不意に空気を揺らす電子音。
腕の中にいた彼女があたふたと音の発生元へと向かっていく。
…携帯か。
誰なんだ、こんな時間にかけてくるなんて。
気に食わないな。仕事の電話にしてももうちょっと遠慮して欲しい。
深夜といってもいいような時間に仕事の電話なんて
まるで仕事のできないマネージャーのするようなことだ。
俺の電話じゃないからあまりキツイことは言えないし
自分のエゴでしかないから彼女には当然言わないけれど。
カバンから携帯を取り出し、慌てて電話に出る彼女を見ていると、
瞬間、表情が一変する。
ははあ…「アイツ」か。
「何なのよ、こんな時間にかけてくるなんて、
切るわよ、もう電話しないでって言ったでしょう?!」
そう言って、携帯電話が壊れそうなくらいに力を込めて電源ボタンを押す。
それを見ている俺はといえば、正直面白くない。
俺とどんな関係になろうと、彼女が「アイツ」を嫌っていることには変わりがない。
逆に言えば、俺がどんなに君の心へ入り込んだって、
もう1人の男の影はまだ消えていないってことじゃないか。
君が嫌がるからこんなことは話題にもしないけれど、
ああ、本当にイライラさせられる。
「ごめんなさい…」
とぼとぼと戻ってきた彼女は、すっかり沈んだ様子だ。
相手が誰だか、俺にも知られてしまった、そんな顔をしている。
「何で謝るの?…仕事の電話だったかもしれないじゃないか」
気落ちしている恋人を慰めるように、再び腕の中に閉じ込めた。
後ろから抱きしめるような格好で、頭をゆっくり撫でながら髪にキスを落とす。
俺は君の事はすべて許してるからね…君を責めるつもりは毛頭ないけど
もう1人のヤツにはお仕置きが必要かもしれないな。
「シャワー浴びてくる?」
彼女がバスルームに消えた後、そのカバンから携帯を取り出す。
俺は恋人の携帯を盗み見するようなことはしない主義だけど
借りて電話をかけるくらいは、まあ、範疇に収まるだろう。
着信履歴を呼び出すと、一番最近の着信番号を確かめる。
案の定、登録はされていなかったが、数分前の時刻。この番号で間違いない。
…聞きたがった声を…存分に聞かせてやるよ。
着信画面を見て、嬉々として電話に出る「アイツ」が目に浮かぶ。
他人の恋人にちょっかいを出し続ける罰は、それ相応に受けてもらわないとね…。
「キョーコ…」
ベッドの上に座って向かい合うと、いつものように名前を呼んだ。
呼ばれ慣れていない目の前の恋人が恥ずかしがるのを見るのも好きだ。
バスローブを少しずつはだけながらデコルテに唇をつけて強く吸い上げた。
そして閉じられた瞼にもキスをひとつ。
さあ、今夜はいつもより少し…アブノーマルに楽しめそうだ。
君には知られないように、上手くやる。
「ん…」
ついばむようなキスから始めた。
やわらかい唇を自分のそれでゆっくりとなぶり、入り口を広げる。
少しずつ開いていくそのドアを、舌で押し広げるようにこじ開けると
歯列をやんわりとなぞり、奥に隠れる彼女の舌をからかうようにつついた。
出ておいで。
最初は怯えるようだったそれは、誘う俺の舌に応えるように
愛撫を求めて次第に積極的に絡まりつく。
やわらかくて自在に動くそのモノをじっくりと味わうように口腔内を撫で回す。
「ん…ふ…っ」
時折、唇の隙間から漏れる甘い吐息が、俺の内側にある劣情を
どうしようもなく刺激する。
今日は、ここにいないもう1人の男の存在があるからね…
それで俺もずいぶん煽られてるんだけど、
君が紡ぎだすその甘い音がさらに刺激になっていくのを感じるよ…
俺がそうやって欲望のままに攻め立てたら君はどうなっちゃうんだろうね?
そんなことを思っているとは知らない様子で、彼女は必死だ。
すごく上手だよ…。上手くなったね…。
2人分の唾液が口の端から零れ落ちるのを舌で舐め取ると
わざと彼女の口の中にそれを落とした。
ごくん。喉が鳴って、彼女がそれを飲み下したことを教えてくれる。
君の中に最初の火を灯してくれるよ。いつもより気持ちよくなれるといいね…。
やがて唇を離すと、彼女の呼吸が少し乱れている。
もっと乱れて、もっと気持ちよくならないと、声は出ないからね。
何事にも準備は必要だ。もう半分くらいまでは来ていると思うけど。
耳たぶをそっと噛み、唇は身体を順番に辿りながら、
手は、その小ぶりだけど形の良い胸に触れた。
ゆっくりと回すように、手のひらを這わせて膨らみをやわやわと揉みほぐす。
敏感なその先端にはわざと触れずに。
「は…あっ…」
呼吸を荒げていくと共にわずかな声が途切れ途切れに振ってくる。
彼女の顔を見ると、少し恨めしそうにこちらを見ていた。
なんで?なんで触ってくれないの…?そこに…。
そんな風にでも言いたげだ。
ああ、ごめんね?でも、美味しいものは後に残しておいたほうが楽しめるだろう?
瞳を見つめながら、すっと人差し指でその先端に引っ掻くように触れた。
そしてふたつの指で絞るようにじんわりと責める。
「あっ…ああ…」
手を動かすたびに、発せられるその声が次第にボリュームを上げてゆく。
もうすぐスイッチが入りそうだね、やっぱり今日はいつもより早い。
伝わってしまうのかな…こんなにくっついてると。
胸全体をなぶる様に大きく愛撫すると、
白くなめらかなその肌が手に吸い付くように応えてくる。
やがて指で転がしていたその先端が
快感を訴えるように硬く尖ってきたのを見て、口に含んだ。
彼女に聞こえるように、ちゅ、と音を立てて。
びく、と彼女の身体が反応する。
「は…あっ…んっ…く…」
声を上げるまいと唇を噛んで、それでも口の端から零れた密やかな声が
空気を伝わって届く。
眉間に皺を寄せて、快楽をやり過ごすように耐える彼女の耳元に
唇を押し付けてくすぐるように囁いた。
「誰も聞いてないから、我慢しなくていいんだよ、もっと聞かせて…?」
まだまだ、こんなもんじゃダメだ。
聞かせてあげないと、ね。もっと淫らな君の、声にならないような声を、「アイツ」に。
乳首を激しく吸いたてて、反対側は指で転がしながら
下腹部にそっと手を伸ばすと、思ったとおり、そこは既に滴るような蜜で溢れている。
「キョーコ、わかる?すごく濡れてるよ…」
繁みを撫でる様にじわじわとかき分けて、その奥へと指を辿らせようとすると
彼女が抵抗するように脚を閉じた。ここまでは別にいつもどおりだけれど。
「だーめ…、良い子だからここ、開いて?」
内腿に軽く触れてゆっくりと上下させる。触れるか触れないかのギリギリで。
「やっ…あ」
「触って欲しくないの?」
耳元で繰り返す。身体はもう欲しそうだよ?
「触って欲しいでしょ?」
囁きながら、くっつけられた膝頭に手を差し込んでいく。
耳を舐め、胸の尖りを強く捻り、脚から彼女の意識を引き離すようにすると
込められていた力が次第に緩められていく。
「あっ…ああ…っん…や…」
力が抜けた瞬間にそっと開かせると足首を掴んで肩にかけ、
脚の付け根の部分を舐める。
まだ、そこには触ってあげないけどね…。
「あっ…つ、敦賀さん、や、そんなトコ汚い…から」
「大丈夫」
左右に唇を這わせて、その溝をゆっくりと上下に舐め上げる。
「あ、ああ、やあっ…」
まだそこに直接触れたわけじゃないのに、割れ目からとろりと液が滲み出てくる。
少し動きを止めて、その様子を見ていたら、もどかしそうに彼女が腰を動かしてきた。
…ずいぶん、積極的なんだ、今日は。
君も、君なりの方法で…「アイツ」の影を消そうとしているのか…?
「…つ、敦賀さん…?」
「どうしたの?」
その声に少し甘さと媚が滲む。愛撫を止めていることには一切触れないで聞き返してみた。
もっと可愛い声でおねだりしてくれなくちゃ、今日はしてあげないよ?
誰かに聞かせてあげようと思ったら、君にも最高に乱れてもらわないと、伝わらないからね。
何と言っても、相手は電話の向こうだから。
同時に、枕の下に忍ばせておいた彼女の携帯の発信ボタンを押す。
「…わって…お…ねが…い…」
「聞こえないよ?もっと大きな声で…おねだりしてごらん」
クライマックスに近いところから楽しめるなんて、君は運が良い。
早く出てくれよ?じゃないと聞き逃してしまう。
わざわざ電話をかけてきてまで欲しがった彼女の声を。
「ああ、は、早く…触って…お願…い…敦賀さ…んっ」
そのものをはっきりは言わない、だけど半泣きになって叫ぶその精一杯に
思わず笑顔になる自分がいる。
そうまでされちゃ、ダメなんて言えないな…。
「はい、…合格」
懇願されたその部分に唇を当てた。
次から次へと溢れ出す蜜が、触れられた唇に応じて、ちゅく…と音を立てる。
聞こえる?君のここはこんなにも欲しがってるよ。
ここからはなるべくはやくしないと、待ちわびている観客にも失礼だからね。
舌でその割れ目をなぞるようにあふれる液体を舐めとりながら上下させる。
そしてすぐに、その上にあるやわらかな傘を被った芯を尖らせた舌ではじき返した。
「ああっ…あ…っん…ぅ…は、あっ…んあ…」
ねっとりと舌全体でその蕾をこねくり回すように舐める。その度に響くぴちゃぴちゃという
淫らな水音。「アイツ」に聞こえないのはちょっと残念だな…。
舌を動かしながら、同時に指をすでにとろとろになっている入り口にあてがって、そっと挿入させた。
入り口付近だけを焦らすようになで回し、
外では、舌で押し付けるようにじりじりと愛撫を続けると内壁が早くも収縮し始めた。
たった1本しか入っていない指をぎゅうぎゅうと締め上げる。
「キョーコ、イっちゃいそう?」
舌と指の動きのリズムに合わせておもしろいように嬌声が上がる。
そうそう、すごく良いよ…、もっと彼にも聞かせてあげようね…キョーコ…。
「あ、あ、あぁあっ、や、も…ダメ…敦賀さんっ…やだっ…ああぁっ、つ、敦賀さんっ…」
絶頂に達しそうになると、喘ぎ声にやたら俺の名前が混ざる。
そして相手である俺の存在を確かめるように腕や肩や背中に縋り付いて爪を立てる。
そんなところもすごく可愛い。それも、今日に限っては…彼を刺激させる良い材料だ。
ああ、でも今日はここでイかせてしまうと長引くな…いつもはここからが本番みたいなものだけど。
そう思ってまた唇と指を彼女の身体から退却させた。
もっともっと…欲しがって、そしたら…ちゃんとしてあげるから。
ごめんね…?君をいじめるつもりじゃないんだけど。
「ああっ、や…なん…でっ…敦賀…さんっ…」
目に涙を浮かべてこちらを睨んでいる彼女が目に入った。
そんな顔して見せても…逆効果だって…いつも言ってるのに。
「ねえ、キョーコ、本当は何が欲しい?言ってみて」
指だけをまたもとの場所に戻してゆるゆるとかき混ぜる。そこにはもう何の抵抗もない。
「やあ…っ…言えな…は…あんっ…敦賀さ、ん…」
「言わないとイけないよ?…いいから、早く…」
内側にある、敏感な場所の手前をこする。
途端に壁がざわざわとうねってさらに奥のその場所へ導こうとする。
腰も少し浮き上がり、押しつけるように指を奥へと誘う。
貪欲なその身体の動きは、羞恥心の塊とも言える彼女の意に反するかのようだ。
本当に…身体は正直だ。早く口にしてしまえば楽になれるのに…ね。
「ほら…欲しいんだよね?…何が欲しいか言ってごらん?」
「あ…つ、敦賀さ…んの…っ…入れ…は…はやく…っ」
「もうちょっとはっきり…ね」
「お願いっ…も、ダメ…我慢…できないっ、つ、敦賀さん…い、入れて…っ…早く入れてえぇっ」
絶叫にも似たおねだりに、再び顔がほころんでしまった。
電話の向こうの君にも聞こえたかな?
何年一緒にいたか知らないけど、あんな声、聞いたことないだろう?
普段はね…独り占めしてるんだけど、今日は特別。
包囲網をかいくぐってきたごほうびと、いや、罰のほうかな?
いつまでも未練がましいあわれな男の、懲りることのない横恋慕への。
「あぁっ…」
さっきまで指で蹂躙していた箇所に、熱く張り詰めた自分を挿入していく。
すでに達しそうになっていたそこが一気に進入物をぐいぐいと締め付ける。
いきなり与えられた急激な圧迫感に、放ちそうになるのを必死で耐えた。
予想以上だな…。
「すごい…ね、どうしちゃったの…今日は」
半分は自分からそうなるように仕向けたんだけど、
今さらながらいつもよりも敏感な反応に驚いてしまう。
…「アイツ」からの電話を俺に知られてしまったという…罪悪感なのかな。
多分、今日が初めてじゃないんだろうな。
いつもいつもいつも、ああやって電話してきては、
すぐに切られる、そういうことを繰り返しているわけだ。ショータロー君は。
じゃあ今日はその報われないショータロー君のためにも
とっておきのを出さないと。ね、キョーコ。
身体は繋がったまま横たわり、
飛んでしまいそうな意識をすんでのところで保っている彼女を抱き起こした。
「好きなように…動いてごらん」
「ん…なん…で…?」
「そのほうが今日は気持ちいいと思うよ」
ほら。
促すように突き上げると、やがて合わせるように彼女が腰を動かしだす。
上下、前後、そしてぐるりとかき混ぜるように、自分がいいと思う場所に
たどり着こうと、少しずつ速度をあげて。
「あ、は、あぁっ、あ、やあっ、も、なんか…きちゃうっ、あ、ああっ、っは、あっ」
手を俺の首の後ろで組み、身体を必死に支えながら
自分の動くリズムに合わせて声を上げる。
快感を貪欲に求めて駆け上る、その手助けをしたくて、目の前で控えめに揺れる
無防備な胸に手を置いた。
先端を指で挟みこみ、手のひらで覆うように、その動きに合わせる。
「あ、あんっ、や、あ、は、っあ、あ、つ、敦賀さ、んっ、も…う、わた、しっ」
「いいよ…イかせてあげる」
本当は、君のそんな声や姿を一番聞いたり見たりしたいのは…俺なんだ。
今日は…ごめん。優しくできなくて…。
左手は胸に置いたまま、右手を下腹部へ伸ばした。
繋がっている部分のすぐ上にある、クリトリスをそっと摘むようにこする。
「あああっ、や、だ、だめ、敦賀さんっ、や、ああぁっ、敦賀さっ…ん、あ、あぁぁああっ」
声と共に内側が収縮して、背中がしなったかと思うと、
彼女の頭が俺の肩に落ちてきた。
額で身体を支え、ガクガクと揺さぶられる感覚に耐えるように、
全身で呼吸しているその姿をもういちど抱え起こすと、ベッドに寝かせた。
「ごめん、もうちょっとだけ付き合って」
彼女が果てた後も熱を放てずに持続していた自分のそれを、彼女のなかで
ゆっくりと前後に動かし始める。
「あっ、ま、まって…あ、あぁっ…んっ…は…、あ、あ、つ…るがさ…っ」
「すぐだから…」
達した直後の途絶えることのない刺激に、これ以上にないくらい締め付ける
彼女の中にのまれて、じわじわと背中を駆け上ってくる快感。
苦痛と快楽に歪む彼女の表情に吸い込まれるように欲望を解き放って。
「あ、あっ、ま…またっ…あぁっ、つ、敦賀さんっ、あ、や、ああぁあっ、は…っ…あ」
「っ…キョーコ…っ」
余韻にまかせて息をつく彼女の後始末をすませて、バスローブをかける。
時計を見たら、あれからもう30分は経過していた。
もしかしたらもう回線は途切れているかもしれない。
いや、よっぽどのバカでなければさっさと切るだろうね。
アンコールには応えられないけれど、質疑応答ぐらいには出てやってもいい。
もしも、まだ繋がっていれば、の話だけど。
自分のバスローブをはおり、枕の下から
今日のための演出に使われた彼女の携帯を取り出した。
彼女に見えないようにポケットにしまうと、
そのままベッドから降りかけて、袖を引かれているのに気づく。
「敦賀さん…どこ…行くの…?」
見ると、彼女の手が、俺のバスローブの袖をぎゅっと掴んでいる。
いつもはことが終わってもすぐに身体を離したりはしないから、
見上げる表情がどことなく不安そうにも見える。
ああ、ごめんね、今日だけだから、いい子で待ってるんだよ。
すぐ…帰ってくるから。
「…ごめんね、水取ってくるから、ちょっと待ってて」
頬に口付けて、ベッドルームを出た。
リビングのソファに腰を下ろして、ポケットにしまった携帯を取り出す。
ディスプレイを見ると、「通話中」。
はっ…まだ切っていなかったわけだ。
バカなのか、そうしてまでも彼女からの着信を切れずにいたのか。
彼の心の内を思うと、少し楽しい気分にすらさせられる。
耳をあててみても無音。いや、少しざわざわしているか…。
どっちにしても、よく聞こえたんだろう。
「そういう行為をしているときの声」だとわかるくらいには。
そうでなければ、声を殺して聞き入ったりはしないだろうから。。
純然たる事実を突きつけられて
さぞかし動揺しているだろう君には悪いけど、
もう少し付き合ってもらおうか。
嫉妬をむき出しにするのは趣味に合わないが、
こういう機会でもないと、釘も刺せないからね。
最大限、電話の向こうに届くように空気で威嚇する。
しばらく電話をかけようなんて思わせないくらいには、
効果があるかもしれない。
「やあ…まだ切らずに聞いてたんだ?」
焦らすようにゆっくりと口火を切った。
俺は構わないけれど、君は耐えられるかな?
だけど、少し待っても返答が返ってこない。
「…もしもし?…不破君?」
「…んだてめーは…っ」
やっと出てくれたね。
「わかってるだろ?君の大嫌いな」
「んなこと聞いてんじゃねぇよ…一体何のマネだ?」
「それは、こっちのセリフなんだけど」
「っのヤロー何言って」
「それより。どうだった?彼女の泣き声は…いい声で泣いてただろう?」
「ってめぇ…っ」
さすがにいつもの余裕はあまりない、か。
受け答えにも少し焦りのようなものが感じられる。
無理もない、けど。
「そういうことに使ってくれても構わないよ、
どうせ君には実物は永遠に手に入らない」
「っ…」
彼を誘うような物言いのすぐ後に、息を飲む音がかすかに聞こえてきた。
…図星か。
「もしかしたら、もうした後だったりしてね。
まあいい、君も救いようのないバカってわけでもなさそうだ。
どっちにしても、もうこの電話にはあまりかけてこないほうがいいね、
…何度も言わせないでくれ」
そこまで言ったところで、
受話器の向こう側で壁を叩きつけるような衝撃音が響く。
ついでに「きゃああぁっ」という女性の悲鳴も。
…やれやれ。
「こっちの言いたいことはそれだけ。…他には?」
「うるせっ…すかしてんじゃねーぞてめえっ」
「もう切るよ。彼女の「普通の」声が聞こえなかったのは残念だけど
それはテレビを見てくれればいくらでも聞けるだろうから。
さすがに俺も、そこまでは頓着しないよ。じゃあね」
今のは…60点か。
せっかく、イキがったライバル―というよりは
人のものに勝手に手を出してくる不愉快なヤツと
直接対決の場を与えられたというのに
あまり気の利いたことも言えなかったし。
余裕がなかったのは本当は俺の方なのかもしれない。
彼女に黙って自分だけ楽しんだ罰…か。
だけど…これくらいは、許されるだろう。
…いつもは場所を問わず殴りつけてしまいたいくらいの
衝動をやっとのことで抑えてる。
だからこうして少しでも意趣返しができて、
愉快な気持ちがあるのも否定できない。
というよりも、かなり優越感だ。
ああやってヤツの影に悩まされることがしばらく続くかと思うと
今日俺がやったことなんて、ささやかなストレス解消じゃないか。
手のひらの携帯を見つめる。
持ち主が不審に思うかもしれないけど…
リダイヤルを消去しておいた。
罪のない携帯電話にも、謝っておくかな。
「ごめんね、…君のご主人様には内緒だよ?」
終わり