【蓮キョ的新婚生活】
朝、目覚めると、隣には誰もいなかった。
わずかに残る温もりが、そこに確かに眠っていた証。
「……ん」
蓮は確かめるようにシーツに擦り寄った。
共演者のリテイク続きで撮影がなかなか終わらず、帰宅したのは深夜。
いくら体力に自信があっても連日のようにこれが続けば身体が悲鳴を上げる。
蓮の体調を考慮して、マネージャーの社がスケジュール調整を行い、まとまったオフを入れることができた。
明日からはのんびり過ごせる。
そう思った途端に、身体から緊張が抜けた。
自ら車を運転し、マネージャーを家に送り届けてからようやく帰宅。
キーを通して玄関のロックを解除し、まっ先に向かったのは寝室だった。
上着を脱ぎ捨て、窮屈なネクタイを緩めながら、ベッドの傍へ歩み寄る。
そこには既に帰宅して眠っていたキョーコがいた。
「ただいま」
声をかけても返事は微かな寝息だけ。
キョーコはまるで幼い子供のように、ベッドにうつ伏せで眠っている。
蓮は、何をすることもなくただずっと寝顔を見つめていた。
それから、どのくらい経ったのか分からない。
気が付けば、蓮はベッドの中でキョーコを抱きしめるようにして眠っていた。
朝、枕元に置いていた携帯のアラームが鳴る。
昨日の仕事の疲れが抜けないまま目覚めたキョーコは、隣で蓮が眠っているのに気が付いた。
珍しく着替えもせずにそのままベッドで眠っていた事に少しだけ驚いた。
「おかえりなさい」
声をかけても返事はない。
よほど疲れているのだろう。
前髪をかきあげて、キョーコは蓮の額にキスをした。
「お疲れ様でした」
いい子いい子をするように頭を撫でると、蓮が少し身動ぐ。
キョーコはそっとベッドを抜け出し、傍に上着が脱ぎ捨ててあった上着を拾って寝室を後にした。
身支度を整えて、キョーコはキッチンに立つ。
慣れた手際で、朝食の準備を始めた。
疲労感は抜けないけれど、お料理の日課だけは欠かさない。
今日は日曜日。
カウンターの上に置いた小さなスタンドカレンダーに細かく書かれたスケジュールを確認して、頭の中で1日の流れを組み立てる。
面倒なように思えるけれど、実はキョーコの楽しみのひとつでもある。
朝食の下準備を終えてから、ようやく一息つく。
蜂蜜入りホットミルクのマグカップを片手に、ひとりだけの時間を過ごした。
「あ、暇なうちにお洗濯しなきゃ」
と、独り言。
返事は無くても、仕切りを隔てた同じ空間の中に誰かがいると、寂しくはない。
もう少しで、独り言が二人言になるから。
一通りの日課をこなした後、マンションの玄関フロアのポストに溜まったダイレクトメールを管理人から受け取った。
仕事柄、なかなか郵便物のチェックが出来ないので、あらかじめ頼んでおいたのだ。
健康グッツや新店舗オープンの知らせなど、様々な郵便物の中に、キョーコの目を惹きつけるものがあった。
手にしたのは女性向けファッション通販のダイレクトメール。
別に洋服が気になって手にしたわけではない。
受取人の名前が、唯一『敦賀キョーコ様』宛になっていたからだ。
他はほとんど旧姓の最上キョーコ宛なのに。
些細な事で実感する。
蓮と結婚したという現実を。
蓮と結婚して3ヶ月目。
結婚以前と変わらない多忙な生活を続けながら、キョーコはある事を考えていた。
「大丈夫よ、私。今日こそちゃんと言わなくちゃ」
考え事をしているうちに、気が付けば時間はもう昼。
キョーコはキッチンで下準備していた朝食を用意していた。
間もなくして、リビングのドアが開く。
「おはようございます」
キョーコが声をかけると、蓮は何だか申し訳なさそうに、返事をした。
「…おはよう」
「もうすぐ朝食出来ますから待ってて下さいね」
キョーコには分かっていた。
蓮は仕事で疲れているはずのキョーコに朝食を作らせるのを申し訳なく思っている。
自分は好きで作っているのだからあまり気にしないで欲しいと言ったけど、やはりまだ気が退けているらしい。
「あ、今気づきました。これって私と敦賀さんの朝食なんですけど、本当はもう昼食なんですよね」
「ふふっ。何を言い出すのかと思ったら」
キョーコが真顔で言うと蓮は逆に笑ってしまう。
「でも業界用語では夜でもおはようございますって使いますし、私達には昼でも朝食で通じそうだと思いません?」
「どうだろう?でも、まぁ、そんな事を考えているのは業界人の中でもきっとキョーコだけだよ」
他愛もない会話をする日曜日の昼下がり。
遅めの朝食を夫婦で仲良く向かい合って食べた。
正直、蓮もキョーコも結婚の意味を深くは知らなかった。
すれ違いの多い生活の中で、いかに相手と繋がっていれるかを考えた時、自然と結婚へ結び付いたのだ。
キョーコが17歳の時に付き合い始めて、20歳で結婚。
世間や仕事上の付き合いがある人達からは、急ぎ足な結婚と言われてしまった。
だけど、蓮もキョーコも、そんな風には思っていない。
互いに傍にいれる理想のスタイルを結婚という形にしただけだ。
キョーコはそっと蓮の腕にしがみつき、頬を押し付けてしきりに甘えるような仕草をする。
「どうかなさいましたか?お姫様」
珍しく自主的に甘えたキョーコに、蓮は少し動揺していた。
そっと身体を抱き寄せて、額を合わせる。
「……キス」
首筋に回されたキョーコの腕が、蓮を引き寄せた。
唇が重なり、吐息を封じる。
「…んっ、ん…」
絡み合う舌の感触が、下肢を熱くする。
じわりと漏れ出すような疼きに、キョーコは躊躇いがちに身体を放した。
「……ダメ」
「今更それは聞けないね」
蓮は意地悪な笑みを浮かべて、キョーコをその場に押し倒した。
水色のブラウズのボタンを右手で器用に外し、あいた左手でキョーコの片足を抱え上げる。
「ん、…やっ」
露になった胸元の肌をきつく吸い、キスマークを無数に散らす。
「キョーコ」
「はぁっ……ん、ぁあ」
夢中になって身体をまさぐる蓮に、なす術なくされるがままの状態になった。
閉じれない脚の間に、割り込む蓮の身体。
自由を奪われたキョーコは、生暖かい舌の感触に震えた。
「あ、ぁ…んんっ、だめっ…れ…ん…」
蓮の指が、下着越しにキョーコの一番弱い部分を捕らえた。
くりくりと円を描くように触れられると、反射的に声が漏れる。
それと同時に、下着が湿った。
「すごく濡れてる」
わざとらしく口にする辺りが曲者らしい。
蓮はキョーコの下着越しに執拗に愛撫を施す。
反応を見ながら、小刻みに指を動かすと、小さな身体がビクビクと跳ね上がった。
「ひっ、やっあぁ」
唇を何度もキスで塞ぎ、蓮はキョーコの身体をぐっと組み敷いた。
直接的な愛撫を施す必要もないほどに、キョーコは濡れていた。
下着を脱がされ、割れ目に蓮の長い指がズルッと挿入される。
抵抗もなく異物を飲み込む肉襞が、まるで未知の世界へ誘っているかのようだった。
「……もういい?」
息を飲んでまじまじと蓮が尋ねると、キョーコは困ったような表情を浮かべて首を横に振る。
「…ごめんなさい。き…今日は……しちゃダメ」
キョーコは恥ずかしさを堪えて、自ら割れ目に挿入された指を抜いた。
指が離れても、透明の糸が引いて見るからになまめかしい。
いきなりおあずけ状態になった蓮は、キョーコのする次の行動を待った。
「……蓮」
キョーコは目を閉じて、先ほどまで自らの身体に愛撫を施していた指を口に含んだ。
「っ…キョーコ?」
したたる透明の滴を丁寧に舌で舐め取る。
その行為に蓮は激しく動揺した。
控え目なキョーコの想定外の行動。
それはますますエスカレートした。
「あの…ね。私、ちょっと変なの……」
「…えっ?」
頬を真っ赤に染めたキョーコは、何を思ったのか、急に起き上がり、蓮の身体を横に倒した。
上に跨がる体制で、唇を重ねてくる。
「…ん、…ふっ」
蓮は目をまるくしてキョーコを見守るしかなかった。
初めてただ快感を与えられる側になったせいか、どんな表情をしていればいいのかよく分からない。
「私、こういう時しかまだ敦賀さんの事、名前で呼べないけど……ちゃんと好きなんです」
「分かってるよ」
「結婚して、本当に幸せなんです」
「幸せなのは俺もだよ」
キョーコが言わんとする事は、何なのか。
蓮には全く予想がつかなかった。
「でも、新婚さんって一体どうすれば良いのか分からないんです。…違う、私が言いたいのは……」
「キョーコ?」
蓮のシャツをぎゅつと握り、キョーコはしきりに唇を噛み締める。
「……私が言いたいのは」
一生懸命に伝えようとする様子に、ただ事ではないと察した蓮は、その場から起き上がった。
「……私、これからしばらくお仕事を……お休みするって…事なんです」
突然の告白に、蓮は思わずキョーコの顔を覗きこんだ。
目を閉じているキョーコには蓮がどんな表情をしているかは分からない。
言葉だけが頼りだった。
「休むって、まさか結婚したから?」
幼い頃から好きな相手には尽くすタイプのキョーコなら、いつか「専業主婦になります」と言い出すのではないかとは考えていた蓮だったが、蓮自身はそんな事を望んではいない。
キョーコが初めて自分自身の意思でやると決めた役者「京子」を大切にしてほしいし、仕事はを結婚しても続けて欲しいと思っていた。
「キョーコ、家の事なら分担制にすればいいし、食事なら外で食べても大丈夫だから」
蓮は今朝の事を思い出していた。
同じように疲れて帰宅したのに、キョーコは朝起きて蓮の為に朝食の準備をしていた。
それはずっと申し訳ないと思っていたので家事が負担ならやめて構わないと言ったが、キョーコは否定した。
「……外食生活はダメです。ただでさえ偏食なのにこれ以上バランスの悪い食生活はさせられません。…それに、私、お料理は大好ききですから全然大変じゃありません」
キョーコは蓮の胸に顔を埋め、再び朝食後の巻き戻ったように甘え始めた。
何か言いたいのは分かるのだか、何を言いたいのかは全く分からない。
「じゃあ、どうして仕事を休むなんて言い出すんだ?」
純粋な蓮の疑問に、キョーコはゆっくりと答えた。
「敦賀さん、何を聞いても絶対怒らないで聞いてくれますか?」
「あぁ」
「絶対ですよ。約束して下さいね」
「大丈夫、約束する」
まだ聞いてもいないうちから何を約束するのだろうと思いつつ、真剣に念を押すキョーコの手前、ここは約束するしかない。
蓮が頷いたのを確認して、キョーコはようやく言い出せなかった事を話してくれた。
「……デキちゃったんです」
「え?」
流石の蓮も、何がデキたのかと聞き返すほど鈍くはなかった。
思いもしなかった告白に、安堵と同時に何とも言い難い感覚が全身を駆け巡る。
あまりにも反応が薄くて心配になったキョーコは蓮の表情を確めたくてこっそりと見上げた。
「ただでさえ急ぎ足の結婚って言われてるのに、新婚早々妊娠なんて……やっぱり嫌ですか?」
初めて知った。
どうやらキョーコはこれが不安で言い出せなかったらしい。
聞けば、妊娠した事実をどう切り出せばいいのか迷っていたのだという。
そんな理由ならいきなりおあずけ食らったわけも理解出来た。
「…驚いた、けど嬉しいよ。大切な家族が増えるのに嫌なわけないだろう」
沸き上がる感動に、キョーコの身体を抱き締めて新しい命の感覚を探る。
まだ全く兆しのないお腹の中に、自分の子供がいるという不思議な現実に、蓮は戸惑いと喜びを感じていた。
気になる事は、なぜキョーコが妊娠を告げたら「怒る」と思っていたのか、だ。
その疑問はキョーコの生い立ちの中にあった。
「私、母親にとって『全く価値のない子供』でした。だからずっと心の中で生まれてきて本当に良かったのかなって考えたんです。私は敦賀さんの子供を妊娠して嬉しいけど私と同じくらい敦賀さんは喜んでくれるかなって考えたらどうしても普通に言い出せせなくて…」
親に愛された記憶が無いというのは、想像する以上に深い傷を心に残す。
その傷が膿むことなく子供の親になれる人もいれば、親になるにあたって不安から傷が膿む人もいる。
キョーコの心の傷は、蓄積した不安から膿んでいた。
「何も心配しなくていい。俺はちゃんとキョーコと同じくらい生まれてくる子供を愛せるよ」
蓮の言葉に、キョーコはようやく笑顔をみせた。
素直に子供の誕生を喜べる安堵から、すっかり気が抜けてしまったようだ。
蓮にもたれるように身体を預け、右手をお腹の上にそっと重ねる。
「来年の今頃には敦賀さんパパですよ」
「そうだね。パパになる来年の今頃にはママには名前で呼んでもらえればいいな」