「もしもし敦賀さん?―ええ、大丈夫ですよ、隣りに緒方監督いますし――はい、帰るときにまた電話します。じゃあ」  
「敦賀くん?京子さんのことが大好きで心配でたまらないんだねえ」  
 
キョーコはその言葉に照れて頬を染め、しかし嬉しそうに微笑んだ。  
 
今夜は数ヶ月にわたって続いた初主演ドラマの打ち上げ。  
監督はダークムーンで世話になった緒方監督。  
 
本当はこの打ち上げに参加すること自体、蓮に渋られたのだが、  
緒方監督が自分が絡まれないように見ているから是非にと説得してくれて、キョーコは結局この場にいる。  
 
普段ならキョーコもあっさり遠慮するのだが、せっかく初めて主演を努めたドラマ。  
心地よい解放感と一抹の淋しさも加わり、世話になった共演者やスタッフの人たちと最後の時間を楽しみたかった。  
 
しかしこの仕事についてからお酒の席に加わるのは初めてのこと。  
昔旅館で働いていた経験から酔った大人には慣れてはいるものの、  
普段から知っている人たちがお酒を飲んだらどうなるのか目の当たりにするのは初めてのこと。  
キョーコは密かにドキドキしていた。  
 
乾杯が終わってからすぐは互いにビールを注ぎあい、苦労をねぎらい、といった光景が見られたのだが…  
そんな緩やか空気はあっという間に消え去った。  
隣りの緒方監督に話しかけるのでさえ耳元で声を張り上げなければ話ができない状態。  
話し声や笑い声がまるで怒号のように飛び交い、  
なんの意味があるのか上半身を脱いだスタッフがそこかしこに転がり、  
キョーコは唖然と彼らの様子を眺めていた。  
 
『敦賀さんが渋った理由がなんとなくわかったような気がする…』  
 
戸惑いながら隣りをそっと見ると、その視線に監督が気付いてにっこりと微笑んだ。  
 
「これが彼らなりの達成感と寂しさの表現なのかもしれないね。  
 まあちょっと賑やかすぎるかもしれないけど…驚いた?」  
「はい…でも、皆さん楽しそうで、私も嬉しいです」  
 
それにしても。  
普段はほとんど口をひらかないような静かな人が暴れていたり大声で笑っていたり、  
お酒とはこれほど人を変えるものなのか、とキョーコは感心すらしてその様子を観察していた。  
 
そしてふと気付く。  
 
「監督?」  
「ん?」  
「お酒強いんですねえ。全然変わってません」  
 
さっきから思い出せるだけでも焼酎のロックを5、6杯は飲んでいるはずなのに、  
緒方監督は顔色ひとつ変わらない。  
 
「そうかな。僕が隣りで退屈じゃない?」  
「とんでもない!あのぉ、監督にはすごく感謝してます。  
 ドラマのこともそうですけど、いろいろその…敦賀さんとのこと、相談に乗ってもらって」  
「僕でお役に立てたかなぁ」  
「もちろんですよ。男の人がどう考えるのか教えてくれる人、他にいないし」  
「そっか、よかった。こんな僕でも頼りにしてもらえて嬉しいよ」  
 
監督はにっこり笑う。  
 
『男の人…なんだけど、たまに同性の人と話してる錯角におちいるのよね』  
 
キョーコはその可憐な笑顔に自分の頬も緩ませながら密かに思った。  
 
「じゃあ、今夜は僕のほうが恋愛相談に乗ってもらおうかなあ」  
「いいですよ!子供な私が答えられるかはわからないですけど…」  
 
このとき安請け合いしたことを、後々キョーコは後悔することになった。  
 
「ねえ、敦賀くんってどうなの?」  
「どう、って…なにがですか??」  
「夜だよ。えっち。セックス。一晩で何回くらいするの?」  
「なっっっ…?!!!!」  
 
突然の展開に目を回すキョーコに構わず、ここから監督は一気に喋り続けた。  
 
「あ、そうか京子さんは恥ずかしがりやさんだからね。あ、別に無理して言わなくていいから。  
 たださ、僕って誰かと付き合ってもあんまり長く続いたことなくってね、  
 しかも別れる理由の多くがセックス絡みだったりもするんだよね。  
 ついていけないとか体力が持たないとか壊れちゃうとか本気で泣きながら言われたり、  
 あとそう、いつも言われるのが『イメージと違う』って台詞。  
 あなたは涙ぐみながら組みしだかれるイメージなのに、こんなの私の好きな人あなたじゃない、とかさ、  
 そんなの勝手だよね、僕だって一応男なんだから、そりゃ女の子と二人っきりで密着してたりしたら  
 理性が飛んじゃって多少は強引に攻めたり反対にちょっと焦らしたりとかしたくなっちゃうものでしょう?」  
 
「…でしょう?と聞かれましても……っ…」  
 
「それをさぁ…そうそうそれから、いざ挿入、って時になって、  
 そんなに大きいのは無理、ってゆーかその顔で反則!なんて  
 わけなのわからないことを叫びながら逃げられた時は呆然としたね。  
 そんなわけで他の人はどうなのかな、って気になって。  
 敦賀くんは京子さんとうまく言ってるみたいだから参考になるかと思ったんだけど、  
 その前に京子さんが恥ずかしくて話せないよね、ハハハ」  
 
『監督もしや…酔ってるの…!?』  
 
清楚な顔立ちからは想像できないような言葉がポンポンと飛び出し、  
喧騒の中で自分にしか声は届いていないとはいえ、キョーコは恥ずかしさと驚愕で眩暈がしてきた。  
 
「そっか、それじゃ今度直接敦賀くんに聞いてみよっと。  
 だいたいの男の基準、みたいなものがわかったらなんか安心っていうか。  
 やっぱ自分も普通か、って思えれば少しは納得できそうな気がするんだよね」  
「あ、あの…監督っ…」  
「え?なに?」  
「私…そのっ、男の人は、敦賀さんが初めてなので…他の人がどうかは、まったくわからないんですけど…」  
「うん」  
「でも、なんとなくですけど、敦賀さんと監督で基準を決めちゃ、いけない気がしますっ!!」  
 
その点については確信を持って力強く言ったつもりのキョーコだったが、  
監督はその言葉に愛らしく小首をかしげた。  
 
「そう?でもなぜだか敦賀くんとは話が合いそうな気がするよ。  
 あ、そうだ、あとで京子さんを迎えに来たときにでも聞いてみようかな?」  
 
そうしようそうしよう、とこれまた可愛らしく両手を合わせはしゃぐ監督に、  
キョーコはがっくりとうなだれてため息をついた。  
 

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