「……な、何?」
淡々とした表情で、じっと見下ろす。
突然黙り込んだレイノに、キョーコは訝しみを隠さない。
ゆっくりと、しかし当然のようにそのからだに近寄り、頬に手をかけ、輪郭をなぞり、
肩に手を這わせ……
「ちょ、待って……なにすぅっん!……!?」
一瞬地蔵か何かのように固まっていたキョーコが我に返って身を引こうとするのを封じつ
つも、無意識とも言えるほど自然に、レイノはキョーコに唇を重ねていた。
自分でも驚くほど無思考に、いや抑制が効いていない事に内心少し動揺したが、
「……ッん……っ!んう……!?」
困惑と息苦しさが綯い交ぜになった表情や吐息に、理性などすべて持っていかれそうにな
る。役得、などと思う余裕も無くしかし、やっちまった以上はそれなりに手を進めておか
ないとこっちも格好がつかないからと自分への言い訳で頭が支配されていた。
半ば確信的に、肉感の薄いほっそりとした腰と背中を抱き込み、唇を吸い上げ、煽情的な
僅かの水音を立て最上キョーコという"オンナ"を深く味わう。
「っぁふ……んっん、ん」
ちゅ、ちゅ、という音と感触に完全に耽溺しかけ、無理やり理性を引き戻す。
腰に強く巻きつけた腕のおかげでほとんど密着した下半身に、なんとか逃れようともがく
キョーコの膝が絡んで、触れた場所が熱を帯び痺れ…――それでもなお周囲の状況と背後
を気にする無駄に冷静で自分らしくない中途半端な理性を、今はいっそ褒めてやりたい。
……実際の所、今の時点で食うのが得策でないのは確かだし、少なくともここで押し倒
すのは……というか正直これ以上はレイノ自身の理性がマズい。
熱を帯びた口腔内で舌が触れあったその、鼻に掛ったような官能に、キョーコの背に回し
た右手の指がピクンと跳ねて、思わず、より強く掻き抱く。
「んんっ……んぁ、やっ」
その若干の隙を目敏く拾ったのか、密着しながらも唇だけでももぎはなし、キョーコが喚
いた。
「やだっ……ってば何すんのよビーグル!」
「……俺だって知らん」
いとも簡単に答えてその先を放る。なぜなら本当に自分にもよく分からない。
掻き抱いた腕も強さもそのままに、見上げるその顔を淡々と見下ろすと、強い視線と目が
合った。その目から、愉快とも思えるほどに、うろたえの色がよく見える。
「し、知らんって何よ……いいから放しなさい!」
「だから……俺の名前はビーグルじゃなくてレイノだと何度言えば……」
「それこそ知ったこっちゃな――ぅんっ……ふ」
懲りずにまた深々とキスを落とすと、不意打ちとは言えさすがに今度こそ、キョーコはレ
イノの胸に両腕を突っ張ろうとして強く逃げの体制を取った。だがレイノも逃がすつもり
は毛頭無い。
表面上は優しく頬に片方の手を寄せ、だが問答無用でもう片方の腕をまわした背中を骨ご
と固定して、更に深く口付けた。そして今度はそう簡単にはもぎ離せないよう頬に置いて
いた手をそのまま耳まで這わせ、指先を髪に絡ませ、あでやかなシュプールを描いて後頭
部を甘く擦りあげる。
「んんん!」
所詮は女の細腕、軽井沢の時のように怨嗟全開で向かって来られれば分からないが、服越
しにレイノの薄い胸板を押す細い指は、もっと即物的で具体的な欲求を駆り立てる材料に
しかならない。
「ぅ……ん、ん、……ん」
歯列に添わせ、舌先をくすぐり奥まで滑りこんで絡ませ、舌の裏にあふれ出した唾液を舐
めとって、また舌を絡ませ、そうして人間の恋人にするような口付けを与えれば、若干の
拒否と甘い響きが混ざって、ひどくソソる。
キョーコ本人の意思と裏腹にレイノの身体に縋るような形になった両腕を、自分の胸に押
し付けるように強く抱きしめた。
下半身から脳髄に叩き込まれる本能の命令もついでに腹の奥に抱え込む。今はそのタイミ
ングじゃない。
ただ、
(まあ……)
相当警戒されてはいるものの……口で言うほど憎まれていないような、と思うとそれはそ
れで複雑な気分だ。個人的にはもう少し憎々しげに対応してほしい気もする。
キス程度じゃ認識しないのか……?
「!」
ふと、耳が足音を拾った。
(おっと……人が)
名残惜しげに唇を離すと、潤んで上気したキョーコの顔が目に入った。
少し息が上がって……支配欲求を、掻き立てるような――
「……続けて欲しい?」
思わず訊いた。
"このまま俺の色に染め上げたい"。
身も心も認識も現実も。いや、いっそここで思い切り目茶苦茶にして憎悪を買う手もある
にはあるが、不破はともかくあの暴れ獅子の所に逃げ込まれたり、傷付け過ぎて記憶から
抹消でもされたら話にならない。"嫌悪"では意味が無い、憎悪でなくては……。
「……じょ、冗談でしょ」
「まあいいさ、"また"な、キョーコ」