さて。  
 村からの脱出行を試みるシレンに、目を移す。  
 最中に相当数のモンスターが襲いかかってきたが、それらの一つを力で斃し、一つを策  
略で制し、あるいは逃走で切り抜けつつあった。  
 
 村は相も変わらずの殺風景で、神秘的な月光によって照らし出されているにもかかわら  
ず、岩肌がくり抜かれた、穴ぼこだらけの風情は変わらない。  
 だが、気になることがある。  
 
 というのも、村から出ようと中央から離れて外角に近づけば近づくほど、人家と思われ  
る穴ぐらの数が、どんどん増えていくのに気づいたのだ。  
 まるで村落中央を包囲するかのように、のき並んでいる奇妙な配置なのだ。  
 
 普通、人間の集落というのはその逆形態をとるものだろう。そうでなくては、防衛や物  
流の面で色々と手間になるからだ。  
 そういう観点から見ると、この村はなにか要塞の相を呈しているようにも見えた。  
 あるいは、ここはオロチがシレンを陥れるため「だけ」に造った場所だったのかもしれ  
ない。  
 
(そういやあ、最初に逢ったアスカの足取りは、たしかここへの道のりを知っているみた  
いだったな)  
 
 たぶん、上記のことが真実なのだろう。  
 シレンは蛇のじりじりと焼けるような執念深さを感じながら、しかし脚はいよいよ奔っ  
て、コッパとの合流を試みる。  
 お竜の言葉を信じるなら、きっと打開策を持ってきてくれるはずだ。  
 
 だが、彼自身に戦闘能力はないことを考慮にいれねばならない。守りも無しに敵地へと  
乗り込めば、その身に瞬く間と危機が及ぶだろう。  
 お竜のことだから用心棒を一緒に雇っているかもしれないが、過度の期待をもつのは御  
法度というものだ。  
 
(急げ)  
 
 そう思って、岩肌を駆け上がろうとした時のことである。  
 突如、背後遠方より鋭く風が運ばれてくるのを察知したシレンが、ばっと振り向きざま  
刀を抜き打つ。  
 すれば、かしゃぁんッ、という甲高い金属音を伴って、斬撃の盾は襲いかかってきた二  
丁のクナイをはじき散らした。  
 
「ちっ」  
 
 シレンはまたモンスターか、と思って用心する。が、飛来物に続いて現れた影は異形で  
はなく、人型であったのだ。  
 それも本物のヒトである。  
 村人すべてがモンスターだったいま、シレンを襲うような人間の正体は知れている。  
 アスカと……  
 
「ばぁか、まんまと騙されちゃって。さっきまでのは私と、このコの演技なの。助けなん  
か誰も来やしないわよ」  
(……お竜?)  
 
 であった。  
 
 彼女はさきほどまでとは打って変わって、相手を小馬鹿にしたような態度で迫る。もと  
もと友好的でない相手にはそういう女だ。  
 だからシレンは一瞬、  
 
(裏切られたか)  
 
 と思ったが、そもそも自分を陥れるのが目的なら宿場の中でモンスターと共に袋だたき  
にしてくるはずだと結論づけて、疑いを否定した。  
 ならお竜がこんな行動に出る原因は、傍らのアスカの姿をしたオロチにしかあるまい。  
 
「てめえ、お竜に何しやがった」  
 
 鋭く斬りかかるように問う。  
 が、返ってくる答えは砂かけのようなものだった。  
 
「自分で考えな。謎解きも風来人の仕事だろ?」  
「……ああ、そうだな。大方、俺の怒りを買わせるのが目的でお竜に妖術をかけやがった  
な。だったら俺が取るべき行動はひとつよ」  
 
 と、いうとシレンはぱっと身をひるがえし、脱兎のごとく駆け出していく。  
 彼女が操られたと考えるなら、その言葉もまやかしであろう。なら、この場で怒りにま  
かせて抜刀したところで、オロチの思うつぼだ。  
 やはり最初にお竜のいった通り、近くまでコッパが来ているのだ。逃げればよい。なに  
より逃げの一手は、風来人の十八番ではないか。  
 
 ……そのはずだった。  
 だが、逃げ出したシレンの首を一本の飛び縄のような白蛇が追うと、あっという間に追  
いつきグルリと絞めあげてしまう。  
 今度は、抜き打つ暇すらなかった。  
 
「う、ぐっ」  
 
 シレンが首に巻き付いたペタペタと冷たい感触の蛇を振りほどこうと力を込めるが、お  
竜の時と同じく、びくともしない。  
 その場につんのめって倒れ、ずるずると後方へ引きずられていく。  
 先には獲物を待ちかまえ、舌をなめずる女がいる。  
 
「ふふ……逃がしゃしないよ」  
 
 笑うお竜は、かざす掌からいずる白蛇を巻き取るかのように引き戻していった。  
 首ごと引きずられてシレンが深くうめくが、容赦せずにどんどん自分の方へと転がし寄  
せると、そこでアスカが近寄ってきた。  
 アスカは例の、ぞっとするような笑みを浮かべながら、首を絞められ文字通り息が絶え  
絶えとなっているシレンの顔を覗き込む。  
 
「どうだ、気分は?」  
「け……最高だぜ」  
「そいつはよかった。だが、このあとはもっと良い気分にさせてやる。俺の目を見ろ」  
 
 いうやいなや、アスカの瞳がかっと朱く瞬いた。  
 それは一瞬のことで、目をそらすことができなかったシレンの脳髄を、串刺しにしてし  
まうような感覚が襲っていく。  
 さらに強烈な眠気が支配し、まぶたも鉄のように重くなって口がぼんやりと半開きにな  
る。  
 意識が混濁していく。  
 妖術だろう。  
 だが、そう感づいた時には遅い。  
 
「あ、う……」  
「くっくっ。これから精を吸い尽くして、最後に魂を喰らってやる。女たらしのお前にゃ  
似合いの死に方だろう。……お竜!」  
 
 アスカに促されるお竜が、呼吸困難となって地に転がり伏すシレンを片腕で引っ張り上  
げると、それからのたうつ白蛇が邪魔にならぬよう、器用に腕を使って羽交い締めにして  
しまった。  
 十字架に張り付けられたような格好になったシレンに、アスカがじわじわ寄った。  
 だが、その時。  
 
「……ちょいとお待ちなせぇ」  
「誰だっ!?」  
 
 虚空から、月光の反射がギラリと輝いた。  
 それが一閃。  
 斬ッ、斬ッ、とシレンを縛める白蛇を切って落とすと、突風のように現れた猫背の男が  
アスカとお竜の間に割って入った。  
 さらにシレンを体当たりで突き飛ばす。  
 
 そして彼が転んだ先に、腰に差していた一振りの剣を抜いてシレンの真横めがけて投げ  
刺せば、衝撃で妖術が解けたのであろう。シレンはハッと眼を開けるとバネのように跳ね  
起きた。  
 と、横の剣を引き抜いて後ろに飛び下がる。  
 合わせて猫背の男も、アスカとお竜から距離を取るべく一気に飛び下がる。  
 男が口を開いた。  
 
「間に合って良かった、大丈夫ですかい」  
「そのしゃがれ声……ケチか! どうやら助けられたみてえだな。お前もお竜の仲間か」  
「ええ。さ、はやく逃げてくだせえ! 姐さんがやられた様じゃ、あっしじゃ大した時間  
もかせげねえ」  
「バカ言え。そこまでコッパも来てるんだろう?」  
「そうですがね」  
「だったら、それまで持ち応えるぞ」  
「そんな! くそ。あっしゃ責任もちませんぜ」  
「構うこた、ねえッ」  
 
 と、シレンは今しがた引き抜いた剣を振るい、襲い来たアスカの斬撃を払いつつ、叫ん  
だ。  
 ぎゃんっ、と鋭い音がして、力負けしたアスカの忌火起が跳ね返される。  
 ケチのくれた剣はすこぶる調子が良いようだ。  
 刀身が緑色をした大太刀である。  
 
「それもそのはずよ、ドラゴンキラーじゃねえか。こりゃいい」  
「ち。あと一歩ってとこで……」  
「てめえのあと一歩は、一の字に上から一筆加わってんだよッ!!」  
 
 シレンは時折襲い来る、白蛇をドラゴンキラーで払いつつアスカにせまる。  
 名の通り、ドラゴン系の魔物や爬虫類に対し絶大な威力を発揮する剣だから、オロチに  
憑かれた相手にも相当有効なようだった。  
 ちょっと振ってやれば、白蛇など簡単に怯むのだ。  
 
 さらに、お竜をケチが食い止めてくれているから、サシでの勝負に集中ができる。  
 ドラゴンキラーでオロチの妖力に対抗手段が講じられた時点で、いくらアスカの体が相  
手であっても、それを操る意識が剣術の覚えも無い元薬売りでは、楽な相手だった。  
 
 一撃、二撃、三撃、四撃。  
 シレンが刀を打ち込むごとに、アスカはどんどん後ろへと追いやられていく。  
 
「どうした」  
「く、くく……っ」  
「焦るなよ、最初に居合いを試した時の勢いでこい。アスカだったら俺の二撃に、一撃は  
平然と返せるはずだぜ。薬売りさんよ」  
 
 と、余裕の出たシレンは挑発をもってさらなる時間稼ぎに挑む。もとよりアスカの中の  
オロチは冷徹な割に激しやすい所のある相手だから、これもまた有効なはずだ。  
 その読みは当たった。  
 
「ほざけッ!!」  
 
 思わぬ形勢逆転をされ頭に血が上ったのか、アスカの打ち込みは、繰返されるに従って  
正確さが失われていき、見るも無惨な太刀筋となってしまう。  
 子供のチャンバラである。  
 こうなってしまえば、もはやシレンの手の内だ。  
 彼は加えられる斬撃すべてを打ち払い、あるいは避け、さばいていった。  
 
 だが、その向こうで戦うケチはそうはいかない。  
 愛用の仕込み杖を振るいつつ、お竜をうまく誘導してシレンから離すことには成功した  
が、もともとは盲目をうそぶいた詐欺で生計をたてていただけのあんま師なのだ。  
 モデルとした座頭市のような戦いなどできるはずもなく、それがテーブルマウンテンを  
渡り歩いた女が相手にしては、防戦一方を余儀なくされていた。  
 
「ちぇっ、あっしも損な役回りばかりでさ!」  
 
 悲鳴を上げながら、それでもケチは逃げ回りつつ時間を稼ぐが、そのうち疲労が出てく  
る。やがて何度目かになるクナイの斬撃をしのいだ時、その生じた一瞬の隙を強烈な一撃  
に襲いかかられた。  
 接近をゆるしたせいで、腹に重い蹴り上げを喰らったのだ。  
 ケチはぶわっと空を舞ってから  
 
「ぐえっ」  
 
 と、地へ仰向けに叩きつけられた。  
 そこへお竜のさらなる追撃が、二撃三撃と加えられていく。が、ケチも殺されてたまる  
かとばかり必死に転がって、紙一重で回避しつづける。  
 その危機をシレンも察知するが、いくら相手が弱ったといってもアスカはアスカだ。追  
い詰める手を休めて、ケチの救助に向かえば後ろからザックリとやられてしまうだろう。  
 どうにもならなかった。  
 
「ケチ!」  
「だ、旦那、気になさらずっ」  
 
 だが、その呼びかけに勇気づけられたのか、ケチはうめきながらも腕に付けていた小手  
で、自分を狙ってきたお竜の突きを跳ね返すと、その勢いで起き上がりざま、足払いを仕  
掛ける。  
 それが成功して、ずでんッ、とお竜が転がった。  
 殺してしまってもいい敵なら、この隙に刃を突き刺すところだが、相手はお竜である。  
 ケチは、彼女に金と少しの色気で雇われていて、さらに親分ともいえるシレンの女でも  
あった。  
 少なくともケチはそう考えている。  
 そんな相手だったから、いくら操られていようとも刃をむけるわけにはいかないのだ。  
 
「畜生、やっぱ損な役回りだ。どうして俺だけいつも……」  
 
 ケチは怨嗟の呪文を唱えつつ、お竜から距離をとる。  
 そして、どうしたものか……と考えあぐねていると、その恨み節にひとつの明瞭な声が  
反応した。  
 
「お待たせさん!! オッサンを連れて来たよっ」  
 
 コッパである。  
 それ自体に力はなくとも、彼は強力の援軍を連れてきていた。  
 
「おお、小旦那っ。待っていやした」  
「コッパか!? じゃ、お竜はやっぱり嘘をいってなかったんだな」  
「おうよシレン! お竜ちゃんがお前の身を案じまくってくれたんだ、そのありがたい援  
護を頂戴しなッ」  
 
 と、攻防に忙しいシレンに明るい声をかけるコッパの横から、白眉も美しい(?)老年の  
男、ガイバラが飛び出してくる。  
 これが援軍の正体だった。  
 
「えい、老体に無理をさせおって……だがワシの新作「蛇封の壺」の威力を見よッ!!」  
 
 ガイバラは「いかーんっ」という、意味不明のかけ声と共に、片手にもっていた小振り  
の壺をアスカめがけて投げつける。  
 が、しょせんは老人の投てきだ。  
 投げつけられた壺は、  
 
「うるさいっ」  
 
 という、抜刀一撃の下、たたき割られ……  
 なかった。  
 
「なにぃっ!?」  
 
 たしかに忌火起に叩きつけられはしたのだが、割れずに跳ね返され、しかも地面に到達  
すると、今度は毬のように跳ねて転がった。  
 土が材料の壺ではないのか?  
 いや、今はそんなことを問うている場合ではない。  
 
 その転がった壺が、だるまのごとく自力で直立したかと思うと、突如ぶわっと光り輝い  
て、辺りを太陽光並の輝度で照らし尽くしていったのだ。  
 壺の周囲はまるで真っ昼間のようである。  
 
 あまりに予測し得なかった自体に、壺を投げた当のガイバラでさえ唖然としていたほど  
だったが、威力の真価はここから発揮されることになる。  
 
 岩場の隙間という隙間から、ひょい、ひょいっ、と大小の蛇だのトカゲだのの爬虫類が  
磁石に引っ張られるかのように飛び出して来、次々に壺の中へぶち込まれていった。  
 
 壺自体のサイズは今書いたように、せいぜい片手に収まる程度のはずだ。  
 が、内部がどうなっているのか、いくら蛇トカゲが押し込まれようとも、はみ出すそぶ  
りも見せない。  
 とにかくガイバラの新作は、壺の周囲にあるものが爬虫類ならば、それがなんであれ強  
引に封印してしまうという、いまいち用途の見あたらない作だったらしい。  
 
 だが、その作用はついにオロチにまで及ぶことになる。  
 
「うわあっ……!」  
 
 そのオロチに憑依されているアスカが、悲鳴をあげた。  
 風も無いのに、四方から強風に吹き付けられるかのごとく髪や衣服がばたつく。  
 しばらく腕を交差し、うずくまって耐えようとしたが、無風の風のあまりの激しさに、  
とうとう、忌火起の刀を取り落としてしまう。  
 
 すると、地面に転がったそれが壺に反応するかのように発光する。  
 そして次の瞬間、刀身から光球のようなものが出でて、やはり蛇トカゲと同じように壺  
の中へ「ズッ」と押し込められていってしまった。  
 光球の正体はむろん、オロチの魂であろう。  
 
 それを証明するように刀を取り落としたアスカが、光球が封印されると同時に、その場  
へ気を失って倒れ伏した。  
 さらに横へ目を移せば、やや遠場でケチと対峙していたお竜も同様であった。  
 
 やがて、辺りの爬虫類という爬虫類を吸い込み尽くしてから、やっと壺の輝きは収まる  
のだった。  
 辺りに静寂と暗闇が戻る。  
 
「な、なんだったんだ……?」  
 
 シレンがいった。  
 壺のせいで、周囲の生態系に支障をきたしはしないか気になるところだが……。ともあ  
れ、ガイバラのおかげで当座の危機は去った、ということになる。  
 これがお竜の打開策だったのだろう。  
 
「こうも都合よくいくのも気持ちわりぃな……しかし、ガイバラのオッサン。おかげで助  
かったぜ。こばみ谷から遠路はるばる悪かった」  
「いや……よ、よいのだ。これで、ワシの作品は世界いかなるところでも、人に有用なこ  
とが証明されたのだからな」  
 
 そういうガイバラは、いつのまにか尻餅をついていた。  
 しかも腰がぬけて立てないようである。  
 ……おそらくは、いつものように、気まぐれで造った作品のなかに蛇封の壺がまぎれて  
いて、それを誰かが見つけ出し、ここまで作者ともども持ってきたのであろう。  
 
 発見者がお竜なのかコッパなのか、はたまたガイバラの弟子達なのかどうかは、誰もあ  
ずかり知らぬ所であるが、少なくとも驚き様を見るに、本人でないのは確かだ。  
 なぜなら、この男は初めて見た壺なら、一度は使った上で投げて割ってみないと気が済  
まないという変わった性癖があるからだった。  
 
 そう考えると、なぜお竜かケチに壺を持たせるので無く、作者が持参してきたのかも解  
る。  
 投げたがったに違いない。  
 ……ともあれ、一件落着だ。  
 シレンはふうっと一息はくと、ドラゴンキラーをケチに返却しながら、どこかで取りこ  
ぼしていた自分の刀を拾いにいった。  
 その傍らに、いつものごとくコッパがまとわりつきはじめる。  
 
「いつものことながら危機一髪だったなあ、シレン!」  
「うるせぇな。しかし、お竜もアスカも倒れたまんまだぞ」  
「ああ。放っておくわけにもいかないよな、今晩はここに泊まっていこうぜ」  
「気は乗らねえが……しかたないか」  
 
 もう忘れられているが、ガイバラも長旅で疲労している。ここはこばみ谷からは、ずい  
ぶんと離れた土地なのだ。  
 体を休めることが先決であろう。  
 
「ところで」  
 
 と、シレンがオロチ入りの壺を指していった。  
 
「これ、どうすんだ?」  
「ああそれは……もう一人の援軍が」  
 
 シレンの問いに応えるケチが、今まで自分がやってきた方角に目を向けようとすると、  
ちょうどそこに何かがいる。  
 暗闇でよくみえないが、大きな長方形をしたものがじわじわと移動してくるのだ。  
 誰かが持っているのか?  
 
 最初は解らなかったが、近づいてくるにつれ、自力で移動していたことが発覚する。  
 さらに近づけば長方形の物体は、ばかでかいタンスであることも理解できた。  
 それが地上からわずかに浮遊して、ふよふよと寄ってくる。  
 
 歩くタンス。  
 冗談のような話だったが、そんな代物を、シレンはたったひとつだけ知っていた。  
 
「あ、おまえは……マーモじゃねえか」  
 
 喋って歩く、神の宿りしタンスである。  
 いわゆる九十九神の一種であって、シレンとの出会いは彼が幼少だったころにまで遡る  
ことができ、長いつきあいなのだ。  
 そのマーモがシレンの目の前までくると、どこからか「やあシレン」と素っ頓狂な音の  
声を出した。  
 
「イルパ以来かな? 今度は覚えていてくれたね」  
「ああ。もしかしてお前さんも来たってえのは」  
 
 シレンは、ちらりと壺の方を見てから、またマーモを見ていった。  
 
「そう。倒しても甦る難儀な魔物がいるって聞いたんでね、ま、しばらくは僕の中に「お  
さめて」おこうと、助太刀に来たのさ」  
「んなことして、おまえは大丈夫なのか」  
「神様の力をあなどっちゃいけないね」  
 
 そして、そんな会話をやりとりした後、マーモにオロチ入りの壺を封印してもらうと、  
シレンの一行は適当な岩穴を選んで野宿をすることにした。  
 引き返して例の宿を使ってもよかったが、襲撃されたところに戻るというのは、さしも  
のシレンも気が向かなかったようだ。  
 
 代わりに、大人が数人入っても悠々としている、小洞穴のような岩穴を見つけ、そこへ  
倒れたままのアスカとお竜をかつぎいれる。  
 と、一行はそれぞれ横になって休息の時間に入るのだった。  
 
「さて、もう眠ろうぜ。おいら疲れたよ……」  
 
 
・・・  
 
 
 やがて、一夜が明けた。  
 シレンはそのなかで一番に目覚めたと思ったのだが、ふと見ればアスカがいない。  
 
「まさか」  
 
 嫌な予感がして岩穴を飛び出してみたが、その目には朝日と共に桃色のなびく髪が飛び  
込んできた。  
 どうやら、杞憂だったようだ  
 
「よう、おはようさんアスカ。ぐっすり眠れたか」  
「ああシレン……」  
 
 シレンの声にアスカはふと振り向くが、なにやらモヤモヤした顔になると、また顔を戻  
してしまった。  
 
「どうした?」  
「いや。今まで殺めてしまった命に、黙祷をしていたの」  
「そうか」  
「シレン。私を止めてくれてありがとう」  
 
 背きながら喋るアスカだったが、シレンはふと、その言葉遣いに違和感を覚える。  
 
(いつもの武家言葉はどうしたんだ)  
 
 そう思って黙っていたら、疑惑に感づかれたのか。  
 アスカは答えを独白するかのように語り出した。  
 
「今回の不覚は、すべて私が未熟だったことによるもの。今まで、身も心もいっぱしの剣  
士のつもりでいたけれど、それはとんだ勘違いだった。だからシレン」  
 
 と、そこでアスカは完全にシレンへ振り向き直って、言葉を紡いだ。  
 
「私は、すべて一から修行し直すことにした」  
 
 言葉と共に、朝風が一陣かけぬけて桃色の髪を流していった。  
 それを見るシレンは、寝癖が残った髪をくしゃくしゃかきみだすと、一間置いていう。  
 
「ああ。止めやしねえさ、お前さんがそう言うならな」  
「……いつかまた会いましょう。その時は、今度こそ一流の剣士として、あなたの力にな  
ってみせる」  
 
 そういうアスカの姿は、すでに身支度ととのえられていて、いますぐにでも旅立てる状  
態だった。  
 腰にはかつて忌火起と呼ばれオロチの魂を宿していた、小刀に直されたマンジカブラが  
一振りある。  
 いま、謝罪の心を多くの言葉で表してから失せるより、いつか行動で示そうというのだろう。  
 およそ女らしくないが、アスカらしいといえば、アスカらしい。  
 それがシレンには解ったから、  
 
「期待してるぜ」  
 
 と、一言いって彼は自分から先に背を向けると、すでに背後には気配がなかった。  
 そして穴蔵に戻る。  
 中ではほとんどの人間がまだ眠りこけていたが、独り、腕組みをしながら岩肌にもたれ  
かかっている女がいた。  
 お竜だ。  
 なにやら怒っているようで、形のいい眉が少々天の方向を向いている。  
 
「おはよ」  
「ああ、おはよう」  
「シレン……今回、あたしは助けてもらったの、感謝しないから」  
「あん?」  
「あたしが来なきゃ、あんた今頃は骸になって転がってんだからね!」  
「……ああ、わかった。わかったよ。むしろ俺が感謝してるって」  
 
 こちらの方は、じつに女らしい。  
 一節によれば彼女は、かつてどこかの国の「忍び」だったらしいが、この性格をみるに  
とても信じる気にはなれまい。  
 
「さて……これからどうする? 俺は気の向くままに歩いていくが」  
「じゃ、あたしも少しの間ついていくよ。路銀が少ないから」  
「俺もないんだが」  
「黙ンな」  
 
 そんなやりとりを、寝っ転がったまま半目を開けてみているコッパが居た。  
 
(もてる男は大変だねぇ……この先はあれだ、きっと前世からの恋人なんですなんて詐欺  
女も出てくるぞ。ま、それを見るのもおもしろくて、コイツと旅するんだけど)  
 
 そんな事を想いながら、語りイタチはいますこしのまどろみに身を任せるのだった。  
 
 
(完)  
 

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