「おつかれー」  
「おつかれさまでした」  
 
撮影が終わり、蓮は社と並んでスタッフと挨拶を交わす。  
ふぅ、と息をついて腕時計を確認した。  
 
――今日はキョーコと夕食を取れそうだ。  
 
もともと食するという行為にこだわりはない。  
今もそれは変わらないが、彼女と取る食事だけは「美味しい」と思える。  
こんな風に思うようになった自分に驚き、蓮はそっと苦笑した。  
 
いつだったかそのことを伝えると、キョーコは頬をほんのり染めて、嬉しい、と呟いた。  
そのときの顔を思い出し頬がゆるむ。  
 
すると手にしていた上着の中で携帯電話が鳴った。  
取り出して着信画面を確認するとキョーコの名前。  
心臓が温かくなりそしてわずかに跳ねるのを感じ、蓮はボタンを押した。  
 
「もしもし」  
『…つるがさん』  
「今仕事終わったからこれから帰るよ」  
『あ、あのっ』  
「……どうした?なにかあった?」  
 
動揺しているキョーコの声に焦る。  
何か非常事態でも?  
以前ストーカーに襲われたことを思い出して、思わず蓮の声が高くなり、隣りにいた社が驚くのがわかった。  
 
『いえ、そうじゃないんです、なにもないです、けど…』  
 
キョーコは口ごもってそれっきり黙った。  
 
「どうしたんだ?黙ってちゃわからないよ。今どこ?外なら迎えに行くから」  
『あっ、あの、いえ……ごめんなさい…』  
「ごめんって?」  
『怒らないで、敦賀さん…私…帰れません…』  
「帰れないって…?仕事?」  
『いえ…』  
「琴南さんのところにでも行くの?」  
『違うんです…やだどうしよう……ほんとにごめんなさい…帰れないんです…っ…ご、ごめんなさい!』  
 
搾り出すように言った謝罪を最後に電話は切れて、蓮はただ呆然と携帯電話を眺めた。  
 
その蓮の数階上、つまり同じ建物、テレビ局の廊下。  
 
これ以上は話せない、そう思って慌てて携帯電話を閉じて、キョーコはその場にしゃがみこんでしまった。  
 
「うう…どうしよう、敦賀さん今ごろきっと怒って……っくしゅん!!」  
 
帰れない理由はこれ、つまり風邪。  
 
どこからか風邪菌を頂戴してしまったキョーコは多忙な蓮に移すわけにもいかず、  
しかし一緒に住んでいる以上、共に時間と場所を共有していれば移らないほうが無理というもの。  
 
だが正直に理由を告げても蓮はおそらく、いや絶対に「構わない」と言うだろう。  
適当に嘘をつけばいいのだろうがキョーコは嘘がつけない。  
おまけに蓮は鋭いから即バレる。  
 
とはいえ蓮が今の電話で納得したとは到底思えず、  
 
「これなら下手でも嘘を選ぶべきだったかも…」  
 
キョーコはブツブツ呟きながら廊下を歩いていたが、最重要事項にようやく気付いて足を止めた。  
 
「どこに泊まったらいいんだろう…」  
 
――モー子さんにも風邪を移すわけにもいかないし…だるま屋のふたりだって身体大切にしてもらわないと…  
 
指折り心当たりを考えようにも、そこで終わる。  
選択肢の少なさに心もとなくなって、急に淋しく弱気になってきた。  
 
「私…敦賀さんを失ったら、帰る場所がないんだわ…」  
 
もう一度大きなくしゃみを派手にして、人気のない廊下の壁にもたれたキョーコは、  
ずるずるとしゃがみこんで、膝を抱えて頭を埋めてうずくまった。  
 
「つるがさぁぁぁん…」  
「呼んだ?」  
「ふえ?」  
 
頭上からさっき聞いたばかりの耳慣れた声がして、驚いて顔をあげた。  
唖然とするキョーコの腕を取って立たせ、蓮はそのまま引きずるように引っ張っていく。  
 
「ほら、帰るよ」  
「え?え?…あ、あのっ、待ってください!私、さっきも言いましたけど」  
「帰れないんだろう?わかったから帰るよ」  
「ちょっ、ちょっと敦賀さんっ!おっしゃってることがメチャクチャです!」  
「わかったわかった」  
 
駐車場まで連れて行かれ、車に押し込まれるときに社さんが手を振っているのが目に入った。  
口の動きは、ガンバッテ、と言っていて、キョーコは小さく悲鳴をあげた。  
 
帰るなりベッドの上に放り投げられ、いきなり蓮はいきなりキョーコに覆いかぶさってきた。  
 
「つ、つるがさん、待ってっ」  
 
自分の声も聞こえていないかのように激しくかき抱き首筋に吸い付いてくる蓮にキョーコは焦る。  
怒っているわけではない、それはわかっていた。  
なのにどうしてこんなに貪るように強く組み敷かれているのか…  
 
蓮の表情がわずかながらに苦悶を匂わせているのがちらりと見えて、  
キョーコは荒々しく扱われている自分よりも蓮のことが心配になってきた。  
 
「ちょっとつるがさ…あ…はっ…――っくちゅ!!」  
 
あまりに間が悪いくしゃみに蓮の動きがぴたりと止まり、ようやく上半身をあげてキョーコの顔を見た。  
 
「ご、ごめんなさい、あの、今朝から風邪気味で…」  
「…そうらしいね。椹さんに聞いた」  
「え?そうなんですか?」  
「あのあと…帰れないって言われたあと、椹さんに電話したんだよ。キョーコの居場所を知りたくて」  
 
なんだ、それですぐ見つかったのか、とキョーコは納得する。  
でも…  
 
「あの、どうして怒ってないんですか?それに…怒ってないのに…こんな…荒々しく……」  
「ごめん…」  
 
蓮はもう一度ごめん、と呟き、キョーコの額にかかっていた髪を優しく戻し乱れた服を整えてやり、  
ベッドの脇に離れて座ってため息をついた。  
 
「敦賀さん?」  
「風邪ひいてるんだろ?乱暴にして悪かったね」  
「いえ、大丈夫です、それより…なにかあったんですか?」  
 
キョーコは隣りにぴったりとくっついて座り、蓮の背中を撫でながら顔を覗き込んだ。  
 
「なにかって…」  
 
蓮は一瞬目を見開いてキョーコを見つめ、それからちょっと頬を染め、拗ねたように目をそらした。  
 
「信じられないな、キョーコはほんとに…」  
「え?私、ですか??」  
「当たり前だろう?!いきなり帰れない、なんて切羽詰った声で…俺はてっきり……」  
「てっきり何ですか??」  
「…っ…キョーコに…捨てられたかと…」  
 
今度はキョーコが驚いて蓮を凝視する番だった。  
 
「捨てる?私が?敦賀さんを、ですか?」  
「そんな何度も確認しないでくれるかな」  
 
一瞬黙ってからプゥッと吹き出して笑い始めたキョーコに、蓮は顔を真っ赤にしてバツが悪そうにする。  
 
「笑わないでほしいな、こっちは真剣なんだから」  
「だって、そんなことあり得ませんよ?ごめんなさい、笑って……ふ…っ…」  
「…そんなに可笑しい?」  
 
こんな情けない顔してる敦賀蓮を見れるのはきっと自分だけ。  
小さな優越感と独占欲に、キョーコの胸は熱くなった。  
 
「敦賀さんのこと、大好きですよ。だから離れるなんてありえません」  
「ほんとに?」  
「本当です」  
 
にっこり微笑まれて、蓮はようやく安心した表情を見せた。  
 
――いつもこの人に守られている、けど…  
 
自分が蓮を守りたい、キョーコの中に初めての感情が灯り、愛しさが募って溢れ出した。  
そっと蓮の両頬を包み、その手を自分に引き寄せてキスをした。  
 
上の唇に軽く触れて離したが、なんとなく足りなくなって、今度は下の唇をちゅうっと吸う。  
ゆっくりと離れて蓮の目を見ると、そんな行動に戸惑っているのか瞳が揺れていて、  
無意識にキスをした自分に気付いたキョーコはわずかに動揺した。  
 
「えっと、なんだか敦賀さんが可愛くて…」  
「かわ…っ…」  
 
蓮はだらしなく開いたままだった自分の口を慌てて手で隠し、表情を見せまいとそっぽを向いてしまった。  
 
「あのぉ、敦賀さん」  
「…っ、ちょっと待って」  
「続き、してください…」  
「え?」  
 
思わず振り向いた蓮に向けられたのは下から見上げる潤んだ瞳。  
 
「だって…風邪ひいてるんだろう…?」  
「大丈夫です、くしゃみだけですし…それに…」  
「それに?」  
「…したくなって…きちゃったんです…」  
 
蓮は自分の首筋がカァっと熱くなり、再び理性が飛びそうになるのを感じて慌てて抑える。  
 
「だけど…」  
「あ、でも…優しくしてくださいね?さっきはちょっとだけ、怖かったです」  
「…わかった、そうするよ」  
 
でも約束できるかなぁ、と呟きながら、キョーコの身体を抱えてベッドの中央に戻した。  
キョーコは蓮の脆さを目にして、自分の愛情が深くなったのを密かに感じる。  
 
――私ってば、弱くて情けない敦賀さんのことも結構好きみたい…  
 
ハマってる、ってこういう状態のことを言うのかな、などと頭の片隅で考えながら、  
キョーコは蓮の甘い愛撫の波に溶けていった。  
 
 
 
 
 
 
社さんには  
「キョーコちゃんに見せたかったなぁ、あの電話のあとの蓮のうろたえる姿。  
 オロオロしちゃって何度も押し間違えながら椹さんに電話してさぁ、  
 『今日のキョーコのスケジュールを教えてください!』っていきなり名乗りもせずにさ。あの敦賀蓮がだよ、ぷぷっ」  
とからかわれ、  
椹さんには  
「おまえでもあんな風に取り乱すんだなぁ」と驚かれ、  
徐々に敦賀蓮は京子に対してひどくヘタレという話が広がっていったとか。  

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