようと躍起になるナギを連れ戻し「娘は、俺  
が間違いなく助けてきてやる」と確約をし、その命が散るのを食い止めた。  
 その時のことだ。  
 ヨシゾウタと名乗る旅の薬売りがシレンに近づき、村人達の正体を暴露する。  
 
 後に本人たちから直接教えられることになるのだが、彼らは、西洋でいうところのヴァ  
ンパイアやワーウルフなどの亜人族の子孫であり、人間ではなかったのだ。  
 それがゆえ、満月の夜になると怪物に変化し、特に子供の場合は理性を失って暴走する  
危険性が高い。  
 このため人間とは共存できずに、月影村という山奥に籠もっていたのだという。  
 
 そして、だ。  
 フミをも救出し、いよいよオロチの核心に迫ろうとした時、この、ヴァンパイアの子孫  
達を脅かした怪物の正体が明らかになった。  
 ……それは、誰在ろう人間だったのだ。  
 上に出た、ヨシゾウタという男である。  
 
 ヨシゾウタは、生贄として差し出された子供の生き血に、なにやら黒魔術のような秘宝  
を用いて、人間をオロチに変化させる薬を作り続けていたのだ。  
 むろん売るためでなく、自分のためにである。  
 
 オロチになれば、人間どころかモンスターさえも超越した力が手に入る。  
 それはオロチになった後も、人間の薬売りに化けてシレンに近づくことが、容易く行え  
るほどの力だ。  
 さらには、悠久の時さえも生きながらえる事ができた。  
 
 そんな化物がいつの頃から現世に居て、いつの頃からヴァンパイアの血によってオロチ  
変化の薬を生み出せることに気づいたのかは解らないが……  
 つまるところ。  
 オロチの持つ強大な力と、無限の生命力に酔いしれた一人の愚か者が、長きに渡り、罪  
もないヴァンパイアたちを支配し続けていたわけだ。  
 
 これを知った時、シレンの怒りは頂点に達する。  
 
「ふ、ふざけるなよ、てめえ……人間様の顔になあ、泥を塗るんじゃあねえっ!!」  
 
 叫び、シレンに追い詰められオロチとしての本性を現わしたヨシゾウタを滅するべく、  
一振りの剣を封印から解いた。  
 
 名は剛剣マンジカブラ。  
 その斬れ味たるもの、岩を豆腐のごとく切り裂く代物であり、伝説の刀工カブラによっ  
て鍛え上げられたという。  
 
 シレンは、テーブルマウンテンに登頂する際に、この刀を偶然にも発見した。  
 恐らくはかつて登頂した者の中に、これを携えながら命を落した者がいたのだろう。  
 まさか自分で使う気にはなれなかったが、これを、この場に埋もれさせておくにはあま  
りにも惜しいと思い、拾得し、評判の良い鍛冶屋に頼んで丹念に修復しておいたのだ。  
 
(元の持ち主も、名剣が朽ちゆくのを喜ばしくは思わねえはずだ)  
 
 と。  
 だが、  
 
「今は、借してもらう!!」  
 
 それを抜いた。  
 するとどうだろうか、マンジカブラはまるでシレンの怒りに呼応したかのように青白く  
輝いて、刀身に光をまとう「秘剣カブラステギ」へと変化する。  
 そしてきらめく刃が、ばあっ、と空に舞った時……オロチは八つある首を全て切り落と  
され、果てていた。  
 
 ただ、それで力を使い果たしてしまったのか、カブラステギもオロチが死ぬと同時に、  
二つに折れてしまい、もはや剣として使い物にはならなくなってしまう。  
 大変な損失といえたが、シレンは「きっとこの時のために運命神リーバが、俺にマンジ  
カブラをよこしたのだろう」と思い、オロチの死骸に突き立て、その場を去る。  
 
 こうしてシレンは月影村を苛む元凶を見事に退治し、村人たちから救いの英雄とあがめ  
られたものの、彼らを苦しめていたものが他ならぬ人間の、なれの果てだった……という  
事実は、心にしこりを残した。  
 
 また、この村には、ケヤキという気だての良い娘がおり、シレンはオロチ退治のため逗  
留する間、彼女と浅からぬ仲になっていて、一事は問題が解決したら連れ出してしまおう  
かと思ってもいたのだが、  
 
「ケヤキちゃん。俺ぁ、ちょいと人間が嫌いになったよ。そんな同族嫌いが相手じゃ、お  
まえさんを幸せにゃできねえ……だからさ、ごめんなすって」  
 
 軽い失恋も伴い、月影村を後にした経緯があった。  
 そんな複雑な記憶を、この「月陰」という名の村は思い出させてくれる。  
 シレンにとってはこばみ谷での経験よりも、深く胸に突き刺さった思い出だったかもし  
れない。  
 だから、いつの間にか宿探しの脚も止まっていたのだろう。  
 隣を歩いていたアスカが、怪訝に顔を覗き込んでくる。  
 
「シレン殿?」  
「お! あ、ああいや、すまねえな。ちょいとボケっとしててな」  
「昔のことでも思い返してござったか」  
「……それも女のカンってやつかい。だがさ、詮索してくれるなよ」  
「そういう無粋な真似はせぬ」  
「なら、いいけどよ」  
 
 アスカに促されて再び歩を歩んでいくと、やはり岩をくりぬいて造られた穴が連なって  
いて、その中でひときわ大きな口がぽっかり開いているところに「泊まり岩」と、これま  
た石灰岩を大胆に削って書いた文字看板が掲げられていた。  
 
「なんか、どっかで聞いたような名だな」  
「左様か?」  
「それもこんな岩だらけの場所だったような……まあ、いいや」  
「されば、早くちぇっくいんを済ましてしまおう」  
「なんだい、ちぇっくいんって」  
「宿帳のことでござる。いや、つい旅で知った言葉が」  
 
 などと、他愛ない会話を交して宿に入っていくと、辺境の土地にいかにも似合うといっ  
た感じの、しわだらけの顔になった女将が二人を出迎えてくれる。  
 といっても愛想はよく、とんとんと手続きは済んでしまって今日の夜露をしのげる一室  
を案内された。  
 
 もちろん相部屋である。  
 宿内は、通路も部屋も異質な岩窟の雰囲気からは開放され、下界の町々で普通に見かけ  
ることのできる和式造りとなっていた。  
 
 せっかく村の全体が異質でエキゾチックな雰囲気をもっているのだから、宿もそのよう  
にデザインしてよさそうなものだが、しかし徹底して外の雰囲気を忘れるほどに、木材に  
よる調和が施されていた。  
 
 これはおそらく、月陰村が観光地ではないために、地域の特色を打ち出すよりも、旅人  
の安息度が高まるほうが商売上、よいとされているのだろう。  
 
 なお相部屋を取ることについてシレンは最初からそのつもりだったが、女将の方も、二  
人の姿を認めれば関係はだいたい解ったようで、なにもいわずに夜の時間にも最適な、他  
の部屋とは少々、離れた中部屋を用意してくれた。  
 対応の手際よさから見て、案外に人の出入りは多いのかもしれない。  
 
 さて、これで宿泊の準備は整ったが、まだ天には陽がある。  
 先ほどの続きを愉しむには、もう少し遅くなってからでもよかろうと思い、シレンはア  
スカを連れて酒をひっかけに出ることとするのだった。  
 
 外に出ると、慣れぬ岩窟の村が再び姿を現わして、見渡すのみでは、穴ぼこだらけで、  
なにがなんだがよく解らない。  
 とにかく広い。  
 村というよりは町と呼んでも差し支えなさそうだった。  
 だが、宿場なら歓楽街を兼ねているはずである。宿を置く場所の、ならわしのようなも  
のだ。  
 
 そう思って探してみると、あっけなく飲み屋も見つかる。  
 こっちのほうは「酔いどれ亭」といった。  
 またしても聞いたような名だが、シレンも、アスカも、もう何年と旅に身を費やしてき  
た身なのだ。  
 よほどの事件でもないかぎり、歓楽街の施設名など忘却の彼方であろう。  
 ともあれ、のれんをくぐって二人は酒を嗜むことにした。  
 
「そういやさ、アスカ。ナタネ村のことを覚えてるかい」  
「……無論。助けていただいた恩、片時たりとも忘れた事ござらぬ」  
「そんなカタッ苦しい話はどうでもいいんだ。だが、あの時は二人で茶屋の菓子なんざ食  
ってたよなあ。思えば時間が過ぎたもんだ」  
「おや、らしくないことを。あなたは未来しか見ていない仁とばかり、思っていたが」  
「おいおい、ひでえ誤解だな。俺だって人の子だよ」  
 
「人の子、か」  
「そうさ」  
「ふふ、しかし、シレン殿からそういう言葉を聞けるとは、やはり酒は魔性でござる」  
「ちぇっ……俺からしてみりゃ、女の方がよほど魔性だ」  
「ときに、コッパ殿は?」  
「ああ。あいつとは、またちょっと離れて旅してんだ。あんまり顔ばかり付き合わせてる  
とケンカばかりでいけねえからさ」  
 
 ……やがて、したたかに酔った。  
 飲み疲れて宿への帰路につく頃には、足取りも多少、怪しくなっている有様だ。  
 何度か、道を行き交う人々と肩が擦れ合ったが、あと少しで宿だというところで運悪く  
人相の悪い男と、アスカの肩がどん、とぶつかってしまう。  
 
 男の方はシレンと変わらぬ程の歳に見えた。  
 若い、溢れる血気の吹き出す方向が、あらぬところへ行ってしまったかのように見える  
相手だった。  
 
 これを見てシレンが、  
 
(ち……)  
 
 と、面倒事を予測すると、案の定、人相の悪い男がアスカに食ってかかる。この辺りの  
方言が混じっているのか、半分ぐらいしか理解のできない言葉を、大声でガンガンと怒鳴  
り立ててくるからたまらない。  
 
 感情の起伏が激しいアスカは思わず抜刀しそうになったが、そこはシレンが風来人の辛  
抱強さで抑えた。  
 無駄なけんかをして、騒ぎを引き起こすのは風来人の仕事ではない。  
 そういう言葉を、目の光りに乗せてアスカに語る。  
 
 すると受け取ってもらえたようで、彼女は刀の柄にかけた手を引く……その間にも人相  
の悪い男の罵りは続く。  
 と、思われたが、いつの間にか背後に長身の女が立っていて、その者開口一番、  
 
「ため吉ィ!! あんたは旅の人相手に、なにやってんだい……そんなことより、返済の工  
面はできてんだろうね!? 返せないなんて言うなら、わかってんだろうねッ」  
 
 と、啖呵を切るものだから、ため吉という名が明らかになった人相の悪いは、ほうほう  
の体で逃げ出してしまった。  
 それを見届けると、女は視線をアスカの方に向けて、にこりと笑った。  
 
 美しい女だった。  
 顔の造形は大きな瞳に顎がするどく、鼻筋はツンと通り、やや厚ぼったい唇が濡れて光  
っている。  
 
 姿は、牡丹の花がそのまま着物に変化したかのごとく派手な色彩の浴衣を身にまとい、  
胸の上半分などは露出していて、その、ほのかに上気した白い肌からは、湯の香りもただ  
よって、艶やかな色気を醸し出していた。  
 
 また、頭には王冠のようにきらめくかんざしに飾られている……。  
 その様からして、どうやら遊女であろう。  
 
「あれはこの辺りで評判の悪い男でさ。迷惑かけちゃったみたいで、すまないね」  
「……いや」  
 
 と、アスカは気さくに話しかけてくる女に、あまり良いとはいえない表情で応対する。  
こういう世界に生きる女とは性が合わぬ、という風である。  
 だが、シレンの方そんなアスカを尻目に硬直している。  
 
 色気に当てられたのではない。  
 その姿が、その言葉遣いが、よく知る女のそのものであったからだ。  
 だからアスカが隣にいるにも関わらず、反射的に名を叫んでしまった。  
 
「お、お竜!? あんた、お竜じゃねえか!!」  
 
 

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