蓮の具合が悪くなったと松島主任より聞かされて、キョーコは彼の元へ走った。
ラブミー部員の仕事だと命令された途端、キョーコは敦賀蓮のスケジュールも聞かずに事務所を飛び出していた。
運良く玄関前で、社と一緒にいるところを捕まえて、看病を申し出た。
蓮は困ったようにしていたが、キョーコの意気込みに、ご飯を食べたいと言ってくれた。
天下の敦賀蓮をお店の中で連れ回すわけにもいかないと、一人要領良く買い物を済ませ、駐車場でひっそり(?)
待つポルシェの中へ戻った。
「仲良く二人で一緒に買い物すれば良かったのに〜」
きらきらと瞳を輝かせる社に、キョーコは憤慨した。
「敦賀さんは病気なんですよ? 絶対安静です! 車だって運転しちゃ駄目なんです!」
運転の出来ない社はしゅんとなったが、しばらくすると運転席の蓮と後部座席のキョーコを交互に見遣り
楽しそうな笑顔に戻っていた。
蓮のマンションで三人で鍋を食べ、やがて社が何故かにやにやしながら自分のアパートへと帰っていった。
その直後キョーコは、顔を赤くし眉根を顰めた蓮が、自分をだるまやまで送り届けると申し出たことに拳を握り締めた。
「信じられませんっ。何が送っていくんですか。具合悪化していますね? 顔が熱いですよ。
やっぱり無理してたんですね。私のことはいいですから、あとは眠っててください!」
偉そうな態度だと思いながら、大の男の腕をがっしりと掴み、ベッドルームへ押し込む。
氷嚢や氷枕を用意して寝かしつけると、ゲストルームへ戻りかけて、寂しそうな瞳の蓮に声を掛けた。
「何かあったらすぐに呼んで下さいね、遠慮なんてしちゃ駄目ですよ」
「あー、目まぐるしかった」
実際はそんなに疲れもないのだが、キョーコはいつになく緊張していた。
ただ今日は何故か弱気な瞳を向ける蓮に、心が重くなったのだ。
「馬鹿キョーコ。敦賀さんは具合が悪いんだから、心細くなるに決まっているじゃない」
キョーコはラブミー部員のつなぎを脱いで、蓮から借りたパジャマに腕を通した。
体格差を考えれば当然だったが、上着だけでミニワンピースになってしまう。
ズボンも辛うじて、お尻で引っかかっている程度だ。
「きょ、今日一日だし、へ、部屋別だし。でも後で洗って返すとして、一度私が着てしまって嫌かもしれないな。
別のパジャマを私のお給料で買えるかしら」
肌触りの良い生地に、キョーコは果たして値札にゼロはいくつつくのと青ざめた。
連日のオーディション通いでさすがに疲労があったのか、ベッドに入るなり、
心にのしかかっていた緊張も忘れて眠りについた。
夢さえ見ない深い眠りだった。
しかし、キョーコは寝苦しさに突然目を覚ました。おそらく真夜中になっている。
(お、重い。まさか敦賀さんのマンションで子泣き爺?!)
一体何なのとおぼろげだった感覚を研ぎ澄ましていくと、
自分とは違う温かい体温が、胸の下にあった。さらさらとした髪の毛が、腕をくすぐる。
(か、髪、髪の毛?!)
毛布を跳ね除けて、キョーコは固まった。
蓮がパジャマのボタンを全開にして、間近で眠っていた。
(どどどどど、どういうこと? あ、新たな嫌がらせ? いいえまさか。敦賀さんは大魔王になろうとも、
どんな意地悪をしようとしても、どこまでも紳士な人だもの、こんなことは……多分、熱のせいで朦朧としているのね)
「敦賀、さん?」
起こそうとそぉっと声を掛けるが、蓮は「んん」とむずがるようにして頭を振った。
「こ、子供みたい……きっと、起こしても熱があるからあんまり身動きできないかも。私が敦賀さんを
抱っこできるわけないし。どうしよう。……あ。何だそうよ」
自分がゲストルームを出ればいいのだと思いついたキョーコはさっそく、ベッドから這いずり出ようとした。
「え。あ。…やだ。つ、敦賀さーん、は離してくださーい」
キョーコはしっかりと抱きつかれて抜け出すどころか、ズボンが半分脱げる形になってしまった。
白いショーツが丸出しだ。
(や、ななななんてこと! い、今起こしてしまえば、し、下着を直視される! 確実に)
恥を捨て下着を見られるか、朝まで抱き枕状態で耐えうるか、キョーコは半笑いになった。
しかも、蓮は自分の胸元で眠っている。
(あ、ありえないわ。この体勢で朝までだなんて)
一時の恥だからと前者の選択をしようとして、キョーコは蓮の耳元に唇を寄せた。
「敦賀さ」
「……キョーコちゃん」
「ふぇ?」
自分が呼ばれたのかと返事をしかけたが、首を傾げる。
「なんだ敦賀さん、……また『キョーコちゃん』と私を間違えているんですね。だから」
今必死になって彼が自分にしがみ付いているのは同名の『キョーコ』を思ってのことだ。
(きっと敦賀さんの好きな高校生は、『キョーコ』さんなのね。年齢どころか、名前まで一緒なんて。
敦賀さんが時々、私といると怒ったり、そわそわしているのって、自分の想い人と共通するところがあって居づらかったんだ
……そりゃそうよね、敦賀さんの好きな人だから雲泥の違いだわ、居づらいを通り越してムカついてたのかも)
ツキンと響いた胸の痛みを無視して、キョーコは穏やかに眠る蓮を見つめた。
(大丈夫。私は『恋』なんてしない。お願いですから、ちゃんとした添い寝は『キョーコ』さんに頼んでくださいね。
まあ、明日はオーディションもないし、学校も休みだし。寝不足ぐらい平気よ。どうせ敦賀さんは私が隣に寝ていても
小さな子供と一緒に眠っているのと同じ感覚だろうし。まずは敦賀さんにはたくさんの休息が必要だわ)
蓮の頭をぽんぽんと撫でて、キョーコは深呼吸を繰り返して毛布を掛け直した。
「ん?」
まだ薄暗い中で、蓮は甘くて柔らかい肌の感触に目覚めた。
「なん、だ」
毛布の中で視界が遮られていたが、見慣れぬ小さな膨らみが目の前にある。
ぼんやりとする意識で、熱があったこと、キョーコが看病のために夕食を作ったこと、そしてゲストルームに
彼女が泊まっていることを思い出し、まさかと毛布を押しのけた。
そこには、丸まったキョーコがすやすやと眠っていた。
自分もちゃっかりと少女の身体を抱きしめているのだが、キョーコの手も蓮の頭を抱きかかえているのには心臓が跳ね上がった。
無意識の抱擁。
加えてよくよく見ると、蓮のパジャマが大きすぎたか、ズボンが脱げて寝乱れている。
(待て。俺、……何かしたか?)
彼女の胸に顔を埋めるような体勢に、表情が固まる。
「最上、さん?」
悲鳴を上げられたら、彼女との関係もこれで終わりだなと恐る恐る名前を呼ぶ。
「あ、敦賀さん? 起きられて……はっ!? や、やだ、ごごごごごめんなさい!」
蓮の体勢よりも、自分自身の手のやり場に少女は驚いたようだ。
「すぐに出て行きますから、ってあ、敦賀さん! 目を瞑ってくださいっ!」
キョーコはパジャマの裾を引き下げた。
「そのまま。そのままですよ」
蓮の腕の中から飛び出し、落ちていたズボンを穿き、クローゼットに掛けておいたつなぎを引っ張り出す。
「ご、ご飯を作りますから、敦賀さんはまだ眠っててください」
目を開けた蓮は、つなぎを手にしたキョーコを見てそっとため息を漏らした。
「……着替えるのか」
「え」
「いや、ありがとう。最上さんにはいつも面倒を掛けているね」
「そんな。私は。敦賀さんに元気になってもらいたいだけです」
『先輩』としてなんだろうけどと蓮は苦笑したが、彼女に気取られることはなかった。
「朝御飯楽しみにしているよ」
「はい。まかせてください」
朝日の下で微笑む少女に、蓮は最高の笑顔を返した。