「ああ、京子ちゃん?麻生です、…ごめんなさいね、突然電話しちゃって。
実は啓文のことなんだけど」
次のシングルの打ち合わせで俺は所属レコード会社に来ていた。
その、会議みたいなものの合間の休憩時間に、
俺はつい、廊下の端で電話をかけていたミルキちゃんの
発した言葉を聞いてしまった。
キョーコ、だって…?
っ、なんでミルキちゃん、あいつの携帯ナンバー知ってんだよ?
わけわかんねぇ。
それに…啓文って、誰なんだよ?
「あら、尚、何やってるの?こんなところで。もうすぐ休憩終わりよ?」
立ち聞きしてしまったということも忘れ、動くこともできずに
その場でいろんな空想に頭を働かせていた俺に、
電話の終わったらしいミルキちゃんが声をかけてきた。
「っ、あ、ああ、わかってる、今戻るからよ…」
その手に握られた携帯。
あの中に…あいつの番号が…記憶されてる。
多分、ミルキちゃんは気づいてない。
俺が聞いてしまったってことを。
それに、教えてくれって言ったところで
あいつに口止めされてるだろうし。
さあ、どうやって手に入れる?
結局俺は、正攻法では教えてもらえずに
ミルキちゃんの携帯を盗み見て、キョーコの番号を手に入れた。
盗み見て、というか、自分の携帯を忘れた振りをして借りた。
我ながら必死だとは思ったが、キョーコのことで
俺の知らねーことがあるのも…かなりムカつくからしょうがねぇ。
警戒されなくてホッとしたというかなんというか。
それから、件の啓文とやらの正体は、
ミルキちゃんと幼馴染の映像監督だってこともわかった。
あの、DARK MOONっつードラマの監督もやってた。
キョーコと、あのいけ好かねー敦賀蓮が共演したドラマだ。
俺は見てねーけど、キョーコの演った「未緒」とかいう
恐ろしい女の役がかなり評判になったらしい。
それって、あいつの素なんじゃねーの?
あいつはそれはそれは恐ろしい女になりやがった。
まあ、それが俺のせいもある、ってのは…わかってるけど。
そうやってこの俺様が必死になって手に入れた…
キョーコの携帯ナンバー。
自分の携帯に登録してみたものの、
ディスプレイを眺めては…携帯を閉じる、そんなことくらいにしか
使用用途がなかった。
1回だけ、非通知でかけたことがある。
あいつは、事務所からの連絡か何かだと思ったらしく
ややかしこまった風に電話に出やがった。
「っはいっ、もしもし?最上です」
プロモの撮影からまったく接触もなかったキョーコの
久しぶりに聞いた声に、思わず息を飲む。
…なんでそんなに緊張しなくちゃいけねーんだ?
キョーコごときに。
「よう、キョーコ、相変わらずとろくせーんだな、
何回鳴らしたと思ってんだよ」
「は?」
「わかんねーのかよ、俺だよ俺、何なら昔みたいに
ショーちゃん、って呼んだっていーんだぜ?」
「っっ、ショータロー!あんたなんでこの番号っ」
「どうだっていいじゃねーかよ、別に」
「よかないわよっ!あんたよくものこのこと電話なんか寄越してこられたわねっ
信じられないっ」
「お前あの変なドラマ終わってからも仕事できてんのかよ?
そんなドラマ1つに出たくらいじゃあ俺様に復讐なんてまだまだ先のことだよなぁ?」
「っっ、あんたに心配してもらわなくてもちゃんと仕事はしてるわよっ
ふん、あんただってそうやって強がってられるのも今のうちだけよ。
わかったでしょう?あのプロモ、ドラマ前には間に合わなかったけど
相当評判良かったのよ、私の天使もね!もし私があんたを喰い殺すような
演技をしてたらどうなってたと思うのよ?!今ならできるかもしれないけれどねっ
それより!もう電話してこないで、あんたと話すことなんて何にもないわよっ」
「んだよ、おもしろくねーな、お前もあの鶏くらい上手く切り返してこいよ」
「っ、あんた…それ誰かに言ったら…ブッ殺す…っっ!」
キョーコが電話の向こうで呻くようにそう言い放つと、
何故かその後ろから強烈な殺気が電波に乗って飛んできた、ように感じた。
そこから先の記憶がない。
テレビ局のロビーの椅子に倒れこんでたらしい。
祥子さんに無理矢理起こされて
何寝てるの、って大目玉食らって終わり。
ふー、なんであんなに禍々しい殺気を飛ばしてくるんだよ。キョーコのくせに。
あんなに俺の後ついてまわってたくせに。
おもしろくねーな。
自分で捨てた…俺は捨てたとは思ってないし
あいつが勝手に出てっただけでまだ俺のもんだと思ってるけど。
そんな女に振り回されてる感じもある。この俺様がだぜ?
女には不自由してないつもりでも…あいつはそういうのとは違うからな…。
それからは俺も忙しい日が続いたんでキョーコのことはしばらく忘れてたけど、
久しぶりに次の日がオフだってことになって
ちょっと浮かれてた俺は、また電話をかけてみることにした。
あいつがどこ住んでんだか知らねーけど、
こんな時間なんだし、ふつーに家にいんだろ。
それに、実は、ちょっと声が聞きたかったってのもある。
どーせ罵られて終わりだろうけどな。
メモリダイヤルからキョーコの番号を呼び出して発信ボタンを押した。
1回…2回…3回…遅ぇな…何やってんだあいつ。
「っ、は、はいっ、最上ですっ」
6回目にやっと出やがったキョーコの声。
何か落ち着きがない、というか少し焦ってるみたいな感じもする。
「お前やっぱ出るの遅いよ」
「っ…あんたまたっ…」
どうせ俺だってわかるんだろうから、名乗りもしないで
からかうように会話を仕掛けてみた。
予想通りのリアクション。
お約束でツボにはまる。
いいじゃん、別に、俺がどこに電話しようと俺の勝手だし、
そう言おうとした時。
「何なのよ、こんな時間にかけてくるなんて、
切るわよ、もう電話しないでって言ったでしょう?!」
キョーコのそんな声と共に繋がれた回線が切断された。
いつもよりもだいぶ早口でそうまくしたてた。
なんだ、あいつ。
何あんな焦って切ってんだよ。
つまんねーの。
でも、ま、いっか。
また電話すればいいし。
「夜食できたわよ?」
携帯を片手にぶつぶつ独り言を言っていた俺に
祥子さんが声をかけた。
見ると、テーブルの上には、オムライスが
美味そうに湯気を立てている。
「あー、わり、サンキュ、祥子さん」
「私今からお風呂入るから、あなたも早くお風呂入って寝てちょうだいね」
「んー、途中でお邪魔してもい?」
「ダーメ」
笑いながら風呂に向かう祥子さんを見送ると、
テーブルについて、オムライスを食べることにした。
祥子さんってほんといい女だよな〜。
スタイルも完璧だし、料理は上手いし。
上手く甘やかしてくれるし。女は年上だよな、やっぱり。
まー、キョーコもスタイルはともかく料理は上手かったけどな。
って!
なんでそこでキョーコがでてくんだよ。
おかしいんじゃねーの、俺。
あー、うまいうまい、祥子さんのメシうめーな、ほんと。
さっきの電話で思った以上に冷たくあしらわれたことに
俺は予想以上にダメージを受けたらしい。
今までたまにしか思い出さなかったあいつのことを
なんでこんな頻繁に思い出したりするんだよ。
なんだよ…あいつ、ほんと、つまんねーの…。
祥子さんの作ってくれたオムライスを平らげると、
途端にすることのなくなってしまった俺は
仕方がないのでテレビを見ることにした。
どうせ祥子さんは風呂長いしな…。
テレビを見るのは好きだけど…今日はおもしれーの
やってねーな…。
パラパラとチャンネルを変えてみたけど
俺の心を熱く震わせるような番組はやっていない。
はー、つまんねー。
こういう日こそ、なんか俺を激しく笑わせてくれる
深夜放送とかが必要なんだよ。
そうだ。
今日の深夜番組に何の興味も持てなかった俺は
テレビ台の横にある、ビデオラックに手を伸ばした。
しばらく漁って、見つけた1本のテープ。
「やっぱきまぐれロック 第1回 ゲスト:不破尚」
そう、この俺様がゲストとして出た、
キョーコが着ぐるみの鶏で出演しているあのバラエティ。
これでも見て、このなんだかよくわからねー
鬱屈とした気分を吹き飛ばしちまおう。
あー、でもこの回は後で見たら最高に面白かったよな。
生でやってるときは、わけのわかんねー鶏に
わけのわかんねーことやらされて
あやうく俺様のイメージダウンってとこだったけど
まあ自分の頭の回転にはちょっとビックリだった。
さすが俺。
テープをデッキに入れて、再生ボタンを押す。
でもなあ、あいつもその後クビになるかもしれないってのに
よく俺の本名とか、思い出してもムカつくバドミントンネタなんか
出してきたよなぁ。
祥子さんに隠れて何回も見返してたもんだから
最近じゃ、俺よりもキョーコが入ってた鶏の方にばっかり
気をとられちまう。
そうそう。このバドミントンを出された時には
さすがにちょっと焦ったな。
あいつ、バドミントンで俺に負けたことがねーから
あれ出してきたんだろうな。
あとから聞いたらあんなの予定になかったっつーし。
この頃から考えると…あいつも着実にこの世界で
実力つけてきてんだな…。
俺のプロモに出てすぐドラマだったからな。
しかもそれがミルキちゃんつながりっていうから世の中わかんねえ。
でも…やっぱあいつは幼馴染のキョーコなんだよなあ…俺の中では。
プロモの撮影で再会したときには
わけわかんねえ女になっててかなりショック…というか驚いたけど
そういうキョーコをおちょくるんだってずいぶん楽しくなってきた。
あいつは俺のもんだし。
ガラにもなく、少しもの思いにふけっていたところへ、
携帯の着信音が響く。
んだよ…こんな時間に誰だよ…日付変わってんだぞ、もう。
ぶつぶつ文句を言いながらもとりあえず携帯を手に取る。
しかし、サブディスプレイに表示された名前を見て
俺は目が飛び出るほど驚いた。
おいおい…なんだこれ、キョーコじゃねーかよ…。
電話しないでとか言ってさっさと切ったくせに何やってんだあいつ。
絶対にかかってくるはずのない相手からの唐突な着信に、
さっきまでのもやもやした気分が
少しだけ緊張感に置き換えられたみたいな気がした。
でも…わかんねえ。なんで電話なんかしてきてんだ?
気を取られているうちに着信メロディがループしている。
それでも鳴り続けている。
とりあえず、電話を受けるためにボタンを押した。
…キョーコ、お前何考えてる?
なんかよくわかんねえけど
ディスプレイにはキョーコだって出てるし、
しばらく置いておいても鳴り止まねーし。
ボタンを押して、携帯を耳にあててみた。
「キョーコ?」
呼びかけてみたけど、何とも言わねえ。
キョーコ…だよな?
「おい、キョーコ、お前なんなんだよ?」
何も応答がない電話の向こうに痺れを切らした俺は
そうやって少し声を荒げた。
それでも何の返事もない。
…んだよ、仕返しの無言電話かよ…
暗いな…あいつ。
だけど、少ししてから、俺は妙なことに気づいた。
何も音がしないと思っていた電話の向こうでは
少し小さいけど、何かの音がかすかに発せられている。
俺はテレビの音を消して、電話の向こうの音に聞き入るように
息をひそめて耳に感覚を集中させた。
「ああっ…あ…っん…ぅ…は、あっ…んあ…」
…え?
なんだこの声は。女の…喘ぎ声?
って、誰のだよ…。
無言電話じゃないみたいけど…何のためにこんな…。
あいつ一体何考えてるんだ?
少し、胸のあたりがざわざわし始める。
誰かの声に似てる…と思ったら…この声…キョーコ本人なんじゃねーの…?
でもあいつ…そんなことしたことなさそうだったし
俺は一緒に住んでたときにも手なんか出さなかったし。
だいたい、あいつはこんな悪趣味なことしねーよな?
でも発信元は間違いなくキョーコの携帯だし。
ああもう、考えすぎてなんだか気持ち悪くなってきた。
わかんねえ。
それでも電話の向こうではまだかすかに声がしている。
今…途中ってことか?
キョーコと誰かが…やってるってことかよ?
「も…ダメ…敦賀さんっ…やだっ…ああぁっ、つ、敦賀さんっ…」
い…ま…何……て…。
敦賀って…あの、敦賀蓮…かよ…。
ってことは何、キョーコと敦賀蓮て…。
ふいに、祥子さんだかミルキちゃんだかが言ってたことを思い出した。
「京子ちゃんと敦賀蓮って、ドラマの現場でも結構仲良くしてるみたいよ」
あ、ミルキちゃんだミルキちゃん。
幼馴染だっていうあの監督からでも聞いたんだろ、ってすっかり流してた。
俺は敦賀蓮なんて嫌いなのに、
なんでわざわざそんなこと俺に言うんだよ…ってげんなりした覚えがある。
あいつだ…。この電話かけてきたの、敦賀蓮だ。
そう考えたら全部辻褄合うじゃねーか。
さっきキョーコにかけたとき、もう2人でいたんだ。
どうりでキョーコの様子がおかしかったわけだ…。
キョーコがあんな応答したんじゃ、
敦賀蓮にも、かけてきたのが俺だって…わかったんだろう。
それで…俺に見せつけるように…わざとかけてきやがったんだ…!
そこまで考えて、少し吐き気がした。
確かに俺は…端から見れば酷いやり方でキョーコを捨てた。
俺自身は捨てたつもりはなかったけど、それでも追いかけもしなかったことも事実で。
キョーコがしばらく逢わないうちにとんでもねー女になってたのも
それが原因だろうし、復讐するってプロモのときにも繰り返し言ってた。
そんなキョーコに、できるもんならやってみろ、多分、そんなこと言ったよな、俺。
それがこれかよ。
キョーコからじゃなくて、まさか敦賀蓮からのこんな報復が待ってたなんて。
頭の中がガンガンし始めた。
電話の向こうでは相変わらずキョーコが…
敦賀蓮相手にAVばりに喘いでいる。
最初のうちは…よくわからなかったけどかなりヤバイ…その声。
押し寄せる快楽に飲み込まれるようにやたらと喘いで、
男を…欲しがってる…俺は…あんなキョーコ知らねーよ…。
「キョーコ、本当は何が欲しい?言ってみて」
キョーコが発する喘ぎ声の合間を縫って、男の声が聞こえてくる。
ってめ…何考えてんだ…敦賀蓮…っ。
あの2人が…そういうことをやってんのを想像するだけで…吐き気がひどくなってくる。
だけど…キョーコのあの切なそうに快楽を押し殺しながら吐き出す甘い声が…。
やめてくれ…。
「お願いっ…も、ダメ…我慢…できないっ、つ、敦賀さん…い、入れて…っ…早く入れてえぇっ」
吐き気がするといっておきながら、
俺は自分が電話の向こうに引っ張られていくのを感じた。
も…ダメだ。
「あら、電話?」
壁に寄りかかりながら電話を聞いていた俺を見て
風呂から上がったばかりの祥子さんが問う。
「いや…ま…そうなんだけど」
バスタオルを身体に巻いた祥子さんを見て、俺はとんでもないことを思いついてしまった。
でも、もうかなりヤバイ。
ごめん、祥子さん…っ。
「祥子さん…舐めてくんねーかな」
「えぇ?いきなり何言ってるのよ」
「お願い、も、なんかヤバイんだ今日」
上目にねだるように祥子さんを見た。
祥子さんはしばらくあっけにとられていたけど俺の顔がよっぽど酷かったんだろう。
やれやれ、といった感じで俺の前にしゃがみこんだ。
俺が促すようにファスナーを下ろすと
すでにもうかなり熱く張り詰めていたモノを祥子さんが慣れた手つきで
そっと取り出す。
自分じゃない、他人に触れてもらったことでますますその熱が高まる。
「もう…誰と電話してこんなことになってるのよ?」
「誰かと会話してるわけじゃねー…んだ…」
そうだ、全部あいつが悪いんだ。敦賀蓮…っとにいけすかねー…っ。
「あ、は、あぁっ、あ、やあっ、も、なんか…きちゃうっ、あ、ああっ、っは、あっ」
耳にはもうすぐイってしまいそうなキョーコの絶叫が響く。
目の前では祥子さんが、俺のその先端にちゅぷ、と音を立てて唇で触れる。
「くっ…あ」
いつもならこんなことで声が出たりなんてしねーのに。
どうなってんだよ…俺は。
他人が…キョーコと敦賀蓮がやってる声を聞いてるだけでこんなになっちまうのかよ。
自分の物を盗られたって、吐き気すらしてたのが、こうなるのかよ。
意識が電話に持っていかれそうになる。
祥子さんが次第に深くくわえ込んでいく感触で、また目の前に連れ戻される。
根元付近まで行くと、下を裏全体にくっつけたままゆっくりと上下させた。
「っ…しょー…こさ…」
その生暖かい口腔内が…まるで女のそこみたいにゆるゆるとうごめいているようで
目を閉じれば、向こうの声とあいまって
…まるで俺自身がキョーコとやってるような感覚に陥ってしまう。
キョーコの声がやけに大きく聞こえてくる。
多分…あいつが…敦賀蓮がわざとそうしてるんだろう。
何から何まで気に食わねー…
でも、俺もキョーコの声に…こんなことしちまってるから…。
そんな俺も俺だ…もう…わけわかんねー…よ。
「あああっ、や、だ、だめ、敦賀さんっ、や、ああぁっ、敦賀さっ…ん、あ、あぁぁああっ」
吸い上げられる感覚に、放ってしまいそうになるのをこらえていたら
先にキョーコのがイってしまったみたいだ。
お前…なんて声出すんだよ…信じられねー…。しかも…敦賀蓮の名前を叫びながら…かよ。
その時、急に強く吸い上げられて、我慢できずに俺も達してしまった。
「っは…あ…キョ…ーコっ」
っ俺…今…誰の名前…。
自分の発した言葉に耳を疑った。
あわてて目の前の祥子さんを見やる。
祥子さんは何も聞いてないという顔をしながら、
俺がその口に放ってしまった白濁した液体をいつものように飲み下して、
後始末をしてくれている。
ふう…。
俺何やってんだろうな。
キョーコはイってしまったようだったけど、
電話の向こうではまだ行為が続いている。
もう、俺は…悪態をつくこともできずに…ただ電話を耳に当てて、放心状態だった。
まんまと…ヤツの…敦賀蓮の策略にはまってしまった。
あいつは俺のもんだって…、そんないつもの言葉も…もう出てこねーよ…。
「お水、飲んだら?」
息をつきながら、ぼおっとして壁に寄りかかる俺に、祥子さんが水の入ったコップをくれた。
「あんがと…ごめん、変なことさせちゃって」
水を一口飲んで、祥子さんに謝った。
「あら、いつものことじゃないの。尚らしくないわね」
祥子さんはそう言って笑うと、着替えてくるから、と寝室に向かった。
あー、ほんと…多分俺なんかにはもったいないくらいないい女だな…。
しばらくバカみたいに電話も切れずにぼうぜんとしていると、
今度は忘れもしねー声が聞こえてきた。
「やあ…まだ切らずに聞いてたんだ?」
とたんに目が醒める。
こいつ…やっぱりわざとやってやがったな…っ。
ムカつく…。
「…もしもし?不破君?」
挑むように名前を呼びかけられて、
手放しそうになっていた自意識みたいなものが戻ってくる。
「…んだてめーは…っ」
言いたいことはたくさんある、そう思ってたのに
思ってることとは裏腹に、呻くように発した言葉がそれだけ。
「わかってるだろ?君の大嫌いな」
「んなこと聞いてんじゃねぇよ…一体何のマネだ?」
ああ、お前が俺の嫌いな敦賀蓮だってことはわかってんだよ。
何のマネかってことも…聞くまでもねぇ。
「それは、こっちのセリフなんだけど」
「っのヤロー何言って」
言い切られて、反射的に返した言葉を遮られてさらにヤツが続ける。
「それより、どうだった?彼女の声は…いい声で泣いてただろう?」
「ってめぇ…っ」
もう会話にならないような状態だ。
嵌められたほうの俺はもうただ混乱の一途をたどっているような感じで
用意周到に俺を責めるヤツのほうが一枚も二枚も上だ。
あの時…俺から売ったケンカを今さら受けられて、
さらに重ねてケンカを売られているような気分になる。
「そういうことに使ってくれても構わないよ、
実物は…どうせ君には永遠に手が届かない」
冷静になろうとする俺の神経を逆なでするかのように続けられる
ヤツの言葉。
何が言いたいんだコイツは…っ。
沸騰しそうな感情が言葉尻だけを捕まえて追い回している。
全部バレてんのかよ…電話を聞きながら俺がしたことも何もかも…っ。
「もしかしたら、もうそういう風に使った後だったりしてね。
まあいい、君も救いようのないバカってわけでもなさそうだ。
どっちにしても、もうこの電話にはあまりかけてこないほうがいいね
…何度も言わせないでくれ」
畳み掛けるように繋がれるヤツの言葉に、たまらず壁を叩いてしまう。
そこへ戻ってきた祥子さんが驚いて声を上げた。
「きゃああぁっ、何してるのよ」
「あ、ごめん、何でもない…ごめん」
「こっちの言いたいことはそれだけ。…他に何かある?」
その上から見下したみたいな物言いに、カッとなって。
「うるせっ…すかしてんじゃねーぞてめえっ」
「もう切るよ。彼女の「普通の」声が聞こえなかったのは残念だけど
それはテレビを見てくれればいくらでも聞けるだろうから。
さすがに俺も、そこまでは頓着しないよ。じゃあね」
そう言い残してヤツはさっさと電話を切ってしまった。
回線の切れた後の音が耳に残り、たまらなくなった俺は
電源ボタンを押すと、手にしていた携帯を投げ捨てた。
床に落ちる音があたりに散り、言いようのない空しさに襲われる。
もう…あんまり口も開きたくない。
「お風呂…入ってきたら?」
のろのろと立ち上がった俺に祥子さんがバスタオルを渡す。
受け取ると、祥子さんに向かって無理矢理…微笑んでみた。
頭…冷やしてくるわ…。