「隣、いいかしら」  
百瀬さんが横から声をかけてきた。私がどうぞと言うと、百瀬さんは私の横に折りたたみ椅子を開いて座った。  
今は敦賀さんと飯塚さんの口論の場面の撮影中。この後は美月と嘉月のラブシーンの撮影が控えているので百瀬さんは待機しているところ。私はといえば、未緒のシーンはもう今日はアップしているので帰っていいはずなのだけれど、  
「あなたも女優ならそのうちラブシーンも経験するでしょう。勉強になるから見学していきなさい」  
と飯塚さんに言われて見学させてもらっている。なんだか未緒の演技を認めてくれて以降、飯塚さんはいろいろアドバイスをしてくれる。とっても嬉しい。  
「・・・あなたは、敦賀さんと親しいみたいね」  
敦賀さんの演技に釘付けになっていた私は、突然の百瀬さんの声にびくっと現実にかえった。  
「はあ・・・事務所の先輩なので・・・親しいというか、お世話になってます」  
「そう・・・」  
敦賀さん達の演技をくいいるように見つめながら、百瀬さんは小さく息を吐いた。その横顔があまりに綺麗で色っぽく見えて、私はなんだかドキドキしてしまった。  
「敦賀さんはやっぱりすごい俳優ね。この間私が話してた事、聞こえてたでしょ?あなた、なぜか泣いて走り去ってたけど・・・あの時の発言、取り消させて」  
やった―――――っ!やっと百瀬さんの目のうろこを落とせたのね――――!  
内心小躍りする私に目をくれず、百瀬さんは話しつづける。  
「あの人の演技に飲み込まれて、今自分が百瀬逸美なのか美月なのかわからなくなってるくらい・・・おかげでリテイクもなく最高のシーンが撮れてるのは事実だけど・・・」  
少し言葉尻を濁らせて私のほうに顔を向けた。  
「こんなのは初めて。美月として嘉月を愛しているのか、本当に敦賀蓮という人を愛しているのか、わからない・・・すごい俳優よね。そして、罪な俳優・・・」  
カット!声が響いて、現場の空気が緩む。百瀬さんはゆっくりと立ち上がって私に微笑みかけた。  
「それじゃ」  
「あ・・・が、頑張ってください!」  
軽く手をあげてセットの中に入っていく百瀬さんのすらりとした後姿を見つめながら、私は前に新開監督が言っていた言葉を思い出した。  
 
『あいつは相手が自分に惚れる役なら必ず自分に惚れさせる』  
これは、こういうことなんだ――――  
あの冷静な百瀬さんがこうも飲み込まれるくらいに、敦賀さんの演技はすごいんだ。  
 
 
美月と嘉月のラブシーン。  
惹かれてはいけないと思いながら想いはつのって、ついにこらえきれなくなるシーン。  
物語の最大の見せ場であるだけに現場の緊張感はすごかった。私もなんだか落ち着かない気持ちだったけれど、撮影の邪魔にならないように椅子の上で小さくなっていた。  
 
―――――始めます!5,4,3、・・・・・  
 
「あなたは、優しいのか冷たいのかわからない・・・どうしてそうやっていつも私をかわすの?私はあなたが好き。それがそんなに迷惑なの・・・・」  
「――――――・・・」  
嘉月は背を向けている。その広い背中に、美月がそっと手を伸ばす。  
「・・・ごめんなさい。忘れろって言われても、きっと私は忘れられない・・・でも、あなたが迷惑なら、もう二度と近づかない。だから・・・お願い、最後に、私を見て」  
次の瞬間、風のように嘉月が振り向いたかと思うと、美月の細い腕を掴んで自分の胸の中に抱き寄せた。  
「美月・・・」  
美月を折れそうなほどに強く抱きしめながら、掠れた声で繰り返す。  
「美月!」  
堪えきれないといったように嘉月は美月の髪に顔を埋め、その顔を上向かせて深く口付けた。激しくて、切なくて、どうしようもないくらい綺麗な―――――  
 
まだカットの声はかかっていなかった。今私が動いたら、この緊迫した現場の空気を乱すかもしれなかった。そんな迷惑をかけるつもりはまったくなかったのに・・・私はなぜか立ち上がって、早足で現場を後にした。  
すごくいいシーン、一発OK間違い無しの素晴らしい演技だったし、ものすごく勉強になったはず。敦賀さんも百瀬さんも演技してるなんて全然思えないくらいだった。  
――――本当に、愛し合ってるみたいだった。  
もっと見たかったはずなのに、なぜか抜け出してきてしまった―――――  
どうして?  
どうして?  
喉がひどく渇いて感じ、自動販売機まで走ってお茶を買い一気飲みしたけれど、その渇きは癒されなかった。  
 
次の日は未緒の撮りはなく、学校へ行って夜はだるまやで働いて、いつもどおりの毎日。  
撮影所で敦賀さんと顔を合わせたのはその翌日だった。  
 
「おはようございます!」  
「おはよう」  
もう夜なのだけど、業界的な挨拶をかわす。微笑んでくれた敦賀さんの横をすりぬけ、監督の傍に行った。  
「おはようございます京子さん・・・あれ?なんか具合悪いですか?」  
「なんでですか!絶好調ですよ―!」  
「顔色悪いですよ」  
「そんな事ないです!昨日もばっちり良く食べて今日も快調です!」  
「なら、いいんですけど・・・」  
なんだかあやしそうにこっちを見つめる監督。大丈夫ですってば!私は丈夫なんです!  
椅子に座り台本を開いて自分のセリフを確認し、すっくと立ち上がったその瞬間――――  
世界がまわった。  
「京子さん!」  
監督の声が耳に響いたけど顔が見えない・・・後ろにひっくりかえりそうになったその時、誰かの腕に支えられた。  
「何やってるんだ君は・・・」  
低くつややかな声が耳元で響いた。誰・・・?良く知ってる声、わかってるはずの声、でもなぜか今はよくわからない。  
「敦賀さん!俺が運びます!」  
ADさんがそう言ってるのに、その人は私をそのまま抱えあげて歩き出す。  
「いいよ、俺が運ぶ」  
「いえでも・・・」  
「俺が運ぶから」  
にっこりと笑いながら目が笑っていない。凍りついたADさんが、うすらぼんやりと視界に入ったのを最後に私の意識は途切れた。  
 
「君は全然人の事言えないね」  
目を覚ますとそこは私の楽屋だった。いきなり敦賀さんの顔がアップで迫っていて、びっくりして飛びのいたところでこのセリフ。  
「え・・・えっと・・・もしかして運んでいただいて・・・」  
「そうだよ。感謝してもらいたいな」  
「す、すみませ―――――ん!!!!」  
土下座して謝ると、敦賀さんはくすくす笑いながらいいよと言ってくれた。  
「昨日はよく食べたんだろ?熱もないみたいだし、風邪じゃないと思うんだけど・・・最上さん、どこか具合悪かったの?」  
「いえあの・・・・実は、昨日、よく食べれたのは嘘じゃないんですけど・・・」  
「けど?」  
「・・・ほとんど寝れなくて・・・・」  
「はい、プロ失格決定」  
言われると思った・・・がっくりと肩を落とす私をのぞきこむようにして敦賀さんはさらに聞いてくる。  
「で?何で突然不眠なんかになったのかな」  
そう言われると答えようがなかった。ただ胸がもやもやとして、寝ようとしても寝れなかったのだから。それを伝えると、いつからモヤモヤしてるのか尋ねられた。  
「・・・おとといの、敦賀さんの撮りから・・・」  
敦賀さんが驚いたような顔をし、私はなんだか急に恥ずかしくなってうつむいた。しばらくの沈黙の後、敦賀さんの顔を見れずにうつむいたままの私の髪に、敦賀さんの大きな手が差し込まれた。  
びくっとして顔をあげると、敦賀さんの眼差しとぶつかった。  
「最上さん、俺も最近知ったことなんだけどね・・・・俺の自惚れじゃなければ、そういうのを嫉妬っていうらしいよ」  
「何、言ってるんですか――――!」  
「違う?」  
「違います」  
「・・・そう、まあ、そうだろうね、君は俺のこと嫌いなんだろうから」  
ちょっと苦く笑って手を離し、敦賀さんは立ち上がった。嫌い・・・・?私が?  
「じゃあ俺は現場に戻るから、少し仮眠をとってくるといい。それでもあんまり具合が悪いようなら無理せず帰ったほうがいい。ちゃんとタクシーを呼ぶんだよ」  
言って私に背を向けドアの方へ向かう、その広い背中を見た瞬間、私の中で何かが爆発したような気がした。  
「・・・敦賀さん!」  
腕を伸ばしてシャツの背を掴む。  
 
「私、私、敦賀さんの事、嫌いなんかじゃ・・・!」  
言い終える前に敦賀さんが振り返り、そのまま私は腕を掴んで引き寄せられ、その広い胸の中に抱きしめられた。  
それはまるでおとといのシーンのようで、私は自分がからかわれていると思い敦賀さんの腕の中から逃れようとしたけれど、その腕はびくともしなかった。  
「逃がさないよ」  
初めて聞くような、甘い声。  
「演技と本気の差を、見せてあげるよ・・・」  
そう言うと、深く私に口付けた。  
私は頭の中が真っ白になって、と同時にそれがずっと自分が望んできた事のように思った。  
一度唇を離して私の頬を両手で挟み目を合わせる。胸がきゅっとしなって、目を閉じるともっと深く激しく口付けられた。彼の舌が私の舌をからめとって、溶けていきそうなくらいに甘い・・・・。  
体の力が抜けてしまった私を支えるように腰に腕が回され、もう片方の腕は私のシャツをたくしあげて中に侵入し、小ぶりな胸を優しく揉みしだく。首筋に鎖骨に胸に、優しく激しくキスされ舌を這わせられていると、自然に喘ぎがもれてすっかり立っていられなくなった。  
敦賀さんは私を横たえると、ぐいっとネクタイをはずしてボタンも2,3個はずす。艶めいた眼差しの下、はだけた胸元がとても色っぽく写って私はどうしていいのかわからなくなった。  
つんととがっている胸の突起を口に含まれると、体の奥が熱く潤ってくる。  
「あんっ・・・ふうっ・・・」  
声を押さえようとしているのに、どうしても甘い声を出さずにいられない。舌で転がされ、軽く歯を立てられて、快感に翻弄されるうち、溢れたそこが下着を濡らして染み出していく。  
敦賀さんの長い指が太ももをゆっくりと撫で回し、私のそこはまるで焦らされているかのように火照ってひくひくと震えていた。  
この人が欲しいと、体全体が乞うている。眼差しも、唇も、体も心も―――――すべて欲しい。  
「敦賀さん・・・・っ・・・だめっ・・・」  
「濡れてるよ、すごくね・・・」  
耳元で囁かれ、羞恥を感じると同時にぞくぞくと快感がかけのぼる。いやらしい水音をたてながら愛撫を繰り返されていると、私の快感はひとつに集まって充血しふくらんでいく。  
その膨らみを濡れた指で擦り上げられる。  
「あああああっ!!」  
痙攣するような快感が次から次から襲って、私は自然と腰を浮かせて快感を貪った。  
 
「はあっ・・・んふう・・・」  
何度も指が出し入れされかき回されたそこに、覆い被さった敦賀さんが侵入してきて、私は一瞬体をこわばらせて圧迫感に息を呑んだ。少し怯えた私を安心させるように、頬に瞼にキスを降らせながら、少しずつ私の奥に入っていく。  
「もう少しだけ、我慢して・・・」  
「大丈夫です・・・あ・・・ん―――――っ!」  
出し入れされる感覚が痛みから快楽に姿を変える。きもちいい・・・・  
私の中が敦賀さんでいっぱいになる。熱も体液も共有して、ひとつになって・・・・  
敦賀さんの首に腕をまわして、私から舌を絡める。私の収縮と彼の突き上げがない交ぜになって、もう何が何だかわからなくなって、ただ気持ちよくて、ただ愛しくて・・・  
頂点にのぼりつめて波にさらわれるのと同時に敦賀さんが低くうめいて、私の中に熱いものが迸るのが感じられた。  
唾液の糸をひきながら舌が離れ、敦賀さんはぎゅっと私を抱きしめた。  
「好きだよ」  
「・・・本当ですか」  
「演技でここまでできるほど、俺は器用じゃないよ・・・」  
耳元に唇を寄せ、もう一度囁いてくれる。  
「好きだ・・・」  
 
 
その声を聞いた瞬間、私は今まで自分をがんじがらめにしていた鎖が千切れるのを感じた。  
不破尚という名の―――――――  
 
 
 

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