先の見えない暗闇の中、  
俺に掴める希望は君だけだった――――…  
 
 
「・・・手助けして欲しいんだ」  
電話の向こうから彼女のびっくりした気配が伝わってくる。  
でも君はすぐ行きます、と即答してくれた。  
それだけでも。背中の緊張はほんの少しほぐれた。  
 
認めるのは苦しい。抑えることで永遠に続く孤独の予感。  
それでも、どうしても嘉月を掴みたいのなら、  
俺はその苦しみも痛みも引き受けなくては。  
 
 
君が好きなんだ。絶対に伝えられないけど――――…  
 
 
君は買い物袋を下げてきた。  
「まずは腹ごしらえです!敦賀さん、また何も食べてないんじゃないですか?」  
その通りなんで苦笑してしまった。・・・嬉しいよ。  
君の美味しい食事も、君の気遣いも。何よりも君が来てくれた事が・・・  
 
ぼんやりと食器を出していると、視線を感じた。  
君が料理しながら伺うような目で俺を見ている。  
「明日、社長の前で嘉月の演技をしなくちゃいけなくなってね。  
 ずっとスタジオに入ってなかったから、少し・・・カンを取り戻したくて。  
 最上さん美月役で合わせてくれないか?」  
「わかりました。後でちょっと台本失礼しますね」  
 
うん、そうだね。君は美月になってくれる?  
俺は――敦賀蓮のまま、君と向かい合う。  
今は嘉月の仮面はいらない。  
自分の気持を生のまま君にぶつけていく。  
その気持がきっと、一番リアルな嘉月になる――――…  
 
すっと美月になった君が俺を見つめる。  
今なら嘉月の台詞を全て、自分の感情として言える。  
現実では絶対に言えない、その分今熱意を込めて。  
指先が触れたとき、歓喜と恐れが津波のように襲ってきた。  
が、歓喜の衝動の方が強かった。  
「・・・愛してる・・・」  
 
君を胸にしっかりと抱きしめる。  
華奢な君の体が、背中にまわされた腕がこんなにも愛しい。  
こんな満たされた一瞬を俺は今まで体験したことがあっただろうか?  
『お前は本当の恋をしたことがない』  
今なら社長の言っていた意味がはっきりと分る。  
そして俺を見つめる「美月」の瞳で、俺の最後の理性の糸が切れた。  
 
君が好きだ。君が欲しい。俺を受け入れて――――…  
 
君の小さな唇に、そっとキスを落とす。  
俺が恐くない?嫌じゃない?君は大丈夫?  
君が俺にまわした腕に更に力がこもる。  
もっと俺にしがみついて?痛いくらい俺を掴んで?  
君に受け入れられたことで、俺はどんどん大胆になる。  
舌をからめ深く穿ち、君とこのままどろどろに溶けてしまえるように・・・  
 
 
どの位そうしていたのだろう。  
唇を離すと君は俺に崩れ落ちてきて、  
脱力してしまった君をもう一度深く抱きとめた。  
どちらからともなくため息をつく。  
それはきっとやっと抱き合えた安堵。  
君は美月の気持で。俺は・・・俺の欲望で。  
愛しさがあふれてキスの雨を降らす。  
首筋を軽く舐めた後、胸の谷間に顔をうずめた。  
唇で軽く白い肌を食んで、本能のままに吸い付いていく。  
君が欲しい。もっと、もっと欲しい。  
 
「・・・?!?!?!」  
「ん?」  
ふと抵抗を感じて顔を上げると、  
君が真っ赤になって俺の頭を引き剥がしていた。  
美月じゃない、キョーコちゃんの表情で。  
彼女の泣きそうな目で我に返ると、胸元にはくっきりと紅い華。  
どうもパニックを起こしてるようで、俺は彼女を宥める為に嘘をついた。  
 
「・・・ごめん、なんか役にはまり込んだみたいだ・・・、大丈夫?」  
「いや、演技のお役に立てたなら嬉しいんですけど・・・  
 でも・・・私これファーストキス・・・orz」  
「・・・え・・・??君、不破と一緒に暮らしてたんじゃ・・・」  
「だからアイツにとって私は家政婦だったって言ったじゃないですか!  
 キスはおろか、肩抱かれたことさえないんですよ!!」  
 
・・・どうしよう・・・押さえても抑えきれずに口元が緩む。  
そうだったんだ・・・男の征服欲って単純だ。  
「君の初めて」がこんなにも嬉しい・・・  
 
「敦賀さん!笑うなんてひどいですよ!」  
「いや、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど・・・(・・・ふふっ・・・)  
 ちょっとびっくりしたのと、ね。・・・怒ってる?」  
「ね、ってなんですか!・・・でも、怒ってはいませんよ・・・  
 よく考えたら、私がこの先男の人と付き合うなんてある訳ないですし、  
 そしたらこの仕事してたらいずれはキスシーンもありますよね?  
 結局はファーストキスは演技中ってことになると思うので・・・  
 別に敦賀さんじゃなくても、早いか遅いかってだけですよ」  
 
・・・君はまだ男を知らない16歳だろう?  
そんな「誰でも一緒」なんて台詞はそぐわないだろう?  
そんなにも君は不破に手を離されて絶望したのか。  
そんなにも不破は君の全てだったのか。  
 
・・・俺の黒い想いは顔に出ていたようで、  
気が付くとキョーコちゃんは少しおびえた目をしていた。  
俺は顔の筋肉を総動員して笑顔を作る。  
「んじゃちょっと得した、って思っておこうかな(キュラ☆」  
真っ赤になって怒る彼女。しょげてるよりもその顔の方がいい。  
「得ってなんですか!得って!」  
「かわいい後輩のファーストキスが自分だったってのは、  
 充分光栄なことだと思うんだけど?ゴチソウサマデシタ」  
 
それでもうつむいて考え込んでしまった彼女を抱き上げて、  
目を覗き込みながら今日のお礼を言った。  
彼女が真っ赤になっている。  
どうも俺の腕から逃げたいみたいだ。  
もう少し。もう少しだけ待って。  
封じ込めた欲がぬくもりめがけて暴れようとする。  
・・・これ以上は俺の我慢が限界だな。  
憎まれ口をひとつ叩いて彼女を解放した。  
ぷりぷり怒ってる様子を見て、  
彼女が俺の気持に何も気が付いていないことに安堵する。  
 
・・・なごり惜しいけど、俺の想いはこれでおしまい。  
この後はきっと、君の不在に苦しむ日々が続くだろう。  
君と距離を保ち、君が新しい恋をしたら祝福し、  
君への想いを忘れられるまでずっと・・・忘れられるんだろうか?  
先の見えない苦痛だけど、俺は後悔はしていない。  
俺は役者だから。演技の幅が広がる事がなによりも大事。  
たとえどんな苦しみを伴うにしても・・・  
 
でも、将来ベッドシーンをやるなら、  
君が宣言どおりに恋をしてないのなら。  
リハーサルほんとにやるなら、頼むからどうか俺にさせて?  
他の男としちゃった、なんて聞いたら、  
俺自分を保てるか全く自信がないよ・・・  
「帰りますね」と俺に微笑む彼女を見て、  
俺は心の底から彼女の可愛らしさを呪っていた。  
 

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